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2005/11/06

稲孫(ひつじ)と蘖(ひこばえ)と

 ある方のサイトを覗いたら、「稲孫(ひつじ)」という言葉に出会った。コメントには特に季語とは書いていないが、稲孫(ひつじ)だという画像を載せてくれている。
 この言葉を織り込んだこの方らしい持ち味の句も寄せられている。勝手ながら敢えて転記させてもらうと:

 稲孫伸ぶ幼稚園児の長い列    (ち)

chari-hitudi
 そこには、「秋空のもと、お散歩にでもいってきたのだろうか。稲孫という言葉を知らなかったが、稲の孫だなんて上手く言うなぁ~」なんて簡潔な説明も。

← ちゃりさんサイトのこの記事に載っていた稲孫の携帯画像。

 小生、ネット検索してこの言葉が季語(秋十月:俳句歳時記)であることを確認。仕事の時間が迫っていることもあり、コメント欄に取り急ぎ、下記の句を残してきてしまった(慌てる弥一後を濁す、である。申し訳ない):

 稲孫伸ぶ刈られし稲田見渡して    (や)

 この「稲孫」なる言葉を調べようと、「稲孫(ひつじ) 季語」をキーワードにネット検索してトップに浮上してきたサイト(頁)は、「らくっこ☆ぴこりん ひつじ田」だった。
 そこには、「だれが植えたというわけではない。刈り取りがおわった稲の株から雑草のように青く葉が伸び茎がのび、秋の日のした花が咲く。ちいさな稲穂のようなものができることもある。もちろん稲といっても雑草のようなもので、せっかく生えてきたところで誰にも世話されることもない。まったく顧みられることもなく見捨てられるままである。」などと書いてある。
 別に反論というわけではないが、「せっかく生えてきたところで誰にも世話されることもない」というのはその通りだろうし、「まったく顧みられることもなく見捨てられるままである」というのも頷くしかないのだけれど、「顧みる」が世話ということではなく、田の所有者あるいはただの通りすがりの人が折々にふと目にするかどうかというと、心有る人は結構、その光景に感慨を抱かされるのではなかろうか。
 感慨というのは、やや大仰かもしれないが。

 このサイト(頁)「らくっこ☆ぴこりん ひつじ田」では、「刈り取ったあとの株からのび出す稲を「ひつぢ」という。「稲孫」と書くこともあるらしい。そういう田んぼを「穭田(ひつじだ)」というらしい・・」ということで、「田の普通名詞」を教えてくれるサイトの頁まで示してくれている。
 この「田の普通名詞」なる頁は、「よっし~の畑」というサイトの中にあるようだ。

らくっこ☆ぴこりん ひつじ田」では、「穭田はかの世の境逢ひにゆく」(山本雅子句集「月明」)までも教えてくれた上、以下に続く小文もなかなか味わい深い。

 こうした「稲孫(ひつじ)」の生える「穭田(ひつじだ)」というのは、刈り取りの終わった田の地味が肥えていることを示しているということなのか(一部には、稲孫田「ひつじだ」という表記も見られたが、さて)。
 悲しいかな小生の記憶を辿っても、田舎の田圃での稲の刈り取られてしばらくまでの光景は思い浮かべられるが、さて「稲孫(ひつじ)」が生えたかどうかは定かではない。なんとなく草のような状態で数本、生えてきたような気もするが、あやふやで確たることは分からない。
 まあ、高校時代までは碌に田圃など家業を手伝わなかったし、その後は、帰省というと春休み、夏休み、冬休みなどで、9月から12月末までの田圃の光景は観たことなく今日まで来てしまった。冬は雪に埋もれてしまっているし。
 怠けてきたせめてもの償い(?)に、調べてみたら生えてくる「稲孫(ひつじ)」は一般的に「蘖(ひこばえ)」と称することが分かったことだけメモさせてもらう。
 さらにこの言葉をネットで調べると、以下のような説明が見出された。けれど、それ以上に「根株」の生長具合を示す画像群(ひこばえ(021214))が観ていて楽しい:

●蘖(ひこばえ)=伐った草木の根株から出た芽 (広辞苑) ●切り倒された木の株や根から再生して来る若い芽のことです。●「孫生(ひこばえ)」とも書くそうです。

 あるいは、ここでは、「ひこばえ の鋤込みと 遅い秋耕し・・・」という画像が観られる。やはり、推測だが、刈り取った直後はともかく、冬が来るまでには鋤き込んで来春に備えるのが一般的なのだろうか…。
 誰かその辺りの事情に詳しい人に教えてもらいたいものだ。

「刈れる田に生ふる穭に出でぬは世を今更に秋はてぬとか」という歌が『古今和歌集』には見出せると「広辞苑」にはあった。
 この歌をネット検索してみると、「ひつぢ|花恋風月 ~古典和歌・俳句・唱歌より~」なるサイト(頁)をヒット。
(古今集308・よみ人しらず)のようだ。この頁では、「穭田(ひつぢだ)を犬は走るや畦を行く」(虚子)を見出した。
 ここでは、「穭(ひつぢ)」と読みが付せられているが、本来は「穭(ひつぢ)」と読むのが本当だったのかもしれない。
 尚、季語上は、「穭穂」と表記されることもあるようだ。

 さて、人様のことの詮索は気が弱くてできない小生、語源の詮索(探索)ならば細々ながらできる。語源を辿る…。それは文化や伝統の淵源を辿ることになるし、下流では河であっても、その河(川)には必ず源流があるはず。山の奥を分け入っていけば、これが川の源だという場所にたどり着けるものなのかどうか、分からないが、語源を探っていくのは、始原に触れるようなワクワク感というか、もっと言うと感動さえ覚えることがある。
 まあ、語源を辿るのは勉強というより、端的に楽しいのだ。
「極小植物辞典 ひつじ ひつぢ」によると、けれど、以下の説明を見出すだけ:

〔室町時代のころまでは「ひつち」〕刈り取ったあとの株からのび出す稲。ひこばえ。

 うーん、物足りない。語源については、課題に残しておきたい。
 
 ところで気になる記述を見つけた。
Sigma-Section」の(Sigmaは「Σ」とも表記するようだが)中の、「Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜  第461夜  秋の真理」においてである。
 この頁の半ばほどに見出される記述だが、「翻って、「ひこばえ」」として、「大辞林:樹木の切り株や根元から群がり生える若芽。又生え。」という説明、さらに、「大辞泉:切り株や木の根元から出る若芽。余蘖(よげつ)」までをも教えてくれるのは助かる。
 ところで、気になったのは以下に続く部分である。つまり、「これは「若芽」という名前から想像される通り、春の季語。つまり、「ひこばえ」と「ひつじ」とは別のもの、ということになる。」なる記述。
 なるほど調べてみると、「ひこばえ」は春の季語のようだ(一部は夏の季語扱いしているサイトも見受けられたが…)。
 となると、「怠けてきたせめてもの償い(?)に、調べてみたら生えてくる「稲孫(ひつじ)」は一般的に「蘖(ひこばえ)」と称することが分かったことだけメモさせてもらう。」などと上では書いたが、これは正確さに欠ける説明となるのかもしれない。
 つまり、稲の刈株から伸びてくるものはあくまで「稲孫(ひつじ)」なのであって、「蘖(ひこばえ)」と称するのは、誤解を生じる恐れがあるということだ。「蘖(ひこばえ)」が季語ではなく、あくまで一般的な名称ということなら、稲の刈株から伸びてくるもののことを「蘖(ひこばえ)」と呼んでもいいかもしれないのだが、この点は定かではないので、これも留保。

 どうも、語源から何から中途半端に終わった。いつものことではあるけれど。世の諸賢のお知恵を拝借願いたいものである。


 稲孫観し我が心にも生えるかと

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コメント

「ひこばえ」というと「切り株から伸びてきたの」が浮かびますね。季節感は春かな~

あ、画像よかったら、取りに来て頂けたら有難いです。今度はもう少しマシなのを撮っておきます(^^ゞ忙しいのに何度もお運び頂きすいません~

投稿: ちゃり | 2005/11/07 23:21

ちゃりさん、こんにちは!
「ひこばえ」についての語感や季節感、ちゃりさんのほうが鋭いね。小生は調べてみて、そうだったのかと気付いた次第。

それから、せっかちな小生、早速、画像、戴いちゃいました!

投稿: やいっち | 2005/11/08 08:26

トラバありがとうございます。
冬の気配を感じるこのごろ、ひつじ田の苗たちの行方をおもうと、そぞろ心にひびいてくるものがあるようです。
ゆっくり読ませていただきました。またよろしくおねがいします。

投稿: 美頬 | 2005/11/10 11:43

美頬 さん、こんにちは。
こちらこそ、勝手に参照させていただき、とても助かりました。
これからもよろしくお願いします。

投稿: やいっち | 2005/11/10 16:12

たまたまこのサイトを見つけて読ませてもらいました。
私は台湾人二世で、名前は「薛」と書いて日本語読みで「せつ」と申します。以前から自分の姓の字に「木」を加えると「ひこばえ」になるのを不思議に思っております。
父に聞いた話で昔(多分唐の時代)薛一族が王の不興を買って皆殺しにされて一人だけ生き残った事件があったそうで、ではそのたった一人から再度増えたことから「ひこばえ」の字が生まれたのか?と勝手に推測しております。辞書など調べても字の由来について触れた物が見つからず気にしておるのですが。
どなたかご教授頂けたら幸いです。

投稿: 薛 博仁(せつ・ひろひと) | 2005/12/01 15:35

薛 博仁(せつ・ひろひと)さん、こんにちは。
名前の由来・語源は気になりますね。
名前の由来について、興味深い話が伝えられてきたのですね。

一応、大雑把なことだけ調べてみました。ただし、ネットで得られたものだけ、並べてみたもの:

http://moon.ap.teacup.com/hudo/51.html

参考になるかどうか。それとも、この程度のことは知っているのかな。

投稿: やいっち | 2005/12/01 17:10

「ひこばえ」考、面白く読ませていただきました。脳神経の専門家として、神経の回復と再生に関して、書いていてこの文に出会い、当方の浅学さに今更嘆いている次第です。これから苅田を見る度に思い出すことでしょうね。

投稿: 大洞龍雀 | 2009/09/21 06:46

大洞龍雀さん

旧稿を読んでいただき、ありがとうございます。
小生としても、久しぶりに読み返すことができて、嬉しかったです。
この小文は、4年ほど前に書いたのですが、今もネット検索でアクセスされる方が(特に今のような、稲刈りの終わった時期などに)間々、あるようです。


大洞龍雀さん、名前がまず、立派ですね。
「龍雀」は、「馬超竜雀」という言葉があったりして、「その馬は、走り出そうとしているかのようで、三本の足が踊り上がり、残りの一本の足で一羽の鳥を踏みつけている」とか、「天馬が空を駆けるような敏捷さを感じさせる」という。
地上を駆ける馬だけど、空を飛ぶ鳥や龍をも超え、踏みつけるほどの奔馬だということのようです。

さて、余談はともかく、ちょうど今、そしてこれからの時期は、稲孫(ひつじ)や蘖(ひこばえ)が見られる。
今朝も、仕事をしながら、稲刈りが終わって、静まり返った田圃を横目にしていました。
稲穂が実った田圃も魅力的だけど、喧騒の時期を過ぎた今の、ちょっと寂しいような田圃の風景も小生は好きです。

ところで、浅学と謙遜されておられますが、小生などはまさに浅学菲才なのです。
ブログであれこれ綴るのも、知らないことがあまりに多いから、調べモノをしつつ、メモしているわけです。
むしろ、知らないからこそ、書き続けられる、というわけです。
これからも、折々は覗いて、コメントなど、寄せていただければと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。

投稿: やいっち | 2009/09/21 10:13

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●1.以下は、「医心方巻30」からの転記: 【蘖米】(30-9ab) 以下担当:高田、01/10/12         〔訓読〕  本草に云く。味苦、毒無し。寒中を主どり、気を下し、熱を除く。  陶景注に云く。此れは是れ、米を以て蘖(薛+子)と為すのみ。別の米名に非らざる也。その米を末にし、脂に和して面に傅くれば、亦た皮膚をして悦沢せしむ。  蘇敬注に云く。蘖(薛+子)は生うる。之を理するを以て名ずけざるなり。皆な当に可生の物を以て之を為すべし。陶は称わく、米を以て蘖(薛+子)と為... [続きを読む]

受信: 2005/12/01 19:44

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