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2005/04/16

ライラック…リラ冷え

 過日、この季語随筆日記「花冷…花の雨」の項で、北海道在住の方にコメントを戴いた。その中で、ライラックやリラ冷えのことなど紹介してくれていた。
 小生は、そのコメントには、「リラ冷え…素敵な言葉ですね。渡辺淳一が書いた『リラ冷えの街』で、この「リラ冷え」は一気に有名になりました。小生が大学受験を控えていた頃にベストセラーになったような。札幌が京都のように碁盤の目のような街になっているという印象が残ったのも、この本の影響かな(小生は、新聞か雑誌の書評などで読んだだけ)」云々と簡単に応えるに留めておいた。
 留めておいたと云っても、じゃ、小生にライラックについて語るべき何かがあるわけじゃない。ただ、ライラックのことをもう少し、じっくり調べてみたい、とにかく知りたいと思っていたのだ。
 まずは、なんといっても、実物を拝みたい。が、ネットではとりあえずは画像で我慢しておこう。

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2005/04/15

ムスカリの花

s-DSC01435
 あるサイト(「武蔵野だより」を覗いたら、ムスカリの花の画像が。満開だという。
 小生は、ムスカリという名の花があることを知ったのは、昨年の今頃だったか。これまたあるサイトでムスカリの話題が出ていたので、へえー、そんな花もあるんだ、ってな具合である。
 小生のこと、せっかくだからと、ムスカリの花のことをあれこれ調べ、昨年は年間掌編百篇をノルマとしていたこともあって、早速、「ムスカリの花」なんていう掌編に仕立てたものだ。
 勿論、好きな猫を話に絡めて(同じ頁に、「海辺の猫」なんていう掌編も載せてある)。
 
 さて、ムスカリの花は、地域や場所によっても違っているのだろうが、ほぼ今頃が満開の時期のようである。
 では、ムスカリの花は四月…少なくとも春の季語なのだろうか。

[断っておくが、掲げた画像は、決してムスカリの花ではありません。今朝、未明に撮った八重桜(?)なのです。]

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2005/04/14

二輪草…二輪、そう!

 表題の二輪草は、花としては目立たない、というより、二輪草というくらいで、草にポイントがあるのかもしれない。野草、ということなのだろう。
北信州の道草図鑑 ニリンソウ(ニ輪草)」を覗いてみよう。
「やや日陰のような場所に群がって咲いています。はじめは花が一つだけ咲きますが、一輪草よりも花は小さい」…。それが、一つの茎に、「やがて花が二つ並んで咲くので、二輪草と名付けられました」というわけである。
 この<草>については、「にりんそう【二輪草】:キンポウゲ科の多年草。茎は柔軟で、高さ10~20センチメートル、根生葉は掌状に深裂。4~5月頃、普通2本の長花柄を出し、白花を開く。山地にしばしば群生し、観賞用にも栽培。 広辞苑」と説明してくれている。
 一つの茎に二つの花…だから二輪草というわけだが、一輪から四輪という変異種もあるらしい。
TKK・上高地の花々2 二輪草(ニリンソウ)」によると、「花言葉は「愛らしい」」なのだとか。

 では、一輪草は、どんな草花なのだろう。同じく、「北信州の道草図鑑 イチリンソウ(一輪草)」を覗かせてもらう。
「蕾はやや赤みがあるが、開くとほとんど白く見え」、「花が一つだけ咲くから一輪草と呼ばれ、花が二つ咲く二輪草よりも大きな花です」だという。
 この<草>については、「いちりんそう【一輪草】:キンポウゲ科の多年草。各地の草地に自生。観賞用にも栽培。茎の高さ約20センチメートル。葉は三回三出の複葉で、小葉には深い切れ目がある。春、約10センチメートルの花柄を出し、微紅紫色を帯び、梅花に似た花を1輪開く。近縁種にニリンソウ・キクザキイチゲがある。イチゲソウ。 広辞苑」だという。一輪草には、この草に咲く花が一輪ということでだろうか、一花草(いちげさう)という別名もあるらしい。
 花は多少、大小はあっても、似ている。が、葉っぱは、結構違う。それに、咲く場所も違っているようだ。
 無論、一輪草も二輪草も、共に春の季語である。また、「四季の花 アネモネ」によると、大きくは、「福寿草、クレマチス、翁草、金鳳花、秋明菊」などと共に、「アネモネの仲間」だという。

 今日の季語随筆は、以下も、途中までは季語随筆である。あくまで、途中までは、だが。
 但し、小生の好きな歌手の一人である川中美幸が唄ってヒットさせた「二輪草」へは話は向かわない。

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2005/04/13

竹の秋…竹筒のこと

 表題の「竹の秋」は、決して秋の季語ではない。立派な春四月の季語なのである。「秋」なのに春とは、これ如何である。
兵庫教育大学 子午線の歳時記第5号」による、以下の説明が面白い:

「竹の秋」という季語の解説には微妙な差異があっておもしろい。名古屋大学の池内了先生は、「竹にとって春はつらい季節である。筍に栄養を取られるので、親竹の葉は黄色くなり落葉する季節なのだ。」(『天文学と文学のあいだ』廣済堂出版)と見る。大野林火監修の歳時記は、有機成分を地下茎にたくわえる必要を述べた後、「その役目を果たし終えるころにようやく黄葉が始まり、やがて落葉を迎えるのである。」(『入門歳時記』角川書店)とする。
                            (転記終わり)

季節のことのは・季語 春のことのは」の説明もまた興味深い。〔竹秋〕〔かげろい〕などの類義語を示しながら:

 植物の葉が黄ばむと、日本人は秋を感じるらしく、春の竹は地中の竹の子に養分を取られ、四月頃になると葉が一斉に黄ばみ始めます。
 これが竹の秋ですが、逆に秋には葉がつやつやとしてきますから、こんどは竹の春と呼びます。
                            (転記終わり)

 竹については、このサイトが素敵だ。
 ついでに拙稿を参照願えると嬉しいかも:「独活と竹の子
筍 の 家」という掌編も小生にはある。

 ところで、筍と竹(の子)とは、どう違う?

 さて、例によって、以下はやや野暮に堕す拙稿となる。ただ、表題を「竹の秋…竹筒のこと」とした訳は、分かるかも。

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2005/04/12

花冷…花の雨

 昨日の季語随筆では、「花散らしの雨」という季語はないようだと書いた。書き終えてからも、ネット検索を繰り返してみたけれど、その実例は見つからない。
 が、関連する言葉なら、幾つか見つかる。
 例によって「春の季語(自然編-種類順)」というサイトを参照させてもらう。
 たとえば、「花冷(はなびえ)」という春の季語がある。これは、「花の冷」という表現例もあり、「桜の咲く頃の冷え込み」だという。
 ちなみに、「桜の花が咲き終わってしまった頃」のことを表現する「花過ぎ」という季語がある。
「春雨」乃至は「春の雨」は、前にも採り上げたが、これは、「しとしとと降る春の雨」という意で、ちょっと意味的に遠い。
「花の雨」という春の季語がある。「桜の咲くころに降る雨」だという。
 この「花冷」と「花の雨」とを組み合わせたら、花散らしの雨という意味合いに近付くだろうか。実際、桜(多くはソメイヨシノ)は一斉に咲き、一斉に散る、しかも、開花している期間は極端なくらいに短い。特に今年は短かったような気がする。
 だから、満開になった頃に、雨が降り、ちょっと冷え込んだりしたら、開花の期間を直撃すること、すなわち、花散らしの風、花散らしの雨、そしてそこに冷え込みが加わると、大半の花びらの散ってしまった桜の木の何処か凍えた感じ、という結果になってしまうわけである。
 以下、今日は、いつも以上に駄文調になるので、自らを真面目だと思われる方は、読まないほうがいいかもしれない。どうも、体調がすぐれないと、自制の力が弱くなるようである。

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2005/04/11

花散らしの雨…言の葉

 東京は昨夜来の花散らしの冷たい雨である。日曜日の花散らしの風のあとの、追い撃ちを掛けるような雨。ソメイヨシノなる桜は、昨日でさえ、淡いピンクの花びらより緑色の芽が目立つようになっていたけれど、これで、一気に緑の葉桜へと化粧変えしていくのだろう。
「花散らしの雨」は、季語なのかどうか、小生は知らない。が、花といえば桜のようだし、現代の日本において桜というと、圧倒的にソメイヨシノのようなので、春、それも桜の散る頃の季語として通用しそうである。
 あるいは既に季語と成っているのか。
 ただ、桜といっても、種類はいろいろある。もっと色鮮やかで、花びらの密集しているような桜もある。こちらのほうは、この冷たい雨にも関わらず、もう少し咲き続けるのではなかろうか。散るのが桜の美学のように言われたり感じられたりするようだけれど、花は咲いてこその花なのだと思う。決して散った風景が、まして路上に撒き散らされ、車に轢かれ吹き飛ばされ、人に舗道のちょっとした化粧だとばかりに踏みつけられていくのが素晴らしいはずもない。
 明治以降に醸成された美意識の底や裏側を、たまには考えてみるのも、一興だと思うのだが、やはり野暮というものだろうか。
 小生に、「池の桜」という掌編や、「坂口安吾著『桜の森の満開の下』 」という書評エッセイがある。こららには、桜についてのコラム的知見を書いておいたので、覗いてもらえたらありがたい。

 さて、散る桜の花びらから、言の葉を連想したわけでもないが、以下は、これまでにも増して野暮な書評風エッセイとなっている。
 言葉への拘りという点で、紹介する本は、小生には興味津々の世界に導いてくれる。扱った本は、そうした言の葉の世界への入門書でもある。

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2005/04/10

黄砂…地球環境の主役?!

 黄砂というと、野暮でミーハーな小生は、工藤静香が歌ってヒットさせた「黄砂に抱かれて」を思い出すくらいだが(ちなみに、中島みゆきには「黄砂に吹かれて」という曲があるとか。小生は聞いたことがあるのかどうか…)、富山で生まれ育った小生、それと気付かずに、黄砂の洗礼を受けていたのかもしれない。
[(筆者注:)工藤静香の曲名で、小生の勘違いがあります。コメントを参照してください。]
 そもそも春先になると、雪解けとなり、春の嵐が吹き荒れると、何しろ当時は道路も砂利道が多かったわけで、学校の校庭の土、田圃や畑の土埃が舞っているのだくらいしか、認識がなかったと思う。
 晩生(おくて)の小生が「黄砂」なる概念をぼんやりとでも捉えるようになったのは、二十歳以降のことだったような。
「黄砂」は俳句では春の季語扱い。黄砂は、たとえば南島だと、「大陸から麦の黒錆病菌が飛んで来るので、農家では、黄砂を忌み嫌ったという」が、逆に言うと、それだけ栄養素が豊富だということだろう。
 珊瑚礁の島がいつの間にか緑豊かな南国の楽園に生まれ変わるのも、島によっては黄砂が長年のうちに堆積し、その栄養タップリの土壌があって初めて、花粉が飛来し土着するし、他の微生物たちも集まり、やがて鬱蒼たる森と化するのだとか。

 さて、以下は、例によって、書評風エッセイというか野暮な内容になるので、あしからず。

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