« 2005年7月10日 - 2005年7月16日 | トップページ | 2005年7月24日 - 2005年7月30日 »

2005/07/23

黒百合…悲劇の花

 さていつものように画面に向かい、今日は何を綴るかと考え出す。何も書く材料もなしに空白の画面に向かうというのは、楽しいような、プレッシャーでもあるような。
 でも、プレッシャーがプレジャーなのである。
 例によって【7月の季題(季語)一例】を眺めた。すると、今日は真っ先に冒頭近くにある百合に目が行った。
 脳裏では、勝手に、百合…黒百合…佐々成政と越中人たる小生ならではの連想が働いている。
 そう、富山県人ならば、百合というと、黒百合を思い浮かべる(人が多いのではなかろうか。今時の人は分からないが)。

 本題に入る前に、「百合」について少々。
 夏の季語である「百合」には仲間がたくさん、あるようで、季語として使われる言葉に限っておいても、「山百合」「姫百合」「鬼百合」「白百合」「鹿子百合」「車百合」「早百合」「黒百合」「鉄砲百合」「百合の花」と並ぶ(←「北信州の道草図鑑」より)。
 「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」 なんて言うけれど、そのように評される女性ってどんな人なのだろう。花のように、すぐに萎れてしまう人ってことなのだろうか。

雑学花言葉」の「雑学花言葉「く」で黒百合の花言葉を見てみると、「恋、呪い」だとか。
 説明には、「花の姿と暗紫の花色から黒百合と呼ばれるが、百合ではなくバイモ属。悪臭があるそう。 ミヤマクロユリの母種とされている」とある。
 下記するが、黒百合と越中との結びつき(因縁というべきか)は浅からぬものがあるのに、何故か、黒百合は石川県の県花。どうやら、「白山に多く群生」するからのようである。

続きを読む "黒百合…悲劇の花"

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2005/07/22

端居…仮住まい

【7月の季題(季語)一例】を眺めていたら、小生には初見の言葉が目を引いた。表題にある「端居」である。
 端っこに居る…。文字通りの意味なのか。
 しばしばお世話になっている「俳句歳時記」の「季語集・夏」によると、「端居(はしい/はしゐ)」は、 「室内の暑さを避けて、夕食もそこそこに縁先に出て涼を求める」の意で、「夕端居」という類義語があるらしい。
 知らないのは小生ばかりで、「端居」なる季語の織り込まれた佳句はネットでも結構、見つかる。アトランダムに列挙してみる:

 端居より端居が見えて琉球村
 団欒にときをり応ふ端居より    能村登四郎
 娘を呼べば猫が来りし端居かな   五十嵐播水
 端居して小さき嵩の母なりし   opさま
 曾てなき端居語りの夜を得たり  
 悪女にも聖女にもなれず夕端居   青木凛
 ガーゼ切るしづかな音や夕端居

続きを読む "端居…仮住まい"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/21

ヨットの帆ならぬ

 本日、夕方、帰京した。
 帰郷した18日は、関東に梅雨明け宣言が出ていたと、田舎に着いて、夕方のテレビを見て知った。梅雨の終わりということで雨を覚悟のバイクでの帰省。関東はともかく、甲信越のどこか、長ーい長野県の何処かしら、あるいは少なくとも北陸地方に差し掛かったところでは、一雨くらいはくるだろうとは思っていた。
 が、最初から最後までピーカンの晴れ。関東地方を離れ、山梨から長野にかけての山間(やまあい)、あるいは信州や信濃地方などの主に千曲川を越えた先などを走る際には、それまで晴れていた空の彼方に不穏な黒雲が急に湧き出すように見えてくる…そんな経験を何度、重ねたことか。
 しかも、北陸地方は梅雨明けしていないのである。
 こんなに天気の事をくだくだ書くのも、バイクでの帰省なので、気象条件には神経質に成らざるを得ないのである。
 雨のことばかりを書いている。が、小生が一番、怖いと感じるのは風である。バイクは風の友達なんて、気取って言う人もいるけど、それは、走ることによって受ける風。百キロ余りで高速道路を走れば、地上世界は一切、風が吹いていなくても、走行風が秒速で30メートルほどとなる。
 なかなかの風だ。
 が、これは走ることによって発生する風で、こうした風圧は、バイクのスピードを調節することでいつでも緩和することができるし、そもそも地上が無風での走行は雨さえなければ(無論、雪などは論外)、何も不安を覚える要素などありえようはずがない。

続きを読む "ヨットの帆ならぬ"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/07/18

お知らせ

 家庭の事情で、今日から数日、帰省します。
 戻ってきたら、また、宜しくお願い致します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

数のこと

 このところ、丹羽 敏雄著『数学は世界を解明できるか―カオスと予定調和』(中公新書)を読了し、今はアーネスト・ゼブロウスキー著『円の歴史―数と自然の不思議な関係』(松浦 俊輔訳、河出書房新社)を読んでいるなど、数学の啓蒙書を読む機会が多い。
 今は、昨年来の人気の本、小川洋子著『博士の愛した数式』(新潮社)を予約待ちしている。

 数学の本については書評など書けるはずもなく、感想文を綴ることさえ、覚束ない。
 丹羽 敏雄著『数学は世界を解明できるか』は、レビューによると、「天動説は数理モデルを構成して数学的に天体運動を説明する試みである。ガリレイは地上運動にも数理構造があることを示し、ニュートンはそれらを土台に近代的力学を創った。数学の発展がそれを可能にした。現象の基礎にある法則とその数学的表現である微分方程式が示すのは単純さと美しさをもつ予定調和的世界である。しかし、コンピュータの出現は自然の内包する複雑さを明るみに出した―。現代科学思考の到達点を平易に叙述」とのことで、まあ、車中では楽しませてもらったというところ。

 アーネスト・ゼブロウスキー著『円の歴史』は、適当に読み流すつもりでいたが、案外と洞察に満ちていて発見の本だった。だから、後日、感想文を綴ってみるかもしれない。

続きを読む "数のこと"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/17

栃と餅…スローライフ

 野本寛一著の『栃と餅 ―― 食の民俗構造を探る ――』(岩波書店刊)を読了した。こうした地味な好著を手にしえるのも図書館だからこそ。自腹でとなると、情なくもためらってしまう。買いたい本、読みたい本は枚挙に遑のないないほどにある…そんな中で本書をとなると、二の足を踏んでしまっただろうことは間違いない。
 この本が図書館に行った際に、入口付近の新刊コーナーにあったこと、まだ誰にも借りられないであったことは、運が良かったというしかない。
 それとも、多くの方の目には素通りしていくだけの本なのだろうか。この手の本と言うと、柳田國男や折口信夫を筆頭に数知れずあるだろうが、そんな中でも一読してみると地味な感がある。
 それは、筆者が自らを語ることが少ないからだろうか。読み手としては、筆者が足と体で見聞きし、集めた貴重な証言や画像のあれこれを読み眺めるのは楽しいが、探し回る際の筆者の息遣いや汗も、もう少し感じたい。

 さて、上掲の岩波書店の案内によると、「今やグルメブームの名のもとに,ファストフードとスローフードが入り乱れ,食文化は大混乱している.しかし食の民俗を注意深く眺めてみると,食とは何よりも生きるためにあり,そこから儀礼のための食が生まれ,楽しみのための食にいきつく.長年の調査から先人たちの食に関する伝承知を描き,この列島の人々の食に関する嗜好の伝統が姿をあらわす」と説明されている。

続きを読む "栃と餅…スローライフ"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2005年7月10日 - 2005年7月16日 | トップページ | 2005年7月24日 - 2005年7月30日 »