火と水のさきわう国
「ホントに火のことだけ… 」の中で(実は、表題を「ホットに火のことだけ…」にすべきか、今も迷っている。でも、まあ、ホットでもホントでも、含意するところは同じだし、このままで通す)、拝火教(ゾロアスタ-教)の名を挙げている。
日本に拝火教(ゾロアスタ-教)がいつ伝わったのか、調べていないが、たまたま戴きもので、運慶・快慶らの手になる東大寺の仁王様の画像を我がサイトで使わせていただいた縁もあるので、ここでは東大寺、特に「火」との絡みもあり、東大寺二月堂で行われる「お水取り」、正式には「修二会(しゅにえ)」に焦点を合わせつつ、若干のことをメモしておきたい。
が、その前に、ここでは転記等はしないが、「東大寺(とうだいじ)」の沿革等を「Welcome to tabiken's Site!」の「東大寺」なる頁でざっとでも見渡しておいてもいいだろう。
聖武天皇の志と、「対外的な要因として,唐高宗が672年(咸亨3)から3年間を費やして洛陽の竜門の奉先寺に,高さ85尺の2菩薩像や70尺に及ぶ盧舎那仏石像をつくったり,また則天武后が洛陽の白司馬坂に大銅仏を造顕したことなどにも影響されて,唐文化に対する日本の新しい国家意識の顕揚のためにもこの大仏がつくられなければならなかったのであろう」といった、背景があるようだ。
(「聖武天皇の志」と略記したが、興味の湧いた方は例えば、「東大寺~天平勝宝四年~」を覗かれると、その真意などが詔勅の文=大仏造立の詔として読み取れるかもしれない。「大仏造立の実際上の主役となった渡来系氏族はもちろん、大伴・佐伯氏を始めとする旧豪族、米3千碩・墾田100町を東大寺に献上した越中利波氏などの地方豪族、行基のもとに集まった私度僧に至るまで、積極的にこの事業に尽力することになります」とあるから、我が富山(越中)も貢献していたわけだ。)
「お水取り」についての全般的なことは、「東大寺 お水取り」なるサイトを覗かせてもらうのがいいようだ(勿論、自分で観に行くのが一番なのは言うまでもない! 毎年行われているし)。
その中の、「お水取りについて 修二会」という頁を開くと、「東大寺二月堂修二会(しゅにえ)」の式次第の様子が画像と共に窺える。
「この行法は、もともとは旧暦の2月1日から2月14日まで行われていた行事で、2月に修する法会として「修二会」といいます。現在は太陽暦を採用して、3月1日から3月14日まで二月堂で行なわれている」とのことで、「今年(1999)で1248回目となり、開行以来一度も欠かされたことがない行法「不退の行法」」だという(ということは、今年(2005)で1254回目を記録したことになる?)。
「由来」として、以下のように説明されている:
天平勝宝3年10月東大寺、実忠(じっちゅう)という僧侶が奈良の東、笠置の山中竜穴の奥で、菩薩たちが行っていた有り難い行法を拝観して、これを地上にうつそうとして二月堂を建てて、始められたのが始まりで諸々の天衆が行ってきたことを人間界でもやりたいと神に頼んだ、しかし天上界の一昼夜は人間界では400年に相当すると言われ断わられた。そういうことならせんべんの行堂を走ることによって時間を縮めるということにして許しを得た。
「Nobk」の中の、「伝統行事」なる頁の、さらに「節分<註> (4)修二会(しゅにえ)、修正会(しゅしょうえ)」あるいは「(5)お水取り」の項を覗かせてもらう。
「お水取りについて 修二会」で説明されていたが、特にそのクライマックスの部分について、「練行僧(れんぎょうそう)たちは3月1日から「こもり屋」で修行に入る。27日間のちょうど真中の13日の宵、堂童子たちが担ぎ込んだ長さ8~9メートルの大松明(たいまつ)十二本を、練行僧たちが堂の外縁回廊で振り回す。この豪壮華麗な火の行事が「お水取り」行事の圧巻として広く知られている。やがて夜中に入ると、練行僧たちは二月堂の前の閼伽井屋(あかいや)と呼ばれる井戸で水を手桶に三杯汲み上げる。その水(香水と云う)を「水天」という役目の練行僧が堂の中に撒き、それに向かい合った「火天」という役目の僧が大松明を堂の床の上で振り回す。この夜中の行事は「韃靼(だったん)の妙法」と呼ばれている。その後、練行僧たちは再び27日まで修行に入るのである。 」と纏められている。
転記文中に、「閼伽井屋」という言葉が出てくる。
「三省堂-コンサイス外国地名事典 第3版」を覗くと、「赤井や赤田川のアカは赤色ではなくて、仏に供える水の閼伽を意味している。ラテン語のアクァはサンスクリット語のargya, arghaに由来する。この源流から東は日本まで流れて閼伽となった」という説明に出会う。
ちなみに、ラテン語の「aqua」は(aquarium, aqualungなど)、サンスクリット語のargya, arghaと語源的に無縁ではない。
つまり、「閼伽井屋」とは文字通り「(水)井戸」というわけである。
「伝統行事 (5)お水取り」に戻る。
同じく、上記転記文中に、「韃靼(だったん)の妙法」なる語が出てくるが、この「韃靼とはモンゴル系の部族の一つの「タタール」から来た言葉であるが、その部族に限定せず、比較的広範囲な遊牧民たちを中国で呼んだ言葉である。従って、韃靼の妙法は彼ら遊牧民から中国へ伝来したものでり、恐らくは、紀元前七世紀頃中央アジアで生まれたゾロアスター教(拝火教)に由来し、これが中国に入ってきて取り入れたものと考えられている」という。
ようやく、「東大寺二月堂修二会(しゅにえ)」とゾロアスター教(拝火教)との関連という眼目に近づいた。
この「ゾロアスター教は、この宇宙を「善なる火の神」と「悪なる暗黒の神」との戦いと見る。そして、善神の象徴が火であり、悪神の象徴が水である。従って、これは追儺式における大舎人と疫鬼との役目に対応するものである」という。
要するに(こんなに簡単に略してはアカンのだろうが)、「東大寺二月堂修二会(しゅにえ)」とは、通称「お水取り」とされるが、「火と水」の儀式だというわけである。
ここでは、ゾロアスター教(拝火教)には深入りしない。
ただ、何ゆえ、時に拝火教とも呼ばれる火の宗教、火の思想、火の儀式に我々はかくも惹かれるのか、という疑問である。
動物が火を恐れるように、「火」の持つ魔力とかパワーとか、とにもかくにも素朴に火への恐怖心のようなものが我々の心の根底にあるからなのか。
そうかもしれない。
が、小生の勝手な推測だが、やはり、日本という島国の特徴に無縁とは思えない。そう、日本は火山国なのである。富士山にしても休火山というだけで、死火山であるわけではない。近い将来の噴火もただの危惧・杞憂ではないのだ。
温泉好きな国民性を一面で我々は持っているが、それも火山の齎す惨害の裏面であって、火山のお零れを頂戴しているだけのことである。
特に大陸などから渡来した人々は、海辺や川辺には先住する人々が居て、とりあえず棲むとしたら山の奥、人の寄り付かない森の中、崖っ淵などでしかなかった。多くは火山の近くである(噴火したばかりだと、伝聞があるから地元には人は寄り付かない)。
事情はあれこれ考えられるし、何処か中国の更に彼方の拝火教の生地の記憶が、火山国に出会って蘇ったということも考えられる。
小生は、実はもっと単純に考えている。つまり、ゾロアスター教(拝火教)が日本に渡来する人々により、いつの頃かに伝えられたのは事実なのだろう。また、そのことにより宗教的儀式に取り入れられた面は否めないだろう。宗教的原理や思想に収斂されていった側面も考えられて当然である。空海の思想(華厳宗)と火との関係など、既に深く研究されているようである。
が、小生は、日本は火山国であるという面、しかも、日本という絶海の孤島からは、最早、逃げ去る場は、絶望的に見出し難い(絶無ではない!)ことを考えると、日本という島に住み着いた人々は、縄文の昔から(あるいは更に旧石器の時代から)「火」と向き合うしかなかったのではないか。
それが、たまたま大陸渡来の宗教や思想で以って、胸に漠然と、しかし断固としてあった形未満の情念的焔に言葉を与えられ儀式の形を与えられ、形象化されたということなのではないか。
つまり、敢えてゾロアスター教(拝火教)ということでなくて、「火」信仰のようなものは地盤としてあったということだ。
しかも、これも今は探究する遑(いとま)がないが、雨の多い風土性も地盤としてある。
日本は、もともと「水」と「火」の出会っていた、西方より渡来した人々にとっては彼らの宗教や思想にとっての表現と探究と修練の絶好の土地だったと考えるのが至当のように思える。
特に険しい山の奥、火山の近くは。
日本は、「言霊のさきわう国」と万葉の昔から言われてきたようだけれど、その前に、「火と水のさきわう国」だったと思うべきではないか、ということだ。
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コメント
初めまして。
失礼ながらTBさせて頂きました。
これから度々お邪魔させて下さい。
投稿: 大滝三千夫 | 2005/11/20 12:21
大滝三千夫さん、はじめまして。来訪、トラックバック、ありがとう。
以前、小生もトラックバックさせてもらったことがありますね。
京都にお住まいなのでしょうか。たずねるべき場所が数知れずありそうですね。
とはいっても、なかなか気軽には旅に行けないもの。そんな小生のためにも、いろいろな情報を教えてください。
投稿: やいっち | 2005/11/20 16:25