桃から生まれた豊かな世界
「桃」は「【10月の季題(季語)一例】」にある。既に11月に突入して四日目となるが、立冬までは秋なので、今回扱う季語も秋のもの。
「桃」は秋の季語扱いのようだ。
但し、「桃の花」は春の季語、「桃の実」(または「桃」)となると秋の季語扱いとなるわけである。
小生、果物で好きなものは数々あるが(但し、店頭で野菜も果物もまず買わない…)、一番好きなのは桃だ。
こんなにもジューシーで豪奢な味の果物は他にないと思うほど(だったら買えよ、ということになるが、果物も野菜のコーナーも素通りするのが習い性なので、今更、どうしようもない)。
桃が好きなのは、その芳醇な味わいや食感もあるが、なんといっても、その形容し難い豊かで心温まる形が預かって大きいような気もする。タプタプしたお尻を思わせるではないか!
だからというわけでも、また、たまたま今、車中で前田 晴人著の『桃太郎と邪馬台国』(講談社現代新書)を読んでいるからというわけでもないが、今日の表題(テーマ)には「桃」と「桃太郎」を選んだ。
本書「桃太郎と邪馬台国」は、出版社のレビューによると、「一寸法師の「箸とお椀」の意味は?浦の「シマコ」と卑弥呼の関係は? おとぎ話から古代史の謎を解く! おとぎ話の古層に倭国の痕跡が見える!一寸法師・桃太郎・浦島太郎の原像を検証する古代史学。」とか。
本書の内容を忖度する素養などは小生にはない。ただ、興味津々で読んでいるだけである。吉備地方と桃太郎伝説との関係については、何かの本で読んで以来、関心を抱き、ある小説の中にさりげなく昔話を織り込んでみたこともある。
ただ、桃太郎伝説などがさらに邪馬台国と絡むというのは、全く初耳なので、ひたすら好奇心で読んでいるわけである。
そういえば、桃太郎は、犬・猿・雉〔きじ〕を仲間にして鬼ヶ島へ鬼退治に行く。そこで、戦国時代の末期に活躍した信長・秀吉・家康・利家・光秀らを念頭に、彼らをさてこれらの動物のどれに当て嵌めたらいいかを考えてみたことがあった。
「桃太郎伝説と織田信長」
家康はタヌキ。秀吉はサル。(前田)利家が犬千代ということで、イヌ。では、雉は誰なのかがネックとなった。明智光秀(それとも徳川家康か)? それに大体、信長はどんな動物か。オオカミ? でも、桃太郎の話には出てこない。
それに、そもそも誰が桃太郎なのか。
こうした疑問には、桃太郎侍も答えてはくれなさそう。
ちなみに、まさに本書の中で、著者の前田晴人氏は現代に繋がる形での桃太郎という昔話を作ったのは誰かを明示している(秀吉の朝鮮出兵との絡みなどから)。大胆なのかどうか、小生には俄かには判断が付かない。関心を持たれる向きは、是非、一読を。
順序が逆になったが、まさか、日本人で桃太郎の昔話を知らない人はいないと思うけれど、念のため、参考になるサイトを示しておこう:
「桃太郎|日本文化いろは事典」
前田晴人著の『桃太郎と邪馬台国』はこの中でも参考文献として示されているが、小生が桃太郎と吉備との関係を知ったのが、そこにも掲げられている石田英一郎著の『桃太郎の母―ある文化史的研究』(講談社)だったかどうかは覚えていない。
さらに、桃太郎伝説全般については、「桃太郎伝説」が分かりやすく読みやすくていい。
このサイトに、「古代から桃は霊力のある食べ物と考えられ、古事記などにも記載されています。唐古・鍵遺跡でも「まつり」に使われた土器などといっしょに桃の種子が出土しており、特別な扱いを受けていたことが分かりました 」と書いてある。
「桃太郎神社」なるサイトを覗かせてもらおう。
この中の、「桃太郎伝説」という頁は読物としても面白いし参考になる。
ただ、今は、ここでは主に表紙を参照させていただく。
その表紙の冒頭に、「桃太郎神社の桃鳥居をくぐれば、悪は去る(猿)、病いは去ぬ(犬)、災いは来じ(雉)と言う「桃」が持っている神秘の言い伝えが--。」などと書いてあって、何ゆえ桃太郎が猿・犬・雉を家来に鬼退治に向かったかが一気に氷解してしまった。
さらに、「中国では、古くから桃が「仙果」として、神仙のための貴い果実して位置づけられてたようです。三千年に一度しか実をつけけない桃を、西王母(崑崙山に住むとされる女仙)が、漢の武帝に食べさせたという話もあります」とあって、桃の霊力の由来を説明してくれている。
また、「その影響か、日本でも魔よけの力がある果実として解釈され、『古事記』では黄泉の国から逃げ帰るイザナギノミコトが黄泉軍に桃を3個投げて撃退したという場面が登場します」とも。
しかし、小生には感銘深いのは、「つまり邪悪なものを桃の力で追い払うわけです。さらに桃には、その姿形の艶めかしさから、古くから出産、豊穣のイメージもありました。 桃を食べたお爺さんとお婆さんが若返って桃太郎を生んだという一説は、このことに由来するようです」という記述。
小生のような野卑で粗忽な者などは、むしろ、桃の出産、豊穣のイメージを彷彿とさせる艶やかな姿形こそが桃の霊力という神話(思い入れ)を産み出したのではないかと憶測してしまう。
尤も、桃が今のような豊満な姿形となったのは、ずっと後世になってからのことだから、小生の憶測など意味を持たないのかもしれないが。
日本には古くから入ってきていたようだが、実際に何時なのかは分かっていないようだ。下記サイトによると、弥生時代(あるいはそれ以前)と見られているらしいが。
では、桃の故郷は一体、何処なのか。
「英名ピーチ(Peach)は“ペルシア”が語源で、ラテン語の persicum malum(ペルシアの林檎)に由来」ということからすると、ペルシア辺りなのか。
さにあらずで、「モモ - Wikipedia」によると、バラ科サクラ属の桃は中国が原産だということであり、「原産地は中国西北部の黄河上流地帯。欧州へは1世紀頃にペルシア経由で伝わった」とか。
西欧ではリンゴが禁断の木の実とされているようだが(実際には「聖書」には木の実としか書いてないことは、過日の季語随筆でも書いた)、仮にモモが禁断の木の実ということになっていたら、人間観や世界観も随分と違ったものになっていただろうと思う。
桃割れの木の実が人に掻き立てる想像の世界、その辺りのことについて妄想を逞しくしてみるのも、また楽しからずや、ではなかろうか。
桃割れの先が急かれる秋の夜
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