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2005/11/26

凩…木枯らし1号は吹いていた!

 いつものように、「季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例」を眺めて、今日は表題にあるごとく「凩」を選んだ。
 小生は東京都下(大田区)に在住しているが、今年、木枯らし一番が吹いたのかどうか、知らない。
 天気予報で明日は木枯らし一番かも、という話は聴いたけれど、吹いたかもしれない当日は仕事が休みの日で自宅に篭っていたので、吹いたのだとしても気づいていない可能性がある。

sion-hirakata-kiku

← 紫苑さんに戴いた枚方パークの薔薇。枚方菊人形展が今年最後だとか…。

 季語随筆を綴る身としては、こんなことさえ分からずに、よくもまあ恥ずかしくもなくと思われそう。

わたしの俳句歳時記<今週の季語・一句抄>」の「十一月の季語   鈴木五鈴」を覗かせてもらうと、「凩(こがらし)」の項があり、「凩は木枯とも書き、木の葉を落として枯木にしてしまう強く冷たい風のことをいう。秋から初冬にかけて吹く」以下、この季語に関わる記述を読むことが出来る。
「当初、凩は秋か冬かといろいろ論議があったようだが、冬または陰暦10月の季語と定められ今日に至っている。初冬の木々の葉を枯らす、冷たくものさびしい風にこそこの季語の本意があるのである」というのは、玩味すべき一文だと思う。
 調べてみると、このサイトは副題に「失われた季語を求めて」とある「花鳥風月」の中の一頁のようだ。
 と思ったら、さにあらず、さらに奥の院がある。「花鳥風月【日本の伝統ミュージアム】」だ。
 次の句を掲げてくれていた:

海に出て木枯帰るところなし  山口誓子

 同じく、「失われた季語を求めて [ 花鳥風月 ]」なる頁の「凩(こがらし)(初冬)」の項を覗くと、以下の句が掲げられている:

凩の果はありけり海の音  言水

(転記させてもらった頁には、「凩の 果はありけり 海の音」と、5・7・5に区切って表記されているが、俳句というのは、もともとが5・7・5であることは自明のことな(約束事でもある)ので表記は変えさせてもらった。)

 どちらの句も、「海」が詠み込まれている、乃至は情景として示されているのが、そうなったのはただの偶然なのだろうけれど、面白い。
 それにしても、小生、作者と思しい「言水」が不明にして分からない。
 しばしば勝手にお世話になっている「閑話抄」さんサイトに「池西言水」と銘打たれた頁が見つかった。
 この頁に、「山ぶきは人のうら屋ぞ井出の里」と共に「凩の果はありけり海の音」も掲げられているので、まずは、この池西言水の手になる句に間違いないのだろう。
 迂闊に「げんすい」と読みそうな小生にはとても親切にも「いけにし ごんすい  慶安3(1650)~亨保7(1722)」と、句の直下に示してくれている。
 以下、芭蕉とも交友関係があったという池西言水については上掲の頁を覗いてみて欲しい。

 ちなみに、「閑話抄」さんサイトには、「俳人一覧」なる頁がある。ここまでデータベースを纏めるには一方ならぬ労苦があったろうと思われる。
 小生などは便利に使わせていただくだけだけれど、せめて紹介だけでもさせてもらいたい。
 以前、紹介したことがある、小生の郷里にも深い縁のある前田普羅の名などを見つけると、ついクリックして覗いてしまう。

 さて、「凩」に戻ろう。まずは、虚子の句を掲げておきたい:

凩に浅間の煙吹き散るか    虚子

 おお、宗匠の句を逸するわけにはいかない。芭蕉の句を幾つか(「芭蕉俳句全集」より。句意を知りたい方は、どうぞリンク先へ):

 木枯に岩吹きとがる杉間かな
 凩に匂ひやつけし返り花
 木枯しや竹に隠れてしづまりぬ
 こがらしや頬腫痛む人の顔


 木枯らし(木枯)も実感の感じられる漢字だが、「凩」というのは、なんだか馴染みが薄い。それでも風情を感じるのは、「こがらし」と読めるからなのか。ただ、「かぜへん」の中に「木」があるのが面白い。木枯しに木々や枝が揺れる様がこの漢字に織り込まれているのだろうか。
「かぜへん」に「止」で、「凪(なぎ)」。「かぜへん」の漢字には他に、「風」や「凧」などとあるが、まだ、ある?
 漢字表記の謂れなど、知りたいものだ。

 ありがたくも、ここまで読んでくれた方には、せっかくなので、小生の好きな随筆家(もちろん、その前に物理学者なのだけれど)寺田寅彦に「」という随筆があることを伝えておきたい。
 彼のこの「」を一読しただけでも、我が頁を覗いた甲斐があった…、むしろ、あまりある静かな感動が得られるかもと期待している。
 彼の真骨頂が現れている一文。こうしたところから彼の随筆はもちろん、俳句も詠まれるのだろう、などと感懐を抱いたりするのだ。

 ついでといっては、何だが、「里山の冬:凩(こがらし)」なる頁も併せて覗かれると、訳もなく、いいかな、と。

 蛇足ではないと思うのだが、冒頭で東京で木枯し一号が吹いたかどうか知らないと書いているが、ネット検索した結果、すでに12日には吹いていたことが判明。
學び舎-緑陵の放課後-  凩が吹いたね! 」にて得た情報。
 この頁で、「風の省略した形に木と書いて「コガラシ」、この字は日本で作られた漢字だそうです」という記述を発見。そうだったの?!
 一体、誰が何時、作ったの?

 まあ、いくら世相がとげとげしくなっているからといって、間違っても、子枯らしとは表記しないことが大切だ。
 といって、部屋の中で、ぬくぬくして身も心も、蕩けてしまっては、季語随筆を綴る資格もない。寒風に晒されることの大切さを思うばかりである。
 以下の句は、断るまでもなく弥一の作である:


 木枯しや我が子悲しと聞こえけん
 息をのむそのまま止めて息絶える
 木枯しを知らずひねもすのたりかな
 木枯しやわが身打つとて吹くのかね
 木枯しは町を清める?埃増やす?
 木枯しに人掃き寄せられて年暮れる
 木枯しに舞い散る葉に髪思う
 木枯しに吹き寄せられしわが身かも
 木枯しに我が煩悩も飛べばとて

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