ラヴェルのボレロから牧神の午後へ
28日の営業中、午後の2時過ぎだったか、例によってというわけでもないが、ラジオをNHK(FM)に切り替えた。大概、2時過ぎに最初の休憩(仮眠)を取るので、どこかの公園か人通りの少ない静かな場所に車を止め、本など手に取って、耳からはクラシックというわけである。
本は、カトリーヌ・ミエ著の『カトリーヌ・Mの正直な告白』(高橋利絵子訳、早川書房)を手にしている。眠気を誘うには小生には活字が一番、なのである。もっとも、この本が就寝の友には相応しいのかどうかは、かなり議論の余地がある、かもしれない。
なんたって、出版社のレビューだと、「彼女は呼吸するようにセックスする。体のすべてを使って、いつでも、どこでも、だれとでも。フランス現代美術誌『アート・プレス』の女性編集長が、自らの奔放な性生活を赤裸々に明晰に描き、文学界を騒然とさせた自伝的作品」というのだから。
まだ、冒頭の数十頁を読んだだけなのだが、文字通りこのレビューそのままの内容だと思っていい。
なんたって、本の帯には、「わたしの体はいやと言わない」とあるのだ。
過日、ジャクリーン・ウォード著の『夜にめざめて』(河野槇訳、青弓社)を紹介したことがある。この本の著者は副題の「ある娼婦の告白」が示す通りである。
後者は娼婦の告白とあるが、セックスの場面描写はほとんどない。なのに、なのか、にもかかわらずというべきか、とにかく、筆力があって、一気に読ませてくれた。
一方、まだ、読みかけなので、内容については、いよいよこれから本番というべき『カトリーヌ・Mの正直な告白』のほうは、まさにセックス描写の連続。
ポルノ? ポルノチック? そうとも言える。が、ポルノ小説は余程でないと短い作品でないと、大概、読んでいるうちに似たり寄ったりの描写にうんざりというか辟易してくるものである(小生の経験に過ぎないのかもしれないが)。
たとえばサドの本など、『悪徳の栄え』を最後まで退屈せずに最後まで読み通した人は、自分のHぶりを自負し、ポルノ本は大好きだという人でも少ないのではなかろうか。実際には結構、タフな本であり、読むには意思が必要だったりする。
『チャタレイ夫人の恋人』や『ファニー・ヒル』、『O嬢の物語』と並べていくと、『チャタレイ夫人の恋人』が抜きん出ている。再読に耐える。小生は三度、読んだ。ポルノチックではあるが、最後のところで、人間が生きている、描かれていると感じさせてくれるからだろうか。
さて、セックス描写の連続とも思える『カトリーヌ・Mの正直な告白』は、確かに女性でなければ描けない女性の観点・生理・感覚があって、驚く面もあるが、それでも退屈はしないで読み通せそうな予感がある。
感想は、後日、書くかもしれない。
いくら活字に弱く、シートを相当程度に倒して体を上向き加減で活字を追うとすぐに惰眠モードに入るという小生だとはいっても、そんな本を手にしていて、寝入れるものかどうかは、妖しい(怪しい)かもしれない。
案の定ではあった。
ただし、理由は少々違う。冒頭に書いたように、ラジオはNHK(FM)で流れてくるのはクラシックである。
聴こえてきたのは、ラヴェルのボレロだったのだ。小生の大好きな曲の一つ。
眠ろうと思ったのに、妙に興奮して目が冴えてしまったのは(ついでに頭も冴えてほしいが、そうはいかない!)、本のせいではなく、ラヴェルのボレロに聴き入ってしまったせいなのだ。
そう、指揮をしたアンドレ・クリュイタンスのせいなのだ?!
調べてみたら、以下のような内容:
「ボレロ」 ラヴェル作曲
(15分34秒)
(管弦楽)パリ音楽院管弦楽団
(指揮)アンドレ・クリュイタンス
<東芝EMI CD20 5419-20>
この曲について小生ごときが解説するのもおこがましい。
小生には、「同じ旋律を繰り返すだけという他に類を見ない単純かつ大胆なコンセプトによって作曲されている。テンポも変わらなければ、調性も最後に転調する以外は一定である。曲が進むに連れて楽器が次々と加わっていき、音量を増していく。「音の錬金術師」と呼ばれたラヴェルの巧みなオーケストレーションが楽しめる」という説明で十分満足する。
これでは物足りないという方は、ネットで見つかった「ラヴェル「ボレロ」 (最高の興奮を味わうなら)」というサイトを読むのもいいかも。
「この曲、これほどの名曲であるにも拘わらず、実はオーケストラにはあまり評判が良くないらしい」、というのも、「曲中では各奏者とも数十秒間ものソロがとられてい」たりして、気が抜けないというか緊張感が相当なものらしいのである。
指揮するほう、演奏する方たちは息の詰まるような緊張感で一杯なのかもしれないが、聴くほうとしては、実に心地いい。徐々に気持ちが昂ぶっていく。このサイトにあるように、自分が選ばれし者になったかのような錯覚に陥り、ホンダの「プレリュード」か何かの高級車をゆったりとした気分で走らせている…、傍にはとびきり素敵なパートナーが座っていて…。
このボレロについては、「吉之助の音楽ノート・ラヴェル:「ボレロ」」なるサイトも参考になるが、ここでは抜書きは控えておく。
ただ、「実は「ボレロ」の反復は情感によって人の心を底から自然に揺さぶっていくのではなく・どこか機械的・人為的に人を揺さぶり否応なく興奮状態に追い込んでいくような非人間的な要素があるのです。それが絶え間なく反復(リフレイン)されるリズムの効果です。つまり、この曲は歪(ひず)んでいるのですが、「ボレロ」ではそのような非人間的な要素がエロティックな効果のために見えなくなっています。 違う旋律とリズムなら曲の印象はまったく別物になったでしょう」という点は、興味深いと思った。
そうそう、「二つのおめでとう! 朝青龍とハヤブサと 」という記事にあるように、28日の営業中、夕方だったか、「はやぶさ」が「イトカワ」への2回目の着陸の成功とサンプル採取にも成功したと見られるという話をNHKラジオで伺っていたのだが、その際も、宇宙空間を飛びゆっくりと小惑星に近づいていく人工衛星の雄姿などを脳裏に思い浮かべつつ、耳の奥なのか、脳髄の隅っこなのか場所は分からないが、昼間に聴いたばかりのラヴェルのボレロの曲が流れていたのだった。
ただ、余談だが、29日の夜になって、「「はやぶさ」の姿勢安定せず 帰還実現に向け復旧作業続く 「はやぶさ」の第2回着陸飛行後の探査機の状況について」といったニュースが流れてきて、やきもきしているところだが…。早く復旧して欲しいものである。
ラヴェルのボレロの曲の後は、ドビュッシー作曲の「牧神の午後への前奏曲」((管弦楽)モントリオール交響楽団 (指揮)シャルル・デュトワ <ポリグラム POCL-4207>)だったのだが、思い切ってスイッチをオフにしてしまった。
これでは、寝る暇がなくなってしまう!
まあ、眠りながらランボーを想い、牧神の午後の光景の点景に自分が居るのを想像するにとどめておいたとだけ書いておこう。
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コメント
ご無沙汰しております。
お元気そうでなによりです。
「ボレロ」はわたしも好きな曲のひとつです。
手元にあるのはパリ管弦楽団演奏、ダニエル・バレンボイム指揮で、17分30秒と少し長めです。
ラヴェルの「ボレロ」にはグルーヴ感があるような気がします。
ハヤブサは地球への帰還が困難になったとニュースで流れていましたが、残念です。
直るとよいのですが。
日本がロケットの打ち上げに失敗するなか、中国は有人ロケットの発射、帰還に成功し、溝をあけられた感がありますね。
映画でも中国は並のハリウッド映画を越える作品を撮っています。
がんばれ、日本!
投稿: 滝野 | 2005/11/30 04:24
滝野さん、コメントありがとう。
朋あり遠方より来る、の感があって嬉しいです。
>ラヴェルの「ボレロ」にはグルーヴ感があるような気がします。
なるほど、うまい表現です。音楽にも素人の小生、聞いて楽しめればそれでいいようなものだけど、あれだけ単調なように見えるのに、人を興奮と昂揚感の高みに引き上げていくのは不思議。
ハヤブサの件。今はどうなったのか、分からない。帰宅してから再度、情報を集めてみます。なんとか帰還してほしい。
投稿: やいっち | 2005/11/30 09:30
やいっちさん♪
こちらではお久しぶりですね。
「ボレロ」といえば、高校受験の時の事です。
音楽の試験に曲を聴いて曲名、作曲者の名前が問われるかもしれないという事で、よく聴いていました。他の曲は思い出されないのですが、この「ボレロ」だけは頭から離れません。単純そうで、奥が深い、、、。
思い出の曲です。
投稿: さくらえび | 2005/11/30 20:49
滝野さん、このごろ交わる線が少なくて、さみしい思いをしてました。ごぶさた。
“ボレロ”、僕も久しぶりに聴いてみました。
木管から入る例のテーマ。オーボエとかファゴットとか、木管のソロって、ぞくぞくしますね。“春の祭典”とか、“妖怪人間ベム”とか。
冷静なスネア。フィリー・ジョー・ジョーンズみたいな地道さでリズムをキープ。最後までがんばれ。
各楽器がソロを取り、順番に回していく。9分過ぎた頃が、コルトレーン風。蛇使いような怪しさ。ずっとこれの繰り返し? ちょっと笑ってしまいそうになったら、それは少しずつ少しずつグルーヴィに乗せられたってことで、次が楽しみでしょうがなくなってます。
金管と弦を重ねてきて、さて、深夜なので、このあたりでボリュームを絞りに行かないと。
エンディングはテーマに戻らずに、ぷぁぷぉ~、ぷぁぷぉ~、象みたいな金管、ぷぁるるる~、この時までひたすら小節を数えていたシンバル、大太鼓、ドラが登場、どじゃじゃじゃじゃじゃんっ。
投稿: 青梗菜 | 2005/12/01 04:04
さくらえびさん、ここでは久しぶり!
高校受験で「ボレロ」についてあれこれ訊かれる可能性があったなんて、レベルが高い?!
中学で習ったっけ。
音楽の(も)出来が悪かった小生、音楽のことは、なーにも覚えていない。童謡・唱歌などはかろうじて覚えてるけど。
とにかく、この曲は、謎めいた曲だ。これをラヴェルは若くして作曲したとか。魔物が憑いたのか。
投稿: やいっち | 2005/12/01 08:03
青梗菜さん、こんにちは。
>滝野さん、このごろ交わる線が少なくて、さみしい思いをしてました。ごぶさた。
そうなんですね。滝野さんのブログも当初はコメント欄があったのに、わりとすぐに撤去されてしまった。やはり、来訪するほうとしては、読むだけじゃつまらなくて、何かしら書き込みしたくなる…。まあ、方針だから仕方ないけど。
「ボレロ」を聴きながら、カトリーヌ・ミエ著の『カトリーヌ・Mの正直な告白』を聴いていた。
その際、なんとなく、キューブリックの映画「時計仕掛けのオレンジ」に効果的に使われていたベートーベン、映画「2001年宇宙の旅」に使われていたR・シュトラウスの「ツァラトゥストラ」といった趣で読んでいたのさ。変?
昨日(水曜日)は、
「交響曲 第3番 イ短調 作品56“スコットランド”」 メンデルスゾーン作曲
「“弦楽四重奏曲 ハ長調 K.465”から“第2楽章”」 モーツァルト作曲
倉本裕基氏(ピアニスト、作曲家、音楽プロデューサー)の曲
その他もろもろを聴けた(久しぶりにアルバート・ハモンド、中山美穂も!)。車中はコンサート会場だ!
投稿: やいっち | 2005/12/01 08:29
おお、滝野さんだひさしぶり!
しかし「牧神の午後への前奏曲」は10分足らずの短い曲なのに聴かれなかったとは残念ですね。
デュトワはいうまでもなく日本とも関係の深い指揮者ですし。
「ボレロ」は勢いに任せて演奏してもたいてい成功しますね、情熱的指揮者シャルルミュンシュの指揮が好きです。
投稿: oki | 2005/12/03 11:13
oki さん、ね、滝野さん、久しぶりでしょ。覗いてみても、書き込みできないから、ちょっと寂しい。
「真夏の零秒BLOG」
右下のお気に入りサイトを参照のこと。
そういえば、oki さんのサイト、できた当初、何度か書き込みを試みたけど、そのたびにパソコンがフリーズしたっけ。
なので、読み逃げしていたけど、さっき、試みたら、書き込みできた!
小生、昨日も稼ぎ時なのに、音楽三昧でした。今度は絵画三昧と行きたいけど、ちょっと無理そう。
投稿: やいっち | 2005/12/03 16:40
ボレロといえば「愛と哀しみのボレロ」1981フランス映画。
92年にジョルジュ・ドンが死去したあとパリオペラ座のシルヴィ・ギエムが主演の栄誉をになって日本公演だけで百十回、今年限りで幕を引くという。上野の東京文化会館で先日行われた公演「寸分の狂いもない明晰で理性的」な演技だったと今日の東京新聞コラムにあります。
投稿: oki | 2005/12/07 13:08
okiさん、こんにちは。
シルヴィ・ギエム:
http://www.core.tdk.co.jp/cjbal01/balley01/bal01900.asp
http://www.nbs.or.jp/stages/0511_guillem/
http://blog.goo.ne.jp/miyoko-shiji/e/cf347ae293537a6bdf36ad58ab33adac
okiさん、バレーの舞台、見てきたのでしょうか。サンバのダンスは見たけれど、バレーも見たい!
投稿: やいっち | 2005/12/08 07:48
始めまして。トラックバックありがとうございます。私はベジャールのボレロという観点から雑感をちょこっと述べてみたのですが、音楽的観点からもボレロからはある種同様の体感を感じられているように思え、興味深かったです。
私のブログは日常も何もかもがごったまぜの出すとボックス状態fですが、よろしかったらまたおいでください。私もちょこちょこ寄らせていただきます。
投稿: 志治美世子 | 2005/12/09 10:26
志治美世子さん、こんにちは。
TBだけしてメッセージを寄せず、失礼しました。体調、いかがでしょうか。
ボレロをバレーの形で幾つかの演技を見てこられたとか。舞台でのバレーの演技を見る醍醐味を味わってみたいものです。
「40歳を過ぎてもますます素晴らしかったドンのボレロ」となると、ますます気になります。
サンバのダンスを見て、踊ることにとにかく素朴に感激しています。
投稿: やいっち | 2005/12/10 08:27