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2005/07/16

ラムネ…サイダー…アイスコーヒー

 7月の季語例を眺めていて、さて、今日の表題は何にするか…と、「ラムネ」が目に付いた。
 が、「ラムネ」については、小生、散々、書き散らしている。たとえば、「富山とトンボのこと(付:後日談、など)」で、富山とトンボという題名とラムネが結びつくのは、恐らくは富山県出身の方か富山に縁のある方だろう(もう、若くはない方とまでは書かないが)。
 あるいは、その続編で、「トンボのこと」(2005年03月27日(日))を書いているが、これは、話の焦点を主にトンボに置いている。但し、トンボは秋の季語である。
 というわけで、今回は「ラムネ」は見送り。そのうちまた、書き足すことが増えたら、改めて。

 ラムネも懐かしいが、サイダーも、一昔前はある定番のメーカーのサイダーしかなかった(呑まなかった)ような気がする。
 なんたって、三ツ矢サイダーは日本最古のサイダーなのである。
語源探偵団 三ツ矢サイダー」によると、「キリンビバレッジ「清涼飲料水の歴史」によると、「ラムネ」は嘉永6年(1853)、ペリーの黒船とともに日本に上陸。炭酸飲料の歴史的幕開けとなった。当初は栓を開けるときの音から「ポン水」などと呼ばれていたようだ。国産ラムネの第1号は慶応元年、長崎の藤瀬半兵衛による「レモン水」である。ちなみにラムネといえばビー玉入りのボトルなんだけど、これは英国人コッドが発明したもので、日本ではじめて試作に成功したのは、なんと「徳永玉吉」という人物だったらしい(『ザ・ジュース大辞典』扶桑社)。明治期になると炭酸飲料は大流行したコレラの予防薬として、国民的ブームを迎えることになる。三ツ矢サイダーが誕生したのはそんな時代のことだ。とりあえず「日本最古のサイダー」といわれている」とのこと。

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2005/07/15

夜光虫…二つの顔

 毎度のことだが、この日記を夜中になって綴るとなって、テーマを何にするかで迷う。あるサイトで「浴衣」という季語を織り込んだ句日記が綴られていたので、よし! 今日は「浴衣」で行こうと、一旦は思った。
 が、たまたまネット検索でヒットした「日本国語大辞典第二版オフィシャルサイト:日国.NET」が悪かった。「季節のことば 晩夏其の二 浴衣」という表題の下、「浴衣」を巡るあれこれが、小生には到底、真似のできない視野の広さと文章の上手さで綴られている。その上、浴衣という季語の織り込まれた句の数々が示されている。
 この上、何を小生が屋上屋を架する必要があろう。
 この季語を今日は調べようと、ネット検索を重ねて、あまりこれという参照サイトが見つからないのも困るが、書くべきことが網羅され、手の付けようのないまでに書かれているサイトに遭遇するというのは、もっと困る。付け入る余地がないではないか。
 ま、そのうち、隙を見て、「浴衣」に触れてみることにしよう。

 7月の季語例をつらつら眺めていて、晩夏ということもあり、8月の風情となっていて、梅雨明け前の今にあっては、どうにも食指が働かないのも事実なのである。
 そんな中、小生の好きな動物「海月」が目に付いた。これにするか。でも、その隣りに、「夜光虫」という気になる言葉・季語が文字通り光っている。

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2005/07/14

ジュール・ヴェルヌ…オリエント

 NHKラジオでジュール・ヴェルヌについての話を聴くことができた。「ことしは、フランスの作家ジュール・ヴェルヌの没後100年」なのだという。語り手は、日本フランス語フランス文学会の小倉孝誠氏で、ラジオ深夜便という番組の「ないとエッセー」にて。
 話は聞きかじったが、深夜、それも夜半前後というのは、小生の仕事では一番、忙しい時間帯(のはず)。なので、話の大半は右の耳から左の耳へと、通り抜けていった。
 まともに聴いていても(聴いているつもりでも)、耳の通じはやたらとよくて、掠りもしないで吹き抜けていく。目から鼻に抜けるというと有能なる人を表する表現だが、右の耳から左の耳というのは、小生に付いての表現のようである。
 なので、ネットで話を補う。

 ラジオの内容(テーマ)は:
 7/11(月)ジュール・ヴェルヌと私(1)日本文学とヴェルヌ
 7/12(火)ジュール・ヴェルヌと私(2)ヴェルヌとその時代
 7/13(水) ジュール・ヴェルヌと私(3)驚異と旅「80日間世界一周」
 7/14(木) ジュール・ヴェルヌと私(4)ヴェルヌからのメッセージ

新着おすすめ情報」によると:

「先人の空想力」
 出演:小倉孝誠(慶應義塾大学文学部教授)
「ことしは、フランスの作家ジュール・ヴェルヌの没後100年。100年前といえば、日本では明治時代・ヴェルヌの代表作『十五少年漂流記』『海底一万里』『八十日間世界一周』などに描かれた世界と比べてみると、その空想力に驚かずにはいられない。フランス文学を専門とする小倉さんが、ジュール・ヴェルヌの人物像や空想力の源、作品世界の魅力などを語る」とある。表題が少し違うが気にしない。

パリノルール blog 海洋博物館でジュール・ヴェルヌ展、開催中 paris」によると、「今年はジュール・ヴェルヌが亡くなって100年めの年。フランス各地で記念イベントが開かれるとか」
 日本においては、どうなのだろう。まさか、NHKのラジオ番組だけ?

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2005/07/13

長嶋茂雄さんのこと

 脳梗塞で倒れた長嶋茂雄氏が、つい先日(7月3日、東京ドームで開催された巨人対広島戦の観戦をおこなった。その報道振りは、なんだか天覧試合であるかのよう。
 その巨人戦視聴率は13・5%だったとのこと。
 さて、その視聴率について、「余は如何にして道楽達人になりしか たいしたことなかったやん、長嶋の視聴率効果。で、長嶋の魅力を、メディアはちゃんと伝承してきたのか?」によると、二つの全く異なる評価がされていたとか。

 一つは、「共同通信」で、「巨人戦視聴率13・5% 長嶋人気を裏付け」という見出しに示されるタイプ。
 リンク先の記事に見られるように、「前週日曜日の6月26日に放送された阪神-巨人戦は8・0%(関東地区)だった。長嶋氏の人気をあらためて印象づけた。今季、巨人戦の視聴率は低迷を続け、6月の平均視聴率(同)は10・1%にとどまっていた」というもの。

 今一つは、「毎日新聞」で、「<長嶋茂雄さん>東京ドームでの”復帰”視聴率13.5%」という見出し。内容は、「リハビリ中の長嶋茂雄さんが東京ドームに姿を見せた3日の日本テレビ「巨人×広島戦」の平均視聴率は、13.5%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)だった。巨人戦の今季最高(5月6日)17.3%には届かず、「長嶋効果」は見られなかった」というもの。

 長嶋さんの人気は凄い。「長嶋茂雄はなぜ「長島茂雄」なのか」なるサイトを覗いてみるまでもない。

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2005/07/12

御来迎…ブロッケン

 国見弥一の季語随筆読書創作日記と銘打っているこの無精庵徒然草だが、このところ、やや季語随筆からは離れ気味、でなかったら扱う頻度が落ちている、そんなふうに感じられている方もいるかもしれない。
 が、小生の考え方だと、俳句にしろ川柳にしろ、あるいは単に5・7・5の形式による表現世界であるにしろ、それはただ風情とか風流とか、粋とか情緒とかを表現するにとどまるものではない。
 では、何を一体、表現しているか。
 実は自分が大切にしたいと思っているのは、俳句や川柳を、あるいは詩や虚構作品という形での表現を試みるとしても、日々の勉強は日常生活であり、読書であり、仕事であり、対話であり、散歩であり、日々の雑事全般を通じて行うものだという発想である。
 別に殊更、政治問題や経済問題、虐めやこのところ啓蒙活動が盛んに行われている(と小生は感じる。NHKラジオでこの話題が頻繁に採り上げられるからか…)「欝」社会など、コラム的に書くことを中心にするつもりはないが、俳句だから詩だからといって、政治や経済など、世事の雑駁で面倒な、つまりは世俗的なことを離れて、閑静な場で考えたり表現を試みようとは思っていない。
 純粋な俳句というのは小生には形容矛盾に思えたりする。
 この辺り、舌足らずな書き方になっていて、誤解される余地が大いにありそう。じゃ、政治問題を俳句で表現するのか、社会問題を扱うのか、などと。
 まあ、川柳だと、特にサラリーマン川柳の場合は、俗事や日常の憤懣などを表現したりするが、表現する、表現しようと試みる世界は、時に興趣ある世界なのだとしても、生きている生身の人間として、社会全般、できるだけ幅広く関心を抱き、かつ勉強すべきだと殊勝にも思っているわけである。
 無論、できるかどうか、できているかどうか、となると心許ない。
 というか、これからの話なのである。
 ただ、俳句、おお、風流な趣味ですな、ではなく、俳句、おお、背中に重いもの雑多なものを背負ってますな、なのであり、その上で、現実という混沌から、句という一滴の雫を搾り出してみたいとは思っている。
 と、こんなことを書くつもりじゃなかったのに、どうしてかな、と思ったら、「水中花…酒中花…句作一周年」に、ある方から「一句にて句意のわかり易き」について、意見を戴いて、ちょっと考えることがあったから、なのかもしれない。

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2005/07/11

石綿…火浣布

 最近、繊維に絡む二つの話題を耳する。一つは、石綿の繊維(あるいは粉塵)であり、もう一つは、竹から作った繊維。後者は、クールビズとの関連でちょっと話題になった。なので、今日はこれら両者の繊維を採り上げようかと思ったけど、長くなりそう。
 ここは、重要性からすると、石綿の話に焦点を合わせておこう。

 ということで、本日は、竹の繊維は控える。
 ただ、せっかくなので、別にメーカーさんの宣伝というわけではないが、竹の繊維について長所や特徴を網羅して記述してあるという意味で、「竹繊維100%のテンブロ・シリーズ [こだわり商品研究所]」なるサイトを示しておく。
「「竹繊維」の特徴として説明したいことが4つあります。それは、「1,天然のすぐれた抗菌性をもっている」「2,こすっても静電気がでない」「3,吸水性が綿の2倍、しかも、放湿性に優れている」「4,とっても柔らかい」だって。
 うーん、試してみたい!

 石綿、別名、アスベスト(asbestos)が話題になっている。一昔前、コンピューターの2000年問題が話題になっていたが、泰山鳴動して…の喩えどおりで終わった。
 が、石綿のほうは、「環境省では、建築物の解体によるアスベストの排出量が2010年から2025年頃にピークを迎えると予測しており、今後の影響が懸念されている」という。
 そう、こちらの2010年から2025年問題は、既に被害が現実のものとして表面化しているのだ。

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2005/07/10

廃仏毀釈補遺

 本季語随筆の「出発は遂に訪れず…廃仏毀釈」(July 01, 2005)において、「廃仏毀釈」について若干、触れておいた。
 偶然というものか、今、車中で読んでいる関秀夫著『博物館の誕生―町田久成と東京帝室博物館』(岩波新書)の中で、まさにこの件について触れている章があった。「廃仏毀釈」についてはネットでも情報は少なからず見出せる。が、自分の勉強のためにも、本書の記述をネット世界に参入させておくべくメモしておく。

その前に本書の性格に付いて触れておくべきだろう。書評エッセイを綴るゆとりはないので、出版社サイト(岩波新書 博物館の誕生)をリンクさせておく。
 紹介文もいいが、画像が岩波新書よりも大きいし見易かったりするのが嬉しい。
 冒頭付近に、「現在、博物館の裏庭に残っている一つの石碑の紹介からこの本は始まります。それは、初代館長、町田久成を顕彰する碑文です。今ではほとんど忘れられてしまった人物ですが、この町田久成こそ、東京国立博物館の前身となる東京帝室博物館の創設に生涯を捧げた、博物館誕生の生みの親というべき人なのです」とある。
 この町田久成は、政争の混乱(「英国王子の接待をめぐる政争にまきこまれて外交官として挫折」←上掲の岩波のサイトより)で出世コースからは外れてしまったけれど、場合によっては大久保利通にも匹敵する国家の枢要な人物たりえたはずの人材だった。
 事情があって博物館の誕生に携わるが、その経過でも大久保利通などとの交流が見え隠れする。

「私財を投じて、古書・古美術品を買い求め、少しでも散逸を止めようとした彼は、文化財調査や保護を提唱し、自ら実践した最初の人物といってよいでしょう」という町田久成のことは、頭の片隅に置いておいてもいいかもしれない(「町田久成墓」より)。

「いまに残る東京国立博物館の膨大なコレクションは、急激な明治の欧風化と開発の波の中で、町田久成が守り抜いた日本人の大きな遺産でもあ」り、「博物館づくりを通して、新興日本の国威と特色ある民族の伝統を欧米に示したいとする、若い町田久成の熱い思いが込められている」というが、実は「廃仏毀釈」という悲劇も深く関わってくるのである。

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