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2005/12/04

「ケルト文化」補筆

 訂正乃至注釈を加えておくべきことがある。
 前日の季語随筆「枯木立からケルト音楽を想う」の中で、小生は、「木」の文化とギリシャ・ローマ文明(それらを源流とするヨーロッパの文明)が文字があり従って記録(文書)があるという点で「石」の文化であり、片や文字を持たないという意味で「ケルト文化は「木」の文化であって、今日、その痕跡を見出すのは困難である」などと書いている。
 参照した「ブルースマンのケルト考  陳五郎」なるサイトでは、ちゃんと以下のようにして異を唱えているというのに:

朽ちた文明、あるいは腐食する文明。研究者は、故にケルト文化を「木」の文化と定義づけようとする。石造りの巨大な建築物や、神々や人物像等さまざまなものを現在に残すギリシャ、ローマを「石」の文化と位置づけ、これと対比させるようにして。最初この説にであった時はなるほど巧く言い表すなと感心したが、だんだん「木の文化ケルト」という表現が的はずれなもののように感じられてきた。いまや定説となったこのたとえが、果たして言いえて妙なのかどうか。

 小生は、時間の制約もあってケルト文化に関する情報をネットから見つけられなかったので、少々、引きずる面はありつつも、気になっていた。
 その日の夕方、図書館へ行った。その際、ケルト関連の書籍を物色。中に出色の本があった。それは、『松本清張のケルト紀行 (フォト・ドキュメント歴史の旅人) 』(松本 清張/佐原 真著、NHK出版編、飯田 隆夫写真、日本放送出版協会)である。
「内容説明」には、「スコットランド北端の島から南仏カルナックに到るまでの、ヨーロッパに散在する巨石記念物と、巨石聖徒ケルトの文化をたどる苛酷な取材の日々の中で、旺盛な好奇心に満ちた巨匠・松本清張の素顔を追う」とある。
 どちらもすでに故人である松本 清張/佐原 真の両氏は、共に小生の好きな書き手(作家あるいは学者)で、こんな本があったことに今頃、気づくとは情けなく感じたものだった。
 本書には、ケルトに関連する遺跡の数々が、豊富な写真で示されている。まさに紀行文なのだ。
 今世紀に入ってからもケルト関連の遺跡・遺物が相当数、発見されているらしい。
 その遺跡が、石作りのものが多いのである。石の遺跡の数々を次々と見せられて、小生、自分の記述の浅薄さと迂闊さが指弾されるようで、気恥ずかしく感じられていた。
 念のために断っておくが、「ケルト人がイングランドに流入してきたのは紀元前5世紀頃と見られている」のであり、有名な巨石遺跡であるストーンヘンジは、彼らの流入以前からあったものである。

 ネット検索してみると、「THE Celts 幻の民 ケルト人」と題されたDVDが今年の七月に発売されたばかり、という情報を見つけた。
 以下のような紹介文が載っている(太字表示は小生による。ただし、元のサイトでは全文が太字のようなものなのだ):

「The Celts」は、1986年にBBCスコットランド、ウェールズ、北アイルランドによって制作され、世界的なケルトブームのさきがけとなったドキュメンタリー。日本でも1989年にNHK教育テレビで放送された。音楽はエンヤ。この番組のために書き下ろした楽曲は、彼女のソロ・デビューアルバム「The Celts」となった。アルバム未収録の13曲を含む全33曲が、このドキュメンタリーに収録されている。

「日本でも1989年にNHK教育テレビで放送された」というが、その頃は、仕事が忙しく帰宅は夜半に及ぶ日々が続いていたから、再放送を含め、見ていないはずである(曖昧)。

 このDVDには、「BBCで放送されたエンヤのインタビュー2本を含む」とか「映画「ガイアシンフォニー 第一番」でエンヤと共演した鶴岡真弓の解説文を封入」等々とある。

 せっかくなので、鶴岡真弓氏のケルトについての一文をネットで見つけてみた。「ユーラシアの美術交流」(シンポジウム◎東西文化交流と比較神話  ケルトから視る  鶴岡真弓・立命館大学文学部教授)

(予断だが、「鶴岡真弓」でネット検索すると、「女優 司会者・MC」の鶴岡真弓さんが冒頭に別枠でに登場する。おお、こんな若くて綺麗な女優さんが解説する…。ナレーターの間違いでは、などと思ったものだった。)

ユーラシアの美術交流」なる頁の末尾に鶴岡真弓氏の経歴や著書などが紹介されているが、どこかで名前を目にしたことがあったはずと思ったら、本は読んでいないが、本を手にしてパラパラと捲ったことは何度もあったのだった。
 この講演の中で鶴岡真弓氏は、ケルト文化について以下のように簡潔に纏められている:

 

「ケルト」というのは、いくつかの見方がありますが、皆さんが一番よくご存じなのは、地中海のギリシャ・ローマ文明に対するアルプス以北の北方文明であるというのが一つあります。
 二つ目は、キリスト教が入って来てからの中世ヨーロッパの世界観から見ると、キリスト教の世界に対立する異教的な伝統文化を持っている文化文明であるということです。
 三つ目は、近世・近代になりますと、イギリスやフランスという近代的な社会をつくり上げていった「中心」に対して、非常におくれた周縁の地域であるということです。
 しかし、これはさっき言った繭玉の中の三つの定義にすぎません。きょうはその繭玉からはじけて、「ケルト」文明の四つ目の側面として、ユーロアジアつまりユーラシア大陸の中で一八世紀末から一九世紀、二〇世紀と展開してきたインド・ヨーロッパ比較言語学の体系の中の最も極西の部分に、その言語体系の一員である人たちが形づくった文化としてのケルトという位置から見ていきたいわけです。さっき吉田先生が引用されたトゥアハデダナンなどの神話はゲール語(ケルト語)で書かれたもので、インド・ヨーロッパの言語の体系からすると一番西にあり、そしてインドやイランやヨーロッパ諸語と親戚関係にあるわけです。インド・ヨーロッパ世界の一番極西部をしっかりと保っている文化であるという側面です。

 その上で、この講演では、五つ目として「インド・ヨーロッパ比較言語学が想定した範囲は西ヨーロッパからインドまでですが、ユーラシア大陸はその範囲を超えてインドより東にもうちょっとあり、中国が代表としてありますね。インド・ヨーロッパの範囲より東方にかかわって参照できるケルト、つまりユーラシア大陸の極西から極東までの文明の関係、交流というものの一端を担う文化」という側面があり、この点を語るのだという。
 つまり、「五つ目の問題は、一八世紀末から一九世紀の前半期に、スカンジナビアやロシア、ドイツ、英国など、主にヨーロッパ北方の研究者たちが、アニマル・スタイル、動物様式ないし動物文様、動物意匠を研究して、今言った五番目の世界像の中にケルトを入れ込んでいく、そういう研究をしてきました」という鶴岡真弓氏の研究に関わるわけである。
 動物文様・動物意匠について、「動物と文字が組み合わされたり、鳥の文様などたくさんの動物系文様が表されました。動物の足であるとか、あるいはくねらせた体躯であるとか、くちばしだとか、アーモンド型の目であるとか――関節のところを強調した渦巻、非常にデモーニッシュな湾曲の体躯、写実を超えた鋭い湾曲のくちばし、ドロップ型の目――そういうものがキリスト教の図像の影に隠れて、異教時代のケルティックなものがディテールにでてきます。そういうものは全部歴史的に異教時代のケルト美術にありました」という記述が見つかる。
「キリスト教の信者たちにとっては非常に重要なキリスト像のページのアーチのところにも、キリスト教が禁じた怪獣、ヘビ様やドラゴン様の動物が描かれています。描かれたのは八〇〇年で、キリスト教が入ってきて四〇〇年もたったときです」という。
「これは一体何なのか。動物文様や動物イメージに対する非常に強い何かがあるはずだということなんです」。この非常に強い何か、の中にケルト文化の特色=ケルト文様を読み取るわけである。
 ただし、ケルト文様に特徴的に示される文化は、「古代において「アニマル・スタイル」の要素や、「動物」を重要な表象として共有する集団的心性というものが、速度をもってユーラシアのある部分を横断していたということは、ロストフセフたちの研究で明らかになった」と講演を締めくくられている。
 ケルト文化は、決して単独に孤立してあったわけではなく、この文化もまた東西交流の上に咲いた文化である。ただ、さまざまな文化潮流の交わるところでは渦を巻き、逆巻き、しかもその渦は地域によって独特の形を持し、しかも持続する。ケルトが周縁の文化であるというのも、そうした地域でなければ、中心の文化である最初はローマ帝国、やがてはキリスト教文化・文明に圧倒され紀元前後には消滅の憂き目に遭うのが運命だったはずなのだろう。
 ヨーロッパ大陸では魔女狩りの横行した中世で残っていた異教文化は根底から抹殺されていった。黒く妖しい森は刈り込まれてしまったわけである。それでも、何かしら消えずに残るものが、僅かな古文書と記憶の中に残り、語り伝えられてきたのだろう。
 近年、ケルトの遺跡の発掘が目覚しいのも、キリスト教という重石が一部でやや軽くなった面もあるのかもしれない。

 周縁の地…というと、日本列島など、その典型の一つなのであろう。特に縄文文化などその最たるもので、縄文式土器の文様や妖しい土偶など、日本的なケルトに相当するのではと思われる。
 が、これはまた、別の話ということに。

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コメント

はじめまして。alpheccaといいます。
TBどうもありがとうございます。こちらからもTBさせていただきました。

ケルトに関する記事を興味深く読ませていただきました。
わたしはエンヤの「The Celts」を聞いて、「ケルト」の存在を認識したわけですが、国見さんのおっしゃるように、わたしもケルトの中に縄文を、縄文の中にケルトを感じたものでした。

投稿: alphecca | 2005/12/04 19:48

alphecca さん、はじめまして。
ネット検索して貴サイトを見つけました。
縄文文化とケルト文化。等質ではないとしても、位置付けとしては等価な面もあると思われますね。

小生の場合、ケルト文化を調べていて、小生の好きなエンヤの出自や背景にケルト文化があることを認識したのでした。
ケルト文化が見直されるように、縄文文化も日本では戦後、梅原猛氏や岡本太郎氏、そして宗 左近氏ら、当然、有名無名の研究者たちの努力と喧伝のお陰で見直されてきたのでした。
これからも、一層、評価が高まるものと思っています。

投稿: やいっち | 2005/12/04 21:21


牧神 (志治美世子)

2005-12-10 22:10:53

やいっちさんのブログは素敵に苧人気ですね!
ちなみに牧神の午後で歴史的に有名なのはニジンスキーですが、現在の私たちが見ることはかないません。
で、しることが可能な限りの牧神でベストなダンサーは、シャルル・ジュドだと思います。
ジュドは直接見たものはアポロと白鳥の湖でしたが、やはり牧神が最高です。ジュドの牧神なら、ビデオで入手可能ですよ。

投稿: 志治美世子 | 2005/12/12 00:14

志治美世子さん、こんにちは。
「やいっちさんのブログは素敵に苧人気ですね」って、その「苧人気」が分からない。
レス、こちらにもくれたのですね。申し訳ないです。
サンバのダンスや演奏はパレードで実際に見聞きして、その迫力を感じたのです。
パレードのビデオは持っているのですが、やはり実地のとは比較にならない。
なので、今日もテレビでちょっとだけダンスを見たけど(イスラエルから来たインバル・ピント・ダンスカンパニー)、やっぱり、舞台のを見ないけりゃって思っているのです:
 http://blog.livedoor.jp/luxa/archives/50145031.html?1129233863


投稿: やいっち | 2005/12/12 01:23

「幻の民・ケルト人」全部見ました。
エンヤの故郷であるアイルランド北西部のドニゴール地方は、
ケルトの古代からの伝統文化が他民族の征服を逃れて今も受け継がれている土地です。
「キリスト教の礼拝」とは言いながらも、純粋なそれではなく、
土着の多神教の神々への祈りもちゃんと行われていました。
また、ケルトの伝承物語の採集者は、
ドニゴール地方で語り部の話を録音して書き取りました。

このDVDの特典を見て初めて分かったことですが、
"Na Laetha Geal M'oige"は、二度と戻れない子供時代の追憶を歌ったもの、
"On Your Shore"は、海辺の墓に眠る祖父母の思い出を歌ったものでした。

投稿: WildChild | 2005/12/20 19:56

WildChild さん、こんにちは。
エンヤについての情報、興味深く読ませていただきました。誕生日にケルト暦を使っているというのは、自らの出自への誇りなのでしょうね(ただ、その誕生日をうっかり引用すると間違いの元になりそうですが)。
エンヤを初めて聴いたのは、十数年前、姉夫妻とのドライブの車中で。えっ、こんな心をゆったりのびやかにさせてくれる音楽があったの?!という衝撃を受けたのは今も記憶に鮮明に残っています。


ドニゴール地方については、このサイトに画像がたっぷり:
 http://ozy.livedoor.biz/archives/14860189.html
「エンヤのお父さんが経営するパブ レオズ・タバン」の画像も載っている。
ネット検索してよかった!

アイルランドへの関心が個人的に再び高まっていて、ジョイスを読み直そうかと思っています。
「幻の民・ケルト人」全部見たとか。テレビでは断片的にしか見ていないので、改めてじっくり見てみたいものです。

投稿: やいっち | 2005/12/21 14:50

エンヤの公式サイトの生年月日(実はケルトの陰暦)を下手に引用しているサイトを見つけて、訂正を依頼した結果、実際に対処して頂いた所があります。
その記録をブログに書きました。
修正済みのページにもリンクしています。

投稿: WildChild | 2006/04/17 18:32

WildChild さん、こんにちは。
一度、書かれた記事について、きちんとフォローされているのですね。大切なことですが、なかなかできないことでもある。日々、次の記事を書くことに懸命になってしまうし。
皆さん、エンヤについての情報は、下記へ:
 http://blog.zaq.ne.jp/wildchild/article/12/
 小生、ケルト文化について調べていく過程でエンヤに再度、出会ったような気がしたものでした。

投稿: やいっち | 2006/04/18 15:30

一般に公式サイトが正しいと思われ勝ちですが、ネットは様々な情報が飛び交うために、中には誤解や演出もあるのです。
そのために、筆者が生で取材した情報の方が信憑性が高いと思うのです。
それによると、エンヤは西暦では1962年生まれ、誕生日はアルバムをリリースしている大体11月頃です。
エンヤが実際に特別なことをするのは必ず秋から冬です。恐らくこの時期がケルトの陰暦の5月に当たるのであろう。
詳しくは私の名前をクリックして見て下さい。

投稿: WildChild | 2006/07/25 20:50

WildChild さん、久しぶりです。
記事、読ませていただきました。
情報、ご指摘、ありがとう!

なかなか内容の濃い記事なので、寝ぼけ眼の今は、すぐには返事しないほうがいいようですね。
時間を置いて、改めてレスします。

投稿: やいっち | 2006/07/26 06:13

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大学時代から、時々エンヤを聴いている。 特別好きだというわけではないのけれど、たまに無性に聴きたくなるときがある。 エンヤの歌はアイルランド語のものもあるし、多くは多重録音で歌詞が聞き取りにくいので、わたしは歌詞の意味は一切無視して、雰囲気だけで聴いている(というか、それがエンヤの楽しみ方だと勝手に思っている) 「Lazy days」は、日本語でいったら「物憂い日々」とでも言うのだろうか。アルバム「a day without rain」の最後の曲だ。 でも、雰囲気からは、Lazyって... [続きを読む]

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