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2005/12/03

枯木立からケルト音楽を想う

 都内では紅葉の季節も終わりに近づきつつある。春には桜並木として桜の花びらを散らした木々は、四月に入り五月となると、桜吹雪など何処の国の話とばかりに葉桜となる。
 淡いピンクの花びらをそれこそ初夏の風に吹き飛ばしてしまう。どことなく水浴びした犬が体を思いっきりブルブル震えさせて水滴を跳ね飛ばしてしまうような風でもある。
 そうして、ああ、ちゃらちゃらした賑やかしい、いや、喧騒で鬱陶しい時期が終わってせいせいしたとばかりに濃い緑の葉っぱに覆われて、今こそ我が世の春なのだとばかりに光をタップリ撥ね、あるいは葉に吸収し滋養に変え、わが身を豊かで揺るぎない存在に変貌させる。
 葉っぱを全身に纏った葉桜は、夜などに風に揺られているさまを見ると、ふと、洗い髪を風に任せている湯上りの女を連想したりする。そう、日の光を昼間のうちに存分に飲み干しつくた、宵の口からは水銀灯の光、月の光、星明り、時折のヘッドライト、公園を睥睨するかのように聳え立つマンションからの窓明かりを適宜に浴びて、風と灯火のシャワーを浴びている。
 そんな人生の時の時を過ごして、さて秋も深まり、空気も乾き、冷たくなり、葉っぱは一気に萎れていく。
 不思議なことに、葉桜は赤茶けたような色に変色する直前、葉っぱがこれでもかというほどに巨大化する。
(リンク先にも注記してあるが、俳句の世界では、「葉桜」というのは夏の季語なのであり、別の呼称に「桜若葉」があり「花が散った後の桜の若葉」を意味する。)
 それとも、五月の頃の葉桜の葉が数ヶ月の栄養摂取と消化吸収の歳月を通じて徐々に大きくなっていたことに、葉っぱの変色で気づいたに過ぎないのだろうか。

 葉桜の葉は、枯れると一気に風に身を任せる。桜並木は道路沿いに居並ぶのが通例だから、数知れぬ車が行き過ぎる風圧にも呆気なく吹き千切られてしまう。ドライバーも自分が走らせる車の巻き起こす風が葉桜の葉を容赦なく叩き落していることなど、まるで気に掛けない。
 葉っぱのほうだって、懸命に枝にしがみついていようという気など、これっぽっちもないようだ。もう、葉っぱとしての役目は終えたのだ。今更、何を未練がましく枝に、この世にへばりついている必要があろうか、そんな主張さえしない。
 そんなにいさぎよく葉っぱが散っていったら、残された木や枝や幹は寒かろうに、という思いやりの欠片もない。
 枯木立が残るばかりである。

 ただ、落ちていく。飛んでいく。路上に舞う。舞った葉っぱを車がまた舞い上がらせ、フロントで叩き、ウインドーを滑らせ、大きな葉っぱが次第に引き千切れて粉微塵に砕け、路肩に吹き寄せられる。
 そんな葉っぱの成れの果てたちも、翌朝まで路肩に露命を保つことなど、都会では、まずないと思っていい。
 路上を清掃車が一晩中、走り回っていて、路肩の葉っぱの残骸どもを車窓から投げ捨てられた吸殻、空き缶、コンビニの袋、荷造りのゴム紐の切れっ端などと共に仲良く掃き清められていくからだ。
 雪国なれば、ラッセル車が雪を掻いて走るように、晩秋から初冬は、都会では清掃車の大活躍する時なのである。
 散って踏みにじられた枯れ葉の末路も哀れだが、枯木立も寒々しいと感じるのは、野暮な人間の勝手な思い入れに過ぎないのだろうか。

 空気が乾いているせいなのか、気のせいなのか、それとも師走となって何処となく急かされるような、終わりのときに向かって追いやられているような切迫感を覚えるからなのか、車内で聴く音楽の音に冴えを感じる。
 あるいは今年も不況に終わって、我が生活が一向に埒が明かなかったという、気落ちの念が左右しているのかもしれない。
 昨日の仕事中も、年末で忙しくて音楽どころの騒ぎじゃないはずなのに、やたらと音楽に心が奪われていた。

 マウリツィオ・ポリーニのピアノ演奏でショパンの「夜想曲」を幾つか。演奏がいいからなのか、ショパンの曲がいいからなのか分からないけれど、妙に心に染みた。

 ミーシャ・マイスキー(チェロ)とパーヴェル・ギリロフ(ピアノ)との演奏により、グリンカの曲を幾つか。

 そろそろ寝入るつもりだったのだが、ついついドボルザークの弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 作品51」(パノハ弦楽四重奏団)まで聴いてしまった。ああ、ラジオをオフにしないと、眠りに就けない。困る!
 …と思いつつ、オフにはできず、ベートーベンの「ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 作品7」(ピアノ:アンドラーシュ・シフ)を夢見心地に聴いていたっけ。
 で、眠れないままに、それとも、少しはうつらうつらくらいはしたのだろうか、戦場というか仕事の場である都心へと参入していったのだった。

 そういえば、時間帯がいつだったか覚えていないが、久しぶりにスメタナのモルダウを聴いた。
 モルダウというのは、チェコ人にとっては、日本人にとっての富士山に当たるような、特別な川だという。
 そうした国民にとって銘記すべき音楽ということでは、聞き齧りしかできなかったが、NHKニュースの合間にFMで、シベリウス作曲の「交響詩“フィンランディア”」を数ヶ月ぶりだったろうか、楽しむことが出来た。
 この曲については、ラジオでも曲を流す際には解説が加えられることが多いし、テレビでも時間帯の変わり目に、合間に嵌め込むようにして名曲が流されたりするが、テロップの形で必ず、名曲の案内がされる。
 日本にとっての銘記すべき曲と言うと、何なのだろうか。候補は数々あろうけれど、人気投票を試みても、きっと別れることだろう。独立のための戦争・闘争は経験していない。というか、何十年・何百年という植民地支配を受けた経験がないから、独立をシンボルする曲が生まれようがないということなのだろう。

 音楽つながりで、もう少し。昨夜は、タレント(声優)の森本レオの話を聞くともなく聞いていたら、冒頭で音楽の話をされていた。彼にとっての音楽はアメリカの音楽。関心を抱いた彼は気に入った音楽の源流を辿ってみたら、音階の取り方など、ケルト人の音楽の影響が大きいことに気づいた、という。
ブルースマンのケルト考  陳五郎」を参照させてもらう。こうした頁に遭遇できることも、ネット検索の賜物だろうか。
 仕事を通じて現実感を養い、同時に車中で情報を摂取し、情操を養い、且つ、帰宅してからは得た情報の裏付けを試みたり、さらに広範な歴史・文化・政治・経済などの世界へ目を広げていく…。
(自分でやっていることを贔屓の引き倒ししている…。気恥ずかしい!)
「ケルト文化は文字をもたない文化であった。そして、ケルトの民は国家を持たない民族であった。ヨーロッパのほぼ全域を支配し、ギリシャ、ローマをも震撼させるほどの強大な文明を築きながら、史書にほとんど登場する事がないのはこのためである」という。
 日本も弥生文化が入ってくるまでは、文字を持たない、また、国家を成さない民族だった。文字文化が入ってきて歴史が史書の形で生み成される中で縄文文化や弥生文化の大半は水面下に潜り、あるいは掻き消されていった…。
 上掲したサイト主の方は、やや否定的なようだが、「木」の文化と「石」の文化という対比もある。
 言うまでもなくギリシャ・ローマは、「石」の文化であり(だからこそ、廃墟の形であれ今日に痕跡を残している。埋もれた廃墟が今後、さらに見つかる可能性が大だろう)、ケルト文化は「木」の文化であって、今日、その痕跡を見出すのは困難である。
 ましてケルト文化を抹殺しようという動きは古来よりあったというし。
(ケルト)音楽の歴史については上掲のサイトに詳しいが、より簡明には、「e-MAG(イギリス情報マガジン)    朝日新聞インタナショナル・リミテッド  24/9/2002  Vol.128」が「特集:アイリッシュ・ミュージックのススメ」があっていい。
「アイリッシュ・ミュージックはケルト族の民族音楽で」、「イングランドによる800年という長い支配に対し、ケルト人としての誇り・自覚を音楽を通して主張し高揚した」という。
「アイリッシュ・ミュージックを世界的に広めたのは移民達だ。13世紀にはイングランドへ、18世紀にはアメリカ・カナダ等へ、生きる為に渡って行ったケルト人は自分達の音楽を捨てなかった。やがてアイリッシュ・ミュージックが時代を経、ロック、カントリー、ポップス、ブルースへとつながっていく」というのだ。
 レノン・アンド・マッカートニー、「蛍の光」(原曲:「オールド・ラング・サイン」)、ダニー・ボーイ…。
(「蛍の光」については、小生に「蛍の光 窓の雪 そして富山の雪」というエッセイがある。)

So-net blogsinguitar.blogダニーボーイ」の中に、「エンヤの故郷であるアイルランド北西部のドニゴール地方は、ケルトの古代からの伝統文化が他民族の征服を逃れて今も受け継がれている土地です」という記述を見つけた。
ケルト音楽-エンヤ特集-CD通販カルタコム」なるサイトを覗くと、「アルバム ケルツ ~エンヤ」という項があって、「特に1曲目「ケルツ」はとびっきりセンスのいいケルト・サウンドです。このアルバムより以前の録音としては、「クラナド」(エンヤの姉モイヤたちと結成したケルト・バンド)に参加した時期があり、アルバム「フアム」(国内盤廃盤)初々しい歌声が聴けます」という記述を見出す。
 小生の大好きなエンヤがケルト・サウンドだったと、今にして知る小生なのだった。

 ふと思い出したことがある。上で昨日の午後、ショパンの夜想曲を聴いたと書いている。
 多分、ラジオでの解説の中でだったと思うけれど、フレデリック・ショパンが夜想曲を書くきっかけを作った存在として、ジョン・フィールドの(『ノクターン』の)名が挙げられていたような。
 で、ネット検索で「天界の音楽(フィールド-夜想曲集)」なるサイトを見つけた。
 フィールドは、アイルランドの作曲家ジョン・フィールド(1782-1837)だとか。もしかして、ケルト系? 
 ただし、これは未確認である。
 そういえば、昨日聴いたグリンカもショパン同様、ジョン・フィールドの影響を受けているとか。

 ケルトの音楽は素人っぽく纏めると、とにかく親しみやすさ、分かりやすさが特徴のような気がする。ビートルズも、基本的には徹底して通俗的で庶民的な音楽なのだろう。

 音楽三昧。ラジオならではの楽しみ。絵画三昧と行きたいが、時折、絵画の話題も出るが、音楽のように曲を流してその雰囲気に浸るというわけにはいかない。話から絵の世界を創造するといっても、素敵な夕焼けの絵です、と言われても、絵のタッチが、違えばまるで描かれる世界が異なってくるわけで、想像を逞しくしようにも、どうにもならない。ヌードを想像するのとは訳が違う?!

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コメント

枯 木 立 今 日 は 心 を 干 し て み る

朝からコメントありがとうございました。今日のニセコは快晴、初ダイアモンドダストです。

投稿: yoda | 2005/12/04 08:25

yodaさん、こんにちは。
初ダイヤモンドダストだとか。テレビなどではともかく、実際には見たことがない。ニセコの地で見たら感激も一入なのだろうと思います。

ワンちゃんの悲報が続いているとか。ワンちゃんたちにも越冬は厳しいものなのでしょうか。


 枯木立犬なき我が家映しけり

投稿: やいっち | 2005/12/04 12:52

またも ポイントずれの感想を。

葉桜の葉の道路での 行く末について
書かれたあたり、弥一さんの 観察眼と表現力の冴えを感じました。
(生意気な発言、失礼します)

テーマに沿って書いておられるところを読むのが お勉強になって良いとは知りつつ
なんだか そっちにばかり目がいくのでした。

落ち葉がどこに行ってしまうのか なんて
考えもしないで 見てる人 多いと思う。
12月らしい 一文だと思いました。
師走だなぁ・・・・(^_^;)

投稿: なずな | 2005/12/04 16:40

なずなさん、体調回復、大和クンもつつがないようで、何よりです。

路上の落ち葉。都心の場合(といっても、メインの道路の話、裏通りは別)清掃車が集め運び去る。
何処へ?

その点はまだ調べていない。枯れ葉って、場合によっては立派な資源になるし、堆肥になる可能性もある。
田舎だったら、落ち葉が朽ち葉になり、土壌を豊かにするのだろうけれど、アスファルトで凝り固められた都心では夢物語。
水を通す舗装が最近、施されるようになったけど、将来は落ち葉を朽ちさせ舗装の下の地味を豊かにする舗装を考えて欲しいね。

ちなみに、東京都の清掃車のシンボルマークは、イチョウの葉っぱをデザイン化したものです。

投稿: やいっち | 2005/12/04 21:14

ホームページのほうに、文中で引用させてもらった「ブルースマンのケルト考  陳五郎」のサイト主さんからの書き込みを戴いた。この雑文を書いている最中は、必要最低限の情報しか摂取できない憾みがあるのだが、今日、ゆっくりサイト巡りをさせてもらった。
陳五郎さんのメッセージはホームページの掲示板への書き込みで、「12369」である。

ここに小生のレスも「12372」「12374」とさせてもらった。

投稿: やいっち | 2006/03/06 11:21

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