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2005/11/24

キルケゴール…命日…還暦

 今年4月2日はデンマークの世界的童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの、200回目の誕生日だった(1805年4月2日生まれ)ということは、すでにメルマガやこの季語随筆「日脚伸ぶ」でも触れたことがある。
 アンデルセンとは、「人魚姫」「みにくいアヒルの子」「雪の女王」などの童話を書いた作家である。他にも「絵のない絵本」や小説『即興詩人』など、多数の作品がある…などと今更のように紹介するまでもないだろう。

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← 22日、仕事の手を休め、日比谷公園を散歩。

 さて、今になって再度、アンデルセンに言及するのは、この11月11日に、かの憂愁の哲学者セーレン・キルケゴール(S. Kierkegaard 1813-1855)が亡くなって150年を迎えたからである。

 実を言うと、今月11日前後には、本季語随筆の中で、キルケゴールのことに多少なりとも触れたかったのだが、「パソコントラブル中」(November 12, 2005)に見られるように、「木曜日(11日)深夜、不意にパソコントラブルに見舞われ、ネット接続できなくなっています。季語随筆の執筆の真っ最中でした。接続を試みましたが失敗に終わりました。原稿は失意の中、それでも完成させましたがアップできません」ということで、幻の記事に終わってしまったのである。
 今となっては、どんな内容の記事だったか覚えてもいないし、再現も叶わない。
 しかし、悔しいので、リベンジとは行かないが、最小限のことはメモしておきたいのだ。
 そもそも、小生も11月11日が死後150年の命日だということは読者の方に教えてもらったのだった(「読書雑記(続)」のコメント欄を参照のこと)。2005_11220040

→ 自由の鐘。アメリカ独立の日に鳴らされたものの複製である。戦後、アメリカのリッジウェイ大将が日本に寄贈したもの。

 キルケゴール(の死)とアンデルセンと、どんな関係があるのか
 このことも、上掲の記事の中で「かの実存の哲学者キルケゴールの最初の著作がアンデルセンについて書かれた世界最初の著作なのだということは、数年前のメルマガにて言及したことがある(室井光広著の『キルケゴールとアンデルセン』(講談社刊)を通じて知った」云々と触れておいた。
 室井光広著の『キルケゴールとアンデルセン』のレビューを覗いてみると、「若き日、2人は同じ文学サークルのメンバーだった」とか、「キルケゴールが初めて書いた本は、世界最初のアンデルセン論だった!この驚きから本書は生まれた。二人の生涯には多くの秘密が隠されている。世界的哲学者と童話作家の邂逅を復元する文学的考古学の試み」とある。

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← 日比谷公園の斜め向かいには皇居が。小生はこの交差点で事故に遭遇

哲学者と童話作家:魂の衝突  -キルケゴールとアンデルセンをめぐって- 」に見られるように、「キルケゴールの1838年の処女作『今なお生ける者の手記より』は、アンデルセンが前年に発表した第3作目の小説『ただのバイオリン弾き』を厳しく批評したもの」だったという。

 ネット上では、「思想の世界」の中の、「生涯 _ 逍遙の人 セーレン・キルケゴール」が非常に参考になる。
 この中で見られるように、キルケゴールの最初の著作『今なお生ける者の手記より』とは、『今なお生ける者の手記よりー筆者の意にそむいてーS.キルケゴール刊行ー小説家としてのアンデルセンについてー彼の最近作「しがないヴァイオリン弾き」をたえず顧みつつ』というもの。

 孤立と孤独を深めていくキルケゴールは、唯一の師を失い、「その1ヶ月後の8月8日、キルケゴールが立ち返ろうとした父ミカエルは、ついに帰らぬ人となってしまった。彼は一切を失い、いくべき場所を全く失ってしまった。さらに徹底した「無」、キルケゴールはそれを味わい、もはや彼に残されたものが、父の意志を受け継いで、神学研究を続け、神学試験に合格することだけであった。そして、その1ヶ月後に、アンデルセンに向けて『いまなお生ける者の手記より』を執筆したのである」という。
「キルケゴールの目には、貧しい中から立ち上がって小説家として成功したアンデルセンが、その成功に甘んじて、単に人間の悲しみを「情」で捕らえ、無や絶望に脅かされる人間を忘れているように見えたのかも知れない」というが、この辺りは、キルケゴールの書に当たり、且つ、アンデルセンの書や世界に当たって、自分なりに判断していくしかないだろう。

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 いずれにしろキルケゴールは、アンデルセンの書に批判を加えつつ、自らの道と意思を確かなものにしていく。

← サンババンド・バランサのライブ!

「神学研究を再開し、神学国家試験に向けての勉強も順調に進められていくようになった。25歳にして、彼は自分の人生をやり直しは時めたのである。彼が運命の人レギ-ネ・オルセンに出会ったのは、この頃のことである」というのは、運命のいたずらなのか。
 彼女を心の支えに、キルケゴールは父の願いでもあった神学試験に合格し、神学研究に励み、18歳のレギ-ネ・オルセンと婚約し、牧師になるための王立牧師学校(神学校)に入学するのだが…、ここからキルケゴールにとっての運命のドラマが始まるのである(レギ-ネ・オルセンにとっては尚更のはずだ!)。

 誕生日とか命日とか、意味があるようなないような。けれど、何かを感じたり考えたりする切っ掛けには十分なりえる。
 などと書くのも、今日23日(水)の祭日、ある還暦のパーティに参加(?)してきたからだ。本来は受付の役目を担っていたのだが、前日の火曜日はタクシーの営業で、水曜日未明まで仕事。二時間ほど早めに切り上げて帰宅し、メールを打ったりなど最小限のネットタッチをして就寝。十時過ぎだったかに目が覚めたので、パーティが終わってからネットに向かうのはきついだろうと思われ、敢えて季語随筆の執筆に取り掛かった(「勤労感謝の日…無為徒食に感謝」である)。
 書き終えてアップしたのが正午過ぎ。それから外出の支度をしつつ、冷蔵庫に買い置きしてあったフランクフルトを齧って、慌てて出発。家を出たのは12時20分。13時のパーティ開始には電車では間に合いそうになく、バイクで駆け参じたのだった。
 パーティの準備関係者の集合時間は午前の11時! もう、怠慢のそしりを免れない(実際、叱られました)。

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→ バランサのライブ!

 そんな私事は別にして、還暦を迎える人を祝うため盛大なパーティを開く。我がチームの開設当初からの功労者であり中心となってきた方であり、なんといっても人徳のある方だから、みんなに祝われる円満そうな顔を見て、ああ、こういう人だからこそ祝われるんだろうなと感懐に耽っていた。
 ある人生の節目に生きていること、この人に出会ったことに感謝すること、そもそも生きているということに不思議を越えて不可思議な何かを感じること…などと。

 すると、パーティの終わりに当日の主人公たる還暦を迎えた方が、驚くようなお礼の挨拶をされたのだった。

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← 踊りの名手で楽器ガンザの名手で名伯楽を囲んでのひと時。

 その方曰く、凡そ誕生日を祝ってもらったことなど一度もないというのだ!

 彼を知る人はともかく、会場に詰め掛けた200人近くの人の大半は驚いたのではなかったろうか。
 恐らくは、晴れがましいことが好きじゃなく、祝うという話があっても、断ってきたという面があるのだろうと思うけれど。

 パーティのレポートは、敢えて書かない。盛況だったとだけ書いておく。
 バランサというフジテレビの「ミュージック・フェア」に出演したり、営業中の小生が車中にあってラジオを聴く際、NHKを聴く以外の時間は大概、聴いているJ-WAVEの「SAUDE! SAUDADE...」主催カーニヴァル・イベントに出演したり、南佳孝のアルバム『フェスタ・ヂ・ヴェラゥン』に参加しアレンジと演奏を行ったりと活躍している、サンババンドの熱気溢れるライブがあったことは特筆しておこうか。
 無論というべきか、我がサンバチームの中から選りすぐったメンバーらによる演奏とダンサーらの踊りは、小生が聞いた場所(受付)がステージに近かったせいもあって、間近で楽しめて嬉しかった。
 敬愛する方の司会ぶりやパフォーマンスも間近で見ることが出来たし、言うことなし!
 ああ、画像が手元に何枚もある…載せたいなー!

→ パーティのこの賑わい!
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 キルケゴールを気取るわけではないが、弧と無にのめりこみがちな小生さえも、サンバの世界に興奮させてもらった。
 狂騒のひととき。感激。この腰の思いっきり重い小生さえもが観客らの身振りを真似て踊りの真似をしたのだった!

 が、一歩、外に出ると自分の世界が待っている。四時半過ぎなのに、暮れなずんでいて、その闇の奥へ奥へと、サンバの世界に自ら関わり楽しむ人たちに背を向けて分け入っていく…というより、落ち込んでいく、沈み込んでいく。
 オンボロになりかかっている体に鞭を入れて、夜半からの季語随筆の執筆に備えるため…、真っ白な画面の中にデジタルの、つまりはバーチャルな渦を描くため…。

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コメント

悲しみを「情」で捕らえ、無や絶望に脅かされる人間を忘れている-

これもポイントのように感じましたが、アンデルセンのマッチ売りの少女の話がMani_Maniさんの所で偶然出てきました。

http://blog.goo.ne.jp/j-tkfj/

デヴィッド・リンチ「ワイルド・アット・ハート」2005-11-14

やはりアングロサクソンの文化もこの辺に繋がっているのでしょうか。キルケゴールは、ある種の典型のようですね。

投稿: pfaelzerwein | 2005/11/24 03:45

やいっちさん お早うございますというか寝ていないので^^;
コメント戴いて、有難うございます。
ピョンピョン飛んできたら、まあ、素敵な記事が。
アンゼルセンはとても有名ですから、誰でも知っていますが、彼の誕生日やキルケゴールの事はちっとも知らなくて、(名前ぐらいは聞いたかもしれないと言う程度)。
深い人生ですねぇ。。。
「生涯 慫慂の人 セーレン・キルケゴール」とっても興味深く読みました。
アンゼルセンとペンでやり合ったのですね。
とても話題になったことでしょうね。
方や成功した童話作家。彼に挑む事は勇気がいった事でしょうね。
そこがキルケゴールの面目躍如と言う事でしょうか?。
そんな彼の深い思索の中に可憐な女性がいたのですね。
もうそれだけで、アンゼルセンではないけれど
情に走った?物語を想像してしまいます。

楽しいパーティーでよかったですね。
宴の後の一抹の淋しさ、何だか解るような気持ちがしました。

投稿: 蓮華草 | 2005/11/24 05:14

pfaelzerweinさん、コメント、ありがとう。
Mani_Maniさんサイトもユニークですね。
ひねくれているのでしょうか、Mani_Maniさんの「マッチ擦るたびにクローズアップっていうこだわりが好きだ」という一文を読んで、小生の好きな作家・野坂 昭如の『マッチ売りの少女』の有名なシーンを思い出しました。
野暮を承知で紹介しておくと(無論、アンデルセンの物語をベースにしているのだけど)、『火垂るの墓』同様、戦時下の庶民の生活を野坂流に描いている作品。「幼い少女が、自らの肉体の局部をマッチの火で灯して客に見せ、代価を得る」っていう場面にエロじゃなく哀しみを感じる。
けれど、哀愁を感じつつエロでもあるってことこそが悲しいのかも。
戦後(戦前も?)もそんな商売があって、ああ、やめときます。
キルケゴールも相当な放蕩に耽った時期があったというけれど、レギーネとそんなズブズブな腐れ縁になったら、一体、どんな哲学が生まれたことやら…なんて小生など想像したくなるのは所詮は凡人の凡人たるところですね。
哲学は野暮の骨頂のような営み。哲学者とは、「情」を「情」としてすんなり受け止められるはずもない種族なのでしょうね。

投稿: やいっち | 2005/11/25 11:08

蓮華草さん、こんにちは。
「ピョンピョン飛んできたら」って、蓮華草さんの正体はウサギさんだったのですね。
まあ、キルケゴールとアンデルセンは資質がまるで違う。
アンデルセンは童話もいいけど、『アンデルセン自伝』(岩波文庫)がいい。まさに世界が童話というか夢(デンマーク版ドリーム)になっている:
http://home19.inet.tele.dk/oden/andersen.html
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mystery920_2.html
キルケゴールも悲恋(一方的な?)だけど、アンデルセンも恋が実ることはなく生涯独身だった。

サンバ好きな人たちは熱い! 情熱も人間性もその全てで負けます! だからファンになってるんだけど。


投稿: やいっち | 2005/11/25 11:22

こんにちは。
逓信総合博物館で開催中のアンデルセンの展覧会この前見てきました。
そうですね、キルケゴールがアンデルセン批判したという展示もありましたが逆にアンデルセンの存在は「童話作家」としてだけではなく思想家としても大きかったのですね。
キルケゴールって弥一さんの卒論のテーマでしたっけ?

投稿: oki | 2005/11/25 15:25

oki さん、こんにちは。
相変わらず精力的に見て回ってらっしゃいますね。しかも、関心の幅が広い。
キルケゴールとアンデルセン。(あまり便利な言葉で情けないのですが)資質があまりに違いすぎる。
キルケゴールは徹底して倫理的な思弁家。
アンデルセンは童話の世界は童話的で夢があるけど、結構、世俗に塗れるのを厭わなかった…どころか、積極的に権力にも大衆にも迎合した人、迎合できるセンスを持っていた方(つまり迎合しても自分の世界を確保できたし)。だからこそ、大衆性・通俗性があった。
キルケゴール(教会の庭=墓地)には無理な芸当です。

小生の卒論はヴィトゲンシュタインです。「言語の自律性について」なんてタイトルでした。
その前の年は、「闇の世界へ」という虚構作品を書いて認められず留年したのでした。


投稿: やいっち | 2005/11/25 15:52

画像をちょっとだけ追加しました!
手元にあと数十枚ある。載せたいなー!

投稿: やいっち | 2005/11/26 09:36

ああ!素晴らしい。
昔の友人を思い出したおかげで、「無精庵徒然草」にたどり着きました。
トラックバックさせて頂きます。

アンデルセンとキルケゴールなんて、彼も知らないかも。

投稿: しゅう | 2006/05/16 00:57

コメント、ありがとう!
キルケゴールやニーチェ、ショーペンハウエルなどは高校時代から読み浸ったものです。お陰で(?)小生も哲学科へ。
アンデルセンは人並みに童話で読んでいたけど、もっと童話を読んでいたら、違う人生もあったのか?!

ブラジルで僧侶をされるとか。いつ頃から行かれるのでしょうか。
ブラジルつながりというわけじゃないけど、サンバファンの小生、ブラジルでのお話も楽しみです。

投稿: やいっち | 2006/05/16 13:45

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