« 2005年5月8日 - 2005年5月14日 | トップページ | 2005年5月22日 - 2005年5月28日 »

2005/05/21

季語随筆日記拾遺…タクシー篇

 仕事柄というわけでもないが、ラジオは欠かせない車中の友である。出庫前の点検や準備、帰庫(会社の車庫に帰ること)後の日報の記入や私物などの後片付けの時間を含めると、21時間は車と過ごす。
 営業の時間に限っても、20時間はタクシーの中に居つづける。悲しいかな不況と小生自身の努力不足もあって、実車(お客さんに乗って戴いての走行)の時間は半分にさえ届かない。というより、20時間の営業時間のうち、半分が実車だったら、売り上げがトップなのは間違いないし、4割(つまり8時間)を越える程度でも、トップクラス圏内は確実である。
 逆に言うと、営業が好調な時でも、6割は空車(お客さんにあぶれている状態、つまり、空気を運んでいる状態)で走っているというわけである。実際には空車の時間には回送で休憩に入っていたりする時間もあるが、いずれにしても、一人で車内で過ごす時間が営業時間帯中でも12時間はある、というわけである。
 その12時間(休憩を2時間、確保するとして10時間)は、何処かでお客さんを待って待機する場合もあるし、この辺りかなと狙いを定めながら走らせていることもある。

 例えば今日の午前11時に営業を始めたら、終わるのは翌朝7時頃というわけだ。この20時間前後のほぼ終日営業を週に3回、行う。週に2回の時もある。徹夜明けでトボトボと帰って、家ではグロッキー状態で、ボヤーと過ごす。仕事中は、たとえお客さんが乗っていなくても神経を常に外に向けて尖らせているし、走行中なら油断は禁物なのは言うまでもない。
 目も耳も神経も、格好良く言えば研ぎ澄ました状態で居る。それだけに、オフとなると、ネクタイを緩めるか外す状態になるわけで、体力の乏しくなった小生など、もう、叩きのめされてリングのマットに沈み込んだボクサーである。起きる気力もない。ひたすら、ダラダラ、のんべんだらりと過ごすのである。人によっては元気があって、ボーリングへ行ったり、週末にはゴルフへ、あるいは野球をする、という人も居るようだが、ただただ、凄いなーと思うだけである。

続きを読む "季語随筆日記拾遺…タクシー篇"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/05/20

病葉(わくらば)…邂逅

 水曜日の仕事の最中、不意に「病葉」という言葉が浮かんできた。どんな脈絡で記憶の海の底から浮かび上がってきたのか…。
 そうだ、ツツジの花々の枯れ萎れてしまった哀れな末期を見ていて…だったかもしれない。つい先週までは赤紫色の、あるいはクリームっぽい淡き白色の花を咲き誇らせていたのに。桜は咲きかけも満開の時も、散り際までもが愛でられるというのに、ツツジにしても他の花々同様、萎れてしまったら見向きもされない。
 尤も、皆が愛でる桜(ソメイヨシノ)にしても、散って路上に這ってしまった花びらたちは、ただただ踏みつけにされるばかりである。花(桜)を愛でるというのなら、最後の最後まで行末を見守るべきではないのか。それとも、散り果てた花びらなど見向きもされないという、非情さまでを含めて花(桜)が愛されているというのだろうか。
 散る光景が潔くて美しいなどと愛でておき、花(桜)を愛しているといいながら、実際には、散り果てた花びらは路上に舞い、踏みつけにされ、埃に塗れ、腐っていくのをうざったく邪魔臭いモノと煩がられてしまうだけ。
 散ってしまった花をせめて心の中で手向けの思いを寄せてみる…そんな同好の士がいたらな、と思う。葉桜を愛でるのもいいのだけど。

続きを読む "病葉(わくらば)…邂逅"

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2005/05/19

熊谷草(くまがいそう)…熊がいそう

 ホームページの掲示板で「くまがいそう」のことを誰かが話題にしていた(11309)。恥ずかしいかな、小生、「くまがいそう」と聞いても、何一つピンと来るものがない。まして、花の姿形などはトンと浮かんではこない。
 名前からしたら、熊谷(くまがや)などを連想するが、根拠など、あるはずもない。
 せっかく、「くまがいそう」が話題になったのだから、まあ、興味本位ではあるけれど、ちょっと調べ見ることにした。
みともり 花のホームページ」の中の「くまがいそう Cypripedium japonicum」なる頁を覗かせてもらう。「熊谷草」と表記し、「多年草 【らん科あつもりそう属】 分布 沖縄を除く全国」とある。
「4~5月に咲く日本の蘭の代表」以下、説明が続く。花も流麗な雰囲気が漂うが、やや控えめな感じがあって、いかにも野に咲けば似合いそうな花だ。
 けれど、それ以上にこの花は、葉っぱに特長がある。画像を見てもらえたら、一目瞭然なのだが、自らの美しさを決して誇示しない可憐な花をいとおしむかのように、大きく開いた葉っぱが花を包み込んでいるように見える。
 ふと、こんな光景、何処かで見たことがある…と思ったら、そうだ、つい最近、あるブログサイトで「エリザベスカラー」のことが話題になっていたけど、まさしく、エリザベスカラーに守られた傷つきやすい花(顔)といった風情ではないか。

続きを読む "熊谷草(くまがいそう)…熊がいそう"

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2005/05/18

筍…竹取物語以前

 今日の表題には「五月晴」を考えたりしていた。「五月雨」を扱っているのに、「五月晴」を扱っていない。だから、空模様が今一つなのじゃなかろうか。いかにも五月という爽やかに晴れ渡った天気になかなか恵まれないのも、小生のこのバランスの崩れた扱いに原因があるのではないか…、そんな疑心暗鬼に駆られてしまったからである。
 けれど、語感からしても、慣用の如何からしても、「五月晴」は五月の澄み切った空をイメージさせるが、本来は梅雨の束の間の晴れ間を表現する言葉だったのである。律儀な小生としては、となると選択肢から外さざるを得ないのだった。
 そこで、五月の季語例表をつらつら眺めていたら、何故か「筍」に目が行ってしまった。五月の帰省の際、竹の子料理を食べ損ねてしまった憾みが今頃になってぶり返してきたのだろうか。
 しかし、考えてみると、ちょっとばかり変でもある。過日、扱った「五月闇(さつきやみ)」だって、「五月雨の頃、どんよりと暗い昼や月の出ない闇夜」の意とはいいながら、「梅雨闇」という類義語があるほどで、本来はどちらかというと、季語的には初夏、それも六月の季語例扱いではないか…。
 言葉に、それとも表現される世界にこだわり始めると、眩暈がしそうだ。

 ま、それはともかくとして。「筍(たけのこ)」に移る。

「竹の秋」は、秋とあっても、春の季語であるとは、既にこの季語随筆の中で触れている(「竹の秋…竹筒のこと」参照)。念のため、「柚のかくし味」というのサイトの説明を借りると、「一面新緑の中で、竹は古い葉が黄色くなって、葉を落とし、筍をそだてるのだという」理由からである(「柚の意匠箪笥」参照)。
「竹の秋」の説明を試みた際、一緒に触れておけばよかったのだが、「逆に秋になると新しい葉が出てくる。竹の春は秋の季語というわけ」である(同上サイト参照)。秋といっても、九月頃のようである。
 では、「筍(たけのこ)」は、というと、初夏も初夏、五月の季語例となっている。
 以前にも紹介したが、小生は「独活と竹の子」の中で「たけのこ」のことについて、大雑把な下調べを試みている。リンクなどを貼り直して、ここに載せておく。

続きを読む "筍…竹取物語以前"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005/05/17

青葉時雨…洒涙雨

 このところ番外編的な文章が続いた。ここで季語随筆と銘打っているこのサイトの本来のテーマに戻ろう。つい一昨日もそぼ降る雨だったが、明日辺りはまた雨になりそう。だからというわけでもないが、今日、選んだ季語は「青葉時雨」である。
 いつもお世話になっている、「俳句歳時記の部屋」の「夏の季語 自然編 (50音順)」によると、「青時雨」といった表現もあり、「青葉した木々に降りたまった雨がぽたぽた落ちること」という。
「若葉雨」や「樹雨(きさめ)」という類義語もあるようだ。どちらかというと、梅雨前よりも、初夏をイメージさせる言葉のようだ。
「青時雨 」という名の、本醸造をベースにしたカクテルがあるらしいが、さて、どんな味・香り・色合いなのだろう。

 それなりにイメージの膨らむ季語だと思うのだが、ネットでは句作の例が少ない。「松の香の青葉時雨となりにけり   美保子」(「月例句会報告(2001年前半)」から)とか、「子規堂や青葉時雨に偲ぶ旅」(「第四回三汀賞入選句集(インターネット版)」から)、「夏音も青葉時雨に小休止    酔弘」などが目立つ程度。

続きを読む "青葉時雨…洒涙雨"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2005/05/16

琥珀のこと…バルト三国

樹液のこと…琥珀」なる雑文を綴ったら、「琥珀」についていろいろコメントを戴いた。やはり、「琥珀」から連想することはさまざまなのだなと改めて思う。
 その詳細は、当該頁のコメント欄を参照願いたい。
 戴いた情報はいずれも小生には興味深かったのだが、中でも初耳というのか、ちょっと引っ掛かったのは、「琥珀というとわたしはカメオとかコーヒーしか浮かびません」という点。
 何故、「琥珀」と「カメオ」や「コーヒー」なのか。どうしてそれらが連想で結びつくのか。
 で、とりあえず、「琥珀 カメオ」でネット検索。
「メーテルワールド 幸運の道具屋」パワーストーンの館 ★ 天然石ルース---カメオ」なるサイトを覗いてみる。その冒頭に、「宝石に凸型に浮き彫りされたものをカメオ(Cameo)とよびます。インタリオは裏側から凹型に掘られたものです」とある。
 なるほど、カメオとは宝石の浮き彫りの一種なのであり、インタリオと対の掘り方なのだと分かる。「宝石の彫刻は人類文明発祥の地メソポタミアに、起源を発するといわれ今から約6000年もの昔、紀元前4000年頃のエラムやシュメール文明の時代に、すでに高度な宝石彫刻がなされていたといわれます。カメオのように浮き彫りの彫刻がされるようなるのは紀元前4世紀、アレキサンダー大帝の時代からヘレニズム文明の時代にかけて見られ」るということで、カメオを「制作している所はドイツのイーダー・オーバーシュタイン市で、世界中の90%以上生産されてい」るとか。

続きを読む "琥珀のこと…バルト三国"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005/05/15

樹液のこと…琥珀

 あるがこの季語随筆日記無精庵徒然草「風薫る…西鶴…近松」の中の「その樹液がいよいよ深くなる緑の葉っぱから溢れ出す今頃は、ついには樹液が飛散さえしてしまうようである」という部分を引用してくれていた。
 せっかくなので、他にも関心を持たれる方がいるかもしれないし、小生自身の好奇心も蠢いているので、樹液について若干の補足をしておこう…ということで、当該の頁の末尾に補足として書いた。
 が、加筆にしては量が多すぎるので、番外編として頁を独立させることにした。


[ネット散策していたら、樹脂という言葉の織り込まれた句を見つけた(May 22, 2005)。せっかくなので載せておく。句の作者は木下夕爾である。「ふくやま文学館公式ホームページ」(広島県福山市)によると、「木下夕爾は、名古屋薬学専門学校卒業後福山に帰って薬局を継いだ後、福山を離れず、五十歳の没年まで詩筆を絶たなかった、まさしく、文字通りの郷土詩人です」とのこと:

  わがつけし傷に樹脂噴く五月かな    ]

続きを読む "樹液のこと…琥珀"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2005年5月8日 - 2005年5月14日 | トップページ | 2005年5月22日 - 2005年5月28日 »