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2005/11/02

シャラワジ風日記

 表題の「シャラワジ」って、何?
 この疑問は、本稿を読めばいずれ分かります。意味があるような、ないような、深い思想があるような、ないような…。
 いずれにしても、本日の日記は季語随筆からは、大きく脱線しています。
 …ということで、日記の始まり、始まり!
s-sion-cosmos

← 紫苑さんに戴いた阿蘇のコスモスです。HPの画像掲示板にて大きな画像(790)を見ることができます。画像や絵などを募集中です。漫画も歓迎! 小生の文章しかない殺風景な頁に少しでも潤いを与えてやりたいと思われたら、どうか!

 月曜日(つまり昨日)の朝、探し物があって、パソコンの後ろをガサゴソやったら、塒(ねぐら)を不意打ちされて驚いたのか、雑多に積まれた箱や袋の後ろから蜘蛛さんが慌てて這い出してきて、壁を登って行った。
 ちょっと嬉しかった。
 この蜘蛛さん、きっと、いつぞや見かけたあの蜘蛛さんに違いないと直感した。
 小生は、この蜘蛛さんに最初に出会った時、嬉しさの余り、というわけでもないが、「我が友は蜘蛛!」というエッセイを書いている。ほぼ三年前の10月末のことである。
 その後日談も書いたはずだが、その文章の所在は分からない。なぜ、後日談を書いたかというと、「我が友は蜘蛛!」を書いてからしばらくは、彼(彼女)の姿を見かけなくなり、あーあ、奴も死んじゃったのかなーと悲しく寂しく思っていた。
 それが、である、めったにするはずのない掃除をやった時(だったか、日曜日のように、ただ、探し物があって、ダンボールの山を動かす羽目にはったからだったのか覚えていない)、あれ懐かしや、蜘蛛さんが元気な姿を久しぶりに見せてくれたからだった。
 懐かしさの余り後日談を書いたのは昨年だったと思う。
 その蜘蛛さんの姿は、また、それから全く見かけなくなった。蜘蛛の巣は部屋の中には張られていないので、彼(彼女)はきっと堆くフルヘッヘンドしているダンボールの山の陰に居場所を見出し安逸な時を過ごしているのだろうと思われる。
 そして、昨日の月曜日の朝、これから仕事に出掛ける間際に、ひょんなことから蜘蛛さんに再会したというわけsだ。
 あの、この蜘蛛さんが、誰何(すいか)したわけでもないのに、奴が名乗り出たわけでも挨拶したわけでもないのに、「我が友は蜘蛛!」やその後日談を書いた当の蜘蛛さんと同じかどうか分からんじゃないか、などという野暮な突っ込みはしないように。
 小生の数少ない友なのだし。

 蜘蛛よ蜘蛛お前は七夕気取るのか

 ところで、動物つながりというわけではないが、その日、仕事に出て、トイレタイムということで休憩を兼ねて行きつけの公園のトイレで用を済ませ、手を洗おうとしたら、排水の流れるパイプとトイレの壁の間に茶色の動物が。
 カマキリ! 色はもう、草色どころか、脱色してしまって、日に曝されすぎた稲のように、見るも無残に。
 死んでいるのか…と、目を凝らしてみたら、動く! 生きているんだ!
 わけもなく、感動してしまった。
 カメラだ! デジカメだ! 今こそカメラの出番だ! と思ったのに、肝腎な時にカメラを持参していない。カメラマンたる資質に著しく欠けると改めて痛感させられた瞬間でもあった。
 秋も深まって冬の足声だって聞こえてきそうな時に、カマキリさん、何をやっているんだろう。デジカメならぬデバガメでもあるまいし。公衆便所という東屋で越冬を試みようというのだろうか。
 聞いて見たい…。けれど、奴は無口だ。小生のように。
 なので、小生も黙ってその場を立ち去るしかなかった。
 冬の蝶とか冬の蚊といった季語はあるが、冬のカマキリという季語はなかったような…と思いつつ。
(ネット検索したら、「掃きよせし落葉の中に動くもの枯れ葉のごとき冬の蟷螂(かまきり)」(井上千代子)という短歌を見つけた。そうか、気付く人は気付いているわけか…。)

 蟷螂の斧の重さによろめけり


 過日、車中でラジオから懐かしい名前が聞えてきた。その名は源氏鶏太である。
 仕事が余りに暇で、あのムツゴロウこと作家の畑正憲さんの話に聴き入っていたのだ。
 彼が生物系大学院を経て映画の仕事に携わっていたというのは小生には初耳だったが、そんなことより、彼が無類の読書家だったことを知って、なんとなく嬉しくなった。
 彼は本を、それこそ嘗めるように読み漁ったという。本を買えなかったので、友人らと一緒に貸し本屋さんで本を十冊以上を纏めて借り、それを一晩で一気に読み通したという!
 畑氏の話を聞いていた女性アナウンサーの方が(実質的なインタビューアーは、映画監督の山本晋也氏)、一晩で全部? と驚いていたが、畑氏は、「嘗めるように読んだんですよ」と答える。
 さて、畑正憲さんがラジオでどのような話をされたかは、機会があったら書くかもしれないが、ここでは上記したように懐かしい源氏鶏太という名前が飛び出したことだけメモしておく。
 畑正憲さんは、コラムを書くようになって文章を書くことの難しさを痛感したという話をされていた。その流れだったかどうかは覚えていないが、とにかく人に分かる文章を書く難しさを語られていた。その上で、源氏鶏太という作家の文章に非常に感心したと、話が続いていったわけである。
 大衆に受けるような文章を書く。通俗なようだけれど、実は困難極まる仕事。それを源氏鶏太は長くやりつづけたのだった。
 さて、源氏鶏太についての話も印象的だったが、小生の頼りない記憶に畑氏の話が引っ掛かったのは、実は、大概の人にはつまらない理由がある。
 それは、源氏鶏太が我が数少ない富山出身の作家だからということ。
 けれど、もしかしたら彼のことは悲しいかな忘れ去られつつあるのかもしれない…。
「『三等重役』などサラリーマン小説の第一人者として活躍」などと書いてもピンと来ない人が多い懸念も。
 直木賞作家だし、彼の本が原作となった東宝や日活、大映の映画も数知れず。
 悲しいかなリアルタイムでは映画を映画館では観ることは叶わなかったが、テレビでは結構、観ていた。
 
 あまりに懐かしいので、久しぶりだし彼の小説を読んでみようと、翌日、図書館へ行った際、書架の源氏鶏太の「げ(け)」の辺りを探した。
 探した。探した。目を凝らして探したが、とうとう一冊も見当たらなかった。ああ、すっかり忘れ去られている!
 残念というより悲しくなって、しばし呆然(実は彼の本が何冊も図書館に蔵書としてあるが、全て借り出されて書架には見当たらないだけ、という可能性もないわけじゃなかろうが)。
 仕方なくというわけではないが、やはり富山に関係する作家の(小生の中では、依然として演出家というイメージが強いのだが)久世光彦さんの本が近くにあったので(「く」と「げ」なので、あれば隣同士の書架になるはずなのだが…)、情なくも未だ、一冊も彼の本は読んだことがないこともあり、この際だから読んでみようかと思ったり。
 久世光彦さんは東京は阿佐ケ谷の生れだが、「作家の群像」の「久世光彦-直木賞候補作家-111KT」を覗くと、なぜか「富山県富山市出身」となっている。
 確かに小生の母校(高校)の先輩ではあるが。
 そういえば、母校の先輩が官房副長官になったね。おめでとう! って、ここで言っても聞えないか。

 富山に居住したことがあるということなら、宮本輝氏を逸するわけにはいかない(ちょっと大袈裟な表現?)。
 彼は大阪生まれだが、少年時代の一時期を(一年ほどだけのようだが)富山市で過ごしたという。彼の小説『蛍川』(やエッセイ)には、富山へやってきて富山の(北陸の)雪に衝撃を受けた鮮烈な印象が描かれている。
 小生は未読だが、『天の夜曲―流転の海〈第4部〉』(新潮文庫)も、富山が舞台となっている(らしい)。
 参考にはならないかもしれないが、小生には、「宮本輝著『泥の河・蛍川』雑感」という書評風エッセイがある。

 ある本を読んでいたら「シャラワジ」という聞き慣れない言葉に遭遇した。ある本とは、アンドルー・ロビンソン著『線文字Bを解読した男   マイケル・ヴェントリスの生涯』 (片山陽子訳、創元社)である。
 出版社のレビューによると、「「この粘土板はまだ解読されていないとおっしゃるのですね?」。1936年、考古学が大好きな14歳の少年ヴェントリスは、クレタ文明の発掘者・老エヴァンズにそう尋ねた。1900年にエヴァンズが発掘した古代文字は、以来多くの言語学者の挑戦をしりぞけ続けてきていた。その後、建築家となり、独学で研究を進めたアマチュア言語学者はついに解読に成功するが、1956年、34歳でこの世を去る。本書では早熟の天才の一生と解読の実際を詳述した。」とある。
 古代文字の解読というと、ロゼッタ・ストーン(ヒエログリフ)の解読者でありエジプト学の父と称されるシャンポリオンなどが知られるが(他に、マヤ文字を解読したユーリー・クノローゾフとか)、マイケル・ヴェントリスが解読に成功した線文字Bは、語学の天才であり建築家であったヴェントリスならではの偉業かもしれない。

 さて、古代文字(言語)の解読の話は、機会があれば多少は書いて見たいが、今日は、「シャラワジ」という言葉の周辺を探りメモしておきたい。
 ネット検索では、あまり情報は得られないが、それでも、「光華雑誌8月号 - 西洋の庭園と中国の関係 (Page 1-5)」という格好のサイトを見つけることが出来た。
 ヨーロッパの庭園というと、フランスのベルサイユ宮殿のように整然とした幾何学的な庭園を典型的なものとして思い浮かべがちである(紋切り型の先入観かもしれないが)。
 そんなヨーロッパにあって、イギリスの庭園は、不規則性が目立ち、フランスの一部の人からは「英中庭園」と呼ばれたりする(英は英国であり、中は中国で、両者の融合・折衷だというのだ)。截然とした庭園が当たり前だとしたなら、英国の庭園は中国の庭園思想に影響を受けたものに映る。
「西洋の庭園と中国の関係」の中では、英国の不規則性が目立つシャラワジ風の庭園は、何も中国の影響を受けたわけではなく、英国独自の伝統に根ざすイギリス独自のものだという論旨で書かれているようだ。

 それはさておき、自然を生かした「一面の広々とした風景であり、その中に自然と一体となった亭や楼があり、築山や橋がある」庭園をシャラワジ風と呼称したりするようである。
「シャラワジとはシノワズリーを支える美学のひとつで「均衡、シンメトリー、統一」からの逸脱*1を意味する言葉のこと。中国の庭園や建築、風景が西洋人の眼にはそういう風に見えたようだ」という記述をネットで見つけた。
 本書『線文字Bを解読した男』にも書いてあるが、このシャラワジ、実は日本語の「揃わじ」だという説があるとか。庭園というと、ヨーロッパ風(洋風)もあろろうし、中国風もあるが、日本式庭園だって素晴らしいもの。

JTB [おとなの旅時間] 海外特派員レポート  日本庭園と英国式庭園との意外な関係」という頁を覗かせてもらう。
 ここでも、「イギリス的なものの代表として有名な風景式庭園ですが、実はその最も大切な要素のひとつが、「シャラワジ」です。なんとなく、日本語の響きに似ていませんか?最近の有力な説によれば、これは「不規則なこと」を意味する昔の日本語「揃わじ」から来ているものとのこと」という記述に出会う。
 さらに読むと、「17世紀以降、日本や中国の工芸品が多くイギリスに渡りましたが、そこに描かれた東洋の自然に対する美意識が、大陸的で流行した幾何学的ものではない、自然のありのままの姿を重要視する当時のイギリスの思想家たちの心を捉えたのではないでしょうか」とある。
 丁寧に読むと、日本ということではなくて、東洋の自然(美意識)がイギリスに影響したのではないかという話であり、この記事の読み手が日本人ということで、日本の方へのリップサービスのニュアンスが嗅ぎ取れる。
 ただ、それはそれとして、「シャラワジ」が日本語「揃わじ」から来ているという説があるのは事実のようだ。
(けれど、「シャラワジとはシノワズリーを支える美学のひとつ」という一文を上で引いているが、シノワズリー → シャラワジっていう流れはないものか…。)

 余談だが(小生の書き物は全て余談かもしれないが)、月曜日の営業中、ラジオを聴いていたら(といっても、ラジオばっかりに齧り付いていたわけじゃない。一応はお客さんを探していたんだけど、生憎、折り合いが悪く、出会いが少なかっただけなのだ!)、ちょっと笑える話を聴くことができた。
 今時のお母さんの凄さやエピソードを聴取者から募りラジオで紹介するという番組だったと思うが、その中で、うちの母ちゃんは、正月、神社に初詣に行って、お賽銭を投じるつもりが右手と左手を間違え、小銭を持っている手ではなく、家の(車の、だったかも)鍵を持つ手を思いっきりよく振って、鍵を賽銭箱に放り込んでしまった、なんて話を聞いた。 
 呆然とした母ちゃんは、神社の巫女さんに平謝りして、鍵を取り出してもらったとか。
 鍵についての失敗ということなら、人後に落ちない小生、エピソードを語り始めたら、季語随筆一年分はネタがある。悲惨な目にだって数知れず遭っている。
 苦労がわかるだけに可笑しいと思いつつも、同情した…が、やっぱりアハハと笑ってしまった!
 お客さんが乗ってなくて良かったよ。

 鍵は何処探した挙げ句部屋の中

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コメント

シノワズリーは「中国趣味」などと訳され、「CHINOISERIE」(フランス語)と表記することを知った。

 18世紀、ヨーロッパの貴族達のあいだで、中国風模様の描かれた美術品や装飾品が大流行しました。以来、シノワズリーは美術や装飾品の一様式として確立されています。しかし、西洋人にとって中国風とそれ以外の東アジア風(日本など)との明確な区別はつきにくいようで、中国風を中心としたオリエンタルな模様等全般をさしてつかわれる場合もあるようです。(資料:シノワ コレクションより)
引用元:「Fashion Blog シノワズリー[chinoiserie] フランス語」:
 http://www.fashion-j.com/mt/archives/000373.html

山口 れい著『私のシノワズリー―いま、こだわりの毎日の暮らし』(文化出版局)なんて本もある。

以上、本文を更新する余裕がないので、ここにメモっておく。

投稿: やいっち | 2006/06/24 14:28

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