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2005/12/25

鎌鼬(かまいたち)と真空と

季題【季語】紹介 【12月の季題(季語)一例】」を眺めていたら、今日はなぜか、表題にある「鎌鼬(かまいたち)」なる季語に惹かれた。
 子供の頃、意味もなく、わけも分からず、「かまいたち」という言葉を使っていた。誰かが聞き込んできたのだろう、その言葉は正体の知れない妖怪か何かの仕業を指すということで、原っぱなどで野球をしていて、別に何かにぶつかったとか擦ったというわけではないのに、切り傷のような怪我を負った時、「かまいたち」のせいだ、ということになった。

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← 雪の長岡にて。帰省の列車が架線事故で動かず、長岡からバスでの代行輸送となり、バスに乗り込んだのだった。向かうは直江津。そこから再び列車に乗り込んで、一路、富山へ。思えば昔は長岡乗換えが常だった。久しぶりに長岡で蕎麦を食べることが出来たのも、トラブルのお陰かもしれない。雪の中のバスの旅が風情があって楽しかった。村上春樹の『海辺のカフカ』を手に、ほとんど寝てすごしたけど…。

 野球とか缶蹴りなどをしている本人は夢中なので、いつどういった訳があって傷を負ったのか分からない。そんなとき、それは「かまいたち」のせいだと言って、騒いでみたりする。その騒ぎがまた楽しかったような。
 もしかしたら、水木しげる辺りの漫画か何かから仕入れた言葉だったのかもしれない。

「かまいたち」は、「鎌鼬」と表記することもあれば、「窮奇」と表記することもあることを、今回、ネット検索していて初めて気がついた。
 俳句の季語では、「鎌鼬(かまいたち)」という表記が使われることが多いようだ。
俳句歳時記 宝石」の「季語集・冬」では、「鎌風」という異名があり、「突然皮膚が裂けて刃物で切ったような傷ができること」と説明されている。
 ホームページが見当たらなかったが、「サンデー山口」の「札の辻・21 No.159 (2003年2月16日)」の中では、「冷たい寒風が手足に触れると皮フが裂け出血する。昔はイタチに似た妖獣の仕業とした。あかぎれとも。季は冬。」と説明されている。
 そうだった。「鼬(いたち)に似た妖獣の仕業」と言われていたのを思い出した。漫画でも幾度となく見たような。

「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 窮奇(かまいたち、きゅうき)」がまさに「鎌鼬(かまいたち)」のことであるらしい。
 ここでは、「妖怪の一種。つむじ風にのって現れ鎌のような両手の爪で、人に切りつける。鋭い傷を受けるが、痛みはない」と説明されている。
 さらには、「窮奇(かまいたち、鎌鼬とも書く)は、甲信越地方に多く伝えられる魔風の怪。「構え太刀」のなまりであると考えられるが、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』「陰」の「窮奇」に見られるように、転じてイタチの妖怪として描かれ、今日に定着している。」とも。
 漢字は当て字だろうと思ったが、なるほど、「構え太刀」から由来しているのか。

「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 窮奇(かまいたち、きゅうき)」での説明にあるように、原因不明の鋭い切り傷を昔はカマイタチのせいにしていたが、「実際には皮膚はかなり丈夫な組織であり、引き裂けるほどの圧力は旋毛風によっては生じず、またカマイタチの発生する状況で人間の皮膚以外に「物」が切られているような事象も報告されていないなどの理由から、現在では機械的な要因によるものではなく、皮膚表面が気化熱によって急激に冷やされるために組織が変性して裂けてしまうといったような、生理学的現象であると考えられている。」という。
 冬など、昔は、外で遊ぶ子供や水仕事に携わることの多い女性などは、「ひび」「あかぎれ」「しもやけ」を経験することが多かったが、確かに空気が乾燥している、冷たい水に触れる、寒風に晒されるなどの原因は考えられるものの、同時に、「栄養失調、血行不良、ストレス」といった要因も深く関わっているらしい。
 今は栄養が足りているし、軟膏を塗って皮膚の乾きを避ける人も多いから、昔ほどにはひどいあかぎれに苦しむ人を見ることはないような気がする。

 同上のサイトに、「窮奇(きゅうき、Qióng-jī)は、中国の神話に登場する怪物の一つ。四凶の一つとされる」として、「窮奇(きゅうき)」を「かまいたち」と読ませることもあるようだが、やはり、実際には、「百鬼図譜「画図百鬼夜行陰之巻」かまいたち」の中の説明に見られるように、「かまいたちの ことを窮奇と当てることもあるのですが、窮奇は中国の「左伝」や 「山海経」にみられる妖怪です。はりねずみの毛をもち、手足の鈎爪で 人を殺す妖怪で、鎌鼬よりはずいぶん凶暴なようです。あまり同じ妖怪には みえないのですが、どのような経緯で「窮奇」=「かまいたち」に なったのでしょうか? 」ということで、「鎌鼬(かまいたち)」と「窮奇(きゅうき)」は別物のようである。

 それにしても、「窮奇(きゅうき)」は論外としても、「鎌鼬(かまいたち)」どころか、「鎌」も「鼬」も見たことのない人が今や増えているような気もする。小生も、さすがに「鎌」は見たことも使ったこともあるが、「鼬」となるとテレビ以外では見たことがない(はずである)。

 ネット検索していたら、「ウィキテリアス ~世界の回答~ - 鎌鼬-鎌鼬-Wikiterious」なる頁を見つけた。時代小説との関わりで「鎌鼬」がどのように扱われているかが書かれていて、一読すると面白い。
 文中、「カマイタチ とは小規模な旋風が吹き起ったとき、空中の一部に真空が生じ、そこへ行きあたった人のヒフが 裂ける現象であると解釈されている」云々という説明があった。
 この一文を読んで、子供の頃、カマイタチというと、「小規模な旋風が吹き起ったとき、空中の一部に真空が生じ、そこへ行きあたった人のヒフが 裂ける現象である」といった説明が実しやかに誰かがしていたのを思い出した。
 つむじ風が突然発生し、「空中の一部に真空が生じ」る…、なんてことが実際にありえることだと、素直に素朴に信じ込まされてしまったのである。
 しかし、自然は真空を嫌うという言葉があるように、そんなに簡単に大気中に真空など生じるはずもないのである。

 この「自然は真空を嫌う」という有名な言葉は、アリストテレスの言葉だとされている。彼は空間には必ず何かしらが充満しているのであって、自然は真空状態を嫌うのだと考えていた。
 対立する立場としては、デモクリトスがいる。デモクリトスによると、万物の根源である粒子アトム(atom)を想定していて、そのアトムが動き回るには、空虚な場が必要不可欠だったわけである。
 哲学はともかくとして、科学では真空というと、トリチェリを思い出される方もいるに違いない。トリチェリの真空なんて科学にも疎い小生も何処かで聞いたことがあるような。
 ここでは深入りしないが、代わりに「エヴァンジェリスタ・トリチェリ (1608-1647)  学術的講義」を参照願いたい。
 近代になって、ようやくにして「真空」が作り出されたわけだ。
 このような技術と工夫を重ねないと「真空」など現実の空間には創出できないわけである。ちょっとやそっとで、それこそ妖怪が魔力を持っていたとしても、真空など生じさせることなどできるはずもないのだ。
 
 真空が作り出された、と書いているが、20世紀に入ってからは、その真空も、一筋縄ではいかないことが分かっている。煮えたぎる真空というイメージさえ、科学の啓蒙書を読むと抱かされてしまうが、この話題はまた別の機会に触れることにしたい。
 いずれにしても、「真空」の問題は、今に至るも探求の途上にあると理解していいようである。形を変えてだが、デモクリトスとアリストテレスとの対立は今も続いているわけである。
(関連する記事として、拙稿「『エレガントな宇宙』雑感」などを参照。)

 と、ここで終わっては季語随筆を銘打っている意味がない。
 ネット検索したら、「 『増殖する俳句歳時記』検索 鎌鼬」にて、「馬売りて墓地抜けし夜の鎌鼬    千保霞舟」なる句を見つけた。
 ここでも「要するに、何かのはずみで空気中に真空状態ができ、そこに皮膚が触れると切れてしまうらしいのだ。当然ながら、昔の人はこれを妖怪変化の仕業と考えた」といった説明が施されているが、上記したように、そんな簡単に空気中に真空状態など発生しないことなどなど、縷々書いたとおりである。
 それはそれとして、「なにせ藁の上から育て上げた愛馬を他人に売り渡し、後ろめたくも寂しい思いで通りかかったのが夜の墓地とくれば、何か出てこないほうがおかしい。……と、びくついているところに、急に臑のあたりに痛みが走ったのだろう。「わっ、出たっ」というわけだ。実際に怪我をしたのかどうかはわからないけれど、咄嗟に「鎌鼬」だと(信じてしまったと)詠んだところに、この句の可笑しいような気の毒なような味がよく出ている。」という鑑賞は、さすがだし、味わい深い。

 ネット上では、「ようこそ秋桜歳時記へ」の中の「秋桜歳時記・季語・冬」なる頁の中に、「心急くまゝにまろびて鎌鼬     長谷川蕗女」や「お隣の瓦飛びくる鎌鼬    佐藤重子」などを見出す。

 ネット検索も、そろそろ疲れた頃になって、「風の妖怪-カマイタチ・一目連・風の三郎-(三浦佑之)」なる頁を見つけてしまった。
 三浦佑之氏というと、『口語訳古事記 完全版』(文藝春秋)の著者のことだろうか。
(小生には、拙稿「三浦 佑之著『古事記講義』」がある。)
 このサイトでは、構太刀という別名についてなど、さすがという記述に接することができる。こうしたサイトに遭遇することもネット検索の醍醐味だと、自らを慰めておく。
 この頁のホームは、「神話と昔話-三浦佑之宣伝板-」のようだ。以前も、紹介したけれど。


鎌鼬忘れしはずの傷疼く

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コメント

携帯で更新されているのでしょうか?

カマイタチですが、私が昔読んだ冬山の本にも良く出てきました。黒部の大雪崩の事です。ダム開発中の作業員の首が一瞬で吹っ飛んだというものです。確かにホウという新雪雪崩で多くの犠牲者が出ています。

また、部分的に凄まじい爆風が吹く事は予想されるのですが、如何も真空による災害と言う事で眉唾物と考えます。其れもトンネル内ではなくて対岸にある飯場と言うような記述であったと思いました。

どうも人を恐怖に落としいれようとする小ざかしいものを多く感じるのがこれらのお話です。平野部とはいえ屋根雪崩などにはくれぐれも御注意を!

投稿: pfaelzerwein | 2005/12/25 17:29

pfaelzerwein さん、こんにちは。
「ホウ雪崩」のことは登山が趣味ではない小生も聞いたことがあるような(父が昔、登山好きだった)。
でも、黒部の大雪崩の際にカマイタチが発生すると言われているとは、初耳:
 http://katsuno.cside.com/ski/avalanche.htm

遊んでいる最中などでのカマイタチもそうだけど、強風で小石か何かが飛んできて、乾いた空気で乾燥している、栄養の足りない手などを簡単に傷つけることはあるのでしょうし、雪崩の際、何か鋭利な金属片か木片などが、猛烈な雪の勢いもあって運悪く首を切ってしまうことは、あるのでしょうが…。

我が家に来て、今日、早速、雪掻きとか、屋根の雨樋に溜まっている松葉を手で浚って掃除する、なんて作業を行いました。冬になると、とにかくやる仕事が増えるのです。
屋根から雪が落ちるのは、しばしばなので、家の出入りは用心が肝要です。

あ、更新はパソコンです。一台のパソコンを帰省・帰京の度に持ち運んでいるのです。重い!

投稿: やいっち | 2005/12/26 01:33

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