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2005/04/09

春宵花影…

 影がちらついて離れなかった。
 昼間の喧騒に紛れていた何かが、夜の帳(とばり)が降りると、やにわに蠢きだす。
 それは、生きること自体の不可思議への詠嘆の念に近い。
 この世に何があるのだろうとしても、とにかく何かしらがあるということ自体の不可思議への感動なのだ。この世は無なのかもしれない。胸の焦慮も切望も痛みも慟哭も、その一切合切がただの戯言、寄せては返す波に掻き消される夢の形に過ぎないのかもしれない。
 そうだ、蠢いているのは、あの人の影などではない、ただただ、春の夜の悩ましいまでの妖しさのゆえに過ぎない…。そう言い聞かせた。
 そうだ、それで十分なのだ。他に何もない。朧なる春の霞に誑かされているだけのこと。
 今夜も眠れるはずがない。たとえ夜通しになろうと、春の夜という幻の世に導く隧道(ずいどう)を歩き通そう。

 春の夜の妖しさゆえにあくがれて

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2005/04/08

桜餅・草餅・椿餅・鶯餅…ソメイヨシノ

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 表題に掲げた「桜餅・草餅・椿餅・鶯餅」は、いずれも春四月の季語例の数々である。
俳句歳時記」の中の、「春の季語(行事・暮らし編-種類順)」の説明を引用させてもらう:

 草餅(くさもち)    蓬(よもぎ)の葉をいれて作った餅
 鶯餅(うぐいすもち) 青黄粉をかけて鶯色にし、鶯の形に似せた餅
 椿餅(つばきもち)   椿の葉ではさんだ餅菓子
 桜餅(さくらもち)    しん粉の薄皮で餡をくるみ、塩付の桜葉で包んだ菓子

 小生は不幸にして、椿餅は(恐らくは)目にしたことも、まして食したこともない(はずである)。
 せめて、御尊顔だけでも拝したいものと、ネットで画像を探してみた:
和菓子日記」の「鶯餅&椿餅(虎屋)」という頁を覗かせてもらう。
 鶯餅(うぐいすもち)の美味しそうなこと。甘党の小生にはたまらん! 小生は、求肥(ぎゅうひ)で餡(特に白餡)を包んだ和菓子が一番の好物だ。が、カロリーを気にしているので、実際に食べることは、めったにない(せいぜい、二日に一度くらいである)。
 その欲求不満が昂じたというわけでもないが、「和菓子のこと(多分、駄文)」なるエッセイを綴ってみたこともある。
 そういえば、「団子より月」なんて掌編を編んでみたこともある。我が掌編の小道具にお菓子は不可欠だったりする。

[掲げた写真は、木曜日の午後、芝・増上寺の近くから撮った東京タワー。下のほうに白バイの勇姿も写っていたりして…。]

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2005/04/07

朧月…春の月

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 今日の季語随筆の表題を何にするか…、小生、四月の季語(季題)を見ていて、つい「春の月」を選ぼうとした。
 が、あれ? 前に使ったことがあったような気がする。念のために調べてみたら、案の定である、せっかちで堪え性のない小生、先月の19日に「春の月・春の星」という表題で使用済みなのだった。
 危ない! 僅か二週間あまり前のことなのに、忘れてしまっている。それにしても、この季語が四月にこそ相応しいのに、我慢しきれずに3月の中旬に選び取ってしまった…のは、何故だろう。
 と疑問に思ったら、「月影に寄せて」という一昨年秋に書いたエッセイをブログにアップさせたからということ、そして、比較的寒い日の多い春先にあって、やや春めいた陽気を感じたからだったらしい。
 いかにも、単純極まる。分かりやすいというべきか。

「朧月」とは、春四月の季語であり、「大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書 朧月」によると、「春の夜のほのかにかすんだ月」だという。このサイトには、「朧月大河をのぼる御舟かな」という蕪村の句が載せられてある。
春の月・春の星」などでも紹介した、「大原や蝶の出て舞ふ朧月」がやはり、評釈も含めて印象的である。
 これも前に紹介したはずだが、類義語に「朧夜」や「朧月夜(おぼろづきよ)」があり、「照りもせず曇りもしない春の夜に、月にぼんやりした輪ができ、これを暈(かさ)とよび、この暈が月にかかると朧月にな」るという。

[掲げた写真は、金曜日未明、某公園で撮ったもの。心地良い風に吹かれながら、居眠りしていた桜さん。いきなり、フラッシュされて、びっくりしちゃったかな。ごめんよ。]

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2005/04/06

沈丁花の思い出…

 今、我が邸宅(人によっては集合住宅と呼ぶ人もいるが)の玄関先には、沈丁花の花が咲き誇っている。
 沈丁花は「季節の花 300」の「沈丁花 (ジンチョウゲ)」によると、「中国原産。室町時代に渡来した」であり、「花芽は前年の12月頃からできているが実際に咲き出すまでに寒い中3ヶ月ほどをこのまま過ごす」という。
 このサイトにもあるように、白い、どちらかといえば地味な小さな花である。白木蓮の大柄な花とは大違いだ。花言葉は、「優しさ、おとなしさ」だというが、なるほど、と思う。その実、「香りでは夏の梔子、秋の金木犀に並」ぶと言われるほど、「遠くにいても匂ってくる」花でもある。
 春四月の季語でもある沈丁花を、ネットで「沈丁花 季語」をキーワードにして検索しても、人気があるようで、結構な件数をヒットする。
 沈丁花を織り込んだ句も多いが、「沈丁花 いまだは咲かぬ 葉がくれの くれなゐ蕾(つぼみ) 匂ひこぼるる」とか、「沈丁花 みだれて咲ける 森にゆき わが恋人は 死になむといふ」といった若山牧水の歌を挙げているサイトも目立つ。
 沈丁花というと、小生の場合、ちょっとほろ苦い思い出に繋がっていく。それも、最初は歌の題名に過ぎなかったはずなのに、段々、沈丁花の花を見るとその思い出に直結してしまうようになってしまって…。
 そうはいっても、さすがに記憶も思い出も段々と薄れていく。そのうちにすっかり忘れ去って、沈丁花の花はあくまで花であり香りであり、ただその地味なのかそれとも自己主張は案外としっかりしている、芯の強さを感じさせる花を愛でるだけになっていく、のだろうか。
 小生には、その名も「沈丁花」という掌編がある。それもご丁寧にも同じ題名で二つも、一昨年、作っている。
 その上、一昨年は、題名は、「紫陽花ばなし?」だが、その実、本編の中には紫陽花がほとんど登場しない、むしろ、「沈丁花の思い出」といった題名を付した方が相応しいと思われるようなエッセイまで綴っている。
 まあ、一昨年は、それだけいろいろ思うことがあったということか。
 我がホームページの命運が分からなくなっているので、ここに転載しておく:

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2005/04/05

柳絮:植物状態の<人間>

 とらへたる柳絮を風に戻しけり   稲畑汀子

2005年03月 [月別記事]-学習院大学田中靖政ゼミ0B・OG会/深秋会」によると、春の季語である「柳絮(りゅうじょ)は、柳の綿という意味です。ヤナギには枝が上に立つ楊と、垂れ下がる柳があり、日本のものは主に柳の方」だとか。
 柳の綿が、なんとなく、脳の神経細胞を連想させる…というわけでもないが、今日の話題は、脳のこと、尊厳死のことに関わるもの。

「米フロリダ州で15年にわたって植物状態にあるテリー・シャイボさん(41)の尊厳死をめぐり、米連邦最高裁は24日、テリーさんの栄養補給を再開するよう求めた両親の訴えを退けた。尊厳死の阻止を実現する有効な法的手段は、ほぼなくなった」こと(「asahi.com」より)は、テレビ・ラジオなどの報道で夙に伝えられ、日本でも話題になっていたようである。
 そして、3月18日に生命維持用の栄養チューブが取り外されてから14日目の31日午前10時前(日本時間1日 午前0時)、収容先のフロリダ州ピネラスパークのホスピスで死亡したことは、日本ではやや静かなトーンで伝えられていたような気がする。

 一体、この事例がこれほどにまで話題になり、ブッシュ大統領の弟である フロリダのジェブ・ブッシュ知事による行政介入、さらにはジョージ・ブッシュ大統領が差し止め令に署名といった事態にまで至ったのは何故なのだろうか。アメリカに限らず、植物人間状態に陥っている人、生命維持装置に頼って辛うじて延命されている人は、何万、何十万といるというのに。
 明らかに、植物状態となった人間の延命をどう考えるかという一般論で議論が沸騰したわけではなさそうだ。
 テレビやラジオではあまり事情が分からないので、ネットで調べてみると、案の定というか、人間ドラマが複雑に絡まって泥沼状態だったことが分かってきた。
 ネットでざっと探してみた限り、比較的丁寧に背景事情などが示されているのは、下記のサイトのようだった:
「CUBE New York Catch of the Week by Yoko Akiyama」の中の、「Mar. 21 ~ Mar. 27 2005 Life Or Death Battle

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2005/04/04

春の塵…塵の河

「春の塵」は、春4月の季語の一つである。「春塵(しゅんじん)・黄塵・霾る(つちふる)」などの類義語があり、「春先の乾燥しほこりっぽいさま」を表現するとか。
雪どけ後強風に飛ぶ土ぼこり」と説明するサイトもある。
 小生には目新しい「霾る(つちふる)」は、「大風が砂や土を空にまきあげて降らすの意」だとか。「蒙古風」とも言うらしい。
 ネット検索してみたら、「奥の細道」の本文の中にこの「つちふる」という言葉が使われているとか(「奥の細道スタディー」より得た情報。ここには、杜甫の漢詩を例に「つちふる」という語を詳細に説明してある)。
「春埃(はるほこり) 」を類義語とするサイトもある。「砂あらし」や「黄砂(黄沙・霾天)」もつながりがありそうだ。
 関連するといえば、「春風(はるかぜ)」「春の風」もそうだろう。「花曇(はなぐもり)」を関連付けても構わない気がする。「霞(かすみ)」や「朝霞 昼霞 夕霞 遠霞 薄霞 棚霞 鐘霞む 草霞む」の数々も。
 考えようによっては、「朧月(おぼろづき)」「月朧 淡月」とか、「朧(おぼろ)」「朧夜 朧月夜」なども、無縁とは思えない。
 例えば、「朧月(おぼろづき)」とは、「月光がぼんやりと滲んだ春の月」を表しているとは、既に紹介した。
 その際、「大原や蝶の出て舞ふ朧月」という内藤丈草の句も紹介している。
「朧月」については、「照りもせず曇りもしない春の夜に、月にぼんやりした輪ができ、これを暈(かさ)とよび、この暈が月にかかると朧月になります」と説明してくれるサイトもある。

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2005/04/03

鳥雲に入る

s-DSC00709 春四月の季語例では、「鳥の巣、古巣、鷲の巣、鷹の巣、鶴の巣、鷺の巣、雉の巣、烏の巣、鵲の巣、鳩の巣、燕の巣、千鳥の巣、雲雀の巣、雀の巣、蜂の巣」と、「巣」にちなむ季語例が多い。
 さすがに四月ともなると、鳥達も巣作りに励む…、それとも巣立ちの時なのか…と思ったら、必ずしも単純に鳥などの巣に絡む季語、というわけではないようだ。
 上掲の「巣」つながりの季語で、他の季語群とは性質を異にする季語がある。それは、どれか。
 まず、「蜂の巣」は、明らかに違うと分かるだろう。他の季語群が鳥の巣といった分類ができるのに対し、「蜂の巣」は、文字通り「蜂」の「巣」なのだから。
 では、この「蜂の巣」を覗いても尚、他の季語群からは性格を異にする季語があるとしたら。
 そのヒントは「蜂の巣」にある。

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