一文字(ひともじ)…それは葱
サイト巡りしていて、ある言葉に思わず足を止めた(目が留まった)。それは、「一文字(ひともじ=葱)」。
葱については、いつだったか、調べたことがあったけど、「一文字や次に出で来る葉を待ちぬ」なんて句に仕立てられると、実感が湧くし興味も湧いた。
なので、今日の季語随筆のテーマは「葱」か「一文字(ひともじ)」で決まりと一旦は決めかけていたけど、「拓殖大学北海道短期大学」の中の「相馬教授の解説コーナー ネギ」なる頁を覗いてみて、一遍にやる気が萎えた。
もう、この頁を覗けば、一体、あとは何を調べればいいか、途方に暮れてしまったのだ(例によって、ネット検索で見つけた「ネギ」の頁からは表紙や目次などへのリンクボタンは設置されていなくて、表紙を探り出すのに、ちょっと手間取った)。
← 12月10日、小憩を取った芝公園から東京タワーを望む。一度も上ったことがない。いつか、建て替えられる前に高みから展望してみたい!
こうなったら、この頁のことは内緒にしておいて、例えば、最初に見つけた「和木町の歴史 郷土料理考 ~「おおひら」と「ひともじなます」~」などの頁を紹介して、折に触れてこっそり上掲の「ネギ」の頁で必要に応じて補足しようか、などと姑息なことを考えたり(ちなみにこの頁には表紙へのリンクボタンが設置してあるけど、クリックしても頁がない、となってしまう?!)。
でも、まあ、やり始めた以上は、やっちゃおう!
「ネギの原産地は」、「中国の西部、中央アジア北部からアルタイ、バイカル地方であろうと、推測されてい」るとか。古書、山海経(中国古代の神話と地理の書)、礼記(五経の一)などにすでに「「葱」の字で登場し」ていて、「礼記にはネギの料理法が書かれてい」るなどといった記述から始まって、とにかく「ネギ」の頁は充実している。
小生は、ネギがまっすぐに伸びて、漢字の「一」の文字に似ているから、「一文字(ひともじ)」と洒落て呼び習わすこともあるのかと思っていたら、違った。「「気(き)」一文字の名称にちなんで、今でも、ネギを「ひともじ」とも称」するのだとか(「和名を「キ」と言い、「キ」は文字が一文字であるので、後世「ひともじ」と言う様になったとあ」るなどと、さらに詳しく書いてある)。
(つまり、「根」の「気」ってこと?)
「「ひともじ」は、平安時代の宮中の女房(女官)言葉に由来し、同様な意味で、ニラのことを「ふたもじ」と言」うなどというのは、へえーそうだったのー、と、口をあんぐりさせているしかない。
余談だが、小生などは、葱(ねぎ)は、語源的に(というか、語感からして)「値切る」と関係があるのではと無理を承知で見当をつけてみたが、せめて「根切る」ならともかく、やはり、憶測の域を出ないのだった。
「薬用に用いられたのみならず、呪術的色彩をも持っていた」というが、「漢方薬としてのネギの効能」や「魔除だったネギ」の項その他、いろいろ読んでいくと、西欧のニンニクパワーに太刀打ちできるのは、ネギ(かニラ)だと思ってしまった。
「葱」は、12月の季語で、例によって「三省堂 「新歳時記」 虚子編から季語の資料として引用しています」(ホームは、「よっちのページ」)の当該項を見ると、「葱買て枯木の中を帰りけり」(蕪村)、「葱洗ふ流れもちかし井出の里」(蕪村)、「葱さげて寺世話人の見えにけり」(拙童)、「葱多く鴨少し皿に残りけり」(虚子)、「葱白く洗ひたてたる寒さかな」(芭蕉)などの句のあることを教えてくれる。
「ネギ」にも、「さむざむと葱束ねつつ古き顔」(飯田龍太)、「ねぎま汁風邪のまなこのうちかすみ」(下村槐太)、「葱坊主子を育てては嫁にやり」(成瀬桜桃子)、「老夫婦いたはり合いて根深汁」(高浜虚子)などの句を載せてくれている(表記を若干、変えました)。
いずれも、等身大の目線が感じられる味わい深い句だ。
「葱買て枯木の中を帰りけり」(蕪村)なる句を詠んでいて、ふと、同じく蕪村の手になる有名な句「菜の花や月は東に日は西に」を小生などが連想するのは、(季節が違うのはさておいて)句が表す光景(構図)からして自然なような気がする。
「YS2001のホームページ」の「季語(ね)」を覗くと、「別名⇒一文字(ひともじ)、根深(ねぶか)、葉葱(はねぎ)、葱畑(ねぎばたけ) 関連⇒浅葱(あさつき)」といった言葉を教えてくれる。
ついでながら、「葱坊主(ねぎぼうず)」という面白い言葉があって、春の季語だということを思い出してみるのもいい。
この、「葱坊主(ねぎぼうず)」という名称は、「ネギの花の見た目から」というが、本当だろうかと、画像を探してみた。すると、「icydog 葱坊主(ねぎぼうず)」が見つかったのだが、さて、どんなものだろう。ダチョウの首から頭にかけての姿格好を連想させるようにも思えるのだが。
葱、ネギ。タマネギともども、ガキの頃は大嫌いだった。そもそも野菜の類を毛嫌いしていた。父や母が、朝など、食卓に何か足りないとなると、ちょっと庭先に出て畑から、ナスだ、トマトだ、ネギだ、ニンジンだのを採ってきて、ちょいと洗って、適当に調理したりして食卓に出す。
小生は、強制されても食べなかったけれど、今から思うと、なんと贅沢な日々だったことだろうと、悔やまれる。
大好きなラーメンでも、ネギやシナチクは、選り分けて残してしまっていた(風味は嫌いじゃないけど)。
大学生になった最初の二年間は下宿住まいだった。朝食と夕食の賄い付き。食事は、他の下宿生はもとより、下宿の方たちとも共にする。野菜嫌いの小生だったが、それ以上に負けず嫌いで見栄っ張りで気の小さいところがあって、欠点を露にするのも、指摘されるのも、野菜嫌い以上に断固、嫌な性分。
下宿でいきなり、八宝菜の洗礼を受けた時は、死ぬ思いで全部、食べたのだった! 何十年も経った今でも、その時の苦しみを思い出す。
まあ、お陰で、依然としてその後も野菜嫌いは変わらなかったものの、椎茸(や松茸)以外は、出された野菜類は平気で食べられるようになった。
それどころか、今では、ナスや漬物とか、シナチクとか、紫蘇ニンニクとかは冷蔵庫に欠かさないし、ラーメンを自宅で作る際のために「わけぎ」が用意されているし、八宝菜は大好物の一つとなっているのだ!
目出度し目出度しである。
庭先に宝の山があるじゃない!
土の香の残りしネギを喰うてみる
土の果に海の果併せネギトロだ
父母の手の汗さえ添えて上る葱
畑とは大地の海と思えとか
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