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2005/01/08

明珍火箸

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 予め断っておくが、(明珍)火箸は1月の季語ではないようである。
 それでは、12月の季語なのか。
 残念ながら、そこにも「炭、消炭、炭団、 炭火、埋火、 炭斗、炭竈、炭焼、炭俵、炭売、焚火、榾、炉、囲炉裏、暖房、温突、ストーヴ、スチーム、炬燵、置炬燵、助炭、火鉢、火桶、手焙、行火、懐炉、温石、温婆」と、それらしき風物はあるのだが、火箸は見つからない。
 まあ、火鉢や火桶などに関連するか、一体のものとして思い浮かべてもいいのかもしれない(断言はできない。それにしても「温婆」って何だろう)。
 もしかしたら冬の季語でもないのに、何故、季語随筆日記の表題として掲げたかというと、昨夜、車中でラジオ放送を漫然と聴いていたら、「明珍火箸」のことが、「音の風景」という番組(NHK)で採り上げられていて、その火箸の音が涼やかで透明感があって、素晴らしかったからである。

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2005/01/07

お屠蘇と雑煮

 お屠蘇(とそ)も雑煮も、日本の大概の人には馴染みのもので、改めて説明するまでもないだろう。
 無論、それぞれに一月の季語である。
 たとえば、「お屠蘇、雑煮、七草粥の由来」というサイトを覗いてみる。ここには、お屠蘇や雑煮について、簡潔に説明してある(「七草粥」については、後日、改めて採り上げたいので、今回は触れない)。
 案の定だが、「お屠蘇のルーツは中国にアリ。唐時代の医者が、流行風邪予防のために作ったのが、おいしいと 流行になったのが最初らしい。」と冒頭にある。日本の風習の多くは中国にルーツがあるが、お屠蘇もその例外ではないわけだ。
 が、「それがなぜ、お正月の飲みものになったのか。」
 それは、「実は、この医者が住んでいた家の名前が「屠蘇庵」といったそう。屠蘇とは、「鬼気を屠絶し人魂を蘇生させる」ということで、ここから、1年中の邪気を払い、延命長寿を願うために飲む酒となったらしい。」というのである。本当だろうか。
 小生の棲息する邸宅は、無精庵というのだが、小生が何か珍発明でもしたら、それは無精と呼ばれるようになるのだろうか。が、小生に何が発明できるだろう。無精を決め込む根性を養うノウハウ。うーむ。どうも、商売になりそうにないし、評判になるとも思えない。

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2005/01/06

鳥総松(とぶさまつ)

 本日の季語随筆日記の表題は、「鳥総松(とぶさまつ)」 である。この言葉自体、馴染みが薄いかもしれないが、まずは、この言葉を表題に選んだ理由を示しておきたい。
 それは、今から紹介する画人の運命に関係する。彼は江戸時代の絵師なのだが、何故か島流しの刑に処せられたのである。しかも12年も。それでも、生きて帰る僥倖に恵まれた。
 ところで、我が季語随筆日記は、季語随筆と銘打っている。一月の季語に関係し、且つ、島流しに多少でも関係する適当な季語はないか、物色してみた。
 島流しが季語・季題にあるとは、さすがの小生も思わなかったが。
 が、つらつら眺めていると、「鳥総松」という季語があるではないか。確か以前、この言葉に関連する話題を採り上げたことがある。調べたら、あった!
 小生には、「前田普羅のこと」という我が郷里・富山に関係のある俳人を採り上げたエッセイがある。この前田普羅の絶句に「帰りなん故郷を目指す鳥総松」がある(余談だが、普羅が亡くなった年に小生が生まれている。普羅が富山で居住した地は小生の生地に近い。尚、「帰りなん故郷を指す鳥総松」と表記されているサイトもある。字数の上でも、また、鳥総松の持つ性格からしても、「目指す」よりは「指す」のほうを表現として選びたい)。
 別に前田普羅が島流しで富山の地に流れたというわけではないが、何処か遠い地に長くあって、ようやく故地に帰る心境が詠い込まれているということ、且つ、「鳥総松」が一月の季語だということで、本日の季語随筆の表題に選んだわけである。

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2005/01/05

寝正月

s-DSC01244 寝正月を気取ってみても、年の初めから親戚筋や取り引き先への挨拶回り、あるいは年始、付き合いでの麻雀やゴルフ、花札、子供との付き合い…などと、思い通りにはいかない。
 主婦ならば正月くらいは黙って喰っちゃ寝を決め込みたいだろうに、旦那様以上にあれこれと家事に忙しい。せめて料理を作る手間だけは省こうと、年末などに予め作っておく、そう、御節料理という知恵があるわけだけれど、なんのことはない、正月の忙しさの一部を年末にギューと押し込んだだけであって、つまりは年の瀬をせわしいものにしているに過ぎない。
 それでも、エアーポケットに嵌ったような、思いがけないような静かな瞬間があったりはする。
 喰い飽きたし、炬燵などに潜り込んでの惰眠も貪り尽くした。テレビも年末の収録済みのもの、撮り溜めしてあったものばかりで、ああ、こうして正月に賑やかに出てくる芸人の寿命の大半は、尽きているんだな、このうち、何人が春先までテレビに出てくるだろうか、などと思うのも、バカらしく、ふと、窓の外など眺めると、天気予報に反して晴れて青空などが垣間見えて、だからといって外に出かけるのも面倒だし、ああ、でも、こうして取り留めのない思いを反芻しているのも、正月ならではだなと思ってもみたり。

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2005/01/04

蓬莱(ほうらい)と徐福

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 年初の季語随筆(日記)の表題を何にするか。
「あけましておめでとう…云々」にちなむような言葉がいいような気がするけれど、格別、おめでたいわけでもないし、かといって極端に不幸というわけでもない…などと迷いながら、例によって、「一月の季語」をつらつら眺めてみた。
 十二月も季語(季題)となる言葉は多かったが、一月は更に多いような気がする。小生は帰省していたので、田舎で食べてきた「沢庵」などにも触れてみたい。めったに見ることのない「海老」もいい。「雪合戦」や「竹馬」も懐かしくて採り上げたい(でも、これらは掌編で触れるか)。
 眺めていくと、「雪女郎」なんて言葉が見つかった。どうしてこんな言葉が一月の季語なのか、興味津々。この言葉には今月中に必ず触れるはずである(主に好奇心から)。
 そんな中、何故か「蓬莱(ほうらい)」という言葉が目に飛び込んできた。先方から合図してきたとあっては、断るわけにもいかず、今日の表題は「蓬莱」に決定。
[冒頭の写真は、そろそろ太陽の沈みかけた富山の空。もう少しで小生、初めての夕焼けの画像が撮れるはずだったが、生憎、この直後、小生、車の中で居眠りしてしまい、未遂に終わった。悔しい!情ない!]

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