「狩の宿」から「冬の旅」へ?
例によって、「季題【季語】紹介 【12月の季題(季語)一例】」を徒然なるままに眺めている。このうちの二十個ほどの季語は採り上げている。
それでも、相当数、扱っていない季語が残っている。
ふと、表題にある「狩の宿」に目が留まった。
記憶には定評のない小生だが、確か、ついでの折に言及することはあっても、未だ主題としては選んでいないはず…と思ったら、あった!
「仮の宿」(December 10, 2004)
が、よく見たら、「仮の宿」であって、「狩の宿」ではないのだ!
実に紛らわしい。
ただし、実際、その記事の中では、以下のように書いていて、簡単に「狩の宿」という冬12月の季語に触れている:
「仮の宿」は、季語でも何でもない。
ただ、これが「狩の宿」なら、冬、それも12月の季語のようである。文字通り、狩りをするための宿で、昔なら、山間の粗末な(?)小屋だったりしたのだろうが、今なら、旅館かホテルか、とにかく立派な宿舎なのだろう。
いずれにしても、「狩の宿」は、今の我々には馴染みが薄い。あるいは、全くない。
今、マンションやホテルなどの耐震強度偽造(構造計算書偽造)問題に日本が揺れている。数年前の雪印に端を発した食品を扱う業者(問屋・メーカー・流通)の杜撰さが問題なったし、衣食住という根幹に関わる商品を扱う業界(の中の一部)にそうした自覚も責任も担わない、それどころか規制や法律の網をかいくぐって暴利を貪ろうとする連中がいるのだという事実さえ、露見してしまった。
バブルが発生し、やがてバブルが弾けてからの日本は、社会の質やあり方が根底から変化してしまったと言われる。バブルが弾けて十数年になるが、国家も銀行を筆頭とする業界も莫大な縛の赤字(債権)を背負ってしまい、その後処理で、年金は受給を先延ばしされたり、減額されたり、掛け金を増額されたり、税金も(ガソリンの暫定税率の扱いを見ても分かるように)政府はなりふり構わず、取れるものは取る、一旦、既得権として設定した税目は目的を勝手に変更しても、死守する、医療費の患者側の窓口負担も二倍、三倍に上げられてしまう、煙草についても税金が加算されて一箱が倍額になる、強いものが真っ先により強くなり資産を増やさせて(贈与税などの減額など)、強者と弱者の格差が急激に拡大されている(まるでアメリカや中国の真似をしているようだ)、国家の責任者たる首相の目を覆いたくなるような言動が、顰蹙を買うどころか、逆に颯爽としている、毅然としているとでも勘違いされているのか、持て囃されてしまう(つまり、小泉首相の靖国問題での言動は、加害者(国)側の都合、強者の都合優先の言動なのである)、犯罪者への罪責は限度があるが、被害者の被害に際限はないという悲惨な現実が一層、募っていくという社会、しかも、酷薄な現状が悪くなるという怖れは感じても、いつか改善するだろうという希望の光はまるで見えないし、国民に与えるつもりもなさそうだという現実。
徹底して金融優先の社会。倫理とか伝統とか地域社会の繋がりも希薄化し、狭隘なナショナリストの特殊で旧弊な国家優先の伝統が掲げられてしまう現実。
さて小生は、「仮の宿」の中で、以下のように書いている。ちょっと忸怩たる思いがあるが、日本という国の建造物の脆さへの不満があっての一文なのだということで、理解願えたらと思う:
地震が多い国である日本。だから、家やマンションなどが地震に堪える構造になっているか、というと、現実はさにあらずということは、誰もが知っている。過去からの地震に学んできた知恵が多く伝えられてきたはずなのに、マンションも木造の家屋も、少なくとも戦後に建てられたものの多くは、呆気なく壊れてしまう。
日本人は、過去に学べない、よほどの馬鹿なのか。
あるいは、どうせ、地震に限らず、火事や戦乱で焼かれたり壊れたりするのだから、せいぜい、一世代か二世代の居住に耐えたら、それでいい、あとは、立て替えるか、いずれにしても、転居していく。そう、仮初の、当座の住まいに過ぎない…、そんな感覚があるのだろうか。
マンションでさえ、十年はともかく、二十年も経つと中古扱いであり、三十年を経ると、建て替えさえ意識されてくる。老朽化がひどいから? それもあるが、もっと多くは、建物に飽きてしまったからではないかと思われたりする。
イギリスなど、百年以上の家は当たり前という感覚があるという。
日本の一昔前の家だって、火事や戦乱、地震に見舞われない限り、あるいは、地震や台風程度の災害なら、びくともせずに百年という歳月・風雪を耐える、そんな構造だったり、立派な柱がドーンと立っていたりしていたのだ。
いつから、鉄筋コンクリートのマンションさえ、数十年で建て替えが当たり前という感覚に慣れてしまったのか。
さて、話を表題の「狩の宿」に戻そう。
「俳句歳時記宝石箱」の「季語集・冬」、その「狩の宿(かりのやど)」の項によると、「猟師の泊まる宿、東北地方ではまたぎ宿とも呼ばれる」とある。
「狩の宿」は、「狩」の別名で、他に「狩猟(しゅりょう)」、「猟犬(りょうけん)」、「鹿狩(しかがり)」、「狩人(かりゅうど)」、「猟夫(りょうふ)」などの傍題があるようだ。
広義での関連語に、「牡丹鍋(ぼたんなべ)」、「猟解禁(りょうかいきん)」、「猪狩(ししがり)」などがある。
探してみると、「狩の犬(かりのいぬ)」といった語も、類語と看做して良さそうな季語のようだ。
いずれも採り上げてみたくなる語だ。自分で経験するというわけにはなかなかいかないし、まして体験に基づいて句をひねるというわけにはいかないのが、ちょっと残念な季語。
実際、「狩の宿 季語」をキーワードにネット検索しても、検索事例は希少である。
後藤雅夫(ごとう・まさお)氏の句なのだろうか、「ごつた煮の具のいろいろよ狩の宿」という句が見つかった。
さらに検索を繰り返すと、「ジビエ」という季語(?)、あるいは縁語が見つかった。
「ジビエとは、野生の動物を料理のために狩猟すること」とか。
「はてなダイアリー - ジビエとは」によると、「gibier/野禽獣。本来は狩猟された野生の動物を指すが、後の時代に飼育によって得るようになったり半野生であったりするものを含む」などとある。
まあ、フランス料理の一種であり、「ジビエ料理とは、日本流に訳すと「狩猟鳥獣肉料理」と言う事にな」るのだとか(http://www.arequo-reino.co.jp/jibie.html ←消滅したサイトのようだ)。
「仮の宿」、「狩の宿」と来ると、「冬の宿」を語の形から連想する方もいるかもしれない(小生がそうだった)。
学生時代、当時はすでに下火になっていて、それでも学生運動の余燼の燻る中、某左翼政党の学生を纏めた下部組織のメンバーだった人に赤旗新聞を薦められ、この小説が面白いよと紹介されたのが、小説「冬の宿」だった。作者は、阿部 知二。小生は岩波文庫で読んだ記憶がある。
レビューには、「学生である主人公はある家の2階を借りてひと冬をすごすが,いつしかその家族の憂鬱な生活にひきずりこまれてゆく.昭和10年前後の思想弾圧の時代を背景として,貧しさのなかではてしなくつづく夫婦の葛藤と青年たちの暗い青春を描いた阿部知二(1903‐1973)の代表作.知識人の問題を捉えたものとして,その後の文学に重大な影響を及ぼした」とあるが、今では忘れられた作品になってしまったのか。
1938年には(東宝映画で)映画化されたほどに読まれた作品だったというのに。
この本を先輩が小生に薦めたのは、ノンポリの小生に、「社会運動に身を投じるでもなく、傍観者として戦前の不安定な世相に生きる学生が見た下宿先の一家の生活を描く」この小説を読ませることで、組織に加わり、運動の渦中に飛び込ませ、燻るだけの生活から抜け出させてやろう、という狙い(気遣い?)があったのだろうか。
その甲斐もなく、小生は徹底して傍観者に留まってしまった。
ネット検索してみたら、阿部知二の「冬の宿」の一節が引用されているサイトが見つかった。例によって、「文学者掃苔録」の中の「阿部知二」の頁である。
以下、ここに転記させてもらうが、実に味わい深い文章だと思う。古色はあっても、忘れられていい作家とは思えない。
汽車が昼過ぎに東京駅を出て、横浜をすぎ、相模の方までくると、私の眼にぱっと映ったものは春の季節の色だった。この薄曇りさえ、春のやわらかさであった。野には麦が青々と萌え、松の樹々もまだ芽吹かぬまでも、どことなく明るい緑の色調を持って若やいでいた。竹藪にはこまかな光がうるんでいたし、その傍には、白や淡紅色の梅の花が咲き盛ってかがやいていた。曇った空は底の方から、たまらなくやわらかな徴光を発してうるんでいた。光が、空にも、地上にも、しずがに流れながら次第に溢れてこようとしていた。「なあんだ。」と、窓に顔を寄せていた私は呟いた。昨日まで、いや、今が今まで、厳しい、冷たい蒼白な冬の真ん中にちぢこまって生きていたと思ったのに、もう外の世界は暖かな光であふれていたのだ。冷酷な冬は、あの一軒の家にばかり、爪を立てたように居残っていたばかりなのだ。そこから解き放たれたことは事実だ。……それからしばらくして、「おや、不思議だ。」とひりひりするこめかみのみみず脹れを撫でながらつぶやいた。
阿部知二には、「冬の宿」のほかに短編小説『人工庭園』(映画化の際、「女の園」となり、主題歌もこのタイトルである)がある。
阿部知二の長男がかのフランス文学者で美術史家で、且つボードレール研究の世界的権威阿部良雄氏である。もう、何年前になるか分からないが、今は「ちくま学芸文庫」に入っているらしいが、『群衆の中の芸術家』を読んだことがあったっけ。
バルテュスという画家の存在を教えてもらったのも、阿部良雄氏の紹介を通じてだった。
観れば観るほど不思議な世界がそこにある。彼でなければ決して描き得なかった世界だ。
「仮の宿」、「狩の宿」と来ると、「冬の宿」となり、こうなると、「冬の旅」に触れないわけにはいかないが、もう、紙面も尽きた(精根尽きた)ので、これでお終いとさせてもらう。
旅の宿ししなべ突いて狩の宿
あの猪(しし)がこの鍋なのか狩の宿
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コメント
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投稿: やいっち | 2006/03/08 07:47