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2005/06/04

センス・オブ・ワンダー…驚き

 小生が「センス・オブ・ワンダー…神秘さや不思議さに目を見はる感性」という言葉に出会ったのは、高校時代のことだったと思う。
 但し、レイチェル・カーソンの言葉としてではなかった。確か、記憶では「驚異の念」といった訳が宛がわれていたような気がする。もっと、単純に「驚き」の一言だったか。
 何処で遭遇したかというと、悲しいかな本の題名も内容も覚えていないのだが、いずれにしろ哲学の入門書か解説書の中でのことではなかったか。
 もしかしたら、「スピリット オブ ワンダー」という言葉だったかもしれない(同名の鶴田謙二によるSF漫画があるらしい)。
 小生は推理小説よりSFモノに傾倒したくちだが、それは人間が推理しえる範囲はタカが知れているという尊大な思いもあるが、それ以上に、感じ、思い、想像し、空想し、妄想し、推理し、思惟する人間が土壇場に追い詰められたなら、最早、思惟も推理も通用せず、それどころか逞しく膨らんだ妄想さえも凋んでしまうような現実がある。
 というより、そもそも現実がある、存在がある、否定しても否定しきれない何かがあるというそのこと自体の不可思議の念こそが、究極の驚異なのだと、早々と決め付けてしまったのである。
 まさにせっかちで短絡的な性分がよく出ている。
 科学や技術、文学や思想、人間という存在。その心理(真理)や機構のメカニズムも興味津々だが、夜明けの海の光景、夕日の沈みゆく山の光景など、その荘厳さに息を呑む思いに駆られた人は多いだろう。
 けれど、そんな大仰な風景でなくても、レイチェルではないが、身近な何気ない光景、風に揺れる木の葉、水道の蛇口に今にも垂れ零れそうな水滴のその雫一滴の世界の豊かさ、そばにいる人(ペット)の産毛なのか知れない毛の得も言えぬ柔らかさと愛おしさ、ふと歩き出した一歩の足の裏に感じる大地の感覚、その一つ一つ、あるいはその一切があるということ自体の切ないほどの不可思議さの素晴らしさはどうだろう!
 プラトンやアリストテレスは、哲学…それとも学問は素朴な驚きの念に始まると言ったとか。もしかしたら、その説明の一端でセンス・オブ・ワンダーという言葉を知ったのだろうか。
 小生が密かに大事にするセンスは、端的には違和感に尽きる。ちょっとした違和感から想像力の翼が羽ばたき始めるのである。蝋燭の焔よりもあやうくか細い感覚。そのセンスで、水面を決して飛沫を上げることなく、軌跡さえ残すことなく、まして波紋など生じさせるはずもなく、どこまでもなぞっていく。指先が濡れているようないないような。花を愛でる…けれど、決して触れない、まして手折るなど論外…花や草を路傍にあるそのままに愛惜する…接したい…けれど溜め息一つ洩らすことのないままに何処までもなぞりつづける気の遠くなる程のオレンジ色の営み。
 それこそがセンス・オブ・ワンダーの醍醐味なのだろうと、決め付けたところから小生の人生の間違いが始まったのだろう。

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2005/06/03

遺伝子という蛍?

 せっかちな性分には困ったもので、6月の季語例のうち、「木下闇」や「青葉」「五月闇」、「五月雨」などと早々と扱ってしまっている。幾ら五月は季語例が比較的少ないとはいえ、困ったものである。
 一方、六月は季語例がなかなか賑やかである。さすがに夏の気配が濃厚に漂い始めている。「蛍」もいいし、「ぼうふら蚊」も面白そう。「蟻地獄」や「蛆」などがあって、怖いもの見たさで扱ってみたくなる季語もある。
閑古鳥」などは、季語だということを一切、意識することなく、ただの興味本位であれこれ調べてみたことがあったりして。
「夏の蝶」という季語があるが、小生は「冬の蝶」なる季語随筆を綴ったことがある以上は、こちらも詮索してみたい。
「目高」や「鮎」は川や山や里、野原などとの絡みでいろいろ想像をめぐらす余地がたっぷりありそう。そうかと思うと、「蚤」も面白そうだし、「守宮」なんて、あれこれ連想が働きそうで、もう、目移りして困る!
「蛇」や「蝙蝠」も今頃からの季語。春先だと「啓蟄」ということで虫(幼虫)などが蠢き始めるのだろうが、梅雨の時期には、いよいよ大人になりつつある虫が活躍し始めるということか。
 で、そんな中、今日は表題に「蛍」。でも、これは看板に偽りあり、である。以下、扱うのは「DNA」というタイトルの本で、つまりは遺伝子の物語。小生、なんとなく遺伝子というと、わけもなく蛍光色を連想してしまうのである。遺伝子の分子構造(塩基配列の決定)などを探る際、ある蛍光標識試薬を使うという断片的な情報が脳裏にインプットされているらしいのである。
 分子構造が蛍光色のもと、垣間見られる…。素人の勝手な想像だと、遺伝子という微細な蛍が幽明境を飛び回っている、などといった光景を思い浮かべてしまうのだ。

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2005/06/02

エンコントロ(3)…サンバ写真

05エンコントロ(3)…サンバ写真」へ引っ越しました。

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2005/06/01

東京は坂の町でもある

 日曜日にサンバのイベントに行ってきて、昨日、そして今日と疲労の度が増している。踊ったわけでもない、大して働いたわけでもないのに。予想外の快晴に、軽い熱中症か、それとも立ちっ放しという久しぶりの状況に体が参った?
 我が居住する大田区からイベントのあった横浜・八景島シーパラダイスまでは、バイクで往復でも45キロ。ただ、湾岸の高速は海辺の風が吹きっさらしで、結構、神経を使う。
 ただ、こうしたミニツーリングは楽しい! 普通の乗用車よりは座高が高い。だから、車から見る風景とは、ちと違う。
 タクシーなどで湾岸線も走ったことがあるが、仕事中ということもあって風景を愛でる余裕はないが、バイクでは、前後に車のないときなど、海辺の光景をきょろきょろして楽しんでいた。
 東京の高速は、線路や道路、他の高速道などと幾重にも交差しリンクしているので、緩やかな上り下りが続く。
 そうしているうちに、やや連想の仕方に飛躍があるものの、東京って坂の町だったよな、などと思ってしまった。
 せっかくなので(?)、ここに、一昨年の春に綴った「東京の坂道」を巡る雑文を載せておく。
 それにしても、「サンバ」って夏の季語にならないものか。
 さすがに「坂」は、季語になりようがないだろうけど。

[ 後になって気づいた。何故、曲がりくねり緩やかな上り下りの湾岸がどうしたとか、坂の町がどうしたなどという話を連想したかの理由。秘密(というほどじゃない)は、エンコントロの画像を見てもらえばいい。イベントの行われた会場のステージ、その背景を見て欲しい。そう、ジェットコースターだ。小生、休憩時間などに、ぼんやりジェットコースターの様子など、眺めていたのである。普通なら地上世界を圧倒するジェットコースターの音や観客の歓声に耳を聾されてしまうはずが、サンバの音楽や歓声、そして熱気はそんな世界をも呑み込んでいたのだった。 (05/06/02 追記)]

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2005/05/31

エンコントロ・ジ・アルモニア(2)

エンコントロ・ジ・アルモニア(2)」へ引っ越しました。

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エンコントロ・ジ・アルモニア(1)

05エンコントロ・ジ・アルモニア(1)」へ引越しました。

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2005/05/30

季語随筆拾遺…紫陽花と雛罌粟

 季語随筆日記は、いつも、ぶっつけ本番で書いている。勿論(勿論であっていいのかどうか疑問だが)、下書きなどない。何を書くか、画面に向かってから考える。これは創作であっても、エッセイであっても同じである。
 一応は、テーマなど考えるが、テーマに関連する情報をネット検索などで集めているうちに、当たりが悪くて、どうにも話の展開の持って行きようがなかったり、裏づけとなるサイトが見つからなかったり、逆にあまりに充実したサイトが見つかって、何を今さら小生如きが屋上屋を架するような真似をするのかと情ない思いで、執筆から撤退というか断念に追い込まれることすらあったりする。
 それもしばしば。
 一方、当然ながら、限られた時間の中で慌しく資料を物色したり、引用すべきサイト、引用すべき文章を物色するもので、とてもじゃないが、丁寧に全体を遺漏なく書き尽くすなど、望むべくもない。
 書き終えて、アップしてから、肝腎なことを書き漏らしているのではと、忸怩たる思いが募ったり、後になって、触れるべき重要な事項に気づくことがある。
 これまた、しばしばのこと。
 さて、今日はそのうち、「紫陽花と雛罌粟」のそれぞれについて、若干のことを加筆しておきたい。
 そうそう、嬉しいのは読者からのコメントなどで、情報を戴くこと。
 前にも書いたが、そもそも、小生は何も知らないから、ネット検索したり読書したりして知ったことの幾分かを書き連ねている。知らないから調べるのだし、書いているのだ。足りないこと、考えの及ばないことは、無尽蔵にあると思っている。
 どうぞ、気兼ねなくコメントなど、お願い致します。

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2005/05/29

シーパラダイスで紫陽花

 今日はサンバのイベントがあり、その会場の設営スタッフという名目で出かけていた。設営の作業そのものは、呆気なく終わったし、イベントは天候に恵まれたこともあり成功裡に終わったようだし、小生なりにサンバの熱気を楽しめたが、さて、今頃の時間になって、さて何を書こうかと迷っている。
 そのイベントとは、「エンコントロ・ジ・アルモニア《 Encontro de Harmonia 》 」で、場所は横浜・八景島シーパラダイス内、野外広場だった。我がリベルダージや、昨年、浅草サンバカーニバルで優勝したバルバロスなど、8つのチームが今年のテーマ(曲)の発表などを兼ねて現段階での力のほどを披露してくれた。
 その様子は、折を見て、若干の画像と共に報告したいと思っている。

 ところで、その会場内で、「あじさい祭り」が行われていた。生憎と時間的にも体力的にも覗く余裕がなかったが、シーパラダイスでのイベントが途中からでも雨模様になったら、あじさいの可憐な姿を愛でに行っていたかもしれない。会場内に、そんな花を観賞できる公園のような場所を設けているのも、そんな場合に備えてのことなのだろうか。
 実際、午前中の空模様は妖しかった。風が強めに吹き、雲行きがいよいよ雨を覚悟しないといけないのかと感じさせるものだった。
 けれど、野外会場の設営が終わり、音だし確認などが終わる頃には、天候が悪くなるどころか明るさを増し始め、午後、いよいよサンバイベントが始まったならば、そのタイミングを見計らったかのようにお日様が照りつけ始め、小生など、今年始めて予想外の日焼けをする羽目になったほどである。

 シーパラダイス内を巡るロード脇の植え込みにちらほらと目にする紫陽花は、既に咲いていた。紫陽花の淡い紫の花(装飾花=萼片の変化したもの)は、お日様の元では、悲しいかな色褪せて見える。やはり、こちらの先入観もあるのだろうが、シトシト降る雨の中でこそ生き生きしてくるように感じられる。
 もうすぐ梅雨入り。今年も紫陽花が控えめな存在感を示す頃がやってくる。
 昨年の今頃、そろそろ紫陽花の季節かなということで書いたエッセイがあるので、ここに載せておく。去年は今頃は未だ、咲いていなかったということか。

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