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2005/11/17

読書拾遺(ウォード)

 先週末の読書でちょっとした収穫があった。ジャクリーン・ウォード著の『夜にめざめて』(河野槇訳、青弓社)である。副題が、「ある娼婦の告白」。
 出版社の謳い文句によると、「色とりどりのネオン、人々でにぎわうピカディリーの夜のもう一つの顔。運命に翻弄され、思いがけない職業についた女性。ロンドンの元娼婦がみずからの苛烈な体験を赤裸々につづった衝撃のノンフィクション。──私は二度とあの世界に戻らない!」とある。
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 平成5年の刊行。『まだ見ぬ書き手へ』(朝日新聞社=紹介済み)は、平成6年の刊行なので、『夜にめざめて』が出たのは、小生がそろそろ首切りという事態に見舞われる前年ということになる。

→ 紫苑さんにいただいた薔薇の画像です。

 当時、徹底して精神的に落ち込んでいた小生は、会社と自宅を機械的に往復するだけで、自宅に帰ったら即座にベッドに倒れ込み潜り込んで、ひたすら横臥しているだけで、次の朝、目覚ましが鳴ったら同じく機械的に起き上がって会社へ向かうという日々が続いていた。
 必要最小限の買い物以外は一切、外出するはずもない。部屋のベランダに向けた窓もカーテンも、快晴だろうと週末だろうと締め切ったままだった。
 だからだろうか、ベランダの外壁に据え付けられているエアコンの室外機の取り付け金具にハトが営巣し、ついには卵を産み落とす、という一幕もあった。
 つまり、外界への関心を抱くことのなかった小生の部屋の窓もカーテンも微動もしない…、それほどにハトからしたら人の気配のない安心できる場所だったわけである。

 93年当時、一切、体を動かすことをせず、また、いろいろな重圧や懸念に打ちひしがれていた小生は、体にも変な症状が出ていた。たとえば、別に医者に体を見てもらって診断を受けたわけではないが(病院に行く気力もなかったし)、メニエル症かメニエル症候群と思われるような症状に苦しんでいた(11月16日未明にNHKラジオでメニエル症やメニエル症候群の話をされていたっけ)。
 ベッドからうっかり起き上がると意識が、それとも部屋の中の光景が脳裏で、あるいは脳裏の一点を中心にグルグルと回転し始めてしまうのである。止まらない高速回転のメリーゴーランドに縛り付けられているようで、仕舞いには嘔吐感に襲われた。
 回転が止まるまでは身動きもならなかった。
 ベッドから起き上がる際には、意識(景色)が体から遊離して勝手に動き回らないよう、ゆっくりそうっと、という要領で体を動かさないといけないのだった。

 そんな頃に本書『夜にめざめて』が出たわけだから、書店に立ち寄って本を渉猟する楽しみから遠ざかっていて、本書の刊行を知るはずもなかった。
 ネット検索してみると、本書が広く読まれている形跡は薄いようである。
 今、記憶に定かではないが、フランスの娼婦の告白モノだったと思われるのだが、『夜よさようなら』とは比べるべくもないマイナーな本となっているようである。
 ネットの強みで曖昧な記憶をネット検索で得た情報で補強してみる。
 どうやら、ジャンヌ・コルドリエ著『夜よ、さようなら   パリ娼婦の自伝』 (谷口侑 谷口正子訳 読売新聞社 1979)のようだ。すでに絶版になっているようだが。
 小生は見ていないが、映画化(監督:ダニエル・デュバル)もされたようである。

 手元に本がないので、ネットで見つけた読者評を転記させてもらうと、「映画化もされた本書は、娼婦の世界を娼婦の側から描いた「長い地獄の季節の喧騒と憤りに満ちた物語」。しかし、最初のエピグラムがスタンダールによる「まだこの自分が残っているのだ」というものであることからも暗示されるように、どこまでも悲惨な状況を描きながらも、そこに私たち読者は清らかさ、愛を見出すことになります。「詩が彼女を閉じ込める監獄の壁を打ち砕く」(序文より)。現在絶版。」といった内容。
 哀切感があり痛切でもあるけれど、透明感も感じられ今も鮮烈な読後感が残っている。
 『夜よ、さようなら』を読んだのは、上京したその年だった…。目くるめく東京の生活にわくわくしつつも圧倒されていたっけ。
 驚いたことに、『夜よ、さようなら』には、同じ著者による『続 夜よ、さようなら』(85年)があることを、小生は今、知った。

 この筆者は娼婦の世界からは足を洗えたようだが、さて、本書『夜にめざめて』の場合はどうか。

 読んだばかりだからだろうか、小生は『夜よ、さようなら』とは比較にならない衝撃を受けた。
 何も、「ロンドンの元娼婦がみずからの苛烈な体験を赤裸々につづった衝撃のノンフィクション」といった内容の新奇さに驚いたわけではない。決してポルノチックな本ではないし、そういった類の本なら履いて捨てるほどある。

 娼婦モノとか夜の世界、裏の世界を描いて文学的に読み応えがあるというと、アンリ・バルビュス著の『地獄』(秋山晴夫訳、二見書房 1970)に止めを刺す。
 上で読者評を参照させてもらったサイトに再度、登場願うと、「パリの安宿で壁穴から隣室を覗き見る青年が見たものは、、、。メーテルリンクやアナトール・フランスらの激賞を受けると同時に激しい非難も浴びた、衝撃的名作。コリン・ウィルソン著『アウトサイダー』でも印象的に取り上げられていましたね。」とか。
 本書が刊行された頃は受験生で、その存在は知らなかったはずで、大学生になったその年にどこかの書店で見つけたのか、それとも、その頃、コリン・ウィルソンのファンでもあったので、コリン・ウィルソン著『アウトサイダー』を読んで捜し求めたのか、はっきりとは覚えていない。
 今も田舎の書棚に埃をかぶって鎮座しているはずである。

 まあ、でも、夜の世界モノというと、ルイ=フェルディナン・セリーヌの手になる『夜の果てへの旅』に描かれる世界ほどの鮮烈な印象を受けることは、めったにないだろうとは思う。
 
 日本では娼婦とか売春婦モノとはちょっと毛色が違うが、廓(くるわ)モノということで、西山松之助著の『くるわ』(昭和38年 至文堂)が(末尾の百頁ほどを削除というか、破り捨てるという前提で)秀逸の書である。

 さて、ジャクリーン・ウォード著の『夜にめざめて』は、確かに「色とりどりのネオン、人々でにぎわうピカディリーの夜のもう一つの顔」ではあるけれど、決してポルノ小説ではない(ポルノ小説を読みたかったら他を探す)。副題に「ある娼婦の告白」とあるけれど、書き手次第で同じ世界を描いても雲泥の差となることが実に良く分かる。

 ぶっちゃけたところ、この書き手は、ある意味、無類の正直者であり、この上ないお人よしなのである。下手な逆説を弄するなら、だからこそ泥水を啜るような世界に飛び込んでいってしまった、とも言いたくなりそうだ。

 <仕事>が終わり疲れ切った体を引きずって食堂で食事をしようとしたら、目の前にロンドンの町に流れ着き、仕事にあぶれ、飲まず食わずとなった男を目にする。何処にでもいるような、うらぶれた見知らぬ男。
 男は、不躾にも彼女が食事するさまを食い入るように見ている。彼女が口に食べ物を運ぶのを見て、自分も食べているような気分になろうとしているのだ。
 驚くべき? でも、場所によっては珍しくもない光景かもしれない。
 驚くべきは、男の様子を見ての彼女の反応と行動のほうだ。
 彼女は、そんな奴を見過ごせない。黙って立ち去ることが(追い払うことも)できない。それどころか、何もせずに見捨ててしまっては後味が悪いに違いない、あとで何もしなかったという後悔の念に囚われるくらいなら、食事を奢ってやったほうがまし、と考えてしまう。
 自分も嘗てはそうだった、奴の気持ちが痛いほど分かると思ってしまう女なのである。
 彼女は、とうとう我慢が出来ず、男に声を掛け、食事を奢る。
 ガツガツ食べる男の様子に嫌悪する。見るに耐えなくて、食事代を置いてその場を立ち去り、タクシーに乗ろうとする。
 すると、そこへ男がやってきて、どうだい、ついでだから寝る場所も提供してくれよ、寒くて凍えそうだし…。
 驚いたことに、彼女は断りきれずに承知してしまうのだ。男を<しぶしぶ>乗せて自宅へ連れて来てしまう。
 しかも、部屋の中に招き入れてしまうのだ。
 彼女はベッドで寝る。男は汚い服装のまま、臭い匂いを漂わせつつ、椅子を二つ並べた即席のベッドで寝る。

 翌朝、彼女が目覚めると、異様な気配が。
 案の定だ! 男は、椅子が乱れて寝心地が悪いから、お前さんのベッドに寝かせろと迫る。
 ベッドは広くて、俺の眠る場所など余裕であるじゃないか…。隅っこに寝たっていいだろう…。
 そこで、やっと女は怒り出す。
 やっとだ!

 奴も怒る彼女を見て、怒り出す。どうせお前は娼婦じゃないか、誰とだって二束三文で寝るんじゃないか、俺と寝たってどうってことないだろう。ついでじゃないか。そのつもりで部屋に誘ったんだろう…。
 大人の男として、常識的な(良識的なとは言えないかもしれないけれど)、ある意味、当たり前すぎる発想。大人の女なら、しかも夜の世界に生きるプロの女なら当然、察していてしかるべき成り行き。
 が、彼女は怒る。そんなつもりじゃなかったの、と。
 そして、男を蹴り出すのである。
 これも女として当然といえば当然。
 が、状況としては、男に<誤解>させて当然至極ではなかろうか。大の大人を、男を、そんな気にさせておいて、目の前にホットなご馳走をぶら下げておいて、罪といえば罪ではないか!

 そんなつもりじゃなかったって? じゃー、いったい、どういうつもりだったというのか?! 
 この、人の不幸を見てみぬふりができないの性分が彼女の彼女たる所以なのである。
 一般論として、気の毒な人を見たら助けるのが理想である。助けようとする行為は賞賛すべきである。が、しかし、時と場合に依るのだし、場合によっては酷であり、逆に罪と思われかねないこともあると考えるのが良識ある常識的な社会人。
 が、彼女は、とことん、お人好し。社会の、人間の裏側を誰よりも見尽くしてきたし、<体験>し尽くしてきたはずなのに、世間知らずの女学生のような発想をつい、してしまい、しかも、行動してしまって、そうして後で取り返しの付かない事態に立ち至ってしまう。

 この理不尽なほどの状況を自ら招いてしまうのが彼女であり彼女の性分なのである。
 いいと思うことはする。純粋無垢な愚か者…。

 本書では、社会の裏側を見、辛酸を嘗め尽くしてきたはずの彼女の、だから、決して油断などしないはずの彼女の、寂しさのあまりとはいえ、ちょっとした女心の隙(すき)を突かれて、ある(世間の良識ある人には明らかに胡散臭い)男の優しげな振る舞いにほだされ、あっさり惚れてしまい、周囲から見ると、簡単に男に篭絡されてしまって、という状況に陥る。
 老練な(女を見抜く目を持ち、女の隙に躊躇なく食い込むのが得意な)男には、その手の(自分では隙も油断もあるはずがないと思っている)女を落とすのは容易いことなのだ。
 仕事が終わって寂しさが募っていて、誰かの、ほんの一言でいい、人間らしい言葉、ちょっとした振る舞いが欲しい時に、彼女に優しくする。
 もう、彼女は夜の世界ではめったに目にしない男の、らしくい優しい振る舞いにイチコロである。
 しかも、男は女のほうから男の窮境を救ってあげる、おカネで済むなら私がなんとかしてあげる、ううん、私が好きで出すんだから、いいでしょ、と、男のプライドを傷つけないようにと、涙ぐましいほどに遠慮がちに援助を申し出るのだ。
 
 こうなると、完全に男の術中に嵌っている。
 実際は博打や酒や女で借金が嵩んでいるのに、俺は騙されて借金を背負う羽目になっている、とか何とか言って、男は女を言いくるめる。
 彼女は、苦しい生活の中、夢を持ちたいと、いつか車を買うつもりで貯めていた貯金を男の歓心を買うために下ろしてしまうのである。
 いいのか…、そうか、じゃ、ちょっとだけ借りるよ…。
 
 あとは予想通りの泥沼。女は男の負け続ける博打の軍資金のために、今までは相手にしなかったような、多少は選んで商売していたのが、相手構わずに客を取らされる。
 そんな或る日、警察官に職質される。うまく対応できずに、ブタ箱(留置所)に一晩、泊められる。
 当然、その晩はカネが稼げない。ああ、どうしよう、このままじゃ、明日の朝、男に会わす顔がない、渡すカネがないのだから、男はどんなに怒るだろう…。
 ブタ箱からは出たがカネがない。男は案の定、博打で大負けの真っ最中。
 カネは? カネはどうした?
 女は開き直って、カネはないのよ、という。
 嘘だろう! 男は女のバッグやポケットを調べ尽くす。ない!
 男は女をトコトン、打ちのめす。 
 男は警察に捕まり実刑を食らう。女は怪我して入院し…。
 そして女は、一層、先の見えない闇の世界へ落ち込んでいく…のか。
 ともかく、本書『夜にめざめて』は絶品だった。

[ 本稿は、「読書拾遺(白鳥と芥川)」に引き続く一文である。先週末、パソコンのトラブルに見舞われていた時、ワープロ機能を使って書いた雑文に、多少、手を加えたもの。]

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コメント

ふううん・・そういう本があるのね。
映画でも そうだけど、子どもにはオススメできなくても 「大人だからこそ」深く読める本って あるんだろうな・・と 少しズレた感想を抱きました。

色んな時期を経て 今の自分がいる
・・弥一さんの会社員時代、この女性の娼婦時代・・人間の話って色々なところがいいですよね。

投稿: なずな | 2005/11/17 09:43

なずなさん、こんにちは。
夜の世界に生きる女。昔も今も想像以上に多いのでしょうね。
男としては、そういう女性は男に騙されて泥水を啜る生活を送っている…、そう思いたいもの。
生活に困って、とか。
でも、必ずしもそうとは限らない。別に色事が好きだということではなく(そういう人も要るに違いないと思うけど)、ある種の自分の気質や倫理や一時の拘りに拘泥しすぎた結果として生きる世界がそこにしかなかった、そしてそこで類は友を呼ぶといった相手と泥沼の関係を持っていく。
自分を律する強固な意志があれば、自分にぴったりの仕事、天職だと思う人もいるのでしょうね。
今の時代、プロの女とアマで実質は売春している(でも、自分じゃ、売春だとは自覚していない)女が増えているような。何が善で何が悪かも、その敷居が低くなっているのでしょうね。
肉体の倫理に忠実であるより宝石や流行の衣装類を得るほうが大切ってこともあるのか。
カネの力がますます絶大になっていく。貧富の差の増大。少数の富裕層と圧倒的大多数のその日暮らし層との断裂。

投稿: やいっち | 2005/11/18 07:46

ジャクリーン・ウォード著の『夜にめざめて』については、長編ということもないし、理解の仕方は多様にありえると思う。
女性が男に食事を奢るだけではなく、自分の部屋に招きいれ、一晩泊めてやる場面など、特にどうしてそのような真似を女性がしたかは、かなり考える余地がありそう。
どうぞ、読んでみてくださいね。できれば感想を欲しいな。

投稿: やいっち | 2005/11/18 07:49

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