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2005/11/10

芭蕉忌…桃青…無精

 この「無精庵徒然草」は、季語随筆(日記)と称しているにも関わらず、肝心の松尾芭蕉のことはほとんど採り上げたことがない。
 それは芭蕉の存在が余りに大きいということもあるが、そもそも季語随筆というのは、芭蕉あっての営みに他ならないのだから、語らずとも、言葉にして触れずとも、彼の存在は常に意識されているのだ、という言い方も正直、してみたい。
 仮に芭蕉の句の幾つかがなかったら、俳諧の世界が切り拓かれなかった…かどうかは、別にして、小生のような無粋な人間が俳句の世界に惹かれることはなかった、それだけは断言できる。 
 何が凄いといって、詩的な感性も表現の世界を探る素質も、言葉の世界や言葉の音韻的広がりや可能性へを探究する資質も何もないこの自分を引きずり込もうとする魔力が彼の句の幾つかにはある。
 俳句や川柳、和歌に短歌に、そして詩についても、教科書に書いてあること以上の関心を抱いたことがなかったはずの自分。折に触れて詩集を読んだり、歌集をひもといたりするが、教養以上のものになることはなかった。
 が、芭蕉の句だけは、小生をも一気に言葉の<宇宙>へ導きいれる。
 まあ、御託はともかく、今日、採り上げる季語は表題にある如く「芭蕉忌」である。
【11月の季題(季語)一例】」の一つである。
「俳句歳時記」の中の「季語集・冬」によると、「時雨忌 桃青忌 翁忌」とも称し、「陰暦10月12日申の刻に松尾芭蕉は大阪で没した、享年51歳」という。
 享年51歳! 小生が今、この年齢にある。ああ、人生五十年の時代とは事情が違うとはいえ、あまりに違いすぎる!

 冬の季語の中には、「忌」に関して、この「芭蕉忌」のほかに、ざっと見渡してみただけでも、「一葉忌」(11月23日、樋口一葉の忌日)、「一茶忌」(陰暦11月19日、信濃柏原の農俳人、小林一茶の忌日)、「空也忌」(陰暦11月13日、天台宗の踊念仏の開祖、空也上人の忌日)、「漱石忌」(12月9日、夏目漱石の忌日)、「達磨忌」(陰暦10月5日、禅宗の初祖菩提達磨の忌)、「近松忌」(陰暦11月22日、近松門左衛門の忌日)、「久女忌」(1月22日、俳人杉田久女の忌日)、「蕪村忌」(陰暦12月25日、与謝蕪村の忌日、中興期俳諧の主導者)、「三島忌(憂国忌)」(11月25日、三島由紀夫の忌)と、錚々たる偉人・先人の「忌」が並ぶ。
 やはり、冬の寒さを乗り切るのは厳しいということなのか。多く重なってみえるのは、たまたまに過ぎないのか。
 例えば、「俳句季語辞典」の中の、「季語(検索)」を覗いてみると、各季節ともに、それぞれやはり錚々たる面々の「忌日」が並んでいることが分かる。
 冬の寒さで死ぬ、なんて、気のせいだ。気の持ちようで、今年も乗り切れるはずだと自分に言い聞かせておこう。

俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドットコム」の中の「芭蕉の晩年と墓所義仲寺」を覗くと、墓所義仲寺
にある「芭蕉の墓」の画像を観ることができる。
「芭蕉は、元禄7年(1694年)10月12日午前4時ごろ逝去し、14日の深夜、芭蕉の遺言通り義仲の墓の隣に埋葬された。葬儀に参列した門人は80名、会葬者は300余名にのぼった。芭蕉の忌日は「時雨忌」などと呼ばれ、旧暦の気節に合わせ毎年11月の第二土曜日に法要が営まれている。墓石の「芭蕉翁」の文字は門人の内藤丈草の筆といわれる」という。
 芭蕉の墓所が義仲寺にあるのは、それなりのわけがある。「芭蕉が木曽義仲が眠る義仲寺に葬られた経緯は、生前芭蕉が死後木曽殿と塚をならべてと語ったことによるもの」なのである。
 上掲サイトに掲げられているように、「義仲の寝覚めの山か月悲し」といった句も詠んでいる。

三省堂 「新歳時記」 虚子編から季語の資料として引用しています」ということで、虚子の説明なのだろう、「11月の季語」の「芭蕉忌(ばせをき)」なる項を覗く。
「陰暦十月十二日、俳句の祖、松尾芭蕉の忌をいふ。 はらはらと降りかかる時雨を仰げばはたと芭蕉の心 に逢著する懐ひがある。時雨のもつ閑寂・幽玄・枯淡 の趣はそのまま移せば芭蕉の心の姿である。恰も時雨月のことで、芭蕉の忌を時雨忌(しぐれき)ともいふ。 元禄七年で逝く。行年五十一。近江義仲寺の葬った。 翁忌(おきなき)。桃青忌(たいせいき)」として、「芭蕉忌やうずくまりたる像の下」(虚子)が掲げられている。
 他に虚子には、「謹て句に遊ぶなり翁の忌」という句もある。
 参考に、稲畑汀子には「時雨忌やわが志高く置く」という句がある。
 
「芭蕉忌」を傍題として「時雨忌」や「翁忌」と呼ぶのは分からないでもないとして、「桃青忌」とも呼ぶのはなぜなのだろうか。
 芭蕉には「発句なり松尾桃青宿の春」という句がある。
延宝7年、芭蕉36歳の初春の歳旦句。前年に芭蕉は俳諧宗匠として立机した。「桃青」という看板を下げて初めて迎えた新春の意気すこぶる軒昂ではある」だという。

「桃青」の号には諸説あるようだが、例えば「芭蕉庵桃青傳(内田魯庵)」なる頁の「5 桃青の號」という項にて、「此手紙に由れば京都に於て既に桃青と號せしは明白なる事實にて、其號の出所は『兼山麗澤秘策』に『桃青も昔人にて李白を學び候て桃青とつけ申し候由に御座候。』とある如く李白に對して桃青と名づけたるものなるべし」などの諸説を知ることができる。

 音的には「桃青」というと、「野辺に出て、青草を踏み、逍遥すること。「野遊」というより、やや古典的な響きがある」という意味合いを持つ、春三月の季語である「踏青(とうせい)」を連想するが、李白に対して名付けられたのだとしたら、芭蕉の気概の示された号なのだということになる。

 小生のような、無精庵では、気概も何もあったものではない。
 日頃の喰っちゃ寝の生活をそのまま正直に号に採ったに過ぎないのだけれど、これだと最初から「時雨忌やわが志高く置く」とは全く逆を行こうと宣言しているようなもので、先行きが思いやられるばかりである。


 桃青と背中合わせの無精かも

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コメント

コメントありがとうございました。
 このまえ、フランス語の教室で、偶々私の読んでいたセリーヌの「夜の果てへの旅」をみなの前で音読させられる機会があって、さすがにその刺激にむしろ新鮮なものを感じました。若い仏文科の学生から、今、なぜそれを読むのか、興味深そうに聞かれたのが印象的でした。

投稿: 幻想画家ユージン小山右人 | 2005/11/10 18:17

幻想画家ユージン小山右人さん、コメント、ありがとう。
セリーヌの原書を音読するとしたら、相当程度の速度で読まないといけないのではないでしょうか。
訳本で読むときも、個々の文章を味わいつつも、飛ぶように読んでいったという記憶があります。

リコーの新型デジカメ、楽しみですね。小生もデジカメを持っていますが、「今までシャッター速度が遅くて、どれほど大切な場面を撮り損ねてきたか知れ」ないという似たような苦い思いを重ねてきました。特に夜。
入手したら、使い勝手などの感想を是非。

投稿: やいっち | 2005/11/10 19:35

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