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2005/12/31

物語…虚構…世界…意味

読書拾遺(シェイクスピア・ミステリー)」「読書拾遺(シェイクスピア・ミステリー:承前)」と読書感想文を綴ったのが、つい昨日のように思えるけれど、早くも一週間が過ぎ去った。
 というか、今年という年自体があと数時間で終わってしまう。早い! 追いつかないほどに時の過ぎるのが早い。
 歳月の経つのが早いと感じるのは、年を取るごとに足の運びが遅いからなのか。
 それともやはり、自分の生きていく先に何が待ち受けているかよりも、今や明日のことで胸が一杯で、来年、あるいは数年先の試験や入学や入社や結婚や何がしかの成功への足がかりを得ることで懸命で、日々の経過にもどかしさを覚えていた、そんな若い頃とは違って、とにかく日々をつつがなく生きるだけでありがたいと思えてしまったからなのかもしれない。

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← 紫苑さんにいただいた画像です。これも見てね。ということで、皆さん、よいお年を!

 先を展望しようと思っても、考えれば考えるほど出口なしになってしまう。
 そうはいっても、35歳となってから書くことに生活の焦点を合わせるようになり、さらに40歳となって仕事自体、書くことから逆算して選んだ…。だから、この十数年は日々、必ず何かしら書くことを自分に課してきた。エッセイかコラムか読書感想文か、一番のターゲットである虚構作品を書くことで頭の中が一杯。
 実生活ではタクシー業務で自分の精力のほぼ全てを傾注し、家では疲労困憊と磨り減った神経のゆえに抜け殻のようになってしまって、乏しい残り滓の精力を創作に注ぐ毎日。

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2005/12/30

山崎方代の周辺…甲斐つながり

 昨日の日記(レポート)「丹沢湖・中川温泉へ行って来た」にあるように、恐らくは二年ぶりに温泉へ行って来た。この中川温泉は、武田信玄の隠し湯の一つと紹介されることが多い。
東京新聞 中川温泉(神奈川県) 丹沢に抱かれた“美人湯”」によると、(中川)「温泉の起源は古く、戦国時代、武田信玄が小田原城攻めや金山採掘の際、傷兵の治療に使ったと伝えられ、別名「信玄のかくし湯」とも呼ばれる。」という。
 信玄の隠し湯といっても、信玄自身が入ったかどうかは、定かではないのかもしれない。
 ただ、「中川温泉の湯はpH10」に近く、アルカリ湯のなせる業か、皮膚の分泌物を流したり、「戦国期の傷兵や山男たちを癒やし続けた」ようではある。
 小生らが泊まった宿も、「近代に入り、一九一〇(明治四十三)年、地元で農業を営んでいた、井上近次郎が自噴の源泉の横に、旅館(現・信玄館の前身)を建てたのが、温泉地としての始まりとされ」、「今も信玄館玄関前には、自噴源泉と、かつて使われていた露天風呂が残る」という。

 さて、温泉宿へ来たのは忘年会も兼ねていて、雑談に花が咲いたが、そんな中で友人の口から小生には未知の歌人の名前が出てきた。同じく歌人の吉野秀雄の薫陶を受けたという。吉野秀雄については、著書も読んで感想を綴ったこともあったが(『吉野秀雄著『良寛』』参照)、もしかしてその際にその歌人の名前も登場することがあったのかもしれないが、小生の記憶にはまるで残っていない。
[ あとで思い出したのだが、何処かで…吉野秀雄関連の記事の中だったろうか…山崎方代の名を目にしたことがあった。ただ、その時は山崎方代の「方代」をちゃんと読めなくて「かたよ」などと適当に読み、ああ、女性の弟子もいるのかな程度で流してしまったようだ。注意不足でもあり、探求不足だった。 (05/12/31 追記)]

 鎌倉ゆかりの歌人でもあり、地元(鎌倉)では彼を追慕し顕彰する会があったり、彼の歌への評価が高まりつつあるという。
 せっかくなので、その歌人・山崎方代(ほうだい)のことを調べてみた(実は、宿へ電子辞書を持ち込んでいて、検索してみたが、データが全く載っていなかった)。

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2005/12/29

丹沢湖・中川温泉へ行って来た

 丹沢湖の近くにある中川温泉の、とある宿へ友人らと旅行してきた。年の瀬も押し詰まった28日から29日にかけての一泊である。楽しみは温泉だが、24日から27日までの帰郷の旅の疲れもあって、小生など畳のある大部屋で寝転がるのがも楽しみ。
 宿の料理も、夕食も朝食も洗練されたわざと気遣いの感じられるすばらしいものだった。
 敢えて画像は載せないが、客室のお世話をしてくれた、青森は下北の出身だというお姐さんとの会話も楽しかった。ここは山北なので、下北から山北へ来たんだね、という小生の話も滑ってしまった。

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← 宿の部屋から丹沢の眺め。夜になったらオリオンなどの数え切れない星々や火星がくっきりと見えた。

 丹沢湖へは80年代の半ば頃、オートバイでやってきたことがある。246号線をひた走って、丹沢湖周辺を走り、何処かの岩場を見つけて、日溜まりのもと、休憩がてら読書。
 河原でのキャンプ、渓流釣り、温泉と楽しむアイテムはいろいろあるが、小生の旅はひたすら禁欲的というか、ワンパターンなのである。

 その頃は、読書が好きで本を読みたいが、オートバイも駆りたくてたまらず、両方を兼ねるということで、旅先へ本を持参することは忘れない。
 今回は友人たちとの旅なので、車だし、本を読む暇があるとは思えない…のだが、読み止しの山本健吉の文庫本をバッグの隅に潜ませておいた(やはり、触りもしなかった)。

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→ 夕食。板長をはじめ四人の料理人で作っているとか。どの料理も手が込んでいるし、丁寧な作り。とにかく、おいしかった。量もあったし。

 丹沢湖は、「旅と自然」の中の「2002年11月19日(火):丹沢湖の紅葉」で見ること出来る紅葉の画像でも分かるように秋も深まっておれば紅葉の名所となるように、景色がすばらしい。
「丹沢湖は、東に玄倉(くろくら)川、北に河内川、西に世附(よづく)川と、三つの川の合流点に作られた、三保ダムによる、人造湖」だとのこと。目的は、水流調節や、「神奈川県民の、のどをうるおすために造られた」とか。

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2005/12/28

国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた

 事情がありクリスマスイブの日から昨日まで帰省していた。田舎でのことはともかくとして、いつもながら感じるのは、列島の太平洋側と日本海側との気候風土のまるで違うこと。北海道と九州・沖縄と違うのは、緯度の違いもあって多少は想像が付くけれど。
 特に変化を強烈に感じるのは、なんといってもあの長い関越トンネルの前後において、である。
 今年の年末は例年になく雪が多かった。帰郷する時も寒いが雪のない関東側から上越側へ抜けた途端、雪国になっていて、ああ、日本海側が雪が多いって、テレビなどの報道の中の話だけじゃなく、本当だったんだ、なんて間抜けな感想というか感動のようなものを覚えてしまった。
 その雪のために列車のダイヤが乱れて、乗り換え・代行運転など面倒もあったけど、あとで振り返ってみると、それはそれで印象的な場面もあり、楽しい旅だったような気もする。
 当然ながら帰京(上京という表現は採りたくない)の折も関越トンネルを列車で通る。郷里も含め雪の降りやまない北陸。塩沢や越後湯沢の深い雪。駅のホームも雪がなぶるように降っている。まして、列車が走るとそれこそ叩きつけるような雪になる。
 そうして幾度となく潜るトンネル。最後に列車で走っても長く感じる関越トンネル。車内の明かりだけで外は当然ながら真っ暗である。
 それが、トンネルを抜けた途端、眩しいというか強烈な日差しが車内を光の洪水にしてしまう。時間にして三時ごろだったろうか。
 雪は? 何処かに雪は? あれほどの雪は何処へ消えた? 目を凝らして遠くを眺めると、山間に転々と雪があることはあるが、黒っぽい山肌に小さく点々と斑模様となっているだけである。開けた平野部には、雪などまるで他所の世界の話、さっきまでの深い雪が夢のようなのだ。

[別窓に移る前に、「折り句」の中の「短歌 二首  弥一&瑠奈」を見て欲しいのです。瑠奈さんが小生の寄せた歌などを使って素敵な絵柄を光の部屋に作ってくれました。瑠奈さんのサイトは、「雪月花」です。]

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2005/12/27

手袋は心の形に似ている

 今日の季語に「手袋」を選んだのは、昨日、分厚いビニールの手袋をはめて、ちょっとした作業をやったからである。
 郷里に居る小生、父に言われ、内庭に向かう屋根の雨樋に溜まった松葉を取ろうとしたのだ。内庭のそこそこの樹齢となる松の枝振りが立派過ぎて、先日来の雪の重みで撓んで屋根の上にまで掛かり、松葉が屋根瓦の上に大量に落ちる。
 雪のせいだろうか、常緑のはずの松葉も赤茶けた色になって、まだ枝にしがみついているものもあるが、雪を退けるとかなりの松葉が落ちている。雨樋にも溜まっていて、雪解けの水の排水を妨げる。
 そもそも日中の最高気温が零度前後だから雪解けもしないようなものだが、実際には日中に晴れることもあるわけで、直射日光を浴びると雪解けする。流れないと水が凍って氷柱になったり、松の枝や松葉やこびりついた雪などが、うまくすれば日光を浴びて屋根からとけ落ちるはずの雪の落ちるのを妨げるのである。
 アルミ製の梯子を屋根瓦に立てかけ、覚束ない足取りで梯子を上っていっての作業。怖くて下はあまり覗けなかったが、結構、高く感じる。

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← 富山の家を出る直前に撮ったもの。昨日の雪が解け始めていたのが、夜のうちに降り出して一層、深く積もってしまった。

 幾度となく梯子の位置を変えるため降りては場所を移動させ、梯子を上り、雨樋の松葉を取る。仕舞いには、止めの上まで伸びている庭の松の枝をノコギリで切り落としたりした。
 そんな作業をするのには、手袋が居る。それも夏場なら草むしりの際などは軍手だろうが、冬だと裏生地の施してあるゴムやビニールの手袋でないと雪掻きにしても庭仕事にしても困る。
 そうはいっても、帰省した折にほんの少し手伝うだけで、その日は雪掻きと松葉取りと食事の用意などで疲れ果てて、ダウンしてしまった。日頃、碌に体を使った労働などしていないのだ、雪掻きが好きだといっても、体が付いてこない。

 雪はひどく降るというわけではないが、それでも、夜が明けてみると、道路の両脇を除いては雪が掻き消されていたものが、一面の銀世界に成り果てている。人が疲れ果てていようと、もう、勘弁してくれよと思っても、容赦なく降る。
 そんな日々が豪雪が当たり前の頃は数ヶ月も続いたのだった。
 しかも、その頃は、雪掻きだけは楽しさ半分でやっていたけれど、そのほかの雪吊りを含めた庭仕事の一切をしないで育ってしまった。今でも、ほんの時折、帰るだけなので、申し訳程度の手伝いをするだけである。一家の大黒柱ともなったら、ずっしり重たい責任が圧し掛かるのだろうけど、今はただ、目先の簡単な作業を片付けるだけで精一杯。

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2005/12/26

連句を巻く?

 何人かの方が小生のブログサイトをブックマークしてくれている。それはとてもありがたいことである。無論、小生も何人どころではない方のサイトをお気に入りに入れさせてもらっている。ほとんどが片道というか一方的で、まあ要するに片思いのようなものだ。小生にお似合いのパターンである。
 さて、そんな奇特な方の中のブックマークのコメントに、連句を巻いてほしい、とあった。
 連句を巻く? そう、聞いたことはあるし、そんな文面も随所で見かけている。が、小生自身が連句を巻くなんてことはなかったし、関わったこともなければ、その場に臨席も見物すらしたことがない。
 そもそも、読書する本の中に俳句(や短歌、詩)関係の本もあるが、手遊びにすら、自分で俳句(あるいは川柳)を作ったこともない。

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← 雪の年の瀬を迎える郷里の家。 年の瀬や雪の布団で夢を見ん

 この季語随筆日記というブログサイトを運営し始めたのは昨年の秋口というには早すぎる夏の終わり頃だったが、ほんの気まぐれで俳句(か川柳か標語かその他かの区別も分からないまま)を作ってみたのは、その二ヶ月前、つまり昨年の七夕前日(時間的には七夕の日になっていたかも)だったのである。
 以後、この季語随筆を綴りつつ、少しずつ俳句に関連するあれこれを我が侭勝手に、気分次第で、徒然なるままに、勉強の真似事をしてきたのである。
 誰かについて学んでいるわけでもなければ、俳句の入門書を片手に、よちよちながらでも基礎から学んでいるわけでもない。
 このところの話題に事寄せて表現すると、基礎というか土台がなっていないのだ。柱もないし、壁すらないのかもしれない。壁紙で化粧する知恵もない。
 まあ、風流を気取るなら、吹き曝しの陋屋で我流の俳諧の道を夢見ているということになる…かどうか。

 一応、芭蕉の本を読んだりしているし、芭蕉と弟子のやり取りを仄聞するように読み齧ったこともあるが、さて、改めて「連句を巻く」って、どういうこと。似たような印象を受ける語に「歌仙」もあるし。連句と歌仙の異同は?

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炬燵や囲炉裏で見る夢は

 帰省している。新幹線を使った。本を読んでいて外の景色の変化に気が付かなかったのだが、越後湯沢を過ぎた頃だったろうか、列車内の誰かが「雪!」と言った。思わず外を眺めると、東京の景色とは打って変わってすっかり白銀の世界となっている。
 いろいろトラブルがあったが、とりあえずなんとか予定よりは二時間半ほど遅れて帰宅した。家に着いてみんなが集まる茶の間に入ると、まず目に付くのが(テレビと)炬燵である。東京の我が家は狭くて、その上ダンボールなどが山積みになっていて炬燵など設置する場所がない。電気ストーブが唯一の暖房である。

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← 紫苑さんにいただいたものです。「わが家のクリスマスツリー」だとのこと。皆さんは、どのようなイブでしたでしょうか。小生は…

 だから、冬、帰郷して嬉しいのは炬燵に当たれることだ。昔のような掘り炬燵ではなくなっていて、電気の炬燵だけれど、見た目は同じだし、毛布や薄手の布団をかぶせてあって、その上には四角いテーブルが載せられている。
 思えば、昨年の12月は炬燵を採り上げていなかったような。冬12月の季語だというのに。あるいは他の月に触れたことがあったかもしれない…。
 そう思って探してみたら、一昨年の11月に、季語としてではなく、あくまで炬燵の由来や囲炉裏との関連であれこれ詮索しているのだ。ホームページで載せてあるが、季語随筆に関連するということで、改めて別窓にその時の雑文をそのままの形で載せておく(張ってあるリンクだけ、多少、変更してある)。

 気づかれた方もいるだろうが、囲炉裏も冬12月の季語の季語(仲冬)である。
「囲炉裏」については、特に探求したことはないが、掌編「筍 の 家」では、囲炉裏のある部屋が物語の主な場になっている。同じく、掌編「銀箭(ぎんぜん)」も、物語は囲炉裏のある部屋を舞台に展開している。
 他の掌編の中でも囲炉裏のある部屋が登場しているかもしれない。小生は囲炉裏のある部屋に住んだことはない(記憶にある限りは)。ただ、親戚には囲炉裏のある家があって、その家には何度か泊まったことがあったようである。自分でも分からないのだが、囲炉裏は想像力を掻き立てるのだ。

 ネット上で「炬燵」の織り込まれている句を探すと、「よっちのホームページ」の中で以下の二つを見つけた(小生の拙句は末尾に載せる):

思う人の側へ割込む炬燵かな    一茶
耳遠く病もなくて火燵かな    虚子

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2005/12/25

鎌鼬(かまいたち)と真空と

季題【季語】紹介 【12月の季題(季語)一例】」を眺めていたら、今日はなぜか、表題にある「鎌鼬(かまいたち)」なる季語に惹かれた。
 子供の頃、意味もなく、わけも分からず、「かまいたち」という言葉を使っていた。誰かが聞き込んできたのだろう、その言葉は正体の知れない妖怪か何かの仕業を指すということで、原っぱなどで野球をしていて、別に何かにぶつかったとか擦ったというわけではないのに、切り傷のような怪我を負った時、「かまいたち」のせいだ、ということになった。

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← 雪の長岡にて。帰省の列車が架線事故で動かず、長岡からバスでの代行輸送となり、バスに乗り込んだのだった。向かうは直江津。そこから再び列車に乗り込んで、一路、富山へ。思えば昔は長岡乗換えが常だった。久しぶりに長岡で蕎麦を食べることが出来たのも、トラブルのお陰かもしれない。雪の中のバスの旅が風情があって楽しかった。村上春樹の『海辺のカフカ』を手に、ほとんど寝てすごしたけど…。

 野球とか缶蹴りなどをしている本人は夢中なので、いつどういった訳があって傷を負ったのか分からない。そんなとき、それは「かまいたち」のせいだと言って、騒いでみたりする。その騒ぎがまた楽しかったような。
 もしかしたら、水木しげる辺りの漫画か何かから仕入れた言葉だったのかもしれない。

「かまいたち」は、「鎌鼬」と表記することもあれば、「窮奇」と表記することもあることを、今回、ネット検索していて初めて気がついた。
 俳句の季語では、「鎌鼬(かまいたち)」という表記が使われることが多いようだ。
俳句歳時記 宝石」の「季語集・冬」では、「鎌風」という異名があり、「突然皮膚が裂けて刃物で切ったような傷ができること」と説明されている。
 ホームページが見当たらなかったが、「サンデー山口」の「札の辻・21 No.159 (2003年2月16日)」の中では、「冷たい寒風が手足に触れると皮フが裂け出血する。昔はイタチに似た妖獣の仕業とした。あかぎれとも。季は冬。」と説明されている。
 そうだった。「鼬(いたち)に似た妖獣の仕業」と言われていたのを思い出した。漫画でも幾度となく見たような。

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2005/12/24

三宅島はるか

 過日、ラジオで三宅島の話題を聞くことが出来た。
 が、例によって仕事中ということもあり、三宅島の観光について、万全の体制をとっていて、「三宅島島内では、ガスマスクの常時携帯 が義務付けられてい」る云々という話などがあったように覚えているだけである。
東京都公式ホームページへようこそ!」の中の「観光産業の概要 三宅島の観光産業 御蔵島の観光産業」なる頁を覗くと、三宅島の観光産業のおおよそを知ることが出来る。
「平成12年6月から始まった火山活動と7,8月の噴火、そして9月の全島民島外避難指示を受け、その後4年半は関係者以外は上陸できない島となっていました。しかし平成17年2月に避難指示解除となり、同年5月からは観光客の受入れを再開しています」という実情は、テレビ・ラジオその他で折々、見聞きしている。
 苦しい中でも頑張っていることを思うばかりである。

 たまたま、我がブログサイトでも、三宅島の名が(ついでの形ではあるが)出てきた
 そんなこんなを思うと、これは何かしら書き連ねて、三宅島への関心を改めて抱いてもらう一助になれたらと思う。 
 そうはいっても、小生、島という島へ行ったことは、夢の島くらいのものである。
 なので、ネット情報などを参考に、三宅島の周辺をネット上でということになるが、少々散策してみたい。

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掌編を書いたよ

 たまにはいいかなって、掌編を書いてみた。
 ある方が書いた「ロングシュート」という物語の影響を受けて。冒頭部分をちょっと借用させてもらいました:
勘違い

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2005/12/23

大カトーの台詞 (ジョーンズの練習日記・番外編 ②)

[削除]

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読書拾遺(シェイクスピア・ミステリー:承前)

読書拾遺(シェイクスピア・ミステリー)」と銘打っておきながら、前稿では肝心の(?)シェイクスピア・ミステリーに全く触れることが出来なかった。
 扱った小山慶太著の『消像画の中の科学者』(文春新書)が、物足りなさを覚えつつも、興味深いエピソードに満ちていて、なのに一つも紹介しないのも味気ないと、つい書き連ねているうちに紙面が足りなくなった(お腹も空いたし)のである。
 そうそう、前回、ネット検索していて残念だったのは、ラザフォードのレリーフのエピソードを扱いながらも、目当てのレリーフ画像を(ワニの画像共々)見つけられなかったこと。もっと時間をかけて探せば見つかると思うのだが。

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← 路肩に吹き寄せられた落ち葉。タイヤに踏まれ、次第に粉々に砕けていく。やがては粉塵に帰してしまうのか。

 『消像画の中の科学者』は読み止しで、他にも興味深い逸話があるのだが、後日、時間があったらまた採り上げてみるかもしれない。
 他の本に移る前にちょっとだけ。「ホジキンの捻れた手」という章がある。ホジキンとは、画家のハワード・ホジキンではなく、「X線回析法による生体物質の分子構造の研究」でノーベル化学賞を受けたドロシー・ホジキンのこと。
 彼女の肖像画は、一九八五年にマリー・ハンブリングが描いてる。元の絵は油絵なのか水彩画なのか、分からないが、章の表紙に載っている画は白黒で必ずしも鮮明とは言えない(ネット検索では、これまた目当ての画像が見つからない)。
 それでも、どこかフランシス・ベーコン(哲学者のベーコンではなく、彼の末裔でもある芸術家のベーコン)風な独特の画調が漂っている。それ以上に、まさに本章で小山氏が話題に採り上げているのだが、というか、指摘されなければ、小生の節穴だと間違いなく見過ごしたに違いないのだが、彼女の手元にこそこの肖像画の眼目がある。

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読書拾遺(シェイクスピア・ミステリー)

 表題を「読書拾遺(シェイクスピア・ミステリー) 」と大仰なものにしてしまったが、まあ、相も変らぬ雑読メモである。
 車中では、小山 慶太著の『肖像画の中の科学者』(文春新書)を読んでいる。
(実際には、この年末は、タクシー業務に関しては恐らくは96年末以来の忙しさを味わっているので、今月初めまでのようには、何処かに客待ちのために車をつけて、待機している間に読むという時間がほとんど取れていない。仕事に関しては、嬉しい悲鳴だが、車中読書に関しては困る…。ああ、不謹慎!)

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← 昨夜の休憩時、お月さんを見た。月と街灯が明るさを競っている?!

 レビューによると、「コペルニクスから寺田寅彦、ホーキングまで、歴史に名を残す科学者二十五人の肖像画に眼をこらせば、そこには人間的な、余りにも人間的な素顔が炙り出されてくる。知らず知らずのうちに科学史を散歩できるミニ列伝。」というものだが、数年前に出版された本。
 科学の啓蒙書を読むのが好きで、科学者の伝記を読むのが読書などをするようになった端緒みたいな小生だし、しかも、そこに絵画や美術に関する話題が組み合わさっているとなると、食指が動くのは当然。
 本書にある肖像画の大半は、小生ならずとも馴染みの絵で、教科書やネットでもちょっとした年賦に付されている画像の形で大概、見知っているものである。
 肖像画ということで、画家が誰かということには、少なくとも小生はほとんど関心を寄せたことはなかった。本書の中で画家の名を初めて認識した人ばかりである。
 多分、本書を読了したら、まずは二度とその画家のほかの作品を目にする機会もないし、画家を意識することもないかも。
 なるほど、肖像画を描く立場になってみたら、仕事として相当程度に描かれる科学者の人物像を把握する必要があるし、描かれたモデルを納得させないといけないし、かといってモデルに迎合ばかりしていては、画家(肖像画家)としてのプライドにも響いてくるし、どのように描くかで悩むことが多いのだろうと察せられる。
 それどころか、描かれるモデル本人どころか、科学者を取り巻く関係者をも納得させないといけないのだとなると、厄介至極な仕事である。

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2005/12/22

牡蠣と森との関係?!

 タクシーを走らせていると、いろいろな情報が入ってくる。
 季節ごとの空気の移り変わり、空の眺め、匂いの微妙な変化。人の流れ…。

 街の風景の変化など、最たるものかもしれない。都内を走り回っているように思えて、実は案外と同じようなところをグルグル回っているだけだったりする。それでも、お客さんの指図で走ってみると、あれ、ここを走るのは久しぶりだなと感じることが結構ある。
 で、町並みを眺めることになるのだが、びっくりするほど街の景色が変貌を遂げていたりする。街角などに真新しい、大きなビルが建っていたり、道路が整備されて歩道が一新されていて、装いが一変してしまっているのだと気付く。
 都心を走っている小生には、そんな経験をすることがしばしばである。再開発がドンドン都心で進んでいる。品川、汐留、大崎、大井、丸の内、秋葉原、築地…。
 一方、やや郊外の商店街は、一部を除いて、寂れていく一方なのだが。
 情報というと、ラジオから摂取するものも多い。このブログでも、ラジオから仕入れた情報をネットや本で裏書しつつ、あれこれ書き綴ってきたものである。

 入手するルートというと、お客さんから戴くものもある。
 無論、プライバシーに属するものは、胸に仕舞いこむしかない。
 一方、必ずしもプライバシーの類ではないが、得られた情報にどの程度の確度があるのか、判然としない場合も結構ある。ただの噂話か、場合によっては笑止千万と聞き流すしかないものも。

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2005/12/21

「煤払」…末期の一服

「煤払」は、この季語随筆で昨年の12月、すでに採り上げている。その表題も「煤払い」と、そのまんまで分かりやすい。
 季語としての「煤払」については、大凡のことはその記事の中に書いてある。
 なのに、一年を経過して(未だ扱っていない12月の季語・季題は数多くあるというのに)再度「煤払」を話題に採り上げるのは、季語として記述しておくべき重大な事項が抜けているのに気付いたから、というわけではない。
 昨年の「煤払い」においても、話題は特に後半の部分は、季語としての「煤払」より、専ら煙草に焦点が合っていた。
 実は今日、このキーワードを糸口に扱うのも、煙草に関する話題である。
 昨年の当該の小文を読まれたら、煙草には人一倍関心がある小生なりの事情の一端も分かるだろう。

 昨日、営業中、ラジオから煙草に関するニュースが流れてきた。マンションなどの耐震データ偽造問題などの陰に隠れていて世間的な耳目を集めにくいはずだが、それでもNHKはさすがに漏らさず報道してくれるのでありがたい。
 そこでニュース記事が削除されてしまわないうちに、関連する記事NHKのサイトから一部を抜き出しておく。
 といっても、児童手当が従来の小学校3年生までだったものが、今度の税制改正で6年生までに拡充された、その際の財源として、煙草に課せられている税金が、1本当たり1円ほどアップされるというニュースではない。

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2005/12/20

葛湯から古代を想う

 以前、この季語随筆「風天居士…寅さん」でフーテンの寅さんを扱ったことがある。
 フーテンなんて言っても今時の人に通じるかどうか。風俗店の略称か、なんて誤解されるかもしれないが、(正しくは?)「風天」か「瘋癲(ふうてん)」のいずれかである。
 意味合いは、リンク先で説明してある。

 そのフーテンの寅さんは、東京は葛飾・柴又の生まれ育ちということになっている。
 葛飾・柴又というと、都心からだと結構、東京の外れのほうというイメージが濃い。映画でも、荒川沿いの、何処かキューポラのある町を連想させるような、昨今の東京では珍しいような人情味のある町という色彩を漂わせている。
 それでも東京は東京なのだが、その東京にしても、江戸以来、繁盛した町というイメージがある。豊臣秀吉が徳川家康に江戸の地を与えられた時は、辺境の地であり、その地を家康が苦労の果てに切り拓いたという<常識>がある。
 尤も、さすがにその前に大田道灌という大名がいて、もともとの江戸城というのは、大田道灌が築いたのだということは知られている。ただ、「道灌の死後、朽ち果てたままになっていた江戸城を本拠とし、立派な城とすべく修築に着手したのが徳川家康(1542~1616)」だったのだと強調されるのが常である:
江戸net 江戸謎物語 太田道灌VS徳川家康」などを参照のこと。

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2005/12/19

冬座敷に隙間風が吹く

「夏座敷」というと、「襖や障子を外し、簾や風鈴などで涼しく装った座敷」で、夏の季語。一方、表題の「冬座敷」は、「襖・障子を閉め炬燵を置いたりストーブ等で暖めたりした座敷」で、冬12月の季語

「珈琲とリスニングのバッハ,リスニング,隠れ家,スローライフ」という「Bach relaxation space  バッハ リラクゼーション スペース」の中の、「季節のことのは・冬」にて「冬座敷」の項を覗いてみると、いつもながら簡潔だけど味わい深いコメントを得ることができる:

「葦戸を入れ、風鈴を吊り、蚊遣りを焚き、夏座敷から一変し、襖を入れ、手焙りや火鉢が置かれ、そこにかけた鉄瓶から湯気が上がっている風情が冬座敷です。
 今ではほとんど見かけない風情かも知れません。」

 最後の「今ではほとんど見かけない風情かも知れません」には、気のせいか、二つの意味が読み取れるような。
 時代の変化の中で座敷の担ってきた役割や位置付けが薄らいできたという側面と、個々の家庭にあって、それなりに齢を重ねた自分を振り返ってみて、一昔前は、あの部屋に嘗ては元気だった(威厳があって怖くもあった)父がデンと腰を下ろしていて、普段は口数の少ない父が、自分を呼びつける時というのは、大概は叱られるものと相場が決まっていて、ああ、そうだった、あの日あの時も、自分が何か悪さを仕出かしてしまって、姉か妹に父さんが呼んでるよ、なんて言われて、ビクビクしながら奥の座敷に向かっていって、そうしたら案の定、閻魔様と成り代わった父が顔を真っ赤にしていて、そうして冬の稲妻が落ちるのを覚悟した…。
 冬ということもあってか、火鉢に掛けられた鉄瓶からは湯気がシュンシュン立ち上っていて、ふと、父の顔が真っ赤なのは、もしかして父がたった今まで顔を鉄瓶に宛がっていて、それで赤鬼みたいに真っ赤に膨れていただけなんじゃないか、なんて、余計なことを思いつつも、ひたすら叱責の怒鳴り声の鳴り止むのを待っていた…。

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2005/12/18

はるかなる南米( 副題・ジョーンズの練習日記 12/18の巻)

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黒曜石から古今東西を想う

 今年の年末は、ことタクシーに関しては不況が始まった97年(8月)年度以前に近い忙しさを経験している。お客さんを乗せて走って、目的地で下ろした先にお客さんが待っているという、息つく暇がないというと大袈裟だが、それくらいの繁忙である。
 但し、相変わらず長距離のお客さんはないので売り上げが目覚しく増えるというわけではないが、ただ、仕事を終えて帰宅の途に付いても、疲れの中に仕事をした(!)という充実感のようなものは味わえる。
 まあ、この数年が悲惨すぎたのだ。年末で忘年会などがあっても、夜半前に電車のあるうちに帰るか、そうでなかったら(若い人などは)何処かの終夜営業のレストランで朝まで過ごし、始発の電車で帰宅するらしく、夜半を回ると、めっきり人影が疎らになってしまっていたのだ。
 それが、この師走は人影が途絶えることがない。何処かしらに人の姿を見かけるし、交差点の信号待ちの間に前のお客さんの記録(下ろした時間と料金、地名)を付けていると、コンコンとドアを叩かれ、「乗っていいか」という仕草や表情を示して合図する。
 もう、信号は赤から青に変わる寸前だったりするし、後ろや脇からバイクが来るかもしれないと感じ、日報の記載も半端なままに、慌ててドアを開け、乗っていただく。

 そんな慌しさの中にあっても、本は手放せないし、ラジオには耳を傾ける。タクシー業務では、実車率が大切で一日の走行時間のうち50%を越える実車率だと、なかなか効率がいい営業をしたことになるし、売り上げもそこそこにはなる。
 まして、60%に近づいたりすると、上記したように息つく暇もないという感覚を味わってしまうのである。嬉しい悲鳴。トイレも、お客さんが途絶えた瞬間を狙って、あるいはそれほどトイレの用を覚えていなくても、公衆便所を見かけたら、とりあえず車を止めて済ませておく。
 食事も、今だ! と思ったら、道端に止めて、さっさと済ます(夜中は別だが)。
 そうしないと、いつ、どんなところでロングのお客さんに遭遇するかもしれないし、そうでなくとも、次々とお客さんが乗ってくると、いつになったらトイレへ行けるんだ、とか、腹が減って仕事どころじゃないよー、という文字通りの悲鳴を上げる羽目になってしまうからだ。

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2005/12/17

鏡に向かいて化粧する

 この間、ちょっとした間違いを犯した。スーパーで買う商品の選択を間違えたのだ。
 小生は、タクシーの乗務員。洗車が付き物。
 といっても、ここでの清掃は、車内の話。
 運転中、車内の清掃には、多くの同僚のように、(使い古しの)タオルを湿らせて用意しておくのではなく、(予備のタオルは用意してあるが)ウェットティッシュを使っている。
 何処のメーカーのものでも良さそうだが、近所のスーパーには、「メンズビオレ 洗顔パワーシート」が置いてあるので、専らこのパワーシートなるウェットティッシュを愛用することになる。
 夏場など特にそうだが、必要に応じて一枚、パックから取り出して、顔や額や首筋を拭くこともあるが、主に車内の座席下やドアポケット、ダッシュボードの隅っこなど、狭い部分を吹くのに使う。

sion-luminarie

← 紫苑さんに戴いた神戸ルミナリエの画像です。最初は雨だったのが途中から雪に変わったとか。

 濡らしたタオルでも良さそうだけど、時間が経過するとなんとなくかび臭いような匂いがしてきそうで、小生は敬遠気味なのである。
 顔などを拭いたら爽快感が一瞬、味わえる。まして車内の隅っこなど埃の溜まりやすい部分などを拭けば、気分的にも清潔感が味わえるし、恐らくはお客さんにも少しは快適感を味わってもらえるはず。
 煙草を吸うお客さんが降りたあとは、すぐに窓を開けて換気(冬は暖房が、夏場はせっかくの冷房が一時的にふいになってしまうけれど、煙草臭さを消すためには仕方がない)、そして大概、足元や吸殻入れ周辺などが灰で汚れているので、ウェットティッシュで清掃する。
 とにかく、重宝なのである。数時間の営業を経過する頃には、さすがのパワーシートも汚れてくるし、湿り気がなくなってくる。
 そしたら、用意してあるビニールの袋に、吸殻などのゴミと一緒に仕舞い込み、さらにダッシュボードに納めてしまう。
 一日に数枚ほど使うだろうか。

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2005/12/16

「かんじき」からアイスマンを想う

 昨日の営業中、ラジオにて「かんじき」の話を伺うことが出来た。
「かんじき」という言葉を聴いただけで懐かしくなった。
 そうはいっても、小生自身は使ったことがあるわけではない。藁沓(わらぐつ)だったら、幼い頃に履いたことがあったような微かな記憶があるけれど。

2005_12150057

← お台場フジテレビ前で…。

「かんじき」は、「雪起し、雪、雪見、雪掻、雪卸、雪踏、雪まろげ、 雪合戦、雪礫、雪達磨、竹馬、スキー、雪車、雪沓、しまき、凍死、雪眼、雪女郎、雪折、雪晴、 氷…」といった一連の雪や氷関係の季語の仲間で、冬一月の季語のようだけど、せっかくラジオで話題に触れたばかりだし、この数日、襲来している寒波の凄さは一月下旬に来るはずの本格的なものだということもあり、敢えて簡単に触れておきたい。

 今となっては、「かんじき」と言っても、ピンと来ない人も多くなっているかもしれない。まずは、その画像を見ておきたい。
恵比須の郷」の「かんじき(和かんじき)くらべ」なる頁を覗くと、秋田、新潟、長野、岐阜、山形、北海道、富山などの「かんじき」の画像を見ることが出来る。

2005_12150059

→ 思わずズームアップ!

 このサイトには、ありがたいことに、「かんじきの歴史」が簡単に紹介されていて、「起源はとても古く、新石器時代に北欧から北アジア・北アメリカに伝わったといわれており、北半球の各地でその使用がみられます。日本でも、かんじきは縄文時代から使われていたと考えられ、その分布も山陰地方から北海道まであります。」という。

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2005/12/15

読書拾遺(サビニの女たちの略奪)

 何か書き忘れているなと思ったら、ここしばらく読書雑記から遠ざかっていた。遡ってみたら、この前書いたのは、「読書拾遺(辻邦生と丸山健二の体つながり)」(November 26, 2005)で、日付から見られるように、今日、メモしておかないと、三週間も間が開いてしまう。
 読書感想文なんてものを書くつもりもないけれど、メモするだけでも、できれば読了した直後に綴っておくに越したことはない。
 この間、何も読まなかったわけではない。
 念のため、読んでいる最中のものを含め、書名だけ、並べてみる。この半月あまりの季語随筆の中で、書名に言及しているものもあるが、ダブりなど気にしない。
 今、読んでいる最中なのが(というか、上・下巻の上だけ読んだが、下巻のほうは相変わらず順番待ちなのが、ダン・ブラウン著『ダ・ヴィンチ・コード』(越前 敏弥訳、早川書房)。読了しても感想を書くかどうか分からないが、本書を読むのを楽しくしている薀蓄めいた雑学的知識はあれこれあるので、その周辺を廻ってみるということで、若干、調べてみたい気がしている。
 田中史生著『倭国と渡来人』(吉川弘文館)も読みかけなのだが、他の本を借りる都合上、途中で返却。小生、古代史や考古学には日本のみならず海外のものも好きなのだが、この十年は日本の古代史関連の文献を漁るのがメインになっているみたい。
 この本を読んで、渡来人と帰化人の区別だけではなく、渡来人についても認識を新たにさせてもらった。
 学校の勉強は嫌いだったけれど、エジプトのピラミッド、インカ帝国、ムー大陸、遠足で海辺などの貝塚の痕などを見たりすると、日本でも文字の記録には残らない縄文の昔に茫漠たる想いを抱かされてしまう。
 縄文(あるいはそれ以前から)西や九州に限らず、北海道を含めた東の地にあっても、大陸との交流、日本列島各地との交流は盛んだったし、その拠点も随所にあったのである。

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2005/12/14

掌編アップのお知らせ

 評を戴いたこともあり、掌編「銀箭(ぎんぜん)」を評も併せブログサイトにも載せました。
「銀箭(ぎんぜん)」というタイトルは、ちょっといかめしいのですが…。

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板橋青春通り( ジョーンズの練習日記番外編① )

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2005/12/13

屏風といえば…

 ぼんやり「季題【季語】紹介 【12月の季題(季語)一例】」を眺めていて、さて、今日は何しようかと迷っていた。
 某サイトでストーブの話題が出たので、「ストーブ」はどうかと思ったが、昨年大晦日に扱っている。
 一昨年までは、不具合のある電気ストーブを使っていた。暖房について強・弱の切り替えがあるのだが、数年前、強がプッツンしてしまい、弱しか機能しない。真冬になっても、弱だけで過ごさざるを得ない数年を送ってきた、それこそ、ウォームビズの先駆けのようなダルマみたいな格好で寒さをしのぎながら。
 それが、一昨年の冬早々、とうとう思い切ってストーブを買い換えたのだった。やったー、である。実際には強に切り替えることはめったにないのだが、強があるのだが、敢えて寒さを堪えて弱で過ごすのと、弱しかないから弱で耐えがたきを耐えるというのとは、気分的に天と地ほどの差がある。
 そんなことを書こうか、などといった目算は当てが外れてしまった。
 
 と、さらに上掲の表を眺めていたら、表題に選んだ「屏風」という季語があるではないか。
 屏風。
 小生だって、屏風がどんなものかくらいは、分かる。
 俵屋宗達作の「風神雷神図屏風」とか、尾形光琳作の「紅白梅図屏風」や「燕子花図屏風」がある、なんてことも知らないではない。
 学生時代になんとなく眺めていた教科書には、ほかに「鳥毛立女屏風」なんてのもあったっけ。

MSN エンカルタ 百科事典 ダイジェスト - 屏風絵」で事典的な説明を求めておくと、「屏風とは、木枠の表面に布または紙をはった調度のことで、いくつも立てならべて間仕切りとして使用できる一方で、不要なときには折りたたんで撤去できるところが特徴である。こうした屏風にえがかれた絵画を屏風絵とよぶ」とか。

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2005/12/12

掌編アップのお知らせ

 久しぶりに掌編を書きました。ボクものです。なーんてことない、小品です:
雪の帰り道

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冬の蛾…我が友となる?

 昨日の日中から部屋の中に蛾が迷い込んでいる。今もパソコンの置かれた机の向き合う壁面の上を見やると、淡いベージュの壁紙の上に黒一点が目立っている。
「冬の蝶」という冬12月の季語がある。「冬の…」と冠せられた季語は12月には、それも生き物に限ってみると、そんなに多いわけではない。「冬の鳥」「冬の雁」「冬の蝶」「冬の蜂」
 このうち、小生はすでに「冬の蝶」(November 21, 2004)を採り上げている。
 冬の蝶というのは、季節外れの感があるからこそ床しい光景なのだろう。

2005_12120064

← 我が家の壁で憩う蛾です。しばらくしたら真下(つまり小生の方)へと向きを変えた! 壁際の蛾、瀬戸際の弥一と向き合うってことか?!

 俳句に関心を持ち季語随筆を綴る以前に、小生はその名も「冬 の 蝶」という掌編を昨年の一月に書き上げている。
 この小品は、実は実際に見た光景を元にしている。但し、設定や背景はまるで変えている。仕事で東京23区の外れの地へ夜中に来てしまった。お客さんを下ろして、さて都心へ戻ろうかとしていたら、ふと、闇の中に何か蠢くものがある。
 目を凝らしてみたら蝶々だったのである。月は出ていなかった(新月だったのか、たまたまその時は雲に覆われていたのか分からない)ので、郊外でもあり街灯の明かりも乏しくて、周囲の風景を画然と見るというわけにはいかなかったけれど、それでも、住宅街を取り巻くように畑が広がっているのは察せられた。
 夜半過ぎどころか真夜中で、あと二時間もしないうちに白々明けてくるような時間帯。
 そんな中にあって、蝶々がいるのはともかく、深沈と冷え込む、間もなく夜だって明けそうな時に飛んでいるのが不思議だった。
 あるいは、不思議がるのは、小生が蝶々の生態を知らないからに過ぎず、郊外の農地や畑地だったら、案外と珍しくはない光景なのかもしれない。
 けれど、小生には印象的だったのである。吐く息の白さが一層、そんな思いを鮮やかにしていたのだろう。

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2005/12/11

更新のお知らせ

 書評エッセイのブログサイト「無精庵万葉記」で、新旧のエッセイをアップ。
 コラムエッセイのブログサイト「無精庵明月記」にて、「ネットで味わった恐怖の一夜」をアップ。
 後者は、11月10日過ぎのネット接続が叶わない間に書いた呟き風の回顧談。なんとか復旧(に近い形)に成功しました!


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一文字(ひともじ)…それは葱

 サイト巡りしていて、ある言葉に思わず足を止めた(目が留まった)。それは、「一文字(ひともじ=葱)」。
 葱については、いつだったか、調べたことがあったけど、「一文字や次に出で来る葉を待ちぬ」なんて句に仕立てられると、実感が湧くし興味も湧いた。 
 なので、今日の季語随筆のテーマは「葱」か「一文字(ひともじ)」で決まりと一旦は決めかけていたけど、「拓殖大学北海道短期大学」の中の「相馬教授の解説コーナー ネギ」なる頁を覗いてみて、一遍にやる気が萎えた。

2005_12090060

 もう、この頁を覗けば、一体、あとは何を調べればいいか、途方に暮れてしまったのだ(例によって、ネット検索で見つけた「ネギ」の頁からは表紙や目次などへのリンクボタンは設置されていなくて、表紙を探り出すのに、ちょっと手間取った)。

← 12月10日、小憩を取った芝公園から東京タワーを望む。一度も上ったことがない。いつか、建て替えられる前に高みから展望してみたい!

 こうなったら、この頁のことは内緒にしておいて、例えば、最初に見つけた「和木町の歴史  郷土料理考 ~「おおひら」と「ひともじなます」~」などの頁を紹介して、折に触れてこっそり上掲の「ネギ」の頁で必要に応じて補足しようか、などと姑息なことを考えたり(ちなみにこの頁には表紙へのリンクボタンが設置してあるけど、クリックしても頁がない、となってしまう?!)。

 でも、まあ、やり始めた以上は、やっちゃおう!

「ネギの原産地は」、「中国の西部、中央アジア北部からアルタイ、バイカル地方であろうと、推測されてい」るとか。古書、山海経(中国古代の神話と地理の書)、礼記(五経の一)などにすでに「「葱」の字で登場し」ていて、「礼記にはネギの料理法が書かれてい」るなどといった記述から始まって、とにかく「ネギ」の頁は充実している。

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2005/12/10

「狩の宿」から「冬の旅」へ?

 例によって、「季題【季語】紹介 【12月の季題(季語)一例】」を徒然なるままに眺めている。このうちの二十個ほどの季語は採り上げている。
 それでも、相当数、扱っていない季語が残っている。
 ふと、表題にある「狩の宿」に目が留まった。
 記憶には定評のない小生だが、確か、ついでの折に言及することはあっても、未だ主題としては選んでいないはず…と思ったら、あった!
仮の宿」(December 10, 2004)
 が、よく見たら、「仮の宿」であって、「狩の宿」ではないのだ!
 実に紛らわしい。
 ただし、実際、その記事の中では、以下のように書いていて、簡単に「狩の宿」という冬12月の季語に触れている:

 

「仮の宿」は、季語でも何でもない。
 ただ、これが「狩の宿」なら、冬、それも12月の季語のようである。文字通り、狩りをするための宿で、昔なら、山間の粗末な(?)小屋だったりしたのだろうが、今なら、旅館かホテルか、とにかく立派な宿舎なのだろう。
 いずれにしても、「狩の宿」は、今の我々には馴染みが薄い。あるいは、全くない。

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2005/12/09

12月8日のこと

 今日は何の日、なんて改まった問いなど小生のサイトではあまり投げかけたことがない。
 でも、まあ、テレビ・ラジオでは、「元ビートルズのメンバー、故ジョン・レノンが凶弾に倒れてから8日でちょうど25年が経つ」といった話題が盛んに流れている。
 1980年に「40歳という短い年月で生涯を閉じたレノン」。そして彼を射殺した殺害犯のマーク・チャップマン受刑者(50)は、小生とほぼ同年代。つまり、同じ年頃の狂信的なファンがジョン・レノンを殺したことになる。
 小生は、高校時代からのビートルズのファンだった。が、実際にレコードやテープを買ったりしたのは大学生になってからのこと。
 けれど、大概はラジオが頼りだった。ラジオから流れる歌謡曲や演歌に耳を傾ける一方、アメリカの60年代のロックに傾倒していった。

 大学の帰り道、いつもならバスを利用するところ、なんとなく歩いて帰りたくなって、一時間半の道のりをただ淡々と歩く。
 声には出さないが歌を絶やすことはない。
 70年代は歌謡曲全盛の頃だったので、歌う歌に困ることはない。洋楽でも、ビートルズだったりミッシェル・ポルナレフだったり、ホセ・フェリシアーノだったり、ポール・アンカ、エルビス・プレスリー、まあ、思いつく限りの歌手の歌をサビの部分を中心に歌って歩く。
 感傷的な気分に深く深く浸っていく。友達と喫茶店などで語り合っていても、お気に入りの曲が流れ始めると、話などまるで聞こえなくなる。音楽の世界に飲み込まれていく。世界が曲の色に染まっていく。
 大学生になって三年目頃、下宿住まいを始め、中古のステレオを入手し、初めてレコードを何枚か買い始めた。もっとも、アルバイトで本代を稼ぐのがやっとだったので、買えたレコードの枚数は、大学を卒業する頃になってさえも、十数枚に過ぎなかったように思う。
 入学直後に、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に感激しクラシックに開眼。友人宅に行くと、主にクラシックのファンだった友人はベートーベンやモーツァルトの曲を掛けてくれるのだが、ポピュラーな曲以外は、耳に入ってこなくて、自分にはクラシックは縁遠いものと思っていただけに、メンデルスゾーンに聞き惚れたことは突破口みたいになり、ブラームス、シベリウス、ワーグナー、シュトックハウゼンなど、FMラジオから流れる曲を待ち焦がれるようになった。

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2005/12/08

後日談あれこれ

二つのおめでとう! 朝青龍とハヤブサと」で、横綱朝青龍(25=高砂部屋)のこと(この記事の時点ではまだだった、関脇琴欧州の大関昇進もすでに決定した! おめでとう!)と、小惑星探査衛星「はやぶさ」のことに触れている。

 この記事を書いた時点では、「はやぶさ」は、11月26日のタッチダウンに成功し、プロジェクタイル(発射体)が発射され小惑星「イトカワ」の試料採取にも成功した、ただ、直後、姿勢制御を失ったりとか、通信事情が困難になったという懸念される情報があって、目下、軌道修正作業中と書いている。

 が、昨日の(ラジオでの)ニュースで、「11月26日のタッチダウン直後から姿勢制御を失っていた「はやぶさ」に対し、プロジェクトチームはいくつかの緊急避難的な手段を講じることで、地球との通信速度を徐々に回復させてき」たこと、さらには、「試料採取のためのプロジェクタイル(発射体)が発射されていなかった可能性も出てきてい」ることなどの情報を得てしまった。
 データ解析の結果、当初の成功の報は、ぬか喜びに終わった…らしいのである。
「プロジェクトチームは、軌道再設定も含めた地球帰還に向けた努力を続けてい」るとのことだが、是非とも、帰還の可能性を探って欲しいものだ。
 プロジェクタイル(発射体)の発射は、火薬の消費というデータが得られないことから、なかったとしても、タッチダウンの際に極微量の資料を得た可能性は残っている、というのだし、帰還という光景を数年後に見、その頃には終わっているかもしれない、何処かのプロジェクトXかYに特集として採り上げられたら、楽しいかなと思う。

枯木立からケルト音楽を想う」の中で、紅葉した果てに路上などに散った枯れ葉の行方や末路をやや感傷的に綴っている。

renge-kareichou

 都内の主要幹線道路などに散った枯れ葉は、路肩付近に吹き寄せられ、やがて清掃車に運び去られていく、とまでは書いたが、さて、ただのゴミとして処理されて終わってしまうのか。

← 蓮華草さんに戴いた黄葉し散り敷かれた「金色の道」です。

 あるいは、地域によっては堆肥などの形で生かされるのか。
 裏通りだと、民家の前に堆積すれば、地域の人が掃き集め、ゴミにされてしまうのだろうが、住宅の前でない場合、風に吹かれ、車に何度も踏み潰され粉々になり、その末路は追いきれない。徹底して最後の惨状を追えば、それはそれで一個の語られざる物語となることだろう。

 一方、並木道だったり、山や郊外の散歩道などの土の道だったりすると、イチョウにしても散り敷かれた落ち葉は、まさに枯葉の絨毯となって目を癒し、足取りを和らげ、やがては朽ちていくとしても、それが土壌の地味となって細菌などの餌という形を通じて、いつかは木々の滋養分に還元されていく。
 機会があったら、枯れ葉の行方を探求してみたいものである。きっと、一冊の本にするに値するほどの情報が得られるものと思う。

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2005/12/07

氷輪…冷たく輝く月

 あるサイト主によりTB(トラックバック)していただいた。TB元である「秋・冬の現代俳句十句。皆さんのお好みは?|サイン、コザイン、タンジェント」へ飛んで頁を覗いてみると、幾つかの句が載っている。
 その中に、「氷輪に白々照らされ松の影」という句があった。一瞥して「氷輪(ひょうりん)」という言葉に目が。
 小生、「氷輪」という言葉を知らない(あるいは忘れてしまった)。
 調べてみると、「冷たく輝く月」だとか。
 語感もいいが、意味合いがなんとも今からの時期の月を表現するに最適なような気がする。

 TBしていただいたお礼の意味も込め、逆TBすると共に、コメントを残してきた。その際、小生のこと、一句、付したことは言うまでもない:

mikaduki
 氷輪に孤影映して山の道

← 6日夕方の月。肉眼ではくっきり三日月だったのだけど…。

   目に冴えし三日月なれど澄まぬ恋

 今日も夕方、洗濯物を取り込もうと、カーテンを開けてみたら、いきなり右斜め上の空に近くのマンションや二階建ての屋根の上から我が茅屋を見下ろすように、明日8日には半月(上弦)となるはずの、昨夜よりはふくよかになった三日月が。
 位置からして霄壤の月というわけにはいかないが、空気が乾燥している分、澄み渡った空に月影が冴え冴えと照っている。
 正しい表現(方法)になるのかどうか、分からないが(例えば、三日月には使えないとか、時期が問題だとか、同じ月でも時間帯によって光輪を使えないってこともありえるかもしれない)、あれこそ「氷輪」なのかと、覚えたての言葉を口ずさんでみたり。
 大慌てでデジカメを取り出し、自分の腕前では三日月など画像に取り込めるはずもないと思いつつも、撮影を試みたことは言うまでもない(案の定、三日月が、黒い画用紙に落ちて滲んだ白点になっちゃった)。

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2005/12/06

落句拾遺アップのお知らせ

 小生の雅句駄句落句、11月の成果をアップしました。
 これまでは「雅句駄句拾遺」と銘打っておりましたが、このたび、堂々「落句拾遺」と謳うことにしました!

sion-minamiza

← 紫苑さんに戴いた京都南座の画像です。中村鴈治郎改め坂田藤十郎襲名披露とか。詳しくは画像掲示板の829を参照してください。

 落語なる芸事があるなら俳句ならぬ落句なる芸能があってもいいじゃないか、ということです。
 だからといって、別に、その、中村鴈治郎改め坂田藤十郎襲名披露に対抗しようなどといった野心があるわけじゃありません。

落句拾遺11-1」へゴー!

(覗きに行ったら、素敵な画像に逢えるかも!)

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2005/12/05

山眠る…白き屏風

 11月に比べて12月の季語・季題例の多いこと。
 少ないのも困るが、多すぎるのも目移りしてしまって、選り取り見取りなんて言っていられなくなる。「12月は季題が豊富にあります」に示したように、すでに相当数、昨年の12月に扱っているという事情もある。
 それでも、表をぼんやり眺めていたら、なぜともなく「山眠る」に目が留まった。
 なんとなく、昨年末はともかく、すでに触れたような気もする、のだが。
 調べてみたら、「山笑ふ・花粉症・塵」(March 13, 2005)の中で、「山笑う」に連なるような季語・言葉ということで、「「山笑う」というと、「山眠る」(冬)「山粧う」 (秋)といった季語を思い浮かべる方も多いだろう」と書いている。
 以下のように「山眠る」「山笑う」)「山粧う」 といった一連の季語について典拠を示している:

西部医師通信 No.16」などによると、「北宋の画家・郭煕の 「林泉高致」 に 「真山水の烟嵐、 四時同じからず。 春山とう冶にして笑ふが如く、 夏山蒼翠にして滴る如く、 秋山明浄にして粧ふが如く、 冬山惨淡として睡るが如し。」 とあることから来ている」とか。

 但し、「さきわいみゅーじあむ」の「今月の季語」の当該項によると、「出典は「臥遊録」の「春山淡治にして笑ふが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧ふが如く、冬山惨淡として眠るが如し」から」とあって、「春山とう冶」と「春山淡治」といったふうに、若干、表現が違う。
「春山澹冶(たんや」といった表記を示しているサイトもあったりする。

 意味合いとしては、「珈琲とリスニングのバッハ,リスニング,隠れ家,スローライフ」の「季節のことのは・冬」に見出されるように、「雪を冠った山は、すっかり木々の葉を落としした冬山の景は、まさに「山眠る」です」ということのようだ。

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2005/12/04

『人生は風車』(副題・ジョーンズの練習日記 12/04の巻)

[消去]
[ちょっとデータが古いけど、ここ「■ブラジル音楽情報サイト ~試聴室」でサンバの曲の数々を視聴できます:サイト管理者(=弥一だってば)注]

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「ケルト文化」補筆

 訂正乃至注釈を加えておくべきことがある。
 前日の季語随筆「枯木立からケルト音楽を想う」の中で、小生は、「木」の文化とギリシャ・ローマ文明(それらを源流とするヨーロッパの文明)が文字があり従って記録(文書)があるという点で「石」の文化であり、片や文字を持たないという意味で「ケルト文化は「木」の文化であって、今日、その痕跡を見出すのは困難である」などと書いている。
 参照した「ブルースマンのケルト考  陳五郎」なるサイトでは、ちゃんと以下のようにして異を唱えているというのに:

朽ちた文明、あるいは腐食する文明。研究者は、故にケルト文化を「木」の文化と定義づけようとする。石造りの巨大な建築物や、神々や人物像等さまざまなものを現在に残すギリシャ、ローマを「石」の文化と位置づけ、これと対比させるようにして。最初この説にであった時はなるほど巧く言い表すなと感心したが、だんだん「木の文化ケルト」という表現が的はずれなもののように感じられてきた。いまや定説となったこのたとえが、果たして言いえて妙なのかどうか。

 小生は、時間の制約もあってケルト文化に関する情報をネットから見つけられなかったので、少々、引きずる面はありつつも、気になっていた。
 その日の夕方、図書館へ行った。その際、ケルト関連の書籍を物色。中に出色の本があった。それは、『松本清張のケルト紀行 (フォト・ドキュメント歴史の旅人) 』(松本 清張/佐原 真著、NHK出版編、飯田 隆夫写真、日本放送出版協会)である。
「内容説明」には、「スコットランド北端の島から南仏カルナックに到るまでの、ヨーロッパに散在する巨石記念物と、巨石聖徒ケルトの文化をたどる苛酷な取材の日々の中で、旺盛な好奇心に満ちた巨匠・松本清張の素顔を追う」とある。
 どちらもすでに故人である松本 清張/佐原 真の両氏は、共に小生の好きな書き手(作家あるいは学者)で、こんな本があったことに今頃、気づくとは情けなく感じたものだった。
 本書には、ケルトに関連する遺跡の数々が、豊富な写真で示されている。まさに紀行文なのだ。
 今世紀に入ってからもケルト関連の遺跡・遺物が相当数、発見されているらしい。
 その遺跡が、石作りのものが多いのである。石の遺跡の数々を次々と見せられて、小生、自分の記述の浅薄さと迂闊さが指弾されるようで、気恥ずかしく感じられていた。
 念のために断っておくが、「ケルト人がイングランドに流入してきたのは紀元前5世紀頃と見られている」のであり、有名な巨石遺跡であるストーンヘンジは、彼らの流入以前からあったものである。

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2005/12/03

枯木立からケルト音楽を想う

 都内では紅葉の季節も終わりに近づきつつある。春には桜並木として桜の花びらを散らした木々は、四月に入り五月となると、桜吹雪など何処の国の話とばかりに葉桜となる。
 淡いピンクの花びらをそれこそ初夏の風に吹き飛ばしてしまう。どことなく水浴びした犬が体を思いっきりブルブル震えさせて水滴を跳ね飛ばしてしまうような風でもある。
 そうして、ああ、ちゃらちゃらした賑やかしい、いや、喧騒で鬱陶しい時期が終わってせいせいしたとばかりに濃い緑の葉っぱに覆われて、今こそ我が世の春なのだとばかりに光をタップリ撥ね、あるいは葉に吸収し滋養に変え、わが身を豊かで揺るぎない存在に変貌させる。
 葉っぱを全身に纏った葉桜は、夜などに風に揺られているさまを見ると、ふと、洗い髪を風に任せている湯上りの女を連想したりする。そう、日の光を昼間のうちに存分に飲み干しつくた、宵の口からは水銀灯の光、月の光、星明り、時折のヘッドライト、公園を睥睨するかのように聳え立つマンションからの窓明かりを適宜に浴びて、風と灯火のシャワーを浴びている。
 そんな人生の時の時を過ごして、さて秋も深まり、空気も乾き、冷たくなり、葉っぱは一気に萎れていく。
 不思議なことに、葉桜は赤茶けたような色に変色する直前、葉っぱがこれでもかというほどに巨大化する。
(リンク先にも注記してあるが、俳句の世界では、「葉桜」というのは夏の季語なのであり、別の呼称に「桜若葉」があり「花が散った後の桜の若葉」を意味する。)
 それとも、五月の頃の葉桜の葉が数ヶ月の栄養摂取と消化吸収の歳月を通じて徐々に大きくなっていたことに、葉っぱの変色で気づいたに過ぎないのだろうか。

 葉桜の葉は、枯れると一気に風に身を任せる。桜並木は道路沿いに居並ぶのが通例だから、数知れぬ車が行き過ぎる風圧にも呆気なく吹き千切られてしまう。ドライバーも自分が走らせる車の巻き起こす風が葉桜の葉を容赦なく叩き落していることなど、まるで気に掛けない。
 葉っぱのほうだって、懸命に枝にしがみついていようという気など、これっぽっちもないようだ。もう、葉っぱとしての役目は終えたのだ。今更、何を未練がましく枝に、この世にへばりついている必要があろうか、そんな主張さえしない。
 そんなにいさぎよく葉っぱが散っていったら、残された木や枝や幹は寒かろうに、という思いやりの欠片もない。
 枯木立が残るばかりである。

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2005/12/02

冬の雲…真冬の明け初めの小さな旅

 東京はこのところ晴れの日が続いていて、特に降雨のない日の連続については記録的だという。
 だからといって冬ともなると、雨や曇天が恋しいとは思わない。冬の雨は冷たい。辛い。不況だったり、体調が悪かったりすると、そぼ降る雨でも身を叩くような感を覚えてしまうのだ。
 そうはいっても、天気は気まぐれなもの。天の思し召し次第のもの。少なくとも地上で迷い惑うものには、なるようになるのを見守っているしかない。
 晴れ続きの東京も、天気予報によると、週末の土日辺りは雨の予感。いずれにしても、曇天は間違いないよう。
 ということで、今日の題材はちょっと地味だが表題にあるごとく「冬の雲」である。
 言うまでもなく、「季題【季語】紹介 【12月の季題(季語)一例】」の一つである(「俳句ステーション」サイトより)。
俳句歳時記宝石箱」の「季語集・冬」、その「冬の雲(ふゆのくも )」項によると、傍題に「冬雲 凍雲 寒雲」があり、「晴れた日に空を半ば閉ざしたような雲は色、姿ともに美しい」などといった説明が付されている。

よっちのページ」の「三省堂 「新歳時記」 虚子編から季語の資料として引用しています。12月の季語」なる頁を覗く。
 そこには、「冬の雲はかたく陰惨の感が深い」と簡潔に。
 さらに、以下の句が掲げられている:

旅空や凍雲もるゝ日一筋     王城
時化あとの浪疲れゐて冬の雲     方舟
冬雲は薄くもならず濃くもならず     虚子

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2005/12/01

12月は季題が豊富にあります

 例によって「俳句ステーション」サイトの「季題【季語】紹介 【12月の季題(季語)一例】」表を眺めている。
 今日から12月である。リンク先を御覧になると分かるが、「12月は季題が豊富にあ」る。もう、この一ヶ月分で一年が賄えるのではと思えるほど。目移りして困る。懐具合からして、せいぜい一冊か二冊しか買えないというのに、一気に新刊書が書店の店頭に平積みされたような。圧倒されて目が回る。
 どの季語・季題にも食指が動く。ただ、この季語随筆は昨年の秋口から始めているので、12月の季題についても、昨年の12月の間に幾つかはすでに採り上げている。
 たとえば、「短日」「冬の月」「冬ざれ」「竈猫(かまどねこ)」「都会の落ち葉」「冬の嵐」「夜鷹蕎麦」「仲冬・大雪・炬燵」「鰤(ぶり)起こし」「仮の宿」「虫の音」「火鉢」「枯尾花」「ポインセチア」「煤払い」「影踏み」「雑木林」「冬の星」「月に雁(かり)」「青みどろ」「日記買ふ」「毛糸編む」「冬木立」「影絵の世界」「水銀体温計」「西鶴の感情:世間胸算用」「茶の湯とキリスト教と」「ブログに暮れていく」「地震・津波・俳句・川柳」「息白し」「ストーヴ

 この中には12月の季語・季題ではないものが含まれています。さて、どれでしょう? なんて、つまらない質問をしてみたりして。
 答えはリンク先と照合してもらえば一目瞭然なので、敢えて書く必要もないだろう。
 中には、「青みどろ」のように、明らかに冬の季語ではないと分かるものもある。夏の季語。

 上掲した昨年12月に取り扱った季語・季題だが、実はこれらが即、表題ともなっている。近頃の小生の表題の長さからして、一年前は季語随筆という本ブログの趣旨に忠実に書こうとしていたことが分かる。
 分かるというより、改めて気づかせられた。一年も経つと、書くことはまだまだあるのだろうとして(それは同時に俳句に関して学ぶべきことが無尽蔵とは言わないが、際限なくある、ということでもある)、小生の守備範囲からしても工夫を凝らしたり、季語や俳句であっても扱う角度や視野を広めるか変えるようにしているという苦肉の策の傾向が強まっていると察せられてくる。
 この分だと、あと数年後には(その頃にも続いていたとして)、本文より表題のほうが長くなりはしないかと、ちと、心配である。

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