冬の雲…真冬の明け初めの小さな旅
東京はこのところ晴れの日が続いていて、特に降雨のない日の連続については記録的だという。
だからといって冬ともなると、雨や曇天が恋しいとは思わない。冬の雨は冷たい。辛い。不況だったり、体調が悪かったりすると、そぼ降る雨でも身を叩くような感を覚えてしまうのだ。
そうはいっても、天気は気まぐれなもの。天の思し召し次第のもの。少なくとも地上で迷い惑うものには、なるようになるのを見守っているしかない。
晴れ続きの東京も、天気予報によると、週末の土日辺りは雨の予感。いずれにしても、曇天は間違いないよう。
ということで、今日の題材はちょっと地味だが表題にあるごとく「冬の雲」である。
言うまでもなく、「季題【季語】紹介 【12月の季題(季語)一例】」の一つである(「俳句ステーション」サイトより)。
「俳句歳時記宝石箱」の「季語集・冬」、その「冬の雲(ふゆのくも )」項によると、傍題に「冬雲 凍雲 寒雲」があり、「晴れた日に空を半ば閉ざしたような雲は色、姿ともに美しい」などといった説明が付されている。
「よっちのページ」の「三省堂 「新歳時記」 虚子編から季語の資料として引用しています。12月の季語」なる頁を覗く。
そこには、「冬の雲はかたく陰惨の感が深い」と簡潔に。
さらに、以下の句が掲げられている:
旅空や凍雲もるゝ日一筋 王城
時化あとの浪疲れゐて冬の雲 方舟
冬雲は薄くもならず濃くもならず 虚子
小生の生まれが北陸は富山ということもあるのだろうが、「冬の雲はかたく陰惨の感が深い」という感想に共感してしまう。東京だと、雨が降りそうなほどの分厚い雲が垂れ込めたりすると、さすがにこうした感を多少は抱くのだろうが、「冬の雲」が季語として定着したのは、関東など太平洋側なのか、それとも北陸や東北の日本海側でのことなのかで、言葉への理解も受け止め方も異なってくるのだろう。
北陸の陰鬱さを現しているかどうかは別にして、さらに「冬の雲」という語の織り込まれた句を「ようこそ秋桜歳時記へ」の「秋桜歳時記・季語・冬」から2つ:
傾山と祖母山と連なり冬の雲 後藤 緒峰
病む窓の日射しさへぎる冬の雲 並松 生代女
後者の「病む窓の日射しさへぎる冬の雲」が何処で詠まれたかはともかく、垂れ込める冬の雲だろうと理解してもそれほどの異論も来ないだろう。
では、前者の「傾山と祖母山と連なり冬の雲」はどうだろう。これは「傾山と祖母山」のある地域がどこかにも拠る。
調べてみると九州(大分?)のようだ。小生、九州には全く土地勘がない。九州での冬の雲って、どんなイメージが真っ先に思い浮かべられるのだろうか。
過日、ある方にその名を教えていただいた永田耕衣(1900~1997)には「冬の雲一箇半箇となりにけり」という句がある。小生は未確認だが、川上 弘美著の小説『光ってみえるもの、あれは』(中央公論新社)の中にこの句が引用されているらしい。
「むしめがね 俳句、短歌、文学、現代美術のページ」の中の、「俳句の歴史・永田耕衣」なる頁を覗いてみる。
そこには、「高浜虚子の率いたホトトギス俳句は豊かな成果を残してきたが、その方法はあまりに洗練されているがゆえに、「現代」という激しく変動する社会に生きる人間の混迷した精神を受けとめる器とはなりにくくなっていった。永田耕衣は人を驚かせるような奇抜で諧謔味のあふれた表現を多用することによって、人間の精神を激しくゆさぶった。耕衣の俳句を読む者は、人生を傍観するのではなく、人生について耕衣とともに思考することを求められる」とある。
永田耕衣の句をここでも幾つか載せてくれているが、咀嚼するまでとはいかなくとも、もっとじっくり付き合ってみないと小生には句境を捉えきれない。
ネットではありがたいことに、松岡正剛の千夜千冊『耕衣自伝』を読むことができる。
「永田耕衣は印南野の一隅で育った」という。「生まれは播州加古である。その後もずっと神戸界隈にい」たらしい。
「冬の雲一箇半箇となりにけり」という句に戻ると、印南野の地では「冬の雲」というと、一体、どんな雲をイメージすればいいのだろう。これまた、土地柄などが分からないと理解など到底、及ばないと痛感されてしまう。
我が郷里・富山というと、冬の雲は…云々よりも、その前に「冬の空」というと、もうそれだけで、通常は北国(北陸)特有の分厚い雲が低く垂れ込めた陰鬱というか陰惨というか憂鬱でもあるような空なのであって、だから、それでも敢えて「冬の雲」などと呼び指すのだとしたら、余程の意味合いが込められているのかと思ってしまう。
近年は、どうしたものか(異常気象のせい?)正月などに帰省しても、東京かと戸惑ってしまいそうな晴れ渡った青空が望めたりして、自分が本当に北陸の地・富山に帰省してきたのかと疑ってしまいそうになる。
曇天でないと、逆に居心地が悪いというか、落ち着かないような気がしてしまうから不思議だ。
それほどに、来る日も来る日も曇天続きなのが北陸の空だというイメージが刷り込まれているのである。
無論、正月と相前後して、そうした冬のねずみ色の空から雪が舞って来るわけである。雪の日が続くと、なお更、青空など望めなくなる。
(そんな雪の日の密かな楽しみを「真冬の明け初めの小さな旅」というエッセイの中でスケッチしてみたことがある。)
不意に青い空など覗けてきたりすると、常時圧し掛かっていた重苦しい漬物石が退けてしまって文字通り空が明けたような、開けた感じを束の間、楽しめるというわけである。
さて、最後に幾つか、句を放ってみよう!
冬の雲彼方の空とつながれり
冬の雲布団綿にもなりそうな
冬の雲心の海に垂れ込めて
東京の冬の雲には慣れません
冬の雲舞い飛ぶ鳥の影一つ
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