炬燵や囲炉裏で見る夢は
帰省している。新幹線を使った。本を読んでいて外の景色の変化に気が付かなかったのだが、越後湯沢を過ぎた頃だったろうか、列車内の誰かが「雪!」と言った。思わず外を眺めると、東京の景色とは打って変わってすっかり白銀の世界となっている。
いろいろトラブルがあったが、とりあえずなんとか予定よりは二時間半ほど遅れて帰宅した。家に着いてみんなが集まる茶の間に入ると、まず目に付くのが(テレビと)炬燵である。東京の我が家は狭くて、その上ダンボールなどが山積みになっていて炬燵など設置する場所がない。電気ストーブが唯一の暖房である。
← 紫苑さんにいただいたものです。「わが家のクリスマスツリー」だとのこと。皆さんは、どのようなイブでしたでしょうか。小生は…。
だから、冬、帰郷して嬉しいのは炬燵に当たれることだ。昔のような掘り炬燵ではなくなっていて、電気の炬燵だけれど、見た目は同じだし、毛布や薄手の布団をかぶせてあって、その上には四角いテーブルが載せられている。
思えば、昨年の12月は炬燵を採り上げていなかったような。冬12月の季語だというのに。あるいは他の月に触れたことがあったかもしれない…。
そう思って探してみたら、一昨年の11月に、季語としてではなく、あくまで炬燵の由来や囲炉裏との関連であれこれ詮索しているのだ。ホームページで載せてあるが、季語随筆に関連するということで、改めて別窓にその時の雑文をそのままの形で載せておく(張ってあるリンクだけ、多少、変更してある)。
気づかれた方もいるだろうが、囲炉裏も冬12月の季語の季語(仲冬)である。
「囲炉裏」については、特に探求したことはないが、掌編「筍 の 家」では、囲炉裏のある部屋が物語の主な場になっている。同じく、掌編「銀箭(ぎんぜん)」も、物語は囲炉裏のある部屋を舞台に展開している。
他の掌編の中でも囲炉裏のある部屋が登場しているかもしれない。小生は囲炉裏のある部屋に住んだことはない(記憶にある限りは)。ただ、親戚には囲炉裏のある家があって、その家には何度か泊まったことがあったようである。自分でも分からないのだが、囲炉裏は想像力を掻き立てるのだ。
ネット上で「炬燵」の織り込まれている句を探すと、「よっちのホームページ」の中で以下の二つを見つけた(小生の拙句は末尾に載せる):
思う人の側へ割込む炬燵かな 一茶
耳遠く病もなくて火燵かな 虚子
炬燵について
[ この小文を書いたのは、先月の23日。下手すると三週間が経過してしまう。このところ、雑用に追われてアップ作業が侭ならないでいる。この文を書いた頃は、まだ炬燵など早すぎるかもという感じがあったが、今じゃ、なくてはならないようになっている人も多いだろう。小生も、炬燵にあたりたいな…。 (03/12/11 up) ]
この頃、急に寒くなってきた。そろそろ暖房を入れないといけない。一人暮らしだと、衣替えも含め、季節の変化に対応した生活の切り替えのタイミングが取りづらい。寒いから暖房を入れればいい、それだけの話のようには思えるのだが、世間はどうしているんだろうと、そんなつまらない詮索をして見たり。
そんな中、昨日、車中でラジオを聞いていたら、「コタツ」という言葉が聞こえてきた。
コタツ! 炬燵! こたつ!
なんでもいい。炬燵に入りたい! と、コタツという言葉を聞いた瞬間、思ったのである。が、小生の部屋では炬燵を出す習慣がない。というか、カーペットの床が汚れ放題なので、仮に炬燵があっても、自分の部屋ながら炬燵を出し、そこに足を入れるという気になれない。
床に何か敷物を敷けばいいのだろうけれど、敷いた途端、敷物が汚れてしまいそうで、躊躇われる。
第一、自室では机と椅子の生活に慣れきっている。それは体がそうなってしまっている以上に、部屋の中の荷物や箪笥やベッド、あるいは書棚の配置が、机と椅子の生活に見合った位置付けになっている。
椅子に坐っているぶんには、何か必要なものがあったなら、手を出せば取れる高さ・位置に置いてある。
それが、炬燵となると、坐った位置からは、すべての物が高い。高すぎて、何を取るにも、いちいち立たないと届かない。しかも、本などを詰めたダンボールが壁面に山積みになっている。椅子に坐った状態なら、なんとか我慢できても、床に腰を下ろしてしまったなら、積み上げられたダンボールがいつ崩れてくるか、一旦、崩れたなら間違いなくダンボールの山の中に埋もれてしまうだろうし、戦々恐々とした日々を送らねばならない。
やはり床に近い目線は、辛いのである。
そして、部屋の汚さである。特に床がひどい。この汚さのことは、もう、書きたくもない。
小生が炬燵に入るとしたら、田舎に帰った時くらいのものだろう。それに、この頃は、電気ストーブのお世話になっているので、炬燵など不要だ。たださえ、ダンボールの山なのに、そこに季節外には不要なものとして箱に入れた炬燵を積み重ねなければならない。これ以上、どこに重ねる余地があるというのだ!
ところで、炬燵という言葉を聞いた瞬間、あ、これはエッセイのネタになるということ、さらに、炬燵を主題に一冊の本は軽く書けてしまうなという直感があった。それほど自分に、というより、日本の(特に雪国や北国の)人は炬燵への思い入れがあるのだと小生は思うのである。
念のため、「広辞苑」で「こたつ」を引いてみる。
すると、「炬燵・火燵」「床をきって炉を設け、上にやぐらを置き、蒲団をかけて暖をとるもの。また、床を切らずにやぐらの中に火を入れた置炬燵もある。」と説明されている。
この中で、「床をきって炉を設け」では、「きって」は平仮名なのに、「床を切らずに」のほうは、「切らずに」と、漢字仮名混じりなのは何故なのか、ちと疑問に思った。
事典では説明がさすがに詳細である。長すぎるので、気になったところだけ拾い上げると、今の形の掘り炬燵、腰掛けこたつの形になったのは、昭和になってからというのがあった。
昔からあったように思っていても、案外と新しいものなのだ。
考えてみたら、炬燵は、ただの家具じゃない。火元が要る。熱源となる燃料が要るのだ。そんなものを用意し、燃やすなどという贅沢は、一般的ではなかったということなのだろう。
時代劇などを見ても、真冬であっても武士は火鉢が片隅ある部屋で過ごすのが普通だったように描かれている。余程、上級武士か年輩の武士は火鉢に当る程度だったのか。
但し、こたつの起源は明らかではないとしながらも、事典(NIPPONICA 2001) では、「室町時代にいろりに櫓(やぐら)をかけてこたつにしたのが始まりで、「こたつ」の語は「火榻子(かとうし)」の宋(そう)音に基づくとされている」とある。火燵・炬燵は当て字のようである。
櫓(やぐら)が現在の高さになったのは、江戸時代からであるとも、事典には書いてある。行火(あんか)も置炬燵の一種だとか。そして、こたつ自体は、家庭燃料の乏しい都市から普及していったとも書いてある。
この中の、行火(あんか)も、興味深い。「冬季、手足を暖めるために用いられた移動式の暖防具」というわけだ。が、行火については、こでは深入りしない。 ネットでも炬燵については、相当な程度まで調べることができる:
「季節のことば 炬燵」
この中で、「囲炉裏(いろり)に櫓をかけて暖をとるようになったのが炬燵のはじまりのようだ」というのが注目される。
やはり、囲炉裏のある部屋というのは、昔から北の日本の冬には欠かせない風景だったということなのか。
さらに注目したいのは、囲炉裏は部屋の中(乃至は建物の中全体)を暖めてくれるものだが、どうにも、日本の木造家屋には、無駄な暖房装置でもある。なんといっても、木造家屋は、隙間風が凄い。そうした事情を鑑みて、効率よく暖める装置として炬燵が考案されたのかもしれない。情景のサイトにも、このように説明されている:
炬燵は冬の室内の暖房としては、最も日本人に親しまれてきたものだろう。またそれだけの理由もあった。隙間の多い日本家屋では室内全体を暖めるのは非常に効率が悪い。それに普通の暖房では、温まった空気は上昇するから、どうしても上半身にくらべ下半身が冷えがちである。そこにいくと炬燵は、足の方から暖めるから頭寒足熱で、体に触れる蒲団も心地よく温まっていて、たいへんに効率がいいのである。
ここまで来て、ふと、不安になったことがある。ある程度の年輩の人は、炬燵というと、ああ、あれかということだろうが、今の若い人はどうなんだろう。床暖房など最新式の暖房が当たり前の生活を送ってきたわけだし、せいぜいテレビドラマで小道具として使われる炬燵を見た程度なのではないかと思われたりする。
そこで、「こたつ【炬燵】冬に使用する暖房用具。熱源の上に木製の櫓(やぐら)を置き、下半身を入れて暖まる。「火燵」とも書く。」などといった説明を参照していただくと同時に、念のため、炬燵なるモノを画像で見てもらおう:
「ものづくり歴史考ホームページ 和楽考 炬燵って何だ」
炬燵で燃やすものは、練炭といって、炭の粉を練り固めたものだったりするが、小生がガキの頃は、炭だった。山で切り出した木を燻ったものである。炭化した木とでも言えばいいのか。朝、起き出すと、大概はお袋が炬燵の床に炭を足し、火を点けてくれたものだったけど、忙しい時は、ガキである小生に言いつけられる。
蒲団を捲りあげ、炬燵に頭を突っ込んで、背中が寒いのを我慢しながら、古新聞を燃やして炭に火を点ける、ガスが使えるようになった時は、底に適当な穴の開いた小鍋に炭を入れ、ガスで燃やし、一気に火を点けて、それを炬燵に持ってきたりもした。効率的で、背中に寒い思いをしなくてもよくなった。
炬燵に入ると、もう、出たくなくなる。潜り込んだまま、テレビなどをダラダラと見、あるいはミカンか御餅などを食べ、時には家族揃って、花札をしてみたり。そんな一家団欒という風景も炬燵に一家が足を突っ込むという現実があるから、必然的に生れてくるわけである。床暖房だと、そんなふうに家族が寄り添う必要など、ありえないわけだ。
炬燵に足を、時には腰の辺りまで体を入れて暖まっていると、もう、極楽である。そのまま寝入ってしまうことも、しばしばだった。お袋とかが、そんな寝入っているガキを見て、下半身はともかく上半身が寒そうに見えるのだろう、毛布などを掛けてくれたりする。
が、眠っているはずの当人は、時には目を閉じているだけで、ああ、こんなふうにされて、お袋ってありがたいと思ったりもするわけである。
雪国だと、炬燵は不可欠の存在になっていた。雪道を歩いて帰る。あるいは子どもだと、行きの野山や裏道などで散々遊びまわったりして、長靴などを履いていても、靴の中にまで雪が入り込み、足元はグッショリ濡れていたりする。
すると、うちに帰ったら、靴下を剥ぎ取るのももどかしく、暖かな炬燵に足を突っ込む。しもやけになりそうな真っ赤な足が、次第に芯から暖まってきて、今度は温みで肌がピンク色に染まってくるというわけである。
ところで、事典(NIPPONICA 2001)などを調べて意外だったことが一つある。小生は、炬燵の起源として、どこかでオンドルに繋がるものと思っていたのだ。
が、しかし、これは小生の勘違いだったようだ。オンドルは発想法として、床暖房なのだから:
西洋では暖房というと、暖炉ないしストーブというイメージがある。中国や韓国はオンドル(床暖房)。日本は、囲炉裏か炬燵。風土なども関係するのだろうけれど、暖房一つとっても、世界は多様だと感じる。
それにしても、背中が寒い。肩も冷たいような。キーボードをタッチする指も凍えそう。鼻水も今にも垂れそうである。小生も、そろそろ電気ストーブのお世話になろうかな。
でも、炬燵にも入ってみたい。初夏は、ホーホー 蛍 来い と歌う。
ならば、初冬ともなると、コーコー 炬燵 来い と歌うべきかね。
(03/11/23 記)
[この6月12日夜、「世界・ふしぎ発見」という番組を見ていた。「シルクロード大紀行」というテーマで、ウズベキスタンでの発掘作業で発見されたカラ・テパという名の古代の仏教遺跡が焦点となっていた。ミステリー・ハンターは諸岡 なほ子さん。
彼女の説明によると、「ユーラシア大陸のほぼ中央に位置するウズベキスタン。シルクロードの中継地として栄え、現在でも市場にはさまざまな国の物や人たちが溢れています。街の中には美しいモスクが見られ、イスラム教徒が多いのですが、かつてこの国は仏教が信仰されていた時代がありました。天竺へ向う玄奘三蔵がこの国を訪れ、寺院や仏塔が建ち並び、たくさんの僧侶がいた様子を書き残しています。しかしその記述を裏付ける遺跡は20世紀初頭まで見つかりませんでした。しかもやっと発見した遺跡を発掘していたソ連の調査団が、自国の崩壊によって発掘を打ち切りに。そんななか遺跡発掘を再開するためにウズベキスタン政府が白羽の矢をたてたのが一人の日本人考古学者でした」という:
(http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mystery_1.html ← 当時とは記事内容が変わっている。アドレスだけ生かされているようだ。(05/12/26 注))
さて、この番組の最後に、小生には嬉しい情報が登場した。それは「炬燵」のこと。このウズベキスタンには、我が日本の「炬燵」を思わせるような暖房家具(テーブル)があるというのだ。形はまさに炬燵であり、上には蒲団を被せ、中で炭を燃やして暖を取る。番組では、炬燵の上にミカンまで置いてあったが、これは演出なのか、それとも、実際の日常においても、珍しくない光景なのか、判断できなかった。番組のレギュラー回答者である黒柳徹子氏によると(彼女はアフガニスタンへ赴いたことがある)、アフガニスタン北部にも、炬燵に似た暖房装置があったとか。 (04/06/13 記) ]
炬燵にて見し夢の数ミカンほど
遠き人炬燵の下で呼び寄せる
潜り込みそのまま朝の炬燵かな
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