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2005/12/21

「煤払」…末期の一服

「煤払」は、この季語随筆で昨年の12月、すでに採り上げている。その表題も「煤払い」と、そのまんまで分かりやすい。
 季語としての「煤払」については、大凡のことはその記事の中に書いてある。
 なのに、一年を経過して(未だ扱っていない12月の季語・季題は数多くあるというのに)再度「煤払」を話題に採り上げるのは、季語として記述しておくべき重大な事項が抜けているのに気付いたから、というわけではない。
 昨年の「煤払い」においても、話題は特に後半の部分は、季語としての「煤払」より、専ら煙草に焦点が合っていた。
 実は今日、このキーワードを糸口に扱うのも、煙草に関する話題である。
 昨年の当該の小文を読まれたら、煙草には人一倍関心がある小生なりの事情の一端も分かるだろう。

 昨日、営業中、ラジオから煙草に関するニュースが流れてきた。マンションなどの耐震データ偽造問題などの陰に隠れていて世間的な耳目を集めにくいはずだが、それでもNHKはさすがに漏らさず報道してくれるのでありがたい。
 そこでニュース記事が削除されてしまわないうちに、関連する記事NHKのサイトから一部を抜き出しておく。
 といっても、児童手当が従来の小学校3年生までだったものが、今度の税制改正で6年生までに拡充された、その際の財源として、煙草に課せられている税金が、1本当たり1円ほどアップされるというニュースではない。

 煙草への課税追加のニュースはテレビなどでも結構、話題に上っているし、昨日生まれた新しい話題でもないし(煙草への課税については、火を改めて…、じゃない、日を改めて採り上げる機会があるかもしれない。一応、季語随筆「すいません…すみません」にて、煙草への課税の問題などを大雑把にだが採り上げている)。

NHKオンライン」の中の「NHKニュース」によると、小生が自分の可愛い福耳をダンボにして聴き入ったニュースとは以下のようなもの:

 

 タクシーをすべて禁煙にするよう国が規制すべきだと主張して、たばこを吸わないタクシーの運転手や利用者が起こした裁判で、東京地方裁判所は、損害賠償の請求は退けましたが、「すべて禁煙にしても支障が出るとは考えにくく、禁煙タクシーを望む利用者のためには全面的な禁煙が望ましい」と指摘しました。
 この裁判は、たばこを吸わないタクシーの運転手や利用者あわせて26人が、国の規制によってすべてのタクシーを禁煙にすべきだと訴えて損害賠償を求めたものです。判決で、東京地方裁判所は、「国には規制する権限がない」として訴えを退けましたが、「タクシーは、ほかの交通機関に比べて禁煙化が遅れている」という判断を示しました。禁煙タクシーは、ことし3月末の時点で、全国で5300台余りと、全体のおよそ2%にとどまっています。しかし、前の年に比べると、およそ40%も増えているほか、客を待つタクシーを禁煙車に限定する病院も出てくるなど、徐々に広がる傾向にあります。判決は、「一般の人がタクシーを使う頻度を考えると、すべて禁煙にしても支障が出るとは考えにくく、禁煙タクシーを望む利用者のためには全面的な禁煙が望ましい」と指摘しました。

 小生がお世話になっている会社でも健康促進法が制定された当時、タクシー内での喫煙が問題になり、すったもんだはあったけれど、結局、会社としては車の禁煙には踏み切らない、但し、運転手の車内での(走行中の)喫煙は禁止とする、という中途半端なものに留まってしまった
 関連する記事として、「健康促進法とタクシー」を参照願いたい。

 小生自身の意見としては、「タクシーは、ほかの交通機関に比べて禁煙化が遅れている」という判断は非常に重いものだし、それ以上に、この業務に携わるものとして煙草への意識の希薄さを非常に恥ずかしくも思っている。
 全面禁煙にしたらお客さんが減るんじゃないか…という懸念が一部にある。とんでもない話で、禁煙にして煙草の匂いがなくなったら快適になり喜ばれるお客さんのほうが増えるはずである。どうも、一部の喫煙好きの運転手や社員の嗜好が、訳の分からない屁理屈を持ち出しているとしか思えない。運転手が吸いたければ、車の外で吸えるのだ。
 残念ながら、依然として全車禁煙タクシー化への動きは鈍いままである。日本では男性の喫煙率が未だに半数を超えていること、意見を集約する上で体勢の帰趨に影響を持つ人が地位的にトップに(男性に)多いことが、腰の重さという結果に現れているようだ。

 過日、車内の集会で個々のドライバーの判断で個々に禁煙タクシーにすることも検討する、なんて話が出ていたが笑止千万だ。同じ業界にあって喫煙(禁煙化)への対応がバラバラなこと自体が及び腰の姿勢が見えてタクシー業界を旧態依然たる古い姿勢に留まっているものと思われてしまうというのに、これが同じ会社内のタクシーでも個々に喫煙への対応がバラバラだと、一層、滑稽な状況を招いてしまうのは必定だろう。
 お客さんが乗ってきて、「煙草、吸っていい」と聞かれた時、「いえ、このタクシーは禁煙になってますのでご遠慮願います」などと言えるだろうか。
「なんだよ、お前とこのタクシー、違うドライバーのはOKだったじゃないか!」
「いえ、あの、生憎、このタクシーは規則が違ってるんです。」
 なんて、そんな諍いの発生が容易に予測される。
 万が一、お客さんが勝手に吸われた時、その車が禁煙車だったとして、運転手がお客さんに向かって、
「すみませんが、この車は禁煙になってますので、お煙草はご遠慮願います」などと言えるだろうか。
 それこそ、トラブルの元になるのは目に見えている。

 小生は、少なくとも会社として対応を一貫すべきであり、全車禁煙にすべきだと思っている。
 駅でも大概のレストランでも、会社でも、路上でも、所定の場所を除いては(歩行)禁煙となりつつある趨勢にあって、タクシー内だけがほぼ唯一残された公共の喫煙場所だとばかりに(タクシーの乗客の数は電車やバスに匹敵する。立派な公共機関であることを忘れては困るし、言うまでもなく客商売なのだということを会社側も再認識すべきだが、お客さんや世間にも公的な場であるという認識を広めるべきだと考える…。そう、タクシー業務こそ、他の業界に先駆け真っ先に禁煙に取り組むべきなのではないか)、乗った途端、煙草を燻らすのを楽しみにしている愛煙家も多いようで、そんな方には申し訳ないのだが。
 しかし。
 車内の汚れの大半は煙草にあることを覗いても(シートや灰皿周り、床のゴムシート、特に天井へのヤニのこびりつき)、また、煙草を吸わない運転手の健康への副流煙による悪影響を除いても、吸ったあとの匂いは強烈なものがあり、窓を開けて空気を入れ替えするだけでは匂いは追い出しきれない。煙草の匂いは窓や天井その他にこびりつく。
 で、次に乗って来られたお客さんが不愉快な思いをされる。運転手としても、まるで自分の喫煙で匂いが篭っているようで心外なのである。

 このたびの裁判での判決を契機に、少なくとも会社として全車禁煙を決めるべきだと思うし(運転手は、既に決まっているように、公園脇などに車を止めての食事やトイレ休憩の際に喫煙するわけである)、できるなら、タクシー業界として健康促進法の趣旨に基づき、業界を挙げて禁煙に持っていくべきだと考えている。

 アスベスト(石綿)問題対策が今も重い課題として自治体その他関係者に圧し掛かったままである。
 呼吸に障害を持つ小生自身、この問題には人一倍、関心がある。季語随筆の「石綿…火浣布」でもアスベストについてやや違う角度から採り上げている。
 アスベスト情報については、例えば、「厚生労働省」の「厚生労働省:石綿(アスベスト)についてQ&A」が国としての見解を全般的に知ることができて便利である。

 アスベストの吸引が原因とされる中皮腫(ガン)死は、「昨年最悪953人」だとか:
 つまり、「アスベスト(石綿)が肺や心臓などの臓器を覆う膜に刺さって発症するがん「中皮腫(ちゅうひしゅ)」の2004年の死者数は、前年よりさらに75人増えて953人だったことが7日、厚生労働省の人口動態統計の確定値で明らかになった。集計を始めた1995年以来、過去最悪。都道府県別では、大阪が最も多い99人で、75人の兵庫、69人の神奈川、68人の東京、55人の北海道と、これまでも死者の多かった都道府県が今年も上位を占めた。  (2005年10月8日 読売新聞)」とのこと。
 アスベストの処理(処分)方法も、「溶かして無害化処理…環境省が法改正へ」という:
 つまり、「建物の解体で発生するアスベスト(石綿)含有の建築廃材などの処理方法について、環境省は、現在広く行われている埋め立て処理から、高温で溶かして無害化する処理への移行を促すことを決めた」とのことで、「アスベストは1500度以上の高温で処理すると繊維が溶けて無害化できる。同省は、民間が所有する高温の溶融炉での処理を促すことで、無害化に加え、埋め立て処分量も3分の1程度に削減でき、さらに路盤材などにも再利用することも可能としている。  (2005年12月15日21時24分 読売新聞)」という。

 上記したように、アスベスト吸引が原因とされる中皮腫(ガン)死は、昨年最悪953人だという。今後、ますます増える可能性が指摘されている。
 ところで、煙草の喫煙による死亡者数は、「煙草関連死」を含めると、数万人(10万人に近い)と言われている。この死者数には副流煙による被害は含まれていない(恐らく1万人ほどか)。
 アスベスト問題も急務ならば、煙草対策は一層、急務の課題なのではないか。
 煙草問題が、思い出したように、ほんの時折、マスコミの話題に上るだけなのは、マスコミ関係者にも愛煙家が多いからなのだろうか。まさに煙たい問題で、厚生労働省や環境省が何かのニュースを流した時、他の話題がなかったら採り上げるだけという実状。
 交通事故による死亡者数が今、一万人を越えたら交通戦争の再来かと騒がれるのは必定のはず。なのに、なぜ、煙草問題は今も燻ったままに留まっているのだろう。
 男性は依然として喫煙者が半数を超えているといっても、徐々に減る傾向にある。そんな中、女性の愛煙家が増える傾向にあるという。女性を差別するわけじゃないけれど、子供と接する機会の多い女性が愛煙家となったら、その影響は子供も含め甚大となるのではなかろうか。
 
 最後に。
 一本の煙草は今、銘柄にも拠るだろうけど、10円ほどか。それが20円ほどになったら、味わいも深まるのではなかろうか。中学生や高校生がお小遣いで買うには、一箱、五百円だと躊躇うことになるというメリットもありえる。
 煙草の代金が上がることで売れる数量は一時的に減少することが考えられるが、そうした損失については、煙草の販売も、一箱当たりの利幅も広がることである程度の緩和になると思われる。
 煙草の代金が上がることについては、煙草を栽培している方への量的減少への対価も考慮しておく必要もある。
 そうした対策は、別儀の問題として考えるべきだろう。

 さて、こういうふうに書いてくると、小生が煙草を罪悪視しているような誤解を与えそうだ。薬にしてもお酒にしても服用の仕方や度が過ぎると有害になる。煙草も時と所をわきまえたら、それはそれで結構なのだと思う。
 小生自身、学生時代を中心に6年間、吸っていた。コーヒーと煙草と音楽と本が生活の全てだったような。
 吸うことで、たとえ幻想に過ぎなくとも、心の迷いや悩みの暈しにはなっていたように気がする。
 ジャズやクラシックなどに聴き入りながら、コーヒーの香りと紫煙に包まれつつ、何も考えない時を過ごす。まるで人生の深みを味わっているかのような幻想。
 そう、それはそれでよかったような気がしているのだ。
 身勝手?

 煙草をやめて四半世紀を経過する。今度、喫煙するとしたら死の床に横たわったらと思っている。世の中に他人がおらず、自分一人だったら、吸うことも敬遠はしなかったかもしれない。
 が、そうもいかない。ただ、余命幾許もなくなったら、末期の楽しみで一服くらいは吸うのを自分に許そうかなと思っている(あの世では吸いまくるかも!)。


煤払い禁煙こそが先だよね
燻らす火遠目には星と見えるかも

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