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2005/12/09

12月8日のこと

 今日は何の日、なんて改まった問いなど小生のサイトではあまり投げかけたことがない。
 でも、まあ、テレビ・ラジオでは、「元ビートルズのメンバー、故ジョン・レノンが凶弾に倒れてから8日でちょうど25年が経つ」といった話題が盛んに流れている。
 1980年に「40歳という短い年月で生涯を閉じたレノン」。そして彼を射殺した殺害犯のマーク・チャップマン受刑者(50)は、小生とほぼ同年代。つまり、同じ年頃の狂信的なファンがジョン・レノンを殺したことになる。
 小生は、高校時代からのビートルズのファンだった。が、実際にレコードやテープを買ったりしたのは大学生になってからのこと。
 けれど、大概はラジオが頼りだった。ラジオから流れる歌謡曲や演歌に耳を傾ける一方、アメリカの60年代のロックに傾倒していった。

 大学の帰り道、いつもならバスを利用するところ、なんとなく歩いて帰りたくなって、一時間半の道のりをただ淡々と歩く。
 声には出さないが歌を絶やすことはない。
 70年代は歌謡曲全盛の頃だったので、歌う歌に困ることはない。洋楽でも、ビートルズだったりミッシェル・ポルナレフだったり、ホセ・フェリシアーノだったり、ポール・アンカ、エルビス・プレスリー、まあ、思いつく限りの歌手の歌をサビの部分を中心に歌って歩く。
 感傷的な気分に深く深く浸っていく。友達と喫茶店などで語り合っていても、お気に入りの曲が流れ始めると、話などまるで聞こえなくなる。音楽の世界に飲み込まれていく。世界が曲の色に染まっていく。
 大学生になって三年目頃、下宿住まいを始め、中古のステレオを入手し、初めてレコードを何枚か買い始めた。もっとも、アルバイトで本代を稼ぐのがやっとだったので、買えたレコードの枚数は、大学を卒業する頃になってさえも、十数枚に過ぎなかったように思う。
 入学直後に、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に感激しクラシックに開眼。友人宅に行くと、主にクラシックのファンだった友人はベートーベンやモーツァルトの曲を掛けてくれるのだが、ポピュラーな曲以外は、耳に入ってこなくて、自分にはクラシックは縁遠いものと思っていただけに、メンデルスゾーンに聞き惚れたことは突破口みたいになり、ブラームス、シベリウス、ワーグナー、シュトックハウゼンなど、FMラジオから流れる曲を待ち焦がれるようになった。

 大学生になって四年目か五年目には、朝起きたら(といっても、ほとんど昼前後だったけれど)ステレオにセットしたままのワーグナーの序曲を聴くのが習慣のようになった半年を送ったし、ヴィヴァルディの四季を数ヶ月、聴き続けたり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」が目覚めの曲になり続けた半年を送ったこともあった。
 無論、歌謡曲は欠かさない。ほんの一時期を除いて、テレビは所有していなかったので(中古の大型テレビをもらったことがあった。が、すぐに故障。内部を解体して、くりぬき、前面にレースのカーテンを垂らして、洒落た棚を気取ってみたことがあったっけ。ただ、解体する際、予想されるようにブラウン管の後ろを弄って、高圧の電気に痺れたものだった)、ひたすらラジオが、耳が便り。
 ラジオカセットなので、ボリュームを目一杯に上げ、付属のテープに録音したりした。学生時代に夢中になったボブ・ディランなどを録ったテープは今も手元にある。

 音楽遍歴は貧しいながらそれなりにあったが、歌謡曲は別格として洋楽はバッハとビートルズのみが学生時代どころか社会人になるまで一貫して聴き続けた音楽だったのである。
 四人の個性の違うメンバーが、個性をぶつけ合い意見を交し合って独特の音楽世界を作り上げた。そんな中、他の三人も重要なのは言うまでもないとして、やはり、ジョン・レノンの主義主張は際立っていたのではなかったろうか。

 昨日のラジオでも彼の生涯についての話を聞けたが、「イギリスの、リヴァプールのウールトンで生まれました。彼が一歳半の時、船で働いていた父親が失踪し、そして母親までもが彼を置いて別の男性の所へと行ったため、彼は母親の姉ミミによって育てられました」ということで、屈折した若き日々を過ごしたらしい。一時はトップクラスだった成績も喧嘩に明け暮れるようになって急激に下降。
「ビートルズの曲のほとんどは彼とポールによって作詞作曲されました」というが、ビートルズのメロディはポールが、歌詞はジョンが作ったようなものかもしれない。
 Lucy In The Sky With Diamonds、Revolution、Woman、Don't Let Me Down、Happy Xmas(War Is Over)、In My Life、A Hard Days Night、Imagine、Woman Is The Nigger Of The World、Hold On、Across The Universe、Mind Games、Nowhere Man……。

 20世紀には数々の音楽家が生まれ数知れない楽曲を我々に与えてくれた。しかしながら、21世紀の初頭はともかく、21世紀の半ば頃まで記憶に残る作曲家。アーティストはどれほどいることだろう。
 ただ、ビートルズの名前が数少なくなっているかもしれないアーティストの一人(一つ)であろうことは間違いないように思う。

 ところで、この記事を書いていて気がついたことがある。小生は物心ついたころから、ラジオが好きで、といっても、熱心に耳を傾けたのは音楽だけだったと思うのだが、その傾向は小学校の低学年の頃、我が家にテレビがやってきて、一層、募ったものだった。
 とにかく常に歌が脳裏を駆け巡っていた。十歳頃までは家族の前でも歌っていたが、やがて羞恥心を覚え、人前では歌わないように気をつけたが、歌が口を突いて出てくることが収まるわけがなかった。声を出さないだけのことで、常に歌謡曲が体の中で踊っていた。
 
 それが、ある日を境にパッタリと歌が止んでしまった。全く歌が口を突いて出て来なくなったのである。
 その原因は、「ガス中毒事故余聞」でも書いたように、1980年の年末に発生した(引き起こしてしまった)ガス中毒事故にあった。
 その時、ガス中毒死の一歩手前まで行ったのである。

 その日を境に(あるいはその頃を区切りにして)歌が湧き起ることがなくなってしまった。まるでメロディーが流れ出してこない。ラジオやテレビで音楽番組を好んで視聴することは止めなかったが、耳から音楽が聞こえてこない限り、自覚し意識的に努めない限り勝手に曲の歌詞やメロディが流れ出すことはなくなってしまったのである。

 が、こうしてジョン・レノンが亡くなって25周年ということで、記事を綴っていて、もしかして12月8日のこの事件の衝撃が大きくて、それで音楽の世界との絆が、少なくとも繋いでいたパイプのうちの大きな一本が途切れてしまったから、だからそれ以来、音楽がそれまでのように自然には溢れ出し流れ出すことはなくなってしまったのではないか…、そんな疑念がふと、湧いたのである。
 考えすぎかな。
 そんな妄念に駆られてしまうのも、死せるジョン・レノン、生ける(屍の)弥一を慌てさせる、というところだろうか。


 さて、今日は何の日ということで、12月8日というと、忘れてならないのが、対米英開戦記念日(太平洋戦争開戦記念日)ではなかろうか。
 つまり、「真珠湾攻撃 - Wikipedia」の日だったのである。
 他にも、「釈迦が悟りを開く(紀元前428)」とか、特に「プロレスラーの力道山、赤坂のキャバレーで刺される(1963)」といった印象的な事件が8日にあった。

 小生は別にテレビにかぶりついていたわけではないので、断言はできないが、全国放送の局で、この記念日を特集番組とまではいかなくても、少しでも採り上げた事例はあったのだろうか、なかったのではなかろうか。
 確かに、栃木の女児殺害事件やマンションなどの耐震強度偽造問題に世間の関心は集まっているし、マスコミはそうした問題の情報収集と特集に狂奔している、それにしても、この日を考える意義は決して小さくなっていないはずと思われるのである。
(思えば、今日は、米国産牛肉輸入解禁という答申が出たというニュースも極めて小さく報じられていた。一般からの審議会への意見も大半が懸念の声だったのに、問題なしということで、見切り発車されてしまった。ある意味、こちらの食品問題も劣らず重要なはずなのに。国民は目くらましにあってしまったのではないか!)

 まあ、アメリカからは(ハワイ真珠湾への)奇襲攻撃だったと言われていて、有効な反論も出来ないし、結局は敗戦に終わったこともあり、日本側(特にアメリカとの仲の良さが売り物の小泉首相らは)あまり思い出したくないのだろう…か。
 そういえば、今日のブログなどを見て回っても、この話題に触れているサイトは少なかったような→「尻別川の畔より リメンバーパールハーバー(屈辱の日)」くらいのものか。
 尚、小生には、真珠湾攻撃について若干、触れたことがある→「レビー著『暗号化』」「ハルノートと太平洋戦争


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(以下は12/10に追記しました)

◎1.余談

 この記事を書いた日、実は書こうかどうするか、迷ったことがあった。それは、その日の夜、ジャン・レノ主演(広末涼子も出た)の映画『WASABI』(リュック・ベッソン監督)がテレビで放映された(小生は見ていない。広末さんが好きな女優ではないので)。
 ジャン・レノ…。
 小生は、ちょっと夢想してしまった。この映画を放映したテレビ局のプロデューサーは、実は、ジョン・レノン関連の映画か特集を組みたかったのではないか。
 が、その命を受けた部下がジョン・レノンを知らない世代で、ジョン・レノン…?? ジャン・レノン…??? あ、そっか、ジャン・レノか!
 ということで、ジャン・レノを日本に印象付けた映画『WASABI』をやっとのことでテレビ放映の権利を獲得し、上司がこの日に放映するんだぞと言明を受けていた12月8日に録画を放映したのではなかったか。
 無論、テレビで放映される直前には上司(プロデューサー)は、その間違いに気づき、愕然としたものの、もう差し替えなど間に合わないし、何しろ放映権利料もバカにならない。放映せざるを得ない…のではなかったか。
 思えば、この映画の宣伝も、タイトルの『WASABI』をもじって、映画の舞台が日本であることもあり、「わび」と「あさび」を持ち出し、これがリュック・ベッソン流「わさび」だーと、半ば自棄とも思えるCMが流されていた…。
 そう、まるでジョン・レノンをこの日のゴールデンタイムに見るのを楽しみしていた夢が費えたプロデューサーの落胆振りを揶揄しているかのような自暴自棄めいたCMなのだった…。

 断るまでもないと思うけれど、 無論、これは小生の洒落に過ぎないですよ。
 真に受けないでね。
 でも、ジョン・レノンの命日にジャン・レノだなんて、あまりに出来過ぎなので、駄洒落好きな小生、つい、連想してしまったのです。

◎2.以下は、12月10日に某サイトの記事に寄せたコメントです:

 12月8日に、イラクへの自衛隊派遣が自動延長されてしまった。それも、国会閉会中に閣議だけでの決定。賛否があっても、議論があってしかるべきだと思うのに、国内問題に終始しているばかり。
今の日本はきな臭い。
 アメリカからの不安たっぷりの牛肉の輸入も食品安全委員会で決められてしまった。一般からの意見でも輸入再開反対の声が半数を超えていたというのに。
 これは日本全体の食の安全保障の問題なのに、まるで話題にならない。
 建築の安全確認問題も大事なら食の安全安心問題も大事なはずなのに。

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コメント

追記しました!
末尾を見てね。

投稿: やいっち | 2005/12/10 14:03

やいっちさん♪
12月8日の事は知りませんでした。
テレビで、あ~そうだったんだと知りました。
12月7日にね、K君(息子自閉症28才)とカラオケに行ったのです。
ご存知のように、私はビートルズの歌を数年前から興味を持ち出しました。時々カラオケでも歌っていたのですが、12月7日はなぜか、ジョンレノンの歌を練習したくて、歌いたくて、歌いたくてしかたがなかったのです。自分でも不思議なくらい。結局ドンレットミーダウン、イマジン(英語でなくてごめんね)を何度も、何度も練習しました。
それまで、ジョンレノンは詩がいい!曲もいい!顔もいい!ヨーコさん!くらいしか知っていなかったのですが、、、。

投稿: さくらえび | 2005/12/10 15:51

さくらえび さん、こんにちは。
さくらえびさんがジョン・レノン?!

12月8日が近づくと、ラジオや雑誌もレノンの特集を組むようになる。そんな世間の雰囲気があったのでしょうか。
いずれにしたって、そこまでレノンの歌は魅力的なのですね。
ヨーコさんは凄くパワフル。歌は好きだとは言えないけど。

12月8日は、開戦記念日であり、ジョン・レノンの命日であり、力道山の命日なのですね。力道山の話題は、とうとうまるで話題に上らなくなった。ヒーローだったのに。

タイヤのパンクを経験されたとか。
小生、オートバイでも経験しました。真冬、気づかないでツーリング先の伊豆から東京まで夜、雪の中を東名高速を走り続けましたとさ。
妙にタイヤがズルズル滑って変だなー、やっぱ、雪のせいかなー、道路の轍のせいなのかなー、なんて思っていて、タイヤのパンクだとは気づかなかった。
東京に戻って、翌日、バイク店に持っていって、気付いた次第。

投稿: やいっち | 2005/12/10 19:50

なんたる偶然なのか分からないけど、この記事を書いた翌日、つまり10日の営業中の車中でラジオに聴き入っていたら、この記事の中などで話題に採り上げたばかりのホセ・フェリシアーノやエンヤの特集が(NHKで)あった。
嬉しかったなー。金曜日という稼ぎ時だったけど、思わずラジオに聴き入ったよ。
驚いたのは、ママス&パパスの曲として聴いていた「夢のカリフォルニア」をホセ・フェリシアーノが歌っていたのだけど、まるで違った曲に聴こえたこと。カリフォルニアの青い空のように思いっきり明るい歌と思っていたのが、陰影に富んだ別物の歌になっていたよ。

投稿: やいっち | 2005/12/12 01:02

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12月8日と聞いて、太平洋戦争開戦日を思うのか、ジョン・レノンが射殺された日を思うのかは、世代によって異なるのだろう。一般日本社会でそうなのだが、俳句は「12月8日」が季語のように扱われることから、その違いがいっそう際だつ。今日は、「12月8日」の句がたくさん作られる一方、「ジョン・レノンの忌」の句も膨大に作られるはずだ(現に私もすでに「俳句な毎日」で1句つくった)。 余談:力道山が赤坂のキャバレーで暴力団員に刺されたのもこの日ということを今日知った。だが、こちらはあまり話題にのぼらない(死亡... [続きを読む]

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