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2005/12/12

冬の蛾…我が友となる?

 昨日の日中から部屋の中に蛾が迷い込んでいる。今もパソコンの置かれた机の向き合う壁面の上を見やると、淡いベージュの壁紙の上に黒一点が目立っている。
「冬の蝶」という冬12月の季語がある。「冬の…」と冠せられた季語は12月には、それも生き物に限ってみると、そんなに多いわけではない。「冬の鳥」「冬の雁」「冬の蝶」「冬の蜂」
 このうち、小生はすでに「冬の蝶」(November 21, 2004)を採り上げている。
 冬の蝶というのは、季節外れの感があるからこそ床しい光景なのだろう。

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← 我が家の壁で憩う蛾です。しばらくしたら真下(つまり小生の方)へと向きを変えた! 壁際の蛾、瀬戸際の弥一と向き合うってことか?!

 俳句に関心を持ち季語随筆を綴る以前に、小生はその名も「冬 の 蝶」という掌編を昨年の一月に書き上げている。
 この小品は、実は実際に見た光景を元にしている。但し、設定や背景はまるで変えている。仕事で東京23区の外れの地へ夜中に来てしまった。お客さんを下ろして、さて都心へ戻ろうかとしていたら、ふと、闇の中に何か蠢くものがある。
 目を凝らしてみたら蝶々だったのである。月は出ていなかった(新月だったのか、たまたまその時は雲に覆われていたのか分からない)ので、郊外でもあり街灯の明かりも乏しくて、周囲の風景を画然と見るというわけにはいかなかったけれど、それでも、住宅街を取り巻くように畑が広がっているのは察せられた。
 夜半過ぎどころか真夜中で、あと二時間もしないうちに白々明けてくるような時間帯。
 そんな中にあって、蝶々がいるのはともかく、深沈と冷え込む、間もなく夜だって明けそうな時に飛んでいるのが不思議だった。
 あるいは、不思議がるのは、小生が蝶々の生態を知らないからに過ぎず、郊外の農地や畑地だったら、案外と珍しくはない光景なのかもしれない。
 けれど、小生には印象的だったのである。吐く息の白さが一層、そんな思いを鮮やかにしていたのだろう。

冬のスズメ」という掌編も書いている(戴いた挿絵が素敵だ!)。冬に田畑どころか都心にあってもスズメを見かけるのは珍しくはない。季語にもなりえないだろう。
 一昨日だって、もう古び萎びてしまった渋柿(多分。確かめたわけじゃない)が十数個、落ちることも叶わず枝にぶら下がっていて、数羽のスズメが突っついていた。熟しすぎ腐りかけたトマトのような古柿だから、仮に渋柿であっても、干し柿同然になって甘みが出ている…なんてことはなさそうだ。
 餌が少なくて、カラスだって見向きもしなくなったブヨブヨな柿でも啄ばむしかないということなのだろうか。
 それにしても、塀を大きく乗り越えて道路の半分まで食み出している柿の木。近所から苦情は来ないのだろうか。路上を見ると、落ちて砕けて車などに踏みつけにされた残骸が、染みというか描き損ねた模様となって点々と。
 車高のある車、集配の車だったら、間違いなくぶつかるほどの高さに枝がある。他所事ながら気にかかる…じゃない、しばしばその前というか下を通るのだから当事者の一人なのだ。

 さて、表題の「冬の蛾」に話を戻す。
 確認が取れないのだが、(冬に限らず)季語には入っていないようだ。
 ネット検索で、「冬の蛾に死が霹靂と訪れる」を一つ、見つけた(「現代詩 俳句」なる頁。ホームページが分からない)。
 ほかに、「冬の蛾を潰せば私だったりする   蛙(30代,男)」(「e船団ホームページ」の中の、「clinic 俳句クリニック 2005年1月後半分(ドクター:小倉喜郎)」なる頁にて)を発見。
「1月と2月の担当ドクターは小倉喜郎です」とかで、「「冬の蛾」といえば美しくもなく、また元気もない。そんな蛾だからちょいと潰してしまったわけですね。そんな哀れな蛾が一瞬自分と重なって・・・「いやいやそんなバカな」と思い直したりして。「だったりする」あたりからそんな感じを受けました。」といった評が付せられていた。

「冬の蛾」を潰す。小生にはできない。ゴキブリだって悪戦苦闘するのに。何処かの木の幹にへばりついている蛾を見つけ、思わず叩き潰してしまったのか。何処かの壁面(家の中?)で飛び立つ気力も萎えて、行く末を案じている蛾を邪魔だ、目障りだ、とばかりにやっちゃった?

 小生の部屋には、生き物というと、小生を除くと、ダニうようよ、細菌無数、ウイルス無尽蔵と、賑やかなことこの上ない。今朝だって、随分と大きく育った蚊を見かけた(きっと、小生からたっぷり滋養を得たに違いないのだが…)。
 もう少し大きい生き物というと、蜘蛛が数年来、居住しているらしい(部屋の外には、季節によってヤモリやハトが時折)。小生が仕事などで外出する際も居残っているようなので、最近についていえば、居住する時間は部屋の主のはずの小生より長い。
 蜘蛛が小生と生活を共にしているといっても、別に小生が一人暮らしは寂しいからと招きいれたわけではない。勝手に入り込み居座りを決め込んでいるのである。部屋代くらいは請求したいものだが、ある時、蜘蛛がダニを餌にしている(なかなか蝿や蚊は飛び込んでこないし)と知って、おお、そんな労働をしてくれていたのかと感動してからは、蜘蛛さんにとっての安住の地たる我が部屋に永住することだって許していいという気持ちになっている。
 ただ、めったに姿を現してくれない。たまには挨拶くらいはあってしかるべきと思うのだが。

 蜘蛛が稀に雄姿を見せるとしたら、小生が部屋の中に堆く積み重ねられているダンボールの類を探し物など事情があって、動かした時だ。蜘蛛さんにしてみれば、青天の霹靂の事態だろう。めったに掃除はしないし、片付けなど数年以上はやったことがない。
 だから、何処かの埃に塗れたダンボールの山の陰に潜んでいて、うようよいるだろう餌であるダニどもを口をあんぐり開けて待っていれば、もう、小生に負けず劣らず喰っちゃ寝の安穏な生活が送れているのだ。
 それがどうした拍子か、ダンボール類を動かすものだから、蜘蛛にしてみたら話が違うじゃない、ということなのだろう。
 慌てて壁面をよじ登っていく蜘蛛さんの目が点になって、驚き半分と怒り半分で、こちらを睨みつけているのが痛いほどに分かる。
 小生は蜘蛛が壁面を蠢いても、見て見ぬふりである。なんとなく、綿埃のベッドを勝手に揺るがし壊してしまったようで罪の意識さえ小生は覚えている。
 ご免ね。こんなこと、しないからね。あと数年は、安泰だから、しばらくしたら何処かの隙間に潜り込んで、また安泰の時を送ってね…、そんな風に(シャイな小生なので、口に出しては言わないが)静かに語りかける。
 で、また、部屋の中、特に壊れた電化製品の入った箱などで山になっている何処かの隅っこに安住の地を見つけてくれと祈る。当然ながら、掃除機だって、表面を出来る限り当たり障りのないように、やんわりと滑らせるように気遣う。
(蜘蛛さんとの交流については、「我が友は蜘蛛!」を参照のこと。書いた日付を見ると、3年前の10月だ。ただ、読んでみると、「去年もいた奴だ!」とあるから、蜘蛛が居住し始めて今年でまる四年となる計算だ。
 えっ? 四年前に姿を現した蜘蛛と今年も一回だけ見かけた蜘蛛が同じ奴だと何故、分かるかって?
 勘です!
 ところで、ご丁寧にも、小生には、季語随筆で「夏の蜘蛛」があるが、その中に「「我が友は蜘蛛!」後日談」を収めているので、暇の徒然に、もっと暇だ! という度し難い感じを味わいたい奇特な方は読んでいただけると、小生としても幸甚に存ずるわけである。)
 
 さて、肝心の冬の蛾はどうしたものだろう。部屋の中は、電気ストーブがあるので、蛾にとってはぬくぬくして我が世の春の蛾だと思っているやもしれない。
 こちらが大人しくて追い出さないのをいいことに、蜘蛛同様、我が家に居座るってことも十分、ありえる。下手すると、既に身篭っていて、来春には無数の子が生まれたりして、小生が立ち退きを迫られる恐れだって皆無じゃない!
 あれこれくだくだと書いてきたが、少しは学術的な情報も書いておかないと、バカにされそうな雲行き。ネットで「夜の訪問者」という頁を見つけた。
 ホームページは、「~NANTEI~南亭骨鯛~KOTTAI~ の 萬(よろず)研究所」である。

 その頁の[INTRODUCTION]には、「仕事が忙しくなり、休みが少なくなりなかなかフィールドに出ることも出来なくなってきた今日この頃。今日も残業で夜遅く帰宅すると、玄関の明かりには蛾がぱたぱた。それにしても蛾って段違いに種類多いよなあ。家の玄関には何種類ぐらいくるのだろう・・・ということが気になりだし、デジカメという強力な味方を得て、ここに玄関の明かりに来る蛾の調査を開始することにしました。転んでもただで起きないナチュラリスト志願者魂ここに在り!(って力むほどのことではない・・・)」とある(改行を小生の都合で変えました。サイト主さん、申し訳ないです)。
 今、壁面にへばりついて憩っている蛾は、一体、どういう種類の蛾なのか。
 なんとなく、「前翅の端がとんがった感じ」や色合いからして、「もんおびおえだしゃく」のような気がするのだが。
 何しろ、日に焼けてか、それともアウトドアで過ごして精悍な外見を呈しているので、確たることは素人たる小生には言えないのがもどかしい。
(これまた余談だが、最初、ネット検索で「夜の訪問者」という題名を目にした時、小生はドキッとした。実は、小生には同名のタイトルの掌編があるのだ。その訪問の主というのは、まさに今日の題材に浅からぬ縁のある…。)

「冬の蛾」については、画像がそこそこに見つかる。「自然輝き小田原日記04-12-17-01 冬の蛾」など。

 あ! 今、例の蛾の奴を見たら、さっきとは向きが変わっている。よく見ると、肢が動いている。小生が奴を話題の俎上に乗せていると気付いたのだろうか。
 大丈夫だよ、悪い噂を立ててやしないからね。

MIYAZAKI moth(CGI) 宮崎の蛾」というサイトの「今月の蛾 modified on 02 Dec 09」なる頁を覗くと、これまた、蛾の雄姿の数々を拝める。どうやら、蛾は一年を通して見ることが可能なようだ。ただ、冬に見かけることは比較的少ないようだけど。
 蝶々に比べ、どこか影が薄いというか、どちらかというと嫌われモノの蛾だけど、蛾と蝶々がそんなに違うわけでもない。見掛けが華やかかどうかが主な外見上の違いだが、それも種類による。
 蛾と蝶の違いに拘るのは、もしかして日本だけの現象ではないのだろうか(未確認)。
 冬の蛾、稀な存在なのだし(冬に餌を捜し求める動物たちには貴重な栄養源だし)、見かけた際には、寒い中、頑張ってるね、どう、私の部屋で休んでいかない、なんて声をかけてみたら、どうだろう。
 蝶にも蛾にも優しく、ということで、共に大切にしようという意味合いも込めて、昔、有名なギャグで「蛾蝶ーん」が流行ったのではなかろうか、なんて。

 これでお終いにしようと思いつつも、しつこくネット検索していたら、「うちかけを被て冬の蛾は飛べませぬ」という句を見つけた。ユニークな句を作られる「至遊さんの俳句をどうぞ」の中の、「三橋鷹女論 (三)」という頁にて。
「うちかけは売れなかったのか、それともどうしても売りたくなかったのか、でもそのうちかけだけではどうにもならないことを知っている。もしかするとこれがうちかけを売る決意をした瞬間だったのかも知れない。これを契機に自分は飛ぶんだと言わんばかりの決意である。」という評釈が付せられている。
 粋な心意気を読み取れる句のようだ。

 探せば見つかるもので、「冬の蛾の窓を叩きし良寛忌    等」があるし、俳句ではないが、「フユシャクと呼ばれる蛾の仲間がいる。
真冬にも姿を見ることができる。何も好きこのんで,この寒い中,出でてこなくてもいいのにと思うのだが,虫の姿が少ない時期に出会うととても嬉しいものだ
」と、同好の士のサイトに遭遇したりする。

冬の蛾や友を求めて迷いしか
冬の蛾の悠々として壁を這う
冬の蛾やもし蝶だったら御免なさい
冬の蛾や訪れしは蜘蛛か我か
冬の蛾や冬の蚊の座を狙うのか

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コメント

今晩は~ジッとしている虫たち。
見ると結構いますね~~
まるで自分も同類みたい。笑

 冬の蛾や水滴含むガラス窓

TBありがとうございました♪

投稿: ちゃり | 2005/12/12 20:55

ちゃりさん、題材(書くテーマ)を戴いたので、黙っているわけにはいかず、TBさせてもらいました。
あちこちから、書くネタを探しているのです。

画像の主の蛾、今もじーと壁に張り付いています。明日の朝まで居座っているのだろうか。

>冬の蛾や水滴含むガラス窓     (ち)

冬の蛾や壁紙付くは餌のため?    (や)

投稿: やいっち | 2005/12/13 02:07

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