柊の花…赤かぶ検事
漫然と、というわけではないが、例によって「俳句ステーション」サイトの「季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例】 」表を眺めていても、ピンと来るものがない。
もともと11月は季語例が少ないせいもあるが、表を眺める小生のほうにパワーがなくて、季語例を眺めても、これだという閃きも何も湧いてこないのである。
← 青梗菜さんに戴いた画像です。「11月28日、旧暦10/27、月齢26.1。今夜の月の出は、3時頃。少し上った4時の月です」とか。ご本人は「ナイフ」と名づけているけれど、その日の夜、営業中の車中から小生が見たとき、薄ーーーく切ったメロンのように思えました。
そんな時は、昨日の季語随筆のテーマが「茶の花」だったように、いっそのこと地味そうな季語を敢えて選ぶ。一見すると、あるいは語句を眺めているだけでは何も連想することもないのだとしても、返ってそうしたひっそりと咲く花、鮮烈に自己主張しようなどと思わないような言葉(対象)にこそ、案外と深い世界が潜んでいるやもしれない…。
まあ、そんな期待を込めて、今日は表題にあるごとく「柊の花」を選ばせてもらった。
ネット検索すると、案の定、検索の網に掛かる件数が少ない。また、「柊の花」という季語を織り込んだ句も少ないようである。
まず、「俳句歳時記宝石箱」の中の「季語集・冬」なる頁を覗かせてもらう。
「柊の花( ひいらぎのはな)」は、傍題として「花柊」があり、「常緑樹で大きな鋸歯のある葉が特徴、白色の小花で良い香りを放つ」とある。
昨日の「茶の花(ちゃのはな)」は、ここでは「新しい木梢の葉えきに小さな白色五弁の花を咲かす」と説明されているが、「柊の花」も負けず劣らずの小花だと分かる。
「俳句と映像の館」サイトの「花の句と写真」なる頁を覗くと、花の画像と共に、「柊(ひいらぎ)は10~12月、葉の脇に、芳香のある白く細かな花を多くつけますが、葉に隠れて目立たないので、香りで気付くことがあります。古くから邪気を払う植物とされ、「古事記」でもヤマトタケルノミコトが、東征の折に、「比比羅木の八尋の矛」を賜ったと記されています」といった説明を得ることができる。
ただ、小生には、その画像に載っている「柊の花の香りに路地もどる」の句意がよく分からない。
どこかの路地を歩いていたら、思いがけない花の香りが鼻を突いた。これは…、柊ではないか…。通り過ぎる足を止め、花の香をたどって路地を後戻りした…。どうやらあの辺りに柊がありそうだ…。ああ、何とかして間近で柊の花の香を嗅ぎたい…、ということだろうか。
「ヒイラギ - Wikipedia」なる頁を開くと、「ヒイラギ」について全般的なことを知ることができるようだ。
ヒイラギの葉っぱと花の画像も添えられている。ただし、柊特有の鋸歯状の葉っぱに焦点が合っているようだ。
「柊」は、木へんに冬と書く。
恥ずかしながら、というか、無粋なことかもしれないが、小生がこの漢字をなんとか銘記できたのは、小生の好きな役者である橋爪功が主役を務める「赤かぶ検事奮戦記」というテレビシリーズによってだった。そう、主役の名前が柊茂なのである。
ドラマの中では柊という名前よりも赤かぶ検事という通称が使われることが多いが、それでも検事の机の上には「柊茂」と書かれたネームプレートが置かれているし、何度かは柊(ひいらぎ)と呼ばれることがあるので、漢字にも疎い小生も何とか柊という名前、名称は覚えることができたというわけである。
(正確には、橋爪功が主役を務めるようになったシリーズは、「新・赤かぶ検事奮戦記」という名称のようだ。)
ただ、肝心の正真正銘の柊の木も花も現物をまじまじと眺める機会には恵まれていない…。恐らく。多分。気が付かないで目の前を通り過ぎていたってこともありえないとは言わない…。
「柊」は「比比羅木」に由来する。その心は、「葉の縁の棘に触るとヒリヒリ痛む(古語:ひひらく)ことから」だという。
けれど、その表記としての漢字に「柊」が宛がわれた経緯はどうなっているのだろうか。
「ヒイラギは、古来より邪気を払う植物として認められていたようで、『古事記』にもヤマトタケルノミコトが東征の際には「比比羅木の八尋の矛(ほこ)」を賜ったという記事があります」といった記事はネット上で何件か見つかる。
ということは、惜しくも夭逝した青木繁の描いた「日本武尊」(東京国立博物蔵) には、「比比羅木の八尋の矛(ほこ)」が描かれているはずである。
「大阪府 企画部みどり支援課」なるサイトの「ヒイラギ(柊)」という頁には、ヒイラギについての更なる記述があって、「世の中は数ならねどもひいらぎの 色に出でても言はじと思う」という藤原爲家の歌や、下記のような句が掲げられている:
柊さす果てしや外の浜びたし 蕪村
柊ささぬ内をさかりや寒念仏 有也
(この「有也」が誰だか分からない。「夜相撲に取る手や月の河津掛け」の句の「有也」なのか…。)
あまりにも漫然たる雑文になってしまった。せめて「柊の花」の織り込まれている句を最後に幾つか掲げておく(名前の付していない句は小生のものである):
柊の花一本の香りかな 高野 素十
柊の花の富ならず貧ならず 赤羽 岳王
柊の花のあれども姿なく
柊の花の香追って葉に泣いて
柊の花にも負けている我か
柊の花のようには生きられず
柊の花の咲く木の頑固なり
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コメント
って、間違えて送信してしまいました。消せますか?
気を取り直して、メロンの月です。思えば、母ちゃんてゆ~のはさんざんテキトーなことを言って問題を解消してくれました。おかげで、和やかで、雑多で、幸福でした。いや、ほんとテキトーなのは子ども心にも分かってたんですけどね。
投稿: 青梗菜 | 2005/11/30 00:50
青梗菜 さん、前のは消しました。
このコメントは、方丈記のほうが合っているような。ま、いっか。こっちの画像でリンクしてるんだし。
親はしたたか(ある程度はいい加減)だし、子供は、まあ、うまく騙してくれればそれで丸く収まるということでしょう。
投稿: やいっち | 2005/11/30 01:48