12月は季題が豊富にあります
例によって「俳句ステーション」サイトの「季題【季語】紹介 【12月の季題(季語)一例】」表を眺めている。
今日から12月である。リンク先を御覧になると分かるが、「12月は季題が豊富にあ」る。もう、この一ヶ月分で一年が賄えるのではと思えるほど。目移りして困る。懐具合からして、せいぜい一冊か二冊しか買えないというのに、一気に新刊書が書店の店頭に平積みされたような。圧倒されて目が回る。
どの季語・季題にも食指が動く。ただ、この季語随筆は昨年の秋口から始めているので、12月の季題についても、昨年の12月の間に幾つかはすでに採り上げている。
たとえば、「短日」「冬の月」「冬ざれ」「竈猫(かまどねこ)」「都会の落ち葉」「冬の嵐」「夜鷹蕎麦」「仲冬・大雪・炬燵」「鰤(ぶり)起こし」「仮の宿」「虫の音」「火鉢」「枯尾花」「ポインセチア」「煤払い」「影踏み」「雑木林」「冬の星」「月に雁(かり)」「青みどろ」「日記買ふ」「毛糸編む」「冬木立」「影絵の世界」「水銀体温計」「西鶴の感情:世間胸算用」「茶の湯とキリスト教と」「ブログに暮れていく」「地震・津波・俳句・川柳」「息白し」「ストーヴ」
この中には12月の季語・季題ではないものが含まれています。さて、どれでしょう? なんて、つまらない質問をしてみたりして。
答えはリンク先と照合してもらえば一目瞭然なので、敢えて書く必要もないだろう。
中には、「青みどろ」のように、明らかに冬の季語ではないと分かるものもある。夏の季語。
上掲した昨年12月に取り扱った季語・季題だが、実はこれらが即、表題ともなっている。近頃の小生の表題の長さからして、一年前は季語随筆という本ブログの趣旨に忠実に書こうとしていたことが分かる。
分かるというより、改めて気づかせられた。一年も経つと、書くことはまだまだあるのだろうとして(それは同時に俳句に関して学ぶべきことが無尽蔵とは言わないが、際限なくある、ということでもある)、小生の守備範囲からしても工夫を凝らしたり、季語や俳句であっても扱う角度や視野を広めるか変えるようにしているという苦肉の策の傾向が強まっていると察せられてくる。
この分だと、あと数年後には(その頃にも続いていたとして)、本文より表題のほうが長くなりはしないかと、ちと、心配である。
「影絵の世界」も、直感的に冬の季語ではないと気づかれるのではなかろうか。ただ、小生はこのエッセイは自分でもなぜか好きな一篇ではある。末尾の自作の句の群れも、ああ、こんな句たちを即興で作ったのだなと、ちょっと、感懐深い。
びっくりするのは(驚くほどのことではないのかもしれないが)、「水銀体温計」の中でリンクさせていたサイトへのリンクが無効になっていたこと。僅か一年足らず。ネットの世界の浮沈を思ってしまう。この世界は浮き世以上に浮き沈みが激しいのだ。
それにしても、何故、「水銀体温計」をテーマとして採り上げたか、一読して分かるだろうか。
「西鶴の感情:世間胸算用」あたりが、翌年しばらくしてからの表題の複数の単語並立という傾向の突端だったのかのしれない。季語など含まれないテーマを強引に季語や俳句と結びつける遣り口も、すでにここらに胚胎しているようでもある。
続く「茶の湯とキリスト教と」なども、エッセイの間口が広がっていく傾向の延長上にありそうな一文だ。
それにしても、文章の焦点が何処にあるのか、自分でも分からない。
本文に「小説を書くのも、川柳や俳句を捻るのも、エッセイなどを書くのも、基本的には即興で行う。 実のところ、優柔不断さと意志の弱さがこういう体たらくを齎している。たまに、このテーマで書こうと思っても、冒頭の数行を書いてみると、その僅か数行が何か存在感を主張し始め、その文章の雰囲気やちょっとした言葉遣いに影響され、最初の高邁な(?)意図は何処へやら、体裁よく言うと気随気侭なのだが、実情はと言うと、引き摺られ流され、文章の行方は文章に聞いてくれという惨状だったりするのである」とあるのは、開き直りにしても、ひどすぎる。
ただ、つい先日、「茶の花…茶の湯…一休さん」にて一休さんと茶の湯との関係について若干触れたこともあるので、本文の中でもリンクさせているが、「「茶の湯とキリスト教のミサ」に寄せて」という一文があることはメモしておきたい。
「ブログに暮れていく」も、季語にも俳句にも無縁そうなのは、歴然としている。ただ、その冒頭に、「小生の今年が銘記されるとしたら、一つは掌編年間百篇の試みだろうか。今のところ、99個まで来ている。後一つは年内の楽しみとして、年末ギリギリに書き上げるつもり。そうしたら、お正月は、お茶とピザなどで祝盃だ」と書いている。
そう、昨年は掌編年間百篇の試みに挑戦していたのだ。季語随筆を日々綴る中での達成は来るしかった面ばかりが印象に残る。
その反動だろうか、今年は(他にも事情があって)掌編の類をあまり書いていない。今から来年のことを書くのは、鬼が笑うかもしれないが、鬼さんに笑われるくらい、日頃、文章を書くとは恥を掻くことだと自覚している小生、どうってことはない。
句作と共に、虚構作品作りにも力を入れていきたいと、改めて思った。
ん? 「今のところ、99個まで来ている」と書いてある。じゃ、百個目は?
それが、書いたことは書いたのだ。それが、「蒼い月(前編)」だ。
が、今、そうたった今、気づいたというか思い出したのだが、前編だけで終わっている!
達成したと思っていたけど、百個目は前編で留まっており、実質的には年越しの状態になっていたのだ。
さて、今年の12月は、一体、どんな季語随筆となることやら。怖れ慄きながら、期待を込めつつ、頑張っていきたい。
どうぞ、よろしく!
それにしても、「二つのおめでとう! 朝青龍とハヤブサと」で扱った探査衛星「ハヤブサ」だが、その後、通信トラブルなどがあり、制御ができず、探査機の運用に支障が出ているということだったが、今も依然として運用再開に向けて解析・検討中の模様とか。
やきもきさせるね。是非、地球に無事、帰還させてもらいたいものだ。
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