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2005/06/11

『KAZEMACHI CAFE』…読書メモ

 過日、図書館から借り出してきた『KAZEMACHI CAFE』(ぴあ 2005/03/19刊)を読了した。本書の大凡の性格に付いては、この季語随筆「KAZEMACHI CAFE…歌謡曲」(2005.06.06)で既に書いている。
 まあ、対談集なので、松本隆という逸材と、これまた才能溢れる方たちとの対談をひたすら楽しめばいい。何をコメントする必要があるわけもない。
 なので、脈絡も何もないメモ書きの羅列と相成るが、仕方ないと思っている。
 名前については敬称を略させてもらう。超有名人であり、一個の社会的財産となっているが故の敬意の所以である。

 松任谷由実との丁丁発止の対談の中で、ちょっと驚く記述を見つけた。尤も、何も驚く必要などないのかもしれないが。
 それは、三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で自決した時、松任谷は「風都市」という、当時、松本隆がそのメンバーでもある「はっぴいえんど」が所属していた音楽事務所に居たというのだ。その音楽事務所は市ヶ谷に当時、あったのである。
 なんでも、松任谷の旦那様である正隆氏が事務所へ月給をもらいに行くのに付いて行ったのだという。
 せっかくなので、市ヶ谷の旧参謀本部の貴重な画像などを見てもらってもいいかも。
市ヶ谷の参謀本部について

 事務所(の屋上?)のドアを開けると、自衛隊のバルコニーが見え、何かのノイズが聞えていたというのである。三島由紀夫のアジ演説の声だったのか、警官隊の応じるマイクの声だったのか。それとも取材するヘリコプターの騒音なのか。
「ノイズ」という松任谷の言葉の選択が面白い。
 松本隆も松任谷由実にとっても、三島由紀夫らの行動が、あるいは時代の学生運動自体が「ノイズ」だったのだろうか。何か違うよ、ということなのか。勿論、こんな言い方では身も蓋もないというか、鰾膠(にべ)もないことになる。都会人特有の斜に構えたような独特なセンスもあるのだろうし。
 いずれにしても、時代はフォーク、それも没社会的な、政治的メッセージの欠片もないような、吉田拓郎であり、かぐや姫の神田川であり、ガロの学生街の喫茶店であり、井上揚水的な私小説的なフォークに主流が移っていきつつあった。

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2005/06/10

エンコントロ(4)

05エンコントロ(4)」へ引っ越しました。

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蛍の光…惑う光

 今日もラジオで聴いた雑学的な話をあれこれ順不同でメモ書き風に書いておく。後日、気が向いたら、そのどれかを掘り下げてみることがあればいいなと淡い期待をしつつ、メモに移ろう。

 NHKの「ラジオ深夜便」という番組は、サッカーなど特別な番組がない限りは、できる限り聴くようにしている。夜、そして夜半になると民放のラジオは若者向け一色になり、中高年は相手にされないから、聴くようにしているというより、余儀なく聴いている側面もないとは言えないが。
 昨夜半過ぎは、「茶の心、和の心」というテーマで茶道裏千家の千玄室さんの話。これはほとんど聴けなかった。まあ、一応は仕事中だから仕方ない。
 そのあとは、「失敗こそが独創を生む」というテーマで、工学博士(宇宙工学)の五代富文さんの話。

 五代富文さんというのは、宙開発事業団(NASDA)の副理事長まで務められた方で(00/10/24付け退職)、日本初の純国産ロケット「H-II」の開発に当初からかかわった、H-IIロケットの生みの親という人物。
『国産ロケットH‐2宇宙への挑戦―最先端技術にかけた男たちの夢』(徳間書店)や『ロケット開発「失敗の条件」―技術と組織の未来像』(共著、ベスト新書)などの著書があるようだが、小生はいずれも未読。
 特に後者は、「宇宙開発事業団が生んだ初の純国産ロケットH‐2は、続けざまに「失敗」した。開発者たちは、そこから何を学び何を教訓に残したのか?2001年夏、いよいよ新型ロケットH‐2Aをひっさげて、大国が群雄割拠する宇宙ビジネスの世界に参入してゆく。ロケット開発の黎明期から従事してきた研究者と日本の宇宙開発を長年追い続けてきた取材者とが、わが国のロケット開発における「失敗」を徹底的に討論した」という内容らしいが、幾分かは昨夜の話と重なる部分があるような気がする。

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2005/06/09

螢籠

 例によって「6月の季題(季語)」を眺めて、今日の表題は何がいいかと物色している。
 でも、物色しているというのは、ちょっと前向きすぎる表現かもしれない。むしろ、表を眺めているうちに何かいいアイデアが浮かんでこないかと、淡い期待を抱いて、立ち尽くしているといったほうがいいのかもしれない。
 いや、立ち尽くしているというのも、きつすぎる。
 毎日の献立に頭を悩ます主婦のよう…などと書き始めようとして、さて、小生は主婦の経験は勿論、ないし(一応は男の端くれだし)、安易過ぎる喩えかなと思ったりする。でも、八百屋さんやスーパーに向かうとき、今日はこの料理がいいという目当てや目論見があって、というより、店先に並ぶ野菜や魚、総菜などを眺めながら、なんとなく目に付いたもの、目玉商品だと店で宣伝しているものをついつい買ってしまうという経験が主婦されている方には多いのではと思ったりする。
 主婦と書いたが、日々、スーパーへ買い物に行くと、いい男の方が店内をうろうろされているのを結構、目にするようになった。主夫する男性が増えているということか。主夫ではなく、出張などで一人暮らしされているのか、あるいは事情があって独り者になってしまったのか…。
 まあ、余計なお世話だが、自分を思うと、身に抓まされてしまう。
 さて、店先に…じゃなく、季語例の表を眺めていて、その例の多さに圧倒されてしまう。少ないのも困るが多すぎるのも逆に困る。目移りどころじゃない。気後れに近い。
 つい、何故か、「蛍」じゃなく、「蛍籠」に目が向く。

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2005/06/08

日記拾遺…いちこつ

 昨夜、営業中のこと、車中で聴いていたラジオで、小生には初耳の話を聞きかじった。メモするゆとりもない状況だったので、幾つかの言葉を覚えておいて、あとでメモ。
 キーワードは、「いちこつ 富山 駅 発車(NHK)]である。最後の(NHK)は、聴いていたラジオ局のこと。
 話は、音が話題になっていて、語り手の名前を聞き漏らしたのだが、声の調子や話の内容などからすると、日本音響研究所鈴木松美(すずき まつみ)氏と思われた。
 インタビュアーは分からないが、どうやら番組は、「放送日:2005年6月7日(火)20:00~21:00
番組名:ふれあいラジオパーク(NHKラジオ第一) 内容:音に関する話題でトーク
」のようである。
 顔の骨格などから声がある程度再現できるとのことで、モナリザやベートーベンの再現された声など聴かせてくれた。
 また、聴く方が心地いい声は、<ゆらぎ>のある声で、音響の画像で見た場合、一定の周波数の1/fという波を描く声ということで、その代表的な実例として美空ひばりさんが歌う「川の流れのように」を例にあげていた。
 ビブラートのあるくだりということで、きっと、あの「さび」の部分だろうと推測したら、まさにその通りで、「あーあー、川の流れのように」以下の箇所。美空ひばりさんは、その部分をサビということもあろうけれど、意識的にゆっくりゆったり歌っていると小生に聞くたびに感じさせてしまう箇所でもある。
 それにしても、美空ひばりさんの歌うスタンダードナンバーは絶品だ。彼女の歌うジャズもノリノリ。凄い!

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2005/06/07

天の川…光害

 いつもながら、季語随筆の表題を選ぶのに悩む。季語例の少ないのも困るが、多すぎるのも目移りして悩ましい。表題を選ぶというより、つまりはテーマを何にするか、なかなか考えが纏まらないのだ。
 まっさらな画面に向かってから何を書くか、考えようとするのだから、当たり前すぎる窮状に過ぎないのだろうが。
 六月の季語例の表を眺めていて、やはり「蛍」か、その類義語から選ぶかと思って迷っているうち、ふと、以前、「光害」の周辺を調べてみたことがあったのでは、と思われてきた。
 蛍から光へ、いかにも小生らしい素直というか、分かり易過ぎる連想ではある。人柄が偲ばれようというもの。
 その小稿の表題は「光害のこと」で、昨年の秋に書き上げたもの。「光害」は「ひかりがい」と読ませるらしい(小生が、そのように読めというのではないことは、拙稿を読んでもらえば分かる)。
 蛍から光では安易過ぎると、少しだけ飛躍して(それにしても想像の飛躍力も随分と貧弱になったものだ。やはり、肉体の劣化に想像の退化も並行するのだろうか)、「天の川」にしようかと考えた。
 拙稿、「光害のこと」の末尾に示されるキャッチフレーズ(?)が、「都会のど真ん中で天の川を見る!」だからという真っ当な(?)理由もあるし。

 が、ここで困ったことが。「天の川」は「8月の季題(季語)一例」の中の言葉なのである。つまり、季語(俳句)上は、「秋」なのだ。この辺りの理屈は、小生、うまく理解できていないので、説明が出来ない。とにかく、夏の季語ではないことは注記しておく。

「朝立(あさだち)や馬のかしらの天の川」という内藤鳴雪の句も、あまりに有名な芭蕉の「荒海や佐渡(さど)に横とう天の川」も、季語は「天の川」で、「秋」の句の扱いとなってしまう(「がんばれ凡人!」の中の「覚えておきたい有名な俳句・短歌」という頁で見つけた)。
「荒海や佐渡に横たふ天の川」なる句の評釈に問題のあることは、以前、触れたことがあるので、ここでは深入りしない。
「天の川」という語の織り込まれた句は、ネットでも少なからず見つかる。たとえば、「戸隠や顔にはりつく天の川  矢島渚男」(「ikkubak」より。同じく「ikkubak」からは、「玄海を源流として天の川   松本ヤチヨ」という句も見つかった)。

 都会では天の川は拝めなくなって久しい。
「生活が快適になっていく中、当然のように道は外灯で照らされています。家の中も当然のように電灯をつけて明るく夜を過ごせます。 一方、これらによって、天の川の見える場所が少なくなってきています。天の川は、昭和46年7月12日に東京23区の練馬区で観測されたのが最後だという報告もあります。つまり、天の川が見えなくなって、もう30年以上の月日が経過しているのです。子どもたちだけではなく、その親の世代までも天の川を見たことのない人々が増えているのは事実です。夏の風物詩、また俳句の季語(実際のところ、天の川はなぜか「秋」を表しますが)にもなっている天の川が、地上から、私たちの生活から離れている…、そう考えると少し淋しさを感じますね」というのは、都会にあって天の川を眺めあげた経験のある方の実感なのだろう。
 この引用は、「銀河-天の川、見たいな・・・」からである。
 このサイトには、「茨城県新治郡新治村東城寺(本堂は平成9年に焼失)付近に源をもち、土浦市、千代田町、石岡市と流れて霞ケ浦に注ぐ川があります。名前は「天の川(あまのがわ)」です」なる一文があったりして、微笑ましい。
 ということで、拙稿「光害のこと」へどうぞ。

[いろいろブログサイトでは更新しています。たとえば、「投句の細道」や「無精庵万葉記」など。ただ、エンコントロ(4)として、画像を載せるつもりでいたが、時間を設けることができなかった。後日、改めて試みるつもりである。]

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2005/06/06

KAZEMACHI CAFE…歌謡曲

 過日、図書館から借り出してきた『KAZEMACHI CAFE』(ぴあ2005/03/19刊)を読んでいる…それとも楽しんでいる…あるいは懐かしんでいる。
 本書は松本隆対談集で、16人の対談相手がおり、「谷川俊太郎 桜井淑敏 林 静一 太田裕美 細野晴臣 佐野史郎 大瀧詠一 筒美京平 薬師丸ひろ子 藤井 隆 松 たか子 萩尾望都 松任谷由実 町田 康 妹島和世 是枝裕和」といった面々である。
 小生は、作詞という時の詩と、所謂「詩」との区別や異同がよく分からない。作詞される方は、初めから曲となることを想定して作詞される(場合もあろうけれど)とは限らない。むしろ、作詞というより、あくまで作詩なのではないか。
 この辺りの創作の心理は、分からない。
 詩にも疎い小生、そんなに詩に親しんできたわけではない。むしろ詩を作詞の詞に広げていいなら、圧倒的に詞の世界に影響されてきたと思う。
 詩を創造する方は尊敬する…というより、尊敬の念を以って見てしまう。が、小生、作曲される方のほうが遥かに強い、そう、もう、畏敬の念といっていいような感覚を抱いてしまう。
 だから、むしろ、だからこそ、作詞の詞の世界に戸惑ってしまう。

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2005/06/05

黴の宿

6月の季題(季語)一例」を眺めていたら、表題の「黴の宿」に目が止まった。
 表を見れば分かるが、「黴(黴の香、黴の宿)」とあるのだが、その中の「黴の宿」に焦点が合ったのである。
 いつもの「夏の季語(行事・暮らし-50音順)」を覗かせてもらうと、「黴(かび)」は「黴の宿 黴けむり 黴の香 黴びる」といった類義語があり、「菌類のうちで、きのこを生じないものの総称」とある。
YS2001のホームページ」の「黴(かび)」の項を参照させてもらうと、「別名⇒毛黴(けかび)、青黴(あおかび:餅や食物などにはえる普通のかび)、麹黴(こうじかび)、黴煙(かびけむり)、黴の家(かびのいえ)」などの類義語もあるようだ。
 旅の宿ならば風流で、あるいは艶っぽかったりするが、「黴の宿」も「黴の家」にも、意味合いがどうであろうと、住みたくない!
 けれど、ネットで調べたかぎりでは、「黴の宿(家)」の説明を施してくれるサイトを見出せない(誰か、分かる人がいたら、教えて欲しい)。
 いくらなんでも、黴で作った家とか宿ということはないだろうから、梅雨の頃となり、我が家が、あるいは今宵、草鞋の紐を解く宿が(ちょっと古い表現すぎたか)湿気のせいもあり黴臭いということなのだろうと、推察はする。
 まして、「黴煙(かびけむり)」となると、小生のひ弱な想像力では、どう考えていいのか、ただただ戸惑うばかりである。

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