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2005/11/27

茶の花…茶の湯…一休さん

季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例】」に並ぶ季語・季題を眺めると、「茶の花」という季語のあることに気づく。
 気づいてはいたが、どこかひっそりしている感があって、いつも素通り。
 実際、ネット検索しても、「茶の花」を扱うサイトは少ない。

 例によって「よっちのページ」の「三省堂 「新歳時記」 虚子編から季語の資料として引用しています。11月の季語」の「茶の花」の項を覗かせてもらう(予断だが、この頁からホームページへのリンクボタンが張っていないのが困る。ホームページから当該頁へは行けても、逆は難しいのだ。そんなサイトが実に多い。これって仕方ないことなのか…)。

「初冬の頃白い花を開く。吐くやうな黄ろい藁に日がさして茶の花日和とでもいひ度い日が来る。葉陰・葉表に円い蕾が可愛いゝ」とコメントが付せられてあって、茶の花の画像も載っている。やはり地味だ。けれど、可憐でもある。
「茶の花に隠れんぼする雀かな」と一茶が詠むのも分かるような気がする。蕪村の「茶の花のわづかに黄なる夕かな」も、ただ素朴にいいと思う。

≪‘のぶ‘のフォト俳句≫ ~from伊勢 ☆~..... ≪フォト俳句(175)≫10-5 ④茶の花・曼珠沙華(伊勢市郊外度会町)」を覗かせてもらうと、茶畑での茶の花の画像が載っているのを発見。
 そうか、言われてみれば茶畑に行けば、時期さえ外さなければ茶の花の咲き誇る(?)光景を愛でることができるのだ。もっとも、花を愛でるのが好きな人も、ことさらに静岡や三重や鹿児島などの茶畑に出向く…とは思えないけれど。
 この頁には、「掌にのせ茶の花を仰向かす」 という富安風生の句も掲げられている。こんないたいけな花を摘んで手の平で仰向かせた…。ちょっと可愛そうな。きっと、ふと畑の筋に落ちた白と黄色の茶の花に目が留まり、思わず手に取って、その感触を確かめてみたかったのだろう、そう、思いたい。

 さて、十日ほど前、図書館の書架を物色して歩いたら、ふと、一休についての本に注意を喚起された。それとも、著者名の栗田勇氏に引き止められたのか。
 その本とは、栗田 勇著の『一休  その破戒と風狂』(祥伝社)である。
 栗田勇氏と言うと、初めて氏の本を手に取り買ったのは、今は新潮文庫で入手可能な、『一遍上人―旅の思索者』だった。レビューには、「河野水軍の血を享けた偉丈夫、一遍智真は、愛と憎しみの底知れぬ苦悩の果てに、わが身を捨て、捨てる心をさえ捨てて、諸国漂泊へと旅立った…。国宝絵巻『一遍聖絵』に描かれた足跡を各地にたどり、肌身で感得する遊行の心。信・不信をえらばず浄・不浄をきらわず、ひたすら念仏流布の旅に生きて死んだ男の、足音に耳をすまし、生身の人間像に肉薄する」とある。
 書店で買った本は(記憶違いかもしれないが)箱入りだったような。学生生活も最後の年を迎えていた。友人たちは、さっさと卒業するか退学していて、小生は徹底して孤独な二年を陸奥(みちのく)仙台の郊外のアパートで送っていた。
 しばしば杜の都を何時間も掛けて歩き回った。市街地をそんなに離れることもないのに、気分は漂泊者だった。セリーヌの『夜の果てへの旅』を古書店で見つけ貪るように読んだのも、そうした時期だったような。
 だからこそ、栗田氏の『一遍上人』は、思い入れタップリに読んだ記憶があるが、さて、どんな思い入れをしたのかは、さっぱり覚えていない。他愛もないことである。
 ただ、「円伊が絵を描き,お弟子さんの聖戒が詞書きを書いた「一遍上人絵伝」」の絵を食い入るように眺めていたことは間違いない。同行の士など小生にはありえないとしても、空想の中でなら、どんな人物を思い描いても構わないのだし。
 
 『一休  その破戒と風狂』は、出版社(著者)の紹介によると、「とんち小僧「一休さん」と反俗の禅僧「一休」
その謎と矛盾に満ちた生涯の実像に迫る
とんち小僧として誰からも親しまれる「一休さん」は、禅院の世俗化を痛烈に批判し、森侍女(しんじじょ)との愛欲を赤裸々に詩いあげた反俗の禅僧でもあった。このあまりにも大きい落差を、どう考えたらいいのか???。一遍、道元、良寛、最澄と、日本の精神文化史上の巨峰に挑みつづけてきた著者が満を持して放つ畢生(ひっせい)の書き下ろし巨編。
現代は、気づけばこの世のものとも思えない狂乱の坩堝(るつぼ)である。日本の歴史をふりかえると、一休の生きた室町という時代もまた、一皮めくればアナーキーな動乱の渦巻そのものであった。一休は、時に酒肆婬坊(しゅしいんぼう)の巷(ちまた)に、あえて破戒(はかい)の行(ぎょう)に身を浸し、狂を巻きおこすことをことさら強調している。中年には金銭による同門の僧の形式的授戒と得度の布教をこっぴどく罵倒し、また晩年には森侍女(しんじじょ)との恋愛を高々と歌い上げ、唯一の自著とみなされる詩偈集は『狂雲集』と名づけられている。その生涯をつらぬく語は「狂」である。一休の「狂」は、あらゆる限定を突き破って、天空の極を生きることであった。(著者のことば)」とある。

(この中で気になるのは、「唯一の自著とみなされる詩偈集は『狂雲集』と名づけられている」とあるけれど、本書の「あとがき」には、一休をめぐる本は数々あるが、「学術、専門的研究家の説としては、一休和尚の著作は『狂雲集』『自戒集』のみで、他の文章は後代の仮託であると断定するものさえある」などと書いてあること。「仏典研究考証を専門としていない筆者には、とうてい詳細に読解することは不可能と思われた」ともある。つまり、少なくとも『狂雲集』が唯一というのは、難があるのでは、ということだ。)

 あれ、著者の紹介を忘れてる! 栗田 勇氏の略歴は、「昭和4年生まれ、東京出身。東大仏文科卒。フランス象徴主義の詩人・ロートレアモンの個人全訳(本邦初)を皮切りに、多彩な創作評論活動を展開。日本文化論の第一人者として知られる。昭和52年、『一遍上人』(新潮社)により、芸術選奨文部大臣賞を受賞。平成11年、紫綬褒章受章」と上掲のサイトのレビューにはある。
 このフランス象徴主義の(詩人)研究が皮切りというのは、本書(のみならず)にて言及される一休の漢詩理解でも、歴然と感じられる。
 というより、ご自分でも書いておられる。本書より一部だけ当該箇所を転記してみよう:

 

……私は、詩との出逢いを、フランスの十九世紀象徴派の詩人たちで味わい学んだ。そこには、言葉にならぬもの、してはならないものだけが、詩の世界であらわになることを示そうと努力している。
 たとえば、ボードレールの代表的詩集の名は『悪の華』である。酔いどれ詩人ヴェルレーヌは、カトリック信仰告白の詩集『叡知』を書き、そして「吾は他者なり」と呟いたランボオは、『地獄の季節』で、日常的現実を木端微塵に砕いて、「冷静な錯乱」のうちに自らを追い込み、自分は、見てはならないものを見た他者であり、詩人とは「見者(Voyant)」に徹することだと書いている。
 これらの人々が目指した世界は、きわめて禅に近いと、一休の詩を読みながら思わざるをえない。

 まあ、この点には、小生は必ずしも賛同はしかねるのだけれど、一休の漢詩や禅は、そういった解釈(受け止め方)を許容する、乃至は哄笑する常識はずれな余地は、あまりあるほどだとは思う。
「晩年には森侍女(しんじじょ)との恋愛を高々と歌い上げ」ような漢詩を、その泥沼の愛欲の世界から脱臭し漂白するには、象徴派の理屈を援用するしかないのかもしれない。
 閑雅な禅寺の奥で生臭坊主が遥かに若い女を相手に夜毎日毎に淫蕩に耽ったのとは訳が違う! というわけである。敢えて、詩に仕立てたのは、当時の権力や世俗にこびへつらう風潮に鉄槌を下す意味があった、というわけでもある。

 だけど、良寛も一休も骨身をしゃぶり、腸(はらわた)をも舐めつくし味わいつくす愛欲の泥濘に首までどころか頭までどっぷりと本気で浸かっていた…、愛人の股間に頭を突っ込んで窒息しそうになった、そうであって、何故いけないのだろう。ただの創作で詩を綴っていたというのか、自らの肉体で地獄のような愛欲の闇夜を彷徨って見せた、そうした炭になってまでも肉欲の止まない、金銭欲、出世欲、見栄、世間体に囚われ離れられずもがき続けるのは実相なのではないか、そこから離れたところでの悟りなど嘘っぱちだと、他の坊主に対してだけではなく自らに対しても「喝」を入れた、と理解して構わないではないか。
 象徴派詩人も酒と女と(薬と)に、単に言葉の遊びとして溺れたわけでもあるまいし。

 さて、やっと本題に入る。一休と茶の湯の関係である。「茶の花」を今日の表題に選んだのも、一休の茶の湯の世界への関わりを話題の遡上に乗せたかったからだ(他に一休さんについては採り上げたい、採り上げるべき話題は多いのだけれど)。
 が、ここは(この点も)もっと優れたサイトが数々ある。

 たとえば、京都・紫野にある臨済宗大徳寺派本山である大徳寺と茶の湯の関係を説明してくれる頁もある。
 一休さんは、大徳寺再興に大きく寄与した方なのである。

 ここでは、「一休宗純と茶の湯」なるサイトが分かりやすくていい(なんといっても、画像があるのが大きい!)ので、このサイトをメインに一休さんと茶の湯の関係を見てみる。

「一般庶民ばかりでなく、一休のもとには有力な大名や公家、商人、文化人が参禅しました。なかでも、堺の豪商・村田珠光は高弟の一人として知られ、一休から"侘び"の境地を学んだといいます。やがて、それは茶の湯の心として大成され、その後の武野紹鴎や千利休へと引き継がれていくのです」とある。
 生臭坊主の典型でもある一休さんと茶の湯。
 しかも、"侘び"の境地を村田珠光らに教えた!
 この、一見すると謎めいた関係にこそ、ある意味、一休禅の秘密を解く鍵があるのかもしれない。

一休のもとには多くの文人墨客が競って参禅するようになりましたが、なかでも茶の湯の開祖といわれる村田珠光は、禅の修養を通して悟りの境地に達し、その証として一休から「圜悟克勤<えんごこくごん>」(中国宋の禅僧)の墨蹟を与えられました」という。
「では、珠光は一休から何を学んだのでしょうか。将軍義政から「茶の心とは何か」と問われたとき、珠光は「茶とは遊に非ず、芸に非ず、ただ禅悦の境地にあり」と答えたといいます。一休のもとで参禅を重ねるうち、仏の教えは経典や僧侶の言葉の中だけにあるのではなく、茶の湯(日常生活)の中にこそ見出すことができるという“茶禅一味”<ちゃぜんいちみ>の真理を得たのです」

 さらに、「珠光は、それまでの派手で形式を重視した“大名茶”ではなく、茶をたしなむ者の心の有り様に重きを置いた茶の湯を追求。四帖半の質素な茶室の、その脱俗した空間ではすべて平等で、身分や主従はなく、ただ亭主のもてなしの気持ちが重要だと考えたのです。それはまさに、「仏は心の中にある」と説いた一休の思想を具現化したものだといえます」という。
 ただ、「脱俗した空間ではすべて平等で、身分や主従はなく、ただ亭主のもてなしの気持ちが重要」というのは、分かるが、同時に、その空間において、逆に建前も見栄も取っ払った生の人間が居るだけなのだとしたら、むそろ、その四帖半の質素な茶室では、剥き出しの人間性を見つめる場であっても、いいはずだ。
 そう、一休が愛欲地獄を堪能したように、決して"侘び"の境地一辺倒ではないはずなのではないかと、野暮な小生などは思う。人間の炭になっても涸れることのない本能に向き合う場であっていいはずなのではないか。
 というより、世間体を脱俗したなら、社会的地位に基づく嗜みを漂白したなら、あるのは肉と心の塊以外に何があるか、と小生は思うわけだ。
 ま、小生らしい、頓珍漢な発想だとは思うけれど、衣服を着ていてこその世間体。脱俗したなら、そこにはどんな世間の俗より俗な生臭さが漂ってしまう、そんな空間をも、つい妄想してしまうのである。

 さて、小生が一休に関する本を図書館で目にしたとき、何かが胸のうちで疼いていた。
 それが何か、本書を最後の最後まで読み通すまで分からなかった。
 その疼きの原因とは、分かってみたら簡単なことだった。
 一休さんは、上掲したように、一休さんは大徳寺の再興に大きく貢献している。その大徳寺の再興という事業も見通しがついた文明十三年(一四八一)、八十八歳で一休さんは亡くなっている。
「十一月七日、病重く、水も喉を越さず、二十一日午前六時、座った姿で眠るように心静かに示寂(じじゃく)した」のだった。

 そう、記憶の片隅に一休さんは今頃(図書館で一休さんの本を目にした頃)、亡くなられたという微かな記憶があって、本書を手に取らせたのだろう、そんな気がするのである。

茶の花の秘めたる想い熱からん     (や)

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コメント

 一休は文明3年78歳の年に、摂津住吉において盲目の美女森(しん)に出会いました。
   憶う昔、薪園(しんえん)居住の時
   王孫の美誉(びよ)、聴いて相思う
   多年の旧約すなわち忘じて後
   猶愛す玉[Unicode:0x5826](漢字が出てきません、ぎょくかい、と読むそうです)新月の姿

   木凋(しぼ)み葉落ちて更(さら)に春を回(かえ)す
   緑を長じ、花を生じて旧約新たなり
   森(しん)也(や)が深恩もし忘却(もうきやく)せば
   無量億劫(おくこう)、畜生の身

 きれいなお姉さんといちゃいちゃして、幸せそうです、一休さん。
 凋んでいた木が元気になって、葉をつける、花が咲く。はい、ここは素直に、回春の妙薬と理解したほうがよさそうです。ありのまま、あるべきように、そのまんま。
 無理して格好つけた解釈をするのは却って変てこですよね。

 女陰に向かって3度礼拝。
   女をば法のみ蔵というぞ実(げ)に
   釈迦も達磨もひょいひょいと生む ―― 一休宗純

投稿: 青梗菜 | 2005/11/28 05:11

青梗菜 さん、こんにちは。
>一休は文明3年78歳の年に、摂津住吉において盲目の美女森(しん)に出会いました。

京都や奈良や大阪に住んでいると、歴史が身近に、現実感を以てあると思うのでしょうね。
郷里(富山)に住んでいた頃、勉強が嫌いだったこともあるけど、歴史って教科書の中だけの他所事に感じていたのを思い出す。
関西とは言わないけど、東京に住んでいたら文学者や宗教人が確かにこの地を歩いていたと感懐も深かったかも…。そうでもないかな、小生の場合。

前段の「木凋(しぼ)み葉落ちて更(さら)に春を回(かえ)す  緑を長じ、花を生じて旧約新たなり」はいいけど、後段の「畜生の身」という語に一休の迷いを感じます。
本当に回春したのであり、そのことを肯定したのであり、敢えて披瀝したのなら、「畜生の身」ではなく、老いたとはいえあるべき「人の身」だ、と謳うべきだったと思うのですが、如何?

だって、「釈迦も達磨もひょいひょいと生む」と、一休宗純さん自身、言っているんだしね。

お月さん(ナイフ)の画像、ありがとう。近く、使わせてもらいます。

投稿: やいっち | 2005/11/29 08:45

 たしかに、「畜生の身」は自虐的に過ぎる感じ。彼一流のアイロニー、ってゆ~か、彼の言葉遣いなのかもしれない。なんせ、冥土の旅の一里塚、ですから。
 なんにつけ一休は薄汚いのですが、それも自覚してやってることなのでしょうね。たとえば病的なほどに潔癖な道元などと比べるまでもなく小汚い(〃^∇^〃)。
 良寛のぶっとんだ生き方は、からりと乾いた印象で、粋とか、洒脱って言葉が似合いそう。対して一休はウエットな感じ。そういえば良寛も、あぁうらやましい、もとい、いやらしいことに、晩年には40歳も年下の尼さんと恋に落ちていますが、なんとも肯定的な、本当のところの葛藤はどんなものかは知らないけれど、とりあえずうわべ上は大肯定のあっけらかんでした。
 親鸞は、・・・って、だいたい有名どころの坊主って、みんな破天荒で、どスケベではないですか(〃^∇^!)。倣いましょうか、国見さんっ。

投稿: 青梗菜 | 2005/11/30 00:02

青梗菜さん、釈迦に説法ですが、蓮如など、もう、二の句が継げないほど。見習いたいです。ホント!
その前に青梗菜さんに倣うべきかな。

所詮、宗教はこの世を、生きていることを肯定したからこそある。そうでなかったら、宗教など興す必要などあるはずもない。

投稿: やいっち | 2005/11/30 01:23

 蓮如って、親鸞の系譜で・・・、ググってみたら一休の友だちでしたか~。マフィアか戦国大名みたいな坊主ですねぇ。5人の妻に27人の子どもです。僕には度が過ぎてます、勘弁してください(〃^∇^〃)。暁烏敏くらいがちょうどいいです。
 肯定、なんですけどね、度が過ぎるのはつらい。立川流真言なんて、どう考えても苦行です。短いけど覗かないでね、くらいがちょうどいいかな、なにごとも。

投稿: 青梗菜 | 2005/11/30 03:07

青梗菜さん、立川流と来ましたか。こういう話はどうしても、一つの典型としてそこに行き着きますね。肯定の中に、度というより、やはり宗教人の問いの深さ真剣さ、人の悩みに真摯に向き合っているかどうかが問われる。
その意味で、立川流には思いっきりぐらつきますが(若い頃は、もう、涎などが出っ放しだったっけ…)、そうした問いかけにどこまで応えられるか、が問題なのでしょうね。
ま、改めて。

投稿: やいっち | 2005/11/30 09:34

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