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2005/12/19

冬座敷に隙間風が吹く

「夏座敷」というと、「襖や障子を外し、簾や風鈴などで涼しく装った座敷」で、夏の季語。一方、表題の「冬座敷」は、「襖・障子を閉め炬燵を置いたりストーブ等で暖めたりした座敷」で、冬12月の季語

「珈琲とリスニングのバッハ,リスニング,隠れ家,スローライフ」という「Bach relaxation space  バッハ リラクゼーション スペース」の中の、「季節のことのは・冬」にて「冬座敷」の項を覗いてみると、いつもながら簡潔だけど味わい深いコメントを得ることができる:

「葦戸を入れ、風鈴を吊り、蚊遣りを焚き、夏座敷から一変し、襖を入れ、手焙りや火鉢が置かれ、そこにかけた鉄瓶から湯気が上がっている風情が冬座敷です。
 今ではほとんど見かけない風情かも知れません。」

 最後の「今ではほとんど見かけない風情かも知れません」には、気のせいか、二つの意味が読み取れるような。
 時代の変化の中で座敷の担ってきた役割や位置付けが薄らいできたという側面と、個々の家庭にあって、それなりに齢を重ねた自分を振り返ってみて、一昔前は、あの部屋に嘗ては元気だった(威厳があって怖くもあった)父がデンと腰を下ろしていて、普段は口数の少ない父が、自分を呼びつける時というのは、大概は叱られるものと相場が決まっていて、ああ、そうだった、あの日あの時も、自分が何か悪さを仕出かしてしまって、姉か妹に父さんが呼んでるよ、なんて言われて、ビクビクしながら奥の座敷に向かっていって、そうしたら案の定、閻魔様と成り代わった父が顔を真っ赤にしていて、そうして冬の稲妻が落ちるのを覚悟した…。
 冬ということもあってか、火鉢に掛けられた鉄瓶からは湯気がシュンシュン立ち上っていて、ふと、父の顔が真っ赤なのは、もしかして父がたった今まで顔を鉄瓶に宛がっていて、それで赤鬼みたいに真っ赤に膨れていただけなんじゃないか、なんて、余計なことを思いつつも、ひたすら叱責の怒鳴り声の鳴り止むのを待っていた…。

 そんな今となっては懐かしい光景もあった座敷が、今では、父が奥の部屋に寝たっきりになり、自分が手持ち無沙汰を託ちつつ居座っている。鉄瓶の代わりに電気ポット、片隅には電気ストーブ、エアコンさえ設置されていて、それはそれで暖かいのだけれど、どこか息の詰まるようでもある…。
 何故なんだろう。こんなに暖かくて快適なはずなのに…と思っていたら、そうだ! と気付かされることがある。

 同じく、「季節のことのは・冬」なる頁の「季語 4」に「隙間風 (すきまかぜ) 」という項がある。
 その説明を求めると、「多くの冬の風とは違い、この風は生活の中の風です。今でこそ見られなくなりましたが、かっての日本家屋は隙間だらけでしたから、この風に悩まされ、冬の備えに目張りをしたり、北窓を塞ぎました。」とある。

 そうだった。昔の家屋というのは、隙間風が容赦なく吹き抜けていく。襖も障子も玄関も縁側のガラス窓の桟も、天井も薄いし、畳の下からさえも、遠慮なく吹き過ぎていく冬の風が部屋の中へと忍び込んでくる。
 それとも、せっかく暖めた空気が漏れ出ていってしまう。
 思えば、今も田舎の我が家は築五十年を超えていることもあってか、しかも、内側に手すりを増やしたり風呂場や玄関の段差を減らすような小さな手は加えてあるものの、基本的には建てた当初の姿を今も守っていて、そんな家は今では近所では珍しいものになった。
 エアコンが田舎の家の茶の間に入ったのも、近所では相当に遅いほうだ。が、せっかくのエアコンだけど、障子の建てつけも微妙な狂いが生じているし、玄関へ続く廊下への間仕切りもしっかり締め切ることが叶わないようになっている。
 茶の間の天井はさすがに屋根裏部屋が真上にあることもあって、なんとか直接、暖かい空気が逃げ出すことはないのだが、四方は、いな、床下を含めると五方が、冬の風の為すがままだったりする。
 ただし、手焙りや火鉢の類は座敷や蔵(?)に仕舞ったきりである。冬に座敷を使うことは、めったにない。冬座敷というと、襖の閉められたままの、隙間風だけが挨拶もなく訪れ立ち去っていくだけの、影の薄い空間になってしまっている。
 たまに冬などに帰省すると、夜中、小生が居住する角の部屋からトイレまで行くのに、最短距離を選ぶと座敷を通ることになる。襖を開け閉めする際の音がギーとか鳴らないよう、体を横にすれば通れるだけの隙間を開けっ放しにしてある。
 冬だけ開けっ放しではなく、夏なら夏で風通しを良くする為に、やはり襖などは体の厚みほどは開けておく。要するに年がら年中、開けっ放しというわけである。
 エアコンも難儀な家に来てしまったと嘆いていることだろう。どんなに頑張って冷暖房の機械として活躍しても、徒労に終わることが多いのだし。
 ああ、でも、役に立っているから悲観しないでね(最後まで読んだら分かる!)。

「冬座敷ときどき阿蘇へ向ふ汽車    中村汀女」なる句を「e船団ホームページ」の中の、「日刊:この一句 最近のバックナンバー 2001年1月28日」にて見つけた。
「いつもはひっそりの冬座敷が、汽車が来るたびに「あっ、汽車」といろめく。障子をあけてのぞいたりもする。そして、自分たちがその汽車で阿蘇へ行った思い出などが話題になる。つまり、阿蘇へ向かう汽車は季語の冬座敷をよく生かしている。」などといった坪内稔典氏の鑑賞がいい。

 思えば小生自身が座敷で過ごしたという記憶はあまりない。高校を卒業したと同時に郷里を離れたので、盆暮れに帰るだけだし、その際に座敷にわざわざ陣取ることもない。
 夏場だと父が篆刻(てんこく)などの作業で座敷を使うことも、昔はあったが、今は、父母の寝所の窓際に書斎を設けていて、そこにはエアコンもあるし、座卓ではなく机も設置してあって作業がしやすいようで、今では座敷の座卓や棚には出来た作品や貰った賞状などの安置場所となっている。
 壁際には祖父や父母らの賞状が額に入れられてずらっと並んでいる。母は福祉活動で貰ったものだし、父は仕事で、あるいは篆刻(てんこく)で秀逸などに選らばれて貰ったもの。祖父の代だと、兵隊に家から何人も送り出したと国から表彰されている。

 となると、賞状など小中学校の時代に何かの折にもらったきりの不肖の我輩だから、尚更、座敷は目の毒の空間となっている。
 小生など、隙間風のように、ただ座敷をこっそりひっそり通り抜けるのがお似合いなのかもしれない。
 とてもじゃないけれど、冬座敷から句を捻り出せるような小生ではないのだ。

「良寛の一書を床に冬座敷     照田 良女」や「掛けてある鏡の暗き冬座敷    倉田 紘文」なる句を「秋桜歳時記」の中の「秋桜歳時記・季語・冬」にて見つけた。

 座敷に掛け軸とか鏡があったっけ。床の間に違棚(ちがいだな)か飾り棚があったりして、その壁に季節に応じて架け替えられる軸が目に付くけれど。
 以前は(今もかな)年始とかお盆の集まりの時、座敷と床の間などを一つの空間にして座卓を並べ宴会の場にしていたようだけど、今は冬場は茶の間と隣の部屋を一体化して集まりの場にしている。
 これも、エアコンが茶の間に来たからこその結果のようだ。
 冷暖房の威力だ。テレビも座敷や床の間にはないし。時代が家の中の様子をドンドン変えていく。人も変わっていくけれど。


冬座敷隙間風だけ居座って
冬座敷主なしとて泣かんとき
冬座敷縁側さえも襖陰
冬座敷お盆と年始が活躍時
冬座敷襖の陰の人影か


 余談だが、「床の間、座敷、仏間」の区別を明確にしたいと、これらの語をキーワードにネット検索したら、その6番目に小生のサイトが浮上した。小生、これらの和室について雑文にしろ仕立てたことはないはずと、幾許の悪い予感を抱きつつ、覗いてみたら、「怪談? 敷居を跨いではいけない」だった。
 ああ、これって書き掛けの掌編じゃないか。それも、通常、掌編は原稿用紙で言うと一枚か二枚で収まるはずの小品。なのに、これは前編、続、3回目と続けている。
 これは明らかに失敗した兆候を示している。一回で話をきっちり締めくくれなかったから、だらだらと続いてしまったからこその続き物なのだ。
 しかも、結末に至っていない!
 至っていないだけじゃなく、「未完。実に遺憾です」と殊更書いたこともすっかり忘れ果ててしまっている!
 この忘れちゃったということが小生には一番の怪談だ!

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