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2005/05/07

夏の蜘蛛

 表題を「夏の蜘蛛」としたが、「蜘蛛」?!…「夏の雲」への転換ミスじゃないのと思われる方がいるかもしれない。
 あるいは、季語に詳しい方なら、ちょっとした違和感を抱かれるかもしれない。
「蜘蛛」というのは、「女郎蜘蛛 蜘蛛の子 毒蜘蛛 袋蜘蛛」といった類語を持ち、「四対の脚があり多くは尻から粘り気のある糸を出して巣を作る」とか、「蠅虎」乃至は「蠅取蜘蛛(はえとりぐも)」というのがいて、「蠅ほどの大きさで軽快に室内を走り、虫を捕食する」のだなどという知識が脳裏を過(よぎ)っていたりするのかもしれない(以上、「俳句歳時記の部屋」の「夏の季語(動・植物-種類順)」という頁を参照させてもらいました)。
 そう、そもそも「蜘蛛」は、それだけで夏の季語なのだ、それを殊更、「夏の蜘蛛」と表記するなんて、表題で季重ねをするなんて、論外だ…、というわけである。

 実は前夜の季語随筆で「家事などに追われていたし、スクーターでの往復千キロ近くの高速ツーリングの疲労が田舎で出ていて、ダウン気味だった。連休の中日に風邪を引いたが、どうやら、ツーリングの疲労が抵抗力の減退を招き、風邪という症状となって現れたようだ」などと書いたが、前言を訂正する必要があるかも、などと感じているのである。
 確かに、スクーターでのロングツーリングは、疲れる。特に帰京時のように雨が降っていたり風が吹いていたりすると、体力不足もあり、覿面に堪えている。昨夜は帰宅してからも、夜半からも(ついさっきまで)寝てばかりだが、本格的な疲労は一日ずれて現れてくるのだろうと覚悟している。
 さて、前言を翻すかも、というのは、風邪の症状の原因は、別のところに求めるべきかと考え始めていることにある。
 実は、掃除した翌日、姉も小生も風邪を引いてしまった。姉は嫁ぎ先の家で、小生は生家で。

 郷里で姉の進言もあり、母のベッドの毛布や一部の衣類、炬燵の上掛けや敷布、カーペットなどを洗濯したり、掃除をしたのだが、それでは、ついでに、小生が帰郷の際に居住する部屋の蒲団や毛布、絨毯、部屋をも、ついでに洗濯・掃除しようということになった(これも、姉の意見)。
 それはいいが、小生が田舎で仮住まいする部屋は、小生がそもそも掃除などしないし、父母も忙しかったり、体の不都合などで掃除ができないでいるうちに、前回、掃除などをしてから数年(下手すると十年かも)を経過してしまった。
 なので、堆積した埃の凄まじさは、想像するのも憚られるほど、だったのである。部屋の掃除は、姉がやってくれた。小生はその間、蒲団や毛布の運び出しをしていた。
 濛々と舞い上がる埃を専ら吸う羽目になったのは姉だったというわけで、姉はたっぷり吸う事になり、喉をやられてしまったようなのである。姉はとうとう、声が全く出なくなり、病院に駆け込むことになった。
 小生は、少々の埃を吸ったこともあるが、どうやら翌日、部屋で居眠りしている間に体を冷やしてしまったことが、主な要因だったのかもしれない。
 さて、原因はともかく、小生、薬を飲むのも、病院へ行くのも嫌いなので(怖いので)部屋で寝込んで回復をひたすら待った次第。
 まあ、想像に過ぎず、風邪の本当の原因は他にあったのかもしれない。姉の家では一家で風邪の菌の持ち回りをしてしまったというし、その余波があったのかもしれないし。
 こんな瑣事があって、埃から、つい、昨年の蜘蛛の出現のことを連想してしまった。女郎蜘蛛ならともかく、ただの無粋な蜘蛛の話で恐縮なのだが。
 それにしても、蜘蛛はどこで越冬していたものか。あの気色の悪い蜘蛛が爽快さを含意するかのような夏の季語とは、なんとなく釈然としないのだが、しかし、暖かくなると蠢きだす生き物の一つではあるのだ。
 以前、藤沢周平の蜘蛛嫌いを示すエッセイを紹介したことがあるが、小生とて蜘蛛は嫌いだが、彼ほどではないようである。少なくとも、見つけたからといって、殺したりはしない。どうぞ、早く、我輩の目の届かないところに消えてくれと願うばかりである。
 
 先に進む前に、蜘蛛という語の織り込まれた句はないかとネット検索したら、「思想の牢獄=俳句」にて、下記の句が見つかった:

 性悲し夜更けの蜘蛛を殺しけり     しづ子

 この作者の一連の句の味わいもいいが、「思想の牢獄=俳句」というサイトも読み応えがありそうなので、後日、読み直して見たい。この句(作者)の発見があったことで、本日の季語随筆を綴った甲斐があったというものだ。
 でも、今は、もう、寝る。今日は仕事だ。

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2005/05/06

立夏…幻想の未来

 五月六日は立夏だとか。類義語に「夏立つ 夏に入る 夏来る 今朝の夏」があり、「穀雨の後十五日、五月六日頃、暦の上では夏になる」という。
「夏めく(夏兆す)」という表現も、「春の花が終わり、草木が緑一色となって夏らしくなること」ということで、似たような意味合いが嗅ぎ取れる。
「春の花が終わり、草木が緑一色となって」というと、その典型は桜なのだろうが、その桜、多くは葉桜となっている。桜の花の咲く頃、散る頃も素晴らしいが、葉桜もなんとなく清々しい気がする。茶髪(桃色髪か)に染めていた、あるいは来客があって、余所行きに装っていた髪の毛を、物見高いだけのお客さんも帰ったし、夏も近付いて自然に温(ぬる)くなったお湯で埃と共に洗い流し、その洗い髪を、今は、他のことに興味を奪われ、ただ通り過ぎていく表で、爽やかな風にゆっくりゆったり靡かせている…。
 寛いだ、他人行儀ではない、内向きの、ほっとした表情を覗かせてくれている…。葉桜を見ると、そんな気がするのだ。緑の葉っぱに覆われて、枝葉の下に木陰を作ってくれさえもする。桜並木の真価が目立つことなく、これから晩秋に至るまで、樹下を通り過ぎる人々に与え続けてくれるのだ。
「春の花が終わり、草木が緑一色となって」という点に異論を抱く人も多いだろう。チューリップが満開だったりする。ツツジが赤紫や淡紫の花を今ぞとばかりに町を彩り縁取ってくれている。サツキの季節も近い。フジの花も軒先に可憐な様を見せてくれているではないか、というわけである。

[若葉が夏の季語ということで、もう少し詳しく知りたく思い、ネット検索していたら、「葉桜」は夏の季語だという記述を見つけた。あれ?! そうだったの?! である。「葉桜」は別の呼称では「桜若葉」であり「花が散った後の桜の若葉」を意味するのだとか。毎度の事ながら、迂闊なことである。 (05/05/09 追記)]
 
 さて、この数日、帰省していて、ネットとは一切、縁がなかった。家事などに追われていたし、スクーターでの往復千キロ近くの高速ツーリングの疲れが田舎で出ていて、ダウン気味だった。連休の中日に風邪を引いたが、どうやら、ツーリングの疲労が抵抗力の減退を招き、風邪という症状となって現れたようだ。
 今度は今日、午後、帰京して明日か明後日には東京で出てきそうである。
 ま、それでも、徐々に調子が出てくるものと思う。
 表題の「立夏」は季語として(時候として…六月扱い?)として頻用される。
 そのあとの、「幻想の未来」は、知る人ならフロイトの名論文を思い起こされるかもしれないが、ここでは違う意味合いを担わせている。

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2005/05/02

五月雨…一期一会

 昨日の夕方近くからだろうか、雨が降り始めた。ちょうど、日記を綴っていて、そろそろ書き終える頃合いに降り始めたので、アップする前に、そのことを一言、書こうかなと思いつつも、えいや!とばかりにクリックしてアップ。
 我が部屋にはカレンダーなるものがないので、ネットで日付や曜日を確かめてみると、昨日は日曜日、そして五月だ。その最初の日に、雨。
 となると、今日の季語随筆の表題は、「五月雨」しかない!
 といっても、小生、歳時記や季語上、「五月雨」がどのような扱いなのか、分からない。早速、調べてみたら、うん、うん、「五月雨(さみだれ)」は「さみだるる 五月雨傘 五月雨髪」などの類語があり、「梅雨時に降る雨。田植えの頃の雨」という説明があって、夏の季語、俳句の句作でも今頃にも使って構わない言葉のようだ。
 ただ、「梅雨時に降る雨。田植えの頃の雨」とあるので、かなり時期的に幅がある。
 しかも、調べてみると、「陰暦の五月、つまり陽暦の六月に降り続く長雨」であり、「梅雨は時候の名称ですが、五月雨は雨そのものを指」すのだとか。やはり、今の時期に季語として使うのは、難があるのか(「[ 花鳥風月 ]水無月の季語」」より)。

 田植えの頃の雨。
 そうだ、例年だと、小生は五月の連休は田植えのために帰省していた。一昨年までは。その田植えも昨年からは止めてしまった。田舎の父母の体力・気力が続かないことと、一番の働き手であるべき小生が、不在。田植えだけ手伝っても、稲作というのは収穫し食べられるようになるまでには八十八もの手間が掛かるから「米作」なのだというほどだというのに、そのうちの一つを手伝うくらいでは、気休めにもならないのである。
 なんのために帰るのか、父母らに会うためは勿論として、昨年の連休からそうだったように、草むしりに励むため、ということになるのか。
「五月雨」というと、小生でも知っている句がある。「五月雨の降り残してや光堂」や「五月雨をあつめて早し最上川」といった芭蕉の句である。
 どちらも感性の鈍い小生にさえ、鮮烈だったり豪快だったりする光景を脳裏に描かしめる。そんな強烈なイメージ喚起力がある。
 こういう句が可能だということがあるから、文学にも俳諧にも疎い小生をして句作へと向かわせるのだ。
 芭蕉による「五月雨」の織り込まれた句というと、他にも「五月雨も瀬踏み尋ねぬ見馴河(みなれがは)」がある。この句の鑑賞は、「芭蕉作品集 夏の季語を持つ句 -芭蕉と伊賀」などを御覧願いたい。
 小生如きが生意気と思いつつも、傑作とは言い難いような。
 それ以上に、この地域で詠まれた句が名句だったら、誰もが一度は行ってみたくなるような名所(観光地)になっているのかもしれないと思ったりする。見馴河(みなれがは)と言われて、場所がピンと来る人は少ないのではなかろうか(そうでないのなら、ごめんなさいなのだが)。

銀座の学校/とーく&トーク/第38回」に興味深い記述があった。後半の「五月の雨と書きますが、旧暦ですから6月のことで、松尾芭蕉の「五月雨を あつめて早し 最上川」の五月雨は、梅雨の終わりにある集中豪雨のことと推察され、7月半ばの雨だと思います」は、小生も季節外れの時にこんな季語を表題に選んでしまってと、忸怩たる思いで、ただただ伺うばかりだが、前段が勉強になる。
「中でも「五月雨」と「時雨」は、昔から詩歌に詠まれてきた雨の代表的な例でしょう」のあとに、「五月雨は夏の季語ですが、「さ」という言葉は、だいたい稲に関係があります。「みだれ」は、「水が垂れる」という意味です」という一文が続く。
 そうだったのか?! 小生など、「五月晴れ」は「さつきばれ」と読むように、「五月の五」を「さ」と読ませているのだと勝手に思い込んでいた。そういえば、「早苗(さなえ)」の「さ」も、稲に関係する?
「さ」が頭に付く和歌関連の言葉というと、すぐに思いつくのは、「小夜時雨」などの「小夜」である。
 有名な和歌に、「み吉野の 山の秋風 小夜ふけて ふるさと寒く 衣(ころも)打つなり」(参議雅経(94番) 『新古今集』秋・483)がある。百人一首のうちの一つだと、知っている人も多いだろう(鑑賞は【百人一首講座】を参照のこと)。
【さ夜ふけて】については、「「夜がふけて」という意味です。「さ」は語感をととのえる接頭語です」とある。そんなことを昔、習ったことがあったっけ。
 あるいは、小生の季語随筆でも昨年、「小夜時雨」を俎上に載せたことがあった。詳しくは左記を見て欲しいが、「小夜時雨」の「小夜」は夜の美称だとか。
 ま、「五月の五(さ)」と「小夜の小(さ)」とは別物なのだけど、「さ」だけに焦点を合わせても、いろいろな意味合いが含まれるのだろうとは予想される。恐らく、「さ」だけでも、論文の一つも書けるのだろう。
 
 せっかくなので、「小夜時雨」の項で扱った「小夜しぐれとなりの臼(うす)は挽(ひき)やみぬ   野坡」という句を改めて味わっておこう。
 あるいは、「小夜時雨上野を虚子の来つゝあらん   正岡 子規」と「すぐ来いといふ子規の夢明易き   虚子」との呼応関係。
 ついさっきまで聞えていた、時には煩かったりしていた迷惑な音、けれど、「となりの臼(うす)は挽(ひき)やみぬ」と、ふと気が付くと、音が消えている。
 消えているだけ、仕事の手を休めて寝入ったというのなら、それはそれでいいけれど、隣りにいるはずの人の寝息が、今日はもう聞えなくなっている…のだとしたら、寂しい限りだ。さっきまで、そこにいたじゃない! なのに、今はいない…?!
 事件・事故・病気・別れは、いつ起きるか分からない。出会いとは別れが来るまでの束の間の一期一会の時。
 以下、ほぼ一年前に書いた小文を掲げておく。表題は「一期一会のこと」である。
 
 最後に、小生、この季語随筆を帰省のため、数日の間、休ませてもらいます。
 メッセージなど、寄せてくれたら幸いです。
 あれあれ、この一文を書き始めた頃は外は暗かったし、雨もそぼ降る状態だったのに、今、ふと外を見ると、明るくなっているし、日差しが。東京は晴れになりそうだ。

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2005/05/01

青葉繁れる…目に青葉

 表題の「青葉繁れる」が「青葉茂れる」だったとしたら、そこから連想するものは、人それぞれだろう。
 ある年配以上の方だと(それとも右翼の街宣車が流す音楽に詳しい方なら)、「青葉茂れる桜井の」(落合直文作詞・奥山朝恭作曲)という楽曲かもしれない。
国原譜 2004年6月7日」によると、「ご存じ(かどうか知らないが)、楠公父子の「桜井の別れ」を落合直文が作詞、奥山朝恭が作曲した。延元元(1336)年5月、湊川の決戦に赴く楠木正成が桜井の駅(現大阪府島本町)で、長男正行に生き延びて再起を期せと諭す情景を描いている」のだという。
 ちょっと驚いたのは、次の一文。「水戸光圀や頼山陽ら勤王派のほかにも、楠公の忠義に心を打たれた一人に松尾芭蕉がいる。「なでし子にかゝる涙や楠の露」は、今ごろの季節の句らしい。ナデシコに見立てた幼子、正行の袖に落ちた大きなクスノキの露は正成の涙であろうと、芭蕉も桜井の別れを思った」というのだ。
 小生など、芭蕉に「なでし子にかゝる涙や楠の露」なる句があることにも初めて気づかされたような。

 ちなみに、小生がファンとなっている物理学者で随筆家の寺田寅彦による「竜舌蘭」という随筆の中にも、「青葉茂れる桜井の」という曲が言及されている。
「一日じめじめと、人の心を腐らせた霧雨もやんだようで、静かな宵闇(よいやみ)の重く湿った空に、どこかの汽笛が長い波線を引く。さっきまで「青葉茂れる桜井(さくらい)の」と繰り返していた隣のオルガンがやむと、まもなく門の鈴が鳴って軒の葉桜のしずくが風のないのにばらばらと落ちる」とあるように、決して街宣で煩く流すような楽曲ではなかったのだ。

「ガキ帝国」 井筒和幸監督 1981年」という一文の中に、「しかし関係ない話ですが岡本喜八監督の「青葉茂れる」という映画があるんですが、ここでも(仙台が舞台なのですが)威厳のある先生が出てくるんです」というくだりが出てくる。
 岡本喜八監督の映画の情報を調べようと、ネット検索してもみつからない…と思ったら、「青葉繁れる」と表記する74年の東宝映画で、作家の井上ひさしさん原作なのだった。井上ひさしさんというと、小生には、「ひょっこりひょうたん島」の原作者ということで懐かしい作家である。って、勿論、今も現役バリバリの戯曲作家である。

 となると、次は、小説「青葉繁れる」(文春文庫刊)となる。レビューによると、「この長篇は著者の精神的故郷である仙台を舞台に妄想ばかりしていた少年時代をもつ男の思想的半自叙伝をすべての権威を相対化してしまうパロディ意識でつらぬいた愉快な青春小説」という。
 高校時代ではなく、大学生活を仙台で送った小生としては、是非とも読んでおきたい小説だったが、この小説がよく読まれた当時は、あまりに身近すぎて、やや敬遠気味になり、そのうちホトボリが覚めたら読もうと思っているうちに、とうとう今日まで手付かずの状態。覚めたどころか今じゃ冷凍保存されているだろうし、そろそろ読もうかな。
 小生が敬遠気味になったのは、実を言うと、この原作でドラマ化されたことが大きかったのかもしれない(当時は、岡本喜八の手により映画化されていたことに気づいていたのだろうか、疑問)。学生の頃は、小生もちょっとは生意気盛りで、そんなポピュラーなもの、読めるかという感じだったのかも。
 テレビドラマ「青葉繁れる」では、ヒロイン役が竹下景子さんだったとか。
 とか、というのは、このドラマは74年(1974/4/5 ~ 1974/5/31)に放映されていたらしいのだが(小生が大学生になって三年目…三年生じゃないというのがミソ)、生憎と、小生は学生になって二年目までは下宿生活で、夕食の際など、たまには下宿の大家さんの部屋でテレビを見る機会もあったが、三年目には下宿を出てアパート生活を始めた。 
 新聞配達その他をやる貧乏学生にテレビなどあるはずもなく(その後、中古の大型テレビを貰ったことがあった…が、すぐに壊れてしまい、小生は分解し、ブラウン管を不用意に触ったものだから、思いっきり痺れたものだった。感動したのだ…じゃない、感電したのだ! 人生に目覚めるような思いをしたのは、あれが最初で最後か?! 分解してテレビの木枠をサイドテーブルにして使っていたものだった。前面にはレースのカーテンなど付けて洒落ちゃって…)、竹下景子さんとは…じゃない、そのテレビドラマとは見事に擦れ違いに終わったのである。
 なんだか、我が人生は擦れ違いばっかりじゃ。

 余談ついでに書いておくと、昭和四十九年春(!)、北陸銀行のカレンダーモデルに急遽、選ばれたのが当時、まだ無名の新人で女子大生だった竹下景子さんだった。候補には、他に「新劇の卵で近代的美人の宇都宮雅代、歌手・モデルの浅野ゆう子などがいた」とか(「奥野達夫編・著『とやま裏方反省記』(桂書房刊)」参照。本書には、新人だった竹下景子さんらの都内ロケ風景写真も載っている。フレッシュ!)。
 青葉・仙台・富山と竹下景子さんとは深い縁があったのだなー。寅さんの映画のマドンナにもなってくれたし。

 そういえば、小生が大学をなんとか卒業し、上京した年には、さとう宗幸が唄った「青葉城恋唄」(作詞:星間船一作曲・唄:さとう宗幸)が、ヒットしたものだった。これも、小生が仙台を去ってからのヒットだった。
 歌詞に出てくる、「広瀬川」(歩いて、あるいは50ccのバイクでこの川に渡る橋を越えて通学したものだった)、「七夕まつり」(仙台の七夕まつりは8月に催される。小生は8月は帰省中。なので、一度もその賑わいを目の当たりにしていない)、「青葉通り」(大学のある青葉山のキャンパスから下宿までは行きはバスで、帰りは一時間半の道のりを徒歩でトボトボと、この通りなどを掠めて、というのがパターンだった)、「杜のみやこ」(そう、あの頃は杜の都・仙台という雰囲気が残っていた。卒業した翌年から中央の資本が流入して一気に当時の面影が消え去った)。
 不思議というか、面白いのは、唄のタイトルが「青葉城恋唄」なのに、歌詞の中には「青葉城」という言葉が登場しないこと。確かに城郭のない城跡だけれども。小生が最後の最後に青葉山を去った日も、その城跡のある坂道をダラダラと下り降りていったものだった。
 その日、仙台の街並みや広瀬川が眼中にあったかどうか、はっきりとは覚えていない。

 ということで、今回は、季語随筆の枠を食み出してしまった。以下、若干、軌道修正。
 まずは、眼福で気分一新を:

「青葉」でネット検索していたら、お気に入りのサイト「季語の風景」(文・山崎しげ子(随筆家)/写真部・河村 道浩の両氏)の青葉若葉という頁で「新緑のブナ」という画像に遭遇。画像は「落ち葉を踏みながら山の斜面を登った。ブナ、ミズナラ、トチノキ、イタヤカエデといった広葉樹が、高く低く枝を伸ばし、緑の葉を広げている。その若葉の、濃き薄き。見上げると、空が高い」といったもの。
 いつもながら文章と画像とがマッチして、いい雰囲気を醸し出している。

 以下は、丁度一年前、まだ自分が句作に手を染めるとは夢にも思っていなかった頃に書いた「目に青葉…」と題したエッセイ。こういう文章を綴るというのは、句作への下地が自分にはあったということか…。
 尚、松尾芭蕉の頃は分からないが、恐らくは大正時代以降(?)、「青葉」は夏の季語扱いとなってきたようである。芭蕉の「あらたふと青葉若葉の日の光」という句は、季語が「青葉」と「若葉」の二つある季重ねではなく、「若葉」が季語だったらしい。

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