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2005/12/16

「かんじき」からアイスマンを想う

 昨日の営業中、ラジオにて「かんじき」の話を伺うことが出来た。
「かんじき」という言葉を聴いただけで懐かしくなった。
 そうはいっても、小生自身は使ったことがあるわけではない。藁沓(わらぐつ)だったら、幼い頃に履いたことがあったような微かな記憶があるけれど。

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← お台場フジテレビ前で…。

「かんじき」は、「雪起し、雪、雪見、雪掻、雪卸、雪踏、雪まろげ、 雪合戦、雪礫、雪達磨、竹馬、スキー、雪車、雪沓、しまき、凍死、雪眼、雪女郎、雪折、雪晴、 氷…」といった一連の雪や氷関係の季語の仲間で、冬一月の季語のようだけど、せっかくラジオで話題に触れたばかりだし、この数日、襲来している寒波の凄さは一月下旬に来るはずの本格的なものだということもあり、敢えて簡単に触れておきたい。

 今となっては、「かんじき」と言っても、ピンと来ない人も多くなっているかもしれない。まずは、その画像を見ておきたい。
恵比須の郷」の「かんじき(和かんじき)くらべ」なる頁を覗くと、秋田、新潟、長野、岐阜、山形、北海道、富山などの「かんじき」の画像を見ることが出来る。

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→ 思わずズームアップ!

 このサイトには、ありがたいことに、「かんじきの歴史」が簡単に紹介されていて、「起源はとても古く、新石器時代に北欧から北アジア・北アメリカに伝わったといわれており、北半球の各地でその使用がみられます。日本でも、かんじきは縄文時代から使われていたと考えられ、その分布も山陰地方から北海道まであります。」という。

かんじき(和かんじき)くらべ」には、富山のかんじきの画像も載っていたが、利賀村のものとかで、昨夜、聴いた「立山かんじき」の画像などを見てみたい。
立山かんじき由来」を覗くと、「立山かんじきは、立山町芦峅寺に今から約1,200年前から雪上歩行、熊狩り、林業者、炭焼き、材木切り出し等、部落民に深く愛用されてきました」といった紹介と共に画像を見ること出来る。
「独特の作法により他県にない爪を組み込み、横滑りを止めるものでどんな冬山斜面や深雪、硬い雪等、如何なるところでも容易に安心して雪上歩行ができます。」とあるが、「近年ではわずかな仕事の余暇に細々と続けられるていどになってしましました」と続く。
 夕べの話でも、古来よりの「立山かんじき」を手作りしている人は一人(!)になってしまったとあった。作っているのは(昨夜、話をされていた方の住まわれている地域は)富山県の立山町芦峅寺だとか。
 冬山登山者用に細々と(?)作られているようだ。尤も、「あたたかい懐かしさを感じさせる素朴な風情は、飾り物として人々に愛されてきました」というから、何も冬山に登るためということでなくとも購入してもいいのだろう。
マスコット立山輪かんじき」という可愛いものもある。

 芦峅寺というと、以前、拙稿「善知鳥と立山と」の中などで紹介したことがあるが、「立山山麓芦峅寺の姥尊信仰と十王信仰  富山県[立山博物館]学芸員 福江 充」なるサイトを覗いてみてもいいかも。
 こうした風土と風物は分かちがたいと思われる。
 実際に立山近辺に上るのは夏場の短い間だけだろうが、信仰深い人や地元の人は、冬場であっても、山間深く上っていくのだろうし、そうした際には、「かんじき」などを履いたのだろうか、などと想像を逞しくしてみる。

菅平高原旅館組合ペンション部公式サイト」の「かんじき体験ペンション」なる頁が興味深い。
「かんじき作りと、かんじき遊びがを体験できます」というのだ。
 そういえば、夕べの話でも、今となっては「立山かんじき」の伝統を一人、受け継ぎ頑張っている人が、春先のあるイベントで実演をしてくれるとのことだった。
ふるさと工房」でも、体験できるとか。
 とりあえず、「立山かんじきの履き方」をネット上で見てみるのも面白いかも。
かんじき作りに挑戦 ~「ふるさと村」雪山トレッキング」も楽しそうなサイトだ。

 肝心の「立山かんじき」の作り手だが、佐伯英之氏という名前だったと思う。
「佐伯」という名前。立山というと、「佐伯」氏とは切っても切れない関係にある。立山近辺に観光バスなどで旅行すると、必ず(!)紹介されるのが、「芦峅寺より1里ほど先に大河が流れていたが、橋は掛けられていなかった。佐伯有頼が手負いの熊を追いかけこの地にさしかかったとき、金色の猪が現れ、有頼を背中に乗せて河を渡った。猪は河を渡り終えると、その先の坂の途中で姿を消した。河渡りの地を「藤橋」、猪が消えた坂を「黄金坂」という。また別の伝説では、猪ではなく猿が現れ、藤蔓で橋を作って有頼を渡したという」といった話。
 今も立山の伝説その他を紹介したり研究する人には佐伯氏が多い。興味の湧いた方は、「立山 佐伯」でネット検索してみると面白いだろう。
 上掲の佐伯英之氏もその流れを汲まれる方なのだろうか(未確認)。

 ネット検索していたら、「『かんじき名人 故 渋谷吉尾 爺』思い出展(第2回かんじきまつり)」なるサイトに遭遇。そんな名人の手になる「かんじき」の歩き心地は格別なものがあるのだろう。
 山本一力氏に、「かんじき飛脚」という作品があるらしい。時代小説のようだが、タイトルにもあるように、「金沢から江戸。この145里の冬道を走る飛脚の苦労は並大抵ではない。人から人へ物を届けるということが、こんなにも大変なことだとは思わなかった」という点が感銘を与えるのかもしれない。

カメラマンのためのカンジキ」というサイトも見つけた。「雪中撮影行の必需品」だって。
「かんじき」は、どのサイトを覗いても平仮名表記だ。漢字はないのだろうか。あっても、当て字になってしまうのか。「木」偏+「累」で、「かんじき」とも読むらしいのだが(未確認)。
 と思ったら、目当てのサイトが見つかった。
「(かんじき) [冬-生活] 別名⇒板(いたかんじき)、輪かんじき(わかんじき)」と説明してある。が、やはり手作りした漢字のようで、コピーができないが、「かんじき」は「木」偏+「累」と表記するようだ。
 宛がった漢字表記なのかどうか分からないが、画像を見つつ比べると、さもありなんと思うから不思議だ。

 かんじきの周辺を探っていたら、ふと、アイスマンのことを思い出した。5000年前の男と言われて、一時期は話題になったもので、小生もその本に飛びついたものだった。
 その後も研究は進んでいるようだが、さて。
 アイスマンは一体、どんな靴(履物)を履いていたのか気になったのである。
Dept. Legal Med., Kansai Med. Univ.」の中の「アイスマンのDNA解析」を覗くと、さすがに、「かんじき」を使っていたわけではないようだ。

「アイスマンは身長159 cm、生前の推定体重40 kgの46歳程度の男性とみられ、関節炎に罹患し、鞭虫に寄生され、鼻骨が潰れ、治癒していない肋骨骨折が数ケ所見つかった。散髪した跡があり、刺青のような短い青い線が脊椎の下部、左足、右足首の皮膚に認められた。さらにヤギ、カモシカ、鹿の毛皮でできた着衣の断片、樹皮繊維で編んだ外套、毛皮の帽子、革製で草をつめた靴を身につけ、木製の柄のついた銅製の小さい斧と火打石の短剣、イチイ製の長弓、ガマズミ製の14本の矢を入れた毛皮の矢筒を装備していた」という。

 このサイトの記述を読んで知ったのだが、「なお、アイスマンの発見現場は実際にはオーストリア・イタリア国境のイタリア側にあったことが判明し、正式な所有権はイタリア政府に移った。オ-ストリア人はアイスマンをエッツタ-ル渓谷にちなんで「エッツィ」と命名したが、イタリア人はそれに反発して「ヒベルナトゥス」と再命名している」とか。
 そうか、今じゃ、オーストリアの所有でもなければ、「エッツィ」でもなくなったのだ。新しい名前には、イタリアの人たちは別として、ほとんどの人は馴染めないかもしれない。マニアでもない限り話題にも上らないし。

 このサイトの記述は3年前のもので、最新の情報というわけではない。それでも、頁の末尾にある以下の記述を読むと、「関節炎に罹患し、鞭虫に寄生され、鼻骨が潰れ、治癒していない肋骨骨折が数ケ所見つかった」といった肉体的特徴と相俟って、5000年以上も昔の厳しい現実を想わずには居られない:

 

アイスマンは当初は寒さと飢えで死亡したものと考えられていたが、体内から発見された花粉は死亡時期が春から初夏頃であることを示し、また、2001年にはレントゲン撮影によって左肩から火打石製の矢尻が発見された。3次元CTスキャンで再現されたその矢尻はアルプス南部と北部イタリアに特異な舌状形の石器で、アルプス北部の基部が平坦な矢尻とは異なっている。彼は (同族の仲間によって?) 背後から射られ、矢は肩甲骨を粉砕し、近くの大血管と神経を傷害し、左腕を麻痺させ、出血多量で苦痛の死を迎えたことが推測されている。


 最後に、「かんじき」という言葉の織り込まれた句(短歌)を幾つか:

かんじきの紐締め直し締め直し   奥野津矢子

啄木鳥穴を覗いて歩く輪かんじき   金田野歩女

塀のごと雪積み上げし春光の径に「かんじき」の媼がひとり   猪又久子

カンジキや庵の前をふみ序    一茶

かんじきの立てし雪音ただ聴けり    弥一

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コメント

かんじきも懐かしい言葉です。北陸上信越ほどの豪雪地帯はないので、同様の物がカナダや欧州等にも存在しますが、地形や雪の量や質からスキーの方が発達したのでしょう。

オッツィーの関連情報も見ました。所謂セルティックのケルト人でしょう。最近は、祟りが話題となっているようです。そろそろハリウッドも映画化しますかね。

投稿: pfaelzerwein | 2005/12/16 18:00

pfaelzerwein さん、こんにちは。
スキー板、明治の半ば頃だったかに欧米から輸入されたけれど、スキーが本格的に始まったのは、明治44年のことだとか:
 http://www.vill.nozawaonsen.nagano.jp/now/ski/ski-rekisi/rekishi01.htm

日本やアジアでスキー(板)があったのかなかったのか。上掲のサイトだと、「江戸・文化5年(1808)、間宮林蔵は樺太探検をした。報告書「北蝦夷図説」に樺太地方の土民がスキーに似た雪具をつけた図〔写真上〕を掲載している。これが日本最初のスキーに関する記述だろうか」とあるけれど、民俗学ではどのような研究がされているのか、知りたいものです。

オッツィーの情報、記してあるように三年前のもの。もっと新しい情報サイトを探してみました。
「最近は、祟りが話題となっている」らしいとか。
まあ、オッツィー(エッツィ)を研究した学者が次々と謎の死を遂げているから、つい、そんな噂が立ってしまうのでしょう:
http://dsc.discovery.com/news/briefs/20051031/oetzi_arc.html
http://www.int.iol.co.za/index.php?set_id=1&click_id=143&art_id=qw110932056172B234
ハリウッドは映画化するのでしょうか。
日本じゃ、万年雪はないし、土壌も風土も違うから日本版でSF化するのも難しそう。

投稿: やいっち | 2005/12/16 19:49

やいっちさん、余り扱わないでおきましょうね。映画オーメンシリーズみたいです。祟りが怖いから、と言っても私は発見場所で写真写して遊んで来ましたが。ああ怖い怖い。

それでも歌手のDJオッツィーは元気そうで、彼の名前で稼いでいます。

投稿: pfaelzerwein | 2005/12/17 04:49

pfaelzerwein さん、呪いの話…。ツタンカーメンの事例を思い出しますね。

せっかくアイスマンの話題を出したのに、pfaelzerwein さんの記事を参照しなかったのは、吾ながら情けないです:
 http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/ac4a3cb179068a0d8a01383df893963e

まあ、まさか「かんじき」からアイスマンのことを連想するなんて、自分でも予想外だったので、なんて言い訳も寒いですね。

余談ですが、「アイスマン」という題名の映画があったとか:
 http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD50/
「4万年前に生存していたアイスマンが北極の氷の中から甦り、若き人類学者と交流するというSF映画」とか。
小生としては、ジョン・ダートン著の「ネアンデルタール」(ソニー・マガジンズ)のほうが映画化に向いていると思える:
 http://library666.seesaa.net/article/2480209.html

投稿: やいっち | 2005/12/18 08:44

「<イタリア>抱擁する六千年前の男女遺骨が見つかる」
【ローマ支局】イタリア北部マントバ近郊にある遺構から、5000~6000年前の男女とみられる遺骨が見つかった。互いに抱き合った状態で埋葬されたとみられ、発掘調査団のエレナ・メノッティ団長は「25年間も遺跡発掘に携わってきたが、新石器時代の遺構からこのような形で遺骨が見つかったことはない。興奮している」と語った。ロイター通信が伝えた。

 ただし、性別や年齢、埋葬年代についての考古学的測定や鑑定はこれから。メノッティ団長は、「遺骨は男女にほぼ間違いない。歯もほとんど摩耗しておらず、若くして死亡したとみている」と語っている。
(以上、9日の毎日新聞より)
 うーん、凄いニュースだ。
 ドラマチックでもある。
 早く、科学的調査の結果を知りたいものだ!

投稿: やいっち | 2007/02/10 09:37

「国際ニュースIshikawa-News.com 「アイスマン」の死因は矢による失血・ショック死―ミイラスキャンで判明」
http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2007/06/07165956.php
 スイスとイタリアの科学者はこのほど、新たに開発された医学用スキャナーを使用してアイスマンをスキャン、その結果、背中に刺さった矢が左鎖骨下の動脈を損傷して大出血を誘発。この大出血が直接の原因となってアイスマンはショック状態となり、次いで心臓マヒを起こして死に至ったことが、このほど新たに確認された。

 死亡時期に関しては、新石器時代の後半、BC3300年からBC3100年とした。死ぬ前に矢軸を引き抜いた痕跡が見られ、これが死期をさらに早めたとされる。もっとも、最新技術で判明したのは、直接の死因が左鎖骨に突き刺さった矢による大量失血―ショック―心臓停止ということだけで、矢を受けるに至った背景は依然として謎のままだ。

ニュースソースは:
http://news.yahoo.com/s/ap/iceman;_ylt=AilcPSAwILHAZiRyLWJT5ZMDW7oF

投稿: やいっち | 2007/06/16 21:38

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