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2005/11/30

ラヴェルのボレロから牧神の午後へ

 28日の営業中、午後の2時過ぎだったか、例によってというわけでもないが、ラジオをNHK(FM)に切り替えた。大概、2時過ぎに最初の休憩(仮眠)を取るので、どこかの公園か人通りの少ない静かな場所に車を止め、本など手に取って、耳からはクラシックというわけである。
 本は、カトリーヌ・ミエ著の『カトリーヌ・Mの正直な告白』(高橋利絵子訳、早川書房)を手にしている。眠気を誘うには小生には活字が一番、なのである。もっとも、この本が就寝の友には相応しいのかどうかは、かなり議論の余地がある、かもしれない。
 なんたって、出版社のレビューだと、「彼女は呼吸するようにセックスする。体のすべてを使って、いつでも、どこでも、だれとでも。フランス現代美術誌『アート・プレス』の女性編集長が、自らの奔放な性生活を赤裸々に明晰に描き、文学界を騒然とさせた自伝的作品」というのだから。
 まだ、冒頭の数十頁を読んだだけなのだが、文字通りこのレビューそのままの内容だと思っていい。
 なんたって、本の帯には、「わたしの体はいやと言わない」とあるのだ。

 過日、ジャクリーン・ウォード著の『夜にめざめて』(河野槇訳、青弓社)を紹介したことがある。この本の著者は副題の「ある娼婦の告白」が示す通りである。
 後者は娼婦の告白とあるが、セックスの場面描写はほとんどない。なのに、なのか、にもかかわらずというべきか、とにかく、筆力があって、一気に読ませてくれた。

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2005/11/29

二つのおめでとう! 朝青龍とハヤブサと

 一つは大相撲にて、横綱朝青龍(25=高砂部屋)が大相撲九州場所千秋楽(福岡市博多区の福岡国際センター)も勝利で飾り、史上初の7連覇と年間6場所完全制覇を達成したこと(通算15回目の優勝)。
 日本人力士には頑張ってもらいたいけれど、今の朝青龍を脅かす可能性がある力士というと、関脇琴欧州くらいのものか(大関決定間近?)。
 朝青龍は強すぎて一匹狼のような存在で、この場所でも日本の観客は相手力士や、特に琴欧州らを声援する人が多い。彼の孤独感とか、プレッシャーも相当なものだったろう。

renge-kayabuki

← 蓮華草さんに戴いた画像。「京都は美山町の北村 茅葺の村落」で、「2年ほど前から沢山の人がくるようになったとか…」。合掌村のようになるのだろうか。よほど、しっかり保存し維持する覚悟がないと大変だろうな…。画像、拡大したほうがいいかも。目を瞠る光景だ!

 けれど、そんな重圧を跳ね返すのが朝青龍の凄さだ。千秋楽の勝利直後の涙は、しかし、若干、日本の相撲ファンやマスコミも少しは感激したようで、記録もさることながら、ちょっと感情移入して報道していた。
 小生は、熱心な相撲ファンではない。応援する関取が出たら関心を持つというレベル。小生が好きになった力士というと、かの北の湖以来なのだ。彼も強すぎて、あるいはライバル不在気味で孤高をひしひしと感じさせた。
 強いのは本人の頑張りであって、且つ、立ち向かう力士らの努力不足のはずなのに、勝ちすぎるとちょっと敬遠気味になってしまう。
 今、NHKの大河ドラマで義経をやっているようだけど、それにちなんで判官贔屓という言葉を使ってみると、小生は判官贔屓のところがあって、そうした孤高を保つ存在が好きなのだ。長嶋茂雄選手より王貞治ってことだ。

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2005/11/28

柊の花…赤かぶ検事

 漫然と、というわけではないが、例によって「俳句ステーション」サイトの「季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例】 」表を眺めていても、ピンと来るものがない。
 もともと11月は季語例が少ないせいもあるが、表を眺める小生のほうにパワーがなくて、季語例を眺めても、これだという閃きも何も湧いてこないのである。

tingen-knife-tuti

← 青梗菜さんに戴いた画像です。「11月28日、旧暦10/27、月齢26.1。今夜の月の出は、3時頃。少し上った4時の月です」とか。ご本人は「ナイフ」と名づけているけれど、その日の夜、営業中の車中から小生が見たとき、薄ーーーく切ったメロンのように思えました。

 そんな時は、昨日の季語随筆のテーマが「茶の花」だったように、いっそのこと地味そうな季語を敢えて選ぶ。一見すると、あるいは語句を眺めているだけでは何も連想することもないのだとしても、返ってそうしたひっそりと咲く花、鮮烈に自己主張しようなどと思わないような言葉(対象)にこそ、案外と深い世界が潜んでいるやもしれない…。
 まあ、そんな期待を込めて、今日は表題にあるごとく「柊の花」を選ばせてもらった。
 ネット検索すると、案の定、検索の網に掛かる件数が少ない。また、「柊の花」という季語を織り込んだ句も少ないようである。

 まず、「俳句歳時記宝石箱」の中の「季語集・冬」なる頁を覗かせてもらう。
「柊の花( ひいらぎのはな)」は、傍題として「花柊」があり、「常緑樹で大きな鋸歯のある葉が特徴、白色の小花で良い香りを放つ」とある。
 昨日の「茶の花(ちゃのはな)」は、ここでは「新しい木梢の葉えきに小さな白色五弁の花を咲かす」と説明されているが、「柊の花」も負けず劣らずの小花だと分かる。

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2005/11/27

茶の花…茶の湯…一休さん

季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例】」に並ぶ季語・季題を眺めると、「茶の花」という季語のあることに気づく。
 気づいてはいたが、どこかひっそりしている感があって、いつも素通り。
 実際、ネット検索しても、「茶の花」を扱うサイトは少ない。

 例によって「よっちのページ」の「三省堂 「新歳時記」 虚子編から季語の資料として引用しています。11月の季語」の「茶の花」の項を覗かせてもらう(予断だが、この頁からホームページへのリンクボタンが張っていないのが困る。ホームページから当該頁へは行けても、逆は難しいのだ。そんなサイトが実に多い。これって仕方ないことなのか…)。

「初冬の頃白い花を開く。吐くやうな黄ろい藁に日がさして茶の花日和とでもいひ度い日が来る。葉陰・葉表に円い蕾が可愛いゝ」とコメントが付せられてあって、茶の花の画像も載っている。やはり地味だ。けれど、可憐でもある。
「茶の花に隠れんぼする雀かな」と一茶が詠むのも分かるような気がする。蕪村の「茶の花のわづかに黄なる夕かな」も、ただ素朴にいいと思う。

≪‘のぶ‘のフォト俳句≫ ~from伊勢 ☆~..... ≪フォト俳句(175)≫10-5 ④茶の花・曼珠沙華(伊勢市郊外度会町)」を覗かせてもらうと、茶畑での茶の花の画像が載っているのを発見。
 そうか、言われてみれば茶畑に行けば、時期さえ外さなければ茶の花の咲き誇る(?)光景を愛でることができるのだ。もっとも、花を愛でるのが好きな人も、ことさらに静岡や三重や鹿児島などの茶畑に出向く…とは思えないけれど。
 この頁には、「掌にのせ茶の花を仰向かす」 という富安風生の句も掲げられている。こんないたいけな花を摘んで手の平で仰向かせた…。ちょっと可愛そうな。きっと、ふと畑の筋に落ちた白と黄色の茶の花に目が留まり、思わず手に取って、その感触を確かめてみたかったのだろう、そう、思いたい。

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2005/11/26

読書拾遺(辻邦生と丸山健二の体つながり)

「読書拾遺(続々)」(今月10日夜半に発生したパソコントラブル中に書いた原稿。アップ時に「読書拾遺(白鳥と芥川) と題名を変えている。本稿も同じくパソコントラブル中に書いていた原稿である。書いてから二週間が経過したが、とりあえずアップだけしておく)の中で、丸山健二著の『まだ見ぬ書き手へ』(朝日新聞社)を扱っている。彼は本書の中で、作家たるもの何もプロのスポーツ選手ほどでなくとも、日頃、体を鍛えておくべきだとも書いていた。

 さて、作家論・文章論つながりというわけではないが、土曜日(12日)、辻邦生著の『言葉の箱―小説を書くということ』(メタローグ刊)を一気に読んだ。活字も大きく読みやすいので車中で読むつもりで借り出したのだが、ちょっと拾い読みするつもりが、ついつい辻邦生の筆致に引き込まれて読み通してしまった。
(ちなみにだが、本書の帯には「ピアニストがピアノを弾くように」などと洒落たコピーが銘打たれている!)

(以下、故・辻邦生氏のことを辻邦生と、丸山健二と同様、敬称を略して書くが、むしろ尊敬の念を以てであることを付記しておきたい。同時に、「辻」と書いているが、実際はシンニュウには点がもう一つ、付す必要があるが、パソコンでの仮名漢字変換では求める漢字が出てこなかった。「辻」と表記するのは本来は失礼なこととは思うけれど、事情を斟酌願いたい。)

 小生は辻邦生の(申し訳なくも主に)随筆や文学論・評論のファンなのである。小説と言うと、『夏の砦』や『西行花伝』など数冊も読んだかどうか。が、評論の類となると片っ端なので、何冊になるか分からない。
 首切りに遭い、一年余りの失業生活を送っていた94年春から95年秋口にかけて、模索とリハビリの日々を送っていた。プールと図書館通いをしつつ、読書三昧・執筆三昧に耽っていた。

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凩…木枯らし1号は吹いていた!

 いつものように、「季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例」を眺めて、今日は表題にあるごとく「凩」を選んだ。
 小生は東京都下(大田区)に在住しているが、今年、木枯らし一番が吹いたのかどうか、知らない。
 天気予報で明日は木枯らし一番かも、という話は聴いたけれど、吹いたかもしれない当日は仕事が休みの日で自宅に篭っていたので、吹いたのだとしても気づいていない可能性がある。

sion-hirakata-kiku

← 紫苑さんに戴いた枚方パークの薔薇。枚方菊人形展が今年最後だとか…。

 季語随筆を綴る身としては、こんなことさえ分からずに、よくもまあ恥ずかしくもなくと思われそう。

わたしの俳句歳時記<今週の季語・一句抄>」の「十一月の季語   鈴木五鈴」を覗かせてもらうと、「凩(こがらし)」の項があり、「凩は木枯とも書き、木の葉を落として枯木にしてしまう強く冷たい風のことをいう。秋から初冬にかけて吹く」以下、この季語に関わる記述を読むことが出来る。
「当初、凩は秋か冬かといろいろ論議があったようだが、冬または陰暦10月の季語と定められ今日に至っている。初冬の木々の葉を枯らす、冷たくものさびしい風にこそこの季語の本意があるのである」というのは、玩味すべき一文だと思う。
 調べてみると、このサイトは副題に「失われた季語を求めて」とある「花鳥風月」の中の一頁のようだ。
 と思ったら、さにあらず、さらに奥の院がある。「花鳥風月【日本の伝統ミュージアム】」だ。
 次の句を掲げてくれていた:

海に出て木枯帰るところなし  山口誓子

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2005/11/25

読書拾遺(ゲーテ・ファウストの周辺)

 先週末、読了した元、漫才コンビB&Bの島田 洋七著の『佐賀のがばいばあちゃん』 (徳間文庫)はすでに季語随筆「東京国際女子マラソン…感動のラストシーン」にて紹介している。
 一部には有名な本で、今更の紹介も遅きに失するが来年には映画が封切りになるようだし、その意味では遅すぎるって事もないのだろう。
 表題の「東京国際女子マラソン…感動のラストシーン」の「ラストシーン」は、高橋尚子選手の復活宣言とも思える感動のゴールシーンでもあるが、本書『佐賀のがばいばあちゃん』のほぼ終わり付近にマラソンの感動的なシーンが印象的だったこともあってのタイトルなのである。
 未読の方は、是非、小生の当該の記事を…というより、本書を読んでみて欲しい。

 今週に入ってからは車中で大澤 武男著の「『ファウスト』と嬰児殺し」(新潮選書)を読んでいた。
 出版社のレビューによると、「生誕250年ゲーテの最高傑作は、ある薄幸の女性の悲痛な事件が、すべての発端となった。『ファウスト』のなかで無惨に処刑される少女にはモデルがいる。フランクフルト市民を震撼させたその悲劇的事件とは。膨大な裁判史料をもとに、青年弁護士ゲーテの内面と、その芸術への衝動に迫る、ロマンティック・ドキュメント」というもの。
 読者レビューには、「「ファウスト」のグレートヘンの悲劇は,1771年にフランクフルトで実際に起きた嬰児殺しの事件が題材になっている.事件の発端から娘が斬首刑にされるまでの期間の事柄を,当時の裁判記録をもとに,筆者の私見を交えつつ,解説している.若きゲーテが,この事件に強い衝撃を受け,「初稿ファウスト」を書き起こすに至ったのかがわかる.さらに興味深いことに,多くのゲーテに身近な人々がこの裁判に関係しており,ゲーテがこの裁判についての多くの情報を知り得た立場にあったこともわかる.この本を読むと,「ファウスト」をより一層面白く感じられるでしょう.」とあって、概要はこれで尽きるだろう。

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文章しかないサイトなのに、3位だって、びっくり。
でも、アクセスと読まれているとは別物だけどね。
melma!blog [無精庵徒然草]は、もうすぐ消えていくサイト。最後のあだ花だね。

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2005/11/24

キルケゴール…命日…還暦

 今年4月2日はデンマークの世界的童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの、200回目の誕生日だった(1805年4月2日生まれ)ということは、すでにメルマガやこの季語随筆「日脚伸ぶ」でも触れたことがある。
 アンデルセンとは、「人魚姫」「みにくいアヒルの子」「雪の女王」などの童話を書いた作家である。他にも「絵のない絵本」や小説『即興詩人』など、多数の作品がある…などと今更のように紹介するまでもないだろう。

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← 22日、仕事の手を休め、日比谷公園を散歩。

 さて、今になって再度、アンデルセンに言及するのは、この11月11日に、かの憂愁の哲学者セーレン・キルケゴール(S. Kierkegaard 1813-1855)が亡くなって150年を迎えたからである。

 実を言うと、今月11日前後には、本季語随筆の中で、キルケゴールのことに多少なりとも触れたかったのだが、「パソコントラブル中」(November 12, 2005)に見られるように、「木曜日(11日)深夜、不意にパソコントラブルに見舞われ、ネット接続できなくなっています。季語随筆の執筆の真っ最中でした。接続を試みましたが失敗に終わりました。原稿は失意の中、それでも完成させましたがアップできません」ということで、幻の記事に終わってしまったのである。
 今となっては、どんな内容の記事だったか覚えてもいないし、再現も叶わない。
 しかし、悔しいので、リベンジとは行かないが、最小限のことはメモしておきたいのだ。
 そもそも、小生も11月11日が死後150年の命日だということは読者の方に教えてもらったのだった(「読書雑記(続)」のコメント欄を参照のこと)。2005_11220040

→ 自由の鐘。アメリカ独立の日に鳴らされたものの複製である。戦後、アメリカのリッジウェイ大将が日本に寄贈したもの。

 キルケゴール(の死)とアンデルセンと、どんな関係があるのか
 このことも、上掲の記事の中で「かの実存の哲学者キルケゴールの最初の著作がアンデルセンについて書かれた世界最初の著作なのだということは、数年前のメルマガにて言及したことがある(室井光広著の『キルケゴールとアンデルセン』(講談社刊)を通じて知った」云々と触れておいた。
 室井光広著の『キルケゴールとアンデルセン』のレビューを覗いてみると、「若き日、2人は同じ文学サークルのメンバーだった」とか、「キルケゴールが初めて書いた本は、世界最初のアンデルセン論だった!この驚きから本書は生まれた。二人の生涯には多くの秘密が隠されている。世界的哲学者と童話作家の邂逅を復元する文学的考古学の試み」とある。

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← 日比谷公園の斜め向かいには皇居が。小生はこの交差点で事故に遭遇

哲学者と童話作家:魂の衝突  -キルケゴールとアンデルセンをめぐって- 」に見られるように、「キルケゴールの1838年の処女作『今なお生ける者の手記より』は、アンデルセンが前年に発表した第3作目の小説『ただのバイオリン弾き』を厳しく批評したもの」だったという。

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2005/11/23

勤労感謝の日…無為徒食に感謝

「勤労感謝の日」が11月の季語例の中にある! どんな日や事柄であっても、俳句に詠み込めるし、句をひねる題材にもなれば切っ掛けにもなるということか。
 今朝未明のラジオでも、今日が「勤労感謝の日」ということで、この祭日の意味や由来、意義などについて聞く機会があった。
伝次郎の平成暦」の中の「伝次郎のカレンダー 勤労感謝の日」が簡潔に且つ遺漏なく纏めた記事を提供してくれている。
「勤労をとうとび、生産の豊かなことを祝い、国民が互いに感謝しあう日という趣旨により昭和23年(1948年)に制定された」とかで、「この日は、それ以前(明治6年、1873年以降)、新嘗祭と呼ばれる祝日」だったという。
 
 より詳しくは、「勤労感謝の日 - Wikipedia」を参照させてもらう。
 ここでは、「国民の祝日に関する法律(祝日法)では「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」ことを趣旨としている」と記されている。
「戦前の新嘗祭(にいなめさい)の日付をそのまま「勤労感謝の日」に改めたもの」で、「新嘗祭は1872年までは旧暦11月の2回目の卯の日に行われていた」という。
 ところが、「1873年に太陽暦(グレゴリオ暦)が導入されたが、そのままでは新嘗祭が翌年1月になることもあって都合が悪いということで、新暦11月の2回目の卯の日に行うこととした」という。「それが1873年では11月23日だった。しかし、翌1874年には前年と同じ11月23日に行われ、以降11月23日に固定して行われるようになった。よって、11月23日という日付自体には意味はない」とか。
 要は、日付はともかく、戦前の新嘗祭にその謂れがあると理解すればいいのだろう。
「新嘗祭(にいなめさい)」については、後日、改めて触れることがあると考えている。

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2005/11/22

帰り花…妻の尻

 例によって「俳句ステーション」サイトの「季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例】」表を眺めていたら、表題に示した「帰り花」が気になった。
 その前に、「目貼」や「竹瓮」なども調べてみたいと思ったが、ふと、あれ? 「竹瓮」は以前、触れたことがあったのではと遡ってみると、案の定、「季語徒然」(November 30, 2004)にて表面を撫でる程度だが、扱っている。
 では、「目貼」はどうなのかというと、食指が動きはしたのだが、その前に、「帰り花」のほうが季語として言葉として小生には未知で、調べ甲斐がありそうに感じられたのである。

「優嵐がほぼ日刊で季語と俳句と季語にまつわる短いエッセイをお届けします」という、昨年の二月から開設されている、謂わば季語随筆については先輩格に当たる [優嵐歳時記]を覗かせてもらう。
 風情ある画像が添えられ、小生のサイトとは違って、要点を簡潔に示されていて、親しみやすい。
 その【暮の秋】に、「帰り花ひとつ咲きたり暮の秋」という句が掲げられている。
 この句では、「暮の秋」が季語としてメインに据えられているが、「帰り花」という季語についても解説が加えられてるのである。
「市川の堤防沿いに植えられている桜はいつの間にかすっかり葉を落としていました。桜は紅葉するのも落葉も早い木ですが、この一角は特に早いようです。葉が落ちた枝先にちいさな帰り花が咲いていました。「帰り花」は初冬の季語で、季節外れに咲く桜やツツジなどを指します」というのである。

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2005/11/21

東京国際女子マラソン…感動のラストシーン

 東京国際女子マラソンを見物してきた。小生の居住地からはマラソンのコースまでバイクだと十分も掛からない。なのに一度もマラソン見物に行かないのは、なんとなく悔しい気がする。勿体ないというべきか。
 悔しい気がするという中には、小生、これでも昔は走るのが好きだったのに、という思いもある。歩くことが好きで、興が乗れば日に数時間もあてどなく街中を歩き回る。
 学生時代も、行きはバスを使うが、帰りは、天気もいい、友達と会う予定もないし、えい! 歩いちゃえと思い立つと、帰路を歩きで通すことが何度となくあった。
 バスでの通学の時間は、乗換えなどもあり、一時間半を要する。歩きだと、途中寄り道をしないでまっすぐ帰れば、やはり一時間半。

2005_11200005

← 待つこと十数分、やっと報道関係車両が来た!

 だったら、毎日歩けば、ということになるが、そこは毎日、片道一時間半は辛い。要する時間は同じだといっても、バスの中で本だって読めるし、うまくすると座れることもあるし、のんびり町の風景や車内の様子などを眺めて過ごすのも乙なのだし。
 歩きを選ぶのは、何かセンチな気分に浸りたい時が多かったように思う。バスに揺られていくより、歩いてその時に自分を浸している気分を一層、味わいたい…、というより、より感傷的な気分の深みに嵌っていきたい、場末の町を(気分上は場末なのである)人影に背を向けて(誰も見向きもしないのだけど、本人は依怙地になってしまっている)世界の片隅を遥か彼方まで歩き尽くしてしまうのだ、なんて半分、本気で思っている。
 ガキの頃から演歌や歌謡曲が好きだったし、アメリカの古き良き時代のポップスやロックが好きだったので、うろ覚えだったり、あるいは結構、頭に染み込んでいる曲などを口ずさんだりしてひたすら歩く。
 歩き出すと、何処か喫茶店に立ち寄るとか、書店を覗くのも面倒になる。
 
 走るほうはというと、何処のクラブにも所属したことは(ほぼ)なくて、いわゆる帰宅部の小生だったが、長距離を走るのは何故か得意だったし、好きだった。
 ガキの頃、近所のある特にしつこいというか執念深いキカンボウと鬼ごっこというわけではないが、何かのわだかまりが生じると小生が逃げ、そのキカンボウが何処までも追ってくる。
今から思うと、小生が引き起こしていたはずと、理屈の上ではなってしまう。なぜなら奥の上では小生は逃げる立場しか場面的に脳裏に浮かび上がってこないから。
 でも、思えば小生自身は淡白というわけでもないが、仮に追いかける立場になっても、あまり深追いはしないし、そのうち面倒になってしまうので、追いかけたとしても大概は途中で追跡を諦めてしまっていたので、記憶には残らなかったのだろう(推測にとどまるが)。
 では、追われる立場となると、そのキカンボウは小生を何処までも追いかけて、街中をグルグル回り、隣町を過ぎ行き、まるで見たことのない町並みを抜け、田んぼを走り、どこかの家の畑を越え…、それでも振り返ると奴が追いかけているのだ。
 奴の顔をちらっと見ると、走るのに懸命なせいかどうか分からないが無表情に感じられた。こらっという感じで最初のうちは追いかけていたはずなのに、長々と果てしなく走り続けているうちに、機械的に小生の後姿から離されないように喰らい付いていることだけに神経が集中してしまっているのだろう。

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→ キャ! 憧れの女子白バイ隊だぞ! 後ろに手を回して…じゃない、後ろに乗せて!

 まあ、ガキの頃は昔なら誰でも鬼ごっこや缶蹴り、縄跳び、ゴム飛び、草野球と、体を動かす遊びが日が暮れるまでのメインだったはずだ。たまに雨など遊ぶ相手がいないときとか夜となると漫画やゲームに興じるのだったけど。
 さて、中学も高校も(高校一年の半年だけのサッカー部を除いては)帰宅部の小生だったが、高校二年の時にも三年の体育祭の時にも、マラソンに出場を希望し、日頃、運動などしていないはずなのに、トップとはいかないけれど、上位入賞は果たした。
 高校二年の時、体育祭でマラソン(といっても5キロだが)を志願したのは、当初はマラソンコースが校庭ではなく路上だったからなのである。
 今は記憶が定かではないが、オリンピックか何かでマラソン選手が路上のコースを走る雄姿に影響されていたものと思う。
 小生も、規模は小さくとも校外の町並みをマラソン選手を気取って走ってみたかったのだ。
が、何故か体育祭が近づく頃になって急遽、校庭を走ることに変わってしまった。
 小生はがっかりである。白線で描かれた200メートルのコースを、それこそモルモットよろしくグルグル回るなんて、そんなことだったら志願はしなかったはずなのである。
 そうはいっても、コースが変わったから出場を取りやめるなんて出来るはずもない。
 自分としては路上を走りたかったのだ、それが変更になったから取り止めだと思って主張したって、周りは大会が近づいて怖気づいたか程度に思うのが関の山である。

 それにマラソン(のコース)とは全く無縁の理由が小生の出場取り止めの思いを引きとどめていた。
 それは、小生の片思いの相手が大会の係員をやっていて、相手はともかく、小生は相手を意識しているので、その人の前で走りたいという思いもあって、ますます走るしかなくなったのである。
 結果はと言うと、多くは体育系のクラブに所属しているメンバーの中で5位だった!
 ぶっつけで5位は、そこそこなのか。
 実は自分では悔しい思いで一杯だった。校庭をグルグル走って回ったのだが、ラストが近づくと、あと何周という告知がされる。
 小生は、冷静さを失っていたのか、ラスト一周という合図を見逃したらしいのである。
 で、あと50メートルという頃になってやっと今がラストの周回だということに気づいた。
 小生はラストスパートを掛けた。なんとか一人だけは追い抜いて、それで5位。
 けれど、小生の中では余力がかなりあると感じていた。
 それはそうだ。ラスト2周だと思い込んでいたし、最後の周になったらスパートを書けるつもりで走っていたのが、ゴールが数十メートル先に見える時点になってラストの集会だと気が付き、遅まきながらスパートを掛けたのだ。
 ああ、もっと早めに気づけば、スパートを早めに掛けられて、あともう一人は抜けて…。

2005_11200007

← 来たぞ! 高橋尚子選手も先頭集団に加わっているのか?!

 しかし、がっかりという思いはそれだけにとどまらなかった。
 小生が片思いとなっている相手の女の子は上記したように大会の係員をやっていた(体が弱く、本人は運動が好きなのにも関わらず出場できないので)のだが、レースが終わって結果を彼女がマイクを通じてアナウンスしたのだが、なんと彼女、小生の名前を一字、間違えたのである。
 同じクラスなのに、あとで聞いたら小生のことを声援したのよ、聞こえた? などと言われたのだけど、それだったら、アナウンスでオイラの名前を間違えるなよ、と突っ込みたかったが、できなかった。
思えば、彼女の言うとおりレース中に彼女が声援してくれていたのだとしたら、小生はそのことに全く気が付いていないのだから、これでアイコ、ということになるのだ。

 マラソンというと、大学生になった最初の年の大晦日に、どうやら恒例となっているらしいマラソン大会があって、小生、そこにも出場を志願した。200人ほどの参加者がいたろうか。
 コースは、小生の願望をようやく叶えるかのように、大学のキャンパスのある青葉山をグルッと巡るもの。
 ただ、スタート時間はまさに真夜中だった。真っ暗である。要所要所に関係者が立っていて、走るメンバーにコースの案内をしたり、ルールを破るものがいないかをチェックしていたが、走り出した最初の頃は集団だったものが、団子状態が次第に崩れていって、いつしか単独(多分)で走っているようになった。
 寒いし真っ暗だし、人気はないし、路上を走るといっても、コース脇に声援を送ってくれる観客もいないし、ただひたすら走るしかなかった。
 結果はと言うと、200人中の16位だった。小生としては結果には満足だった。副賞としてなのか、小さな瓶の日本酒をもらったっけ。

 田舎からの仕送りで下宿代(二食の賄い付き)と学費はなんとかなったが、本代や交際費は足りないので、学生時代を通じて、アルバイトは数々やった。
 長期のアルバイトというと、なんといっても新聞配達だった。友達には家庭教師をやっている奴もいたが、対人関係が苦手だし、学力にも自信がなかったし、なんといっても体を動かすバイトのほうが好きだったので、選ぶのは肉体労働系のものばかり。一番、肉体を使わないバイトというと、交通量調査ということになろうか(そうはいっても、寒風の中で座りっぱなしで初めての胃痙攣を起こしたっけ)。
 新聞配達についても思い出すことはあれこれあるが、ここでは略す。
 社会人になっても、折々、某スポーツシューズメーカー主催のマラソン大会に出場したりして楽しんだものだった。
 青梅マラソンにも一度、30キロのコースに出場し、時間内の完走を果たした(これも涙ぐましい話があるが、今は略す)。

2005_11200008

→ 高橋尚子選手が先頭集団にいる! 足の筋肉を見よ!

 マラソンというのは、あるいは走るというのは、スポーツの基本中の基本ではなかろうか。一番、原始的とも言えそうな気がする。
 何かを投げる(槍とか砲丸)とか、持ち上げる(重量挙げ)とか、ぶつかり合う(相撲やレスリングや柔道)とか、蹴り合う(サッカーなど)とか、泳ぐ(競泳)とか、投げ合い奪い合う(バスケット、バレーボール)とか、技や力を競うスポーツは多彩にあるが、やはり原点は走る、であり、花形の一方の雄が短距離走であるとしたら、もう一方の雄は長距離走、つまりはマラソンだろう。
 長距離走。一見すると単調そのものと思えそうな競技。なのに、一旦、見始めると、何故だか画面からコース上から目が離せなくなる。長距離走は人生を象徴するから(人生は重き荷物を担いで長き道を歩くようなもの)なのだろうか。
 あるいは、選手の走る様子や表情をじっくり長時間に渡って眺めることが出来、その分、選手への思い入れも深いものになるからなのか。

 小生の乏しい経験からしても(特に小生はオートバイでのツーリングを連想してしまう。なぜなら小生のツーリングは一般道をひたすら走るだけの、人が見たら何が楽しくてやっているのか、さっぱり理解できないような単調極まるものなのだ。300キロ以上、時には500キロ近く一般道を淡々と走る。時に帰り道で渋滞に嵌ると、自宅までの百キロの道が遥かに遥かに遠く果てしないものに感じられる。まして、雪が降ったり雨が降ったり、風が激しく吹きつけたりすると、なんでこんな味気ない走りを延々と続けているのかと、気分的にうんざりすることがある。バイクを置いて何処かの駅から電車に乗って帰りたい。誰かの車に便乗させてもらいたい、早く家の中でだらだらしたいと思うばかりなのである。その道のり遥かな時の、もどかしく切なく眩暈しそうなほどに果てしない分厚い時間という壁が自分の人生の課題であり重荷であり象徴でもあるように思えて、気が遠くなりそうなのである。でも、道は少しも縮まってくれない。祈りも通じない。ただただ走るしかないのだ…)、ランナーズハイ、ライダーズハイの、一種形而上的な熱を一切帯びていない昂揚感というのは、とてつもなく快感めいたものがある。
 体調が悪かったりすると、そのハイな感じは余計に深く高い。
 そう、ハイ! 高い! という表現を使うしかないのだ。

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ダルマよ、遊ぼう (副題・ジョーンズの練習日記 11/20の巻)

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2005/11/20

またもやパソコントラブル

本日夜からまたもネットの蚊帳の外です。補修は予定付かず。読書と執筆三昧の夜になってます。夜は読書の合間に何か書くつもりです。今日は東京国際女子マラソン見物してきました。高橋尚子選手見た!写真撮った!レポートも書きました!高橋選手優勝おめでとう!オイラ嬉しい!感激!

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2005/11/19

木の葉髪…梳くいようなし?

 例によって「俳句ステーション」サイトの「季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例】」表を眺めていたら、表題に示した「木の葉髪」が気になった。

2005_1120

← 11月19日、東京某所の公園にて 眼福だ!

(実を言うと、ボージョレ・ヌーボーの発売日でもあるし、ワイン関連の季語は見当たらない代わりに、今日は「熱燗」という乙な季語を採り上げようかと一瞬、思った…けれど、酒が飲めないし、ワインを買うゆとりも、呑めないまでも部屋に飾ってみる…なんて遊び心もないので、まあ、「熱燗」は12月にこそふさわしい季語のようでもあるので、小生らしく「木の葉髪」に決めたのだった…。
「普通50度前後がうまいとされるが、寒さ凌ぎに特に燗を熱くして飲む」というが、ワインを熱燗にするわけにもいかないってことも、「熱燗」をとりあえずは取り下げた理由ではある。)

 前日の季語随筆「枯葉の季節は詩人を生む」で示したように、季語である「木の葉」の意味合いは、「落葉も枯葉もいう、緑を失った朽ち葉全体をいう」らしいのだが、そのことの(つまり、なぜ「木の葉」とあるだけで冬の葉っぱの状態を指してしまうのかということの)若干の不可解さもともかくとして、「木の葉」が冬の寂しげな葉っぱの在り様を含意するとしたら、「木の葉髪」って、きっと…と思って調べてみた。
 案の定である。「木の葉髪(このはがみ)」とは、「初冬木の葉が落ちる頃になると人間の頭髪も脱け易くなる」の意だという。

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2005/11/18

枯葉の季節は詩人を生む

 この数日間、読書拾遺関連の記事が続いたので、今日は、本筋に戻って(?)季語随筆を。
季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例】」の一覧表を眺めていて、「枯葉」が気になった。
 先月だったか、あまりに暖かな秋の日が続くので、今年も紅葉は遅いのかな、年末になっても街路樹の葉っぱは落ちきらないのかな、と思っていたら、この数日間は、晩秋というより冬の到来を思わせる寒さが都心をも見舞っている。

renge-kouyou

← 蓮華草さんに戴いた談山神社・十三重の塔の画像です


 といっても、さすがに一気に紅葉したわけではなく、緑の葉と茶褐色や黄色の葉っぱとが混在している。日当たりのいいところの樹木と、ビルの陰になりがちな並木たちとは、葉っぱの色の変わり方も歴然と違うのが面白い。木々というか自然は正直に気温の変化や寒暖の差に敏感に反応するのだ。
 季語としての「枯葉(かれは)」を念のため語義などを確認しておくと、「枯れた木の葉、草の葉をいい、地に落ちたもの枝に残ったもの全て」なのだとか。
 関連する季語をざっと見渡しておくと、まず「落葉」があって、「落葉時 落葉山 落葉箒 落葉籠」といった傍題があり、「木枯が吹き始める頃、褐色になった梢の枯葉もぱらぱらと散る」という。
「柿落葉」なる季語があるのは、さすがに俳句の世界なのかなと思ったりする。「柿の葉散る」という関連語があり、「オレンジ色や黄色に色づいた大きな葉、艶めきと切なさが漂う」…。

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2005/11/17

読書拾遺(ウォード)

 先週末の読書でちょっとした収穫があった。ジャクリーン・ウォード著の『夜にめざめて』(河野槇訳、青弓社)である。副題が、「ある娼婦の告白」。
 出版社の謳い文句によると、「色とりどりのネオン、人々でにぎわうピカディリーの夜のもう一つの顔。運命に翻弄され、思いがけない職業についた女性。ロンドンの元娼婦がみずからの苛烈な体験を赤裸々につづった衝撃のノンフィクション。──私は二度とあの世界に戻らない!」とある。
sion-rose
 平成5年の刊行。『まだ見ぬ書き手へ』(朝日新聞社=紹介済み)は、平成6年の刊行なので、『夜にめざめて』が出たのは、小生がそろそろ首切りという事態に見舞われる前年ということになる。

→ 紫苑さんにいただいた薔薇の画像です。

 当時、徹底して精神的に落ち込んでいた小生は、会社と自宅を機械的に往復するだけで、自宅に帰ったら即座にベッドに倒れ込み潜り込んで、ひたすら横臥しているだけで、次の朝、目覚ましが鳴ったら同じく機械的に起き上がって会社へ向かうという日々が続いていた。
 必要最小限の買い物以外は一切、外出するはずもない。部屋のベランダに向けた窓もカーテンも、快晴だろうと週末だろうと締め切ったままだった。
 だからだろうか、ベランダの外壁に据え付けられているエアコンの室外機の取り付け金具にハトが営巣し、ついには卵を産み落とす、という一幕もあった。
 つまり、外界への関心を抱くことのなかった小生の部屋の窓もカーテンも微動もしない…、それほどにハトからしたら人の気配のない安心できる場所だったわけである。

 93年当時、一切、体を動かすことをせず、また、いろいろな重圧や懸念に打ちひしがれていた小生は、体にも変な症状が出ていた。たとえば、別に医者に体を見てもらって診断を受けたわけではないが(病院に行く気力もなかったし)、メニエル症かメニエル症候群と思われるような症状に苦しんでいた(11月16日未明にNHKラジオでメニエル症やメニエル症候群の話をされていたっけ)。
 ベッドからうっかり起き上がると意識が、それとも部屋の中の光景が脳裏で、あるいは脳裏の一点を中心にグルグルと回転し始めてしまうのである。止まらない高速回転のメリーゴーランドに縛り付けられているようで、仕舞いには嘔吐感に襲われた。
 回転が止まるまでは身動きもならなかった。
 ベッドから起き上がる際には、意識(景色)が体から遊離して勝手に動き回らないよう、ゆっくりそうっと、という要領で体を動かさないといけないのだった。

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2005/11/16

読書拾遺(ダーウィン、ミミズ、カメ)

副題:「動物生態学者の中村方子氏とミミズの研究」

 金曜日はタクシーの営業の日。まだお盆気分が抜けないのか、仕事のほうは今一つ、パッとしない。となると、楽しみなのはラジオと読書である。
 車中に持ち込む本は、読みやすい本、活字の大き目の本、本としては嵩張らないものという選択基準があって、金曜日は前日に図書館で借りてきた、池田 晶子著の『オン!―埴谷雄高との形而上対話』(講談社刊)である。

2005_11160007

 念のため、出版社側のレビューだけ転記しておくと、「埴谷を興奮させた50歳下の若き女性哲学者ハニヤユタカ、イケダアキコ、それぞれの固有名で扮装した「よく似た意識」が遭遇して9年。思想史上のエポックともいうべき86年と92年の対話、流浪の処女論考「埴谷論」の決定稿、ほか、この1冊が、埴谷雄高を「難解」から解き放つ。
いざ、スイッチ・オン!」だとか。

← 明け方、目にはやたらとでっかいオレンジ色の月影。でも、撮ると得体の知れない画像に…。

 本書『オン!―埴谷雄高との形而上対話』については後日、採り上げることがあるかもしれない

 ラジオでは音楽とニュース番組を主に聴いている(勿論、お客様が乗られている間は、ボリュームを下げるかオフにする)。
 金曜日もあれこれ音楽を聴いたり、話を聴くことができたが、そんな中、小生には初耳の名前だが、動物生態学者である中村方子氏の話を聴けたので、せっかくなのでメモ書きしておきたい。
 話は、NHK関西発ラジオ深夜便[インタビューシリーズ「私の戦後60年」アンコール(5)]でのこと。アンコール(5)とあるが、小生が聞いたのは、昨夜が最初で今のところ最後である。

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2005/11/15

読書拾遺(白鳥と芥川)

 相変わらず正宗白鳥の短編集をちびちびと読んでいる。一週間で短編を二つほど。
 今日は、「生まれざりしならば」(1923年)という短編を一個、読んだ。もう、これだけで本日の読書は足れり、という充実した読後感があった。
 今日、正宗白鳥という作家の存在は文学や読書界ではどういう位置付けとなっているのだろうか。世の読書家たちは、彼をどう評価しているのだろう。
2005_11160001
 それとも、もう、忘れられた存在?
 あるいは、せいぜい小林秀雄の巻き起こした数々の文学論争の一幕として時に省みられるだけ?

← 東京に怪獣出現?!

 小生はもう、小林秀雄が「作家の顔」という小論の中で正宗白鳥をどう批判していたか、覚えていない(小林秀雄に対しての興味もとっくに薄れているし)。
 確か、白鳥がトルストイについて書いた評論に対する論難だったはずだが。
 所謂、「思想と実生活論争」という奴である。
正宗白鳥『文壇五十年』より」なるサイトを開くと、扱うテーマは違うが、正宗白鳥の面目躍如といった評論を読むことが出来る。
「正宗白鳥は現實主義者で、常識人であつたから、理想主義者トルストイの死を卑俗な觀點から解釋して小林秀雄と論爭をしてゐる。さう云ふ白鳥にしてみれば、將來の世界統一、世界平和なるものが馬鹿馬鹿しい妄想にしか思はれなかつたのも當然であらう」とある。
 まだ十個ほどの短編を読みかじっただけだが、白鳥の人間や世間で生きる人間の生活を見る怜悧とも思えそうなリアルな目を実感させられている。

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2005/11/14

大根…おでんだね

 例によって、「季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例】」を眺めて、あれもいまいち、これも興が湧かない、こんなのは宗教的行事で馴染みがない、などと迷った挙句、今日は、「大根」で決まり。
「大根」が冬の季語なのは、そろそろ雪でも降ろうかという気配の漂う畑に真っ白すぎて青褪めているような、立派な大根が育っていて、その大根を引っこ抜き、手が痺れるような冷たい水で洗い、幾許かは朝の食卓にそのまま上がるが、大部分は干し、やがて沢庵などの形で食される、そんな冬の典型的な風物詩だからなのだろう。
 そう、「大根」のみならず、「大根引、大根洗ふ、大根干す、切干、 浅漬、沢庵漬く」全てが冬の季語なのである。
 面白いのは、「蒟蒻掘る、蓮根掘る、泥鰌掘る」とは言うが、「大根掘る」とは言わないこと。大根は掘り出すのではなく、引っ張り出すからなのだろうか。
tingensai-hirumatuki

← 青梗菜さんに戴いた「昼間の月」なる画像です。「11月12日、旧暦10月11日、月齢10.1。夜になるのが楽しみな月です」とコメントにあった。どんな月を愛でることができたのだろうか。

 と、行き過ぎようとしたら、「酢茎(すぐき)」も大根関連の冬の季語の一つなのに、漏らしてしまっている。
 小生、「酢茎(すぐき)」が何なのか、分かっていないのである。
茎屋」さんのHPを覗かせてもらう。そこには、「すぐきとは三大京漬物の一つです。塩だけで乳酸発酵させ。ラブレ菌を含んでおりとっても身体にやさしいお漬物です」と説明されている。
 が、漬物だとは分かるが、原材料が何なのか、書いてない。
京漬物 京都祇園藤村屋 千枚漬 壬生菜 すぐき しば漬」によると、「葉の部分は刻みで、株の部分は厚切りスライスにして、すぐ召し上がって貰えるようになっております」とある。原材料はというと、「すぐき」とあるだけで(塩もあるけど)、どうやら「すぐき」菜らしい。大根の一種なのだろうか。誰かご教授願いたい。

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ネット復帰!

日曜日の夜、SEの方に来てもらい、修復してもらいました。
何が悪かったのか小生には良く分からなかったのですが、ま、一安心です。
今日からまた(心を入れ替えて?)季語随筆など、綴っていきます。
ただ、辛いのは、ネットとの接続がならなかった間に書いたエッセイや掌編が行方不明になったこと。誰か、迷子の小文たち、知りませんか?!
ま、でも、これからまたあれこれ書いていくから、いっか?!

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2005/11/13

パソコントラブル変わらず

木曜日深夜から引き続き、今日も依然としてネットの蚊帳の外のままです。補修は今日も予定付かず。読書と執筆三昧の土日になってます。「読書拾遺」や掌編などを書きました。今夜も読書の合間に何か書くつもりです。夕方、買い物に出かけましたが、春ならおぼろ月と呼びそうな霞んだ月で、昨夜のようなクッキリとした輪郭鮮やかな半月を見ることは叶わなかった。

  秋の夜網から漏れて蚊帳の外 

 尚、小生は携帯で掲示板は閲覧(書き込みも)できるのでメッセージがあれば掲示板へお願いします。

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2005/11/12

パソコントラブル中

木曜日深夜、不意にパソコントラブルに見舞われ、ネット接続できなくなっています。季語随筆の執筆の真っ最中でした。接続を試みましたが失敗に終わりました。原稿は失意の中、それでも完成させましたがアップできません。補修は今日も予定付かず。小生は携帯で掲示板は閲覧(書き込みも)できるのでメッセージがあれば掲示板へお願いします。

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2005/11/10

芭蕉忌…桃青…無精

 この「無精庵徒然草」は、季語随筆(日記)と称しているにも関わらず、肝心の松尾芭蕉のことはほとんど採り上げたことがない。
 それは芭蕉の存在が余りに大きいということもあるが、そもそも季語随筆というのは、芭蕉あっての営みに他ならないのだから、語らずとも、言葉にして触れずとも、彼の存在は常に意識されているのだ、という言い方も正直、してみたい。
 仮に芭蕉の句の幾つかがなかったら、俳諧の世界が切り拓かれなかった…かどうかは、別にして、小生のような無粋な人間が俳句の世界に惹かれることはなかった、それだけは断言できる。 
 何が凄いといって、詩的な感性も表現の世界を探る素質も、言葉の世界や言葉の音韻的広がりや可能性へを探究する資質も何もないこの自分を引きずり込もうとする魔力が彼の句の幾つかにはある。
 俳句や川柳、和歌に短歌に、そして詩についても、教科書に書いてあること以上の関心を抱いたことがなかったはずの自分。折に触れて詩集を読んだり、歌集をひもといたりするが、教養以上のものになることはなかった。
 が、芭蕉の句だけは、小生をも一気に言葉の<宇宙>へ導きいれる。
 まあ、御託はともかく、今日、採り上げる季語は表題にある如く「芭蕉忌」である。
【11月の季題(季語)一例】」の一つである。
「俳句歳時記」の中の「季語集・冬」によると、「時雨忌 桃青忌 翁忌」とも称し、「陰暦10月12日申の刻に松尾芭蕉は大阪で没した、享年51歳」という。
 享年51歳! 小生が今、この年齢にある。ああ、人生五十年の時代とは事情が違うとはいえ、あまりに違いすぎる!

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2005/11/09

渋柿と甘柿と

 11月も9日となり、既に季語の上では冬11月の季語を扱うべきはずである。
 が、今日は「柿」を採り上げる。これは、「吊るし柿」と共に、秋10月の季語である。今度、今度と思っているうちに気が付いたら11月となってしまっていた。
 あまりにいつも「柿」のことが頭にあったものだから、もう、既に扱ってしまっているような錯覚めいたものがあったりした。
 ところで柿というと、「柿日和」という季語もある。「歳時記」には載っていないようだが、「新歳時記」には載っているとか。
 実は、この季語随筆でもまさに「柿日和」という題名(テーマ)で採り上げている。

 その際には、「アンパンを抱へ坂道柿日和     岡本洋子」なる句を「ikkubak  2003年11月14日」より引きつつも、季語らしいが一体、いつの季語なのか分からないとして、そのまま探究することもフォローすることもなく、放置してしまっていた。

ikkubak  2003年11月14日」の同じ頁には、他に、「柿日和浄明寺さまてくてくと    松本たかし」なる句も掲げられ、「柿日和は、熟れた柿に日のあるおだやかな日和だ」と説明が付されている。
 どうやら、「柿日和」は「小春日和」に類する言葉のようだ(ちなみに沖縄では「小夏日和」と称するらしい)。

 「柿」について雑学的なことは、俳句に手を染め始める以前、エッセイで採り上げたことがあるので、ここでは改めて屋上屋を架す必要もないだろう:
秋の日と柿の木と(付:余談)

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2005/11/08

一部サイト移行のお知らせ

「melma!blogサービス終了!」のこと」にてお知らせしたように、今月一杯で「melma!blogサービス終了」とのことなので、基本的に「無精庵徒然草」は、「ココログ」のみでの更新にする予定です。
 ただ、調べてみたところ、「ココログ」での容量が一年程で6割を使い切ってしまっている。画像を多用すると、場合によっては年内か来年早々には容量を満たしてしまう可能性があります。
(小生の場合、文書などはディスクなどに保存したりプリントアウトして万が一に備える態勢を取っていないこともある。つまり、情報のバックアップ態勢の一環でもあるということ。)
 そこで、「melma!blogサービス」以外でのミラーサイトを持つことにします。
 それは、「melma!blogサービス」が推奨(?)する「Ameba Blog」サービスを利用してのものです。
 名称は、従前通り「無精庵徒然草」です
 ただ、左クリックすれば分かるように、アドレスは違う。
「ココログ」版「無精庵徒然草」をご愛顧されている方には、実質的にはあまり意味のない情報です。
「Ameba Blog」を試用してみたのですが、どうも、安定性に欠ける憾みがあり、少々心配の面もある。なかなかリンクを張れないなどという不具合もある。
 でも、当面、容量不足の心配なく更新できるし、「ココログ」にトラブルがあった場合も、ここで対応できるので、しばらく使ってみます。
 

 

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「方丈記」更新のお知らせ

 創作の館である「無精庵方丈記」を更新しました。
 今回は、創作ではなく、イメージ紀行文といったところです。
 戴いた画像などを使わせてもらって、画像とエッセイとのコラボの世界となっております:
誰もいない森の音
 画像だけでも観る価値、あるかも。

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2005/11/07

『酔生夢死』について(某氏の練習日記 11/6の巻)

 やってきました二週間に一度の楽しみ、「某氏の練習日記」の日です。某氏、今日も生きのいいレポートを提供してくれました!
 時に脱線気味のように見えて、きちんとポイントを押さえていて、練習の様子がよく分かる。練習自体が大変なはずなのに、よくこのように纏められるものと感心するばかりだ。ダンサー陣に目が点になっているようでいて、結構、冷静に状況を把握し観察されている。油断ならないね。

s-DSCF0405

← 我がチームの浅草DVDのパッケージ。画像が粗くてすみません。

 小生も、昼過ぎにスタジオに行ってきた。けど、小生のは野暮用。バテリア陣の演奏(練習)を体で楽しみ、浅草のDVDや我がサンバチーム(エスコーラ・デ・サンバ)・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)のエンヘードCDなどを入手してきた。生の某氏に会えるかなとキョロキョロしたけど、ダメだった。我ら二人は、まだまだ擦れ違いの星の下にあるようだ。
 そのうちに会ったら、感激も一入(ひとしお)だろうて。ま、抱き合いはしないだろうが。

 某氏がチームに加入したことで、我がサンバチーム(エスコーラ・デ・サンバ)・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の掲示板もメーリングリストも活性化しているのを感じる。きっと練習の場その他もそうなのだろう。
 小生が、ファンの立場で勝手に思っていた(期待していた)事項の幾つかが既に実現に向けて動きつつあることも分かったし。

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満腹の立冬

 今日、11月7日辺りが陽暦の上では立冬となるのだろうか。ネットで調べてみると、大体が7日だが、中には8日としているサイトも見受けられる。
 曖昧?
 どうやら、「立冬(りっとう)」とは英語では「Beginning of winter」ということになるようだが、秋のピークを指すらしい。
 つまり、「立冬、立春、立夏、立秋と立の付く節気がありますが、立とはピークを表します。つまり、立冬とは「秋」のピーク。これを境に、一日一日冬めいて行くと言う意味です。晩秋に入ったと言う事でしょうか」というのである。
 但し、俳句の上では(この季語随筆でも)、7日か8日、つまり立冬からは冬の季語を扱うことにする(下記するように、今年の立冬は8日なのだが)。

2006_1103061103moon0025

→ 06年11月3日、夜半過ぎに撮った月影。

 ピークということだから、7日か8日とアバウトになる? 調べてみると、「立冬 - Wikipedia」では、「立冬(りっとう)は二十四節気の1つ。11月7日ごろ。および、この日から小雪までの期間。太陽黄経が225度のときで、初めて冬の気配が現われてくる日」とある。
 さらに、「『暦便覧』では、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明している」とか。
「太陽黄経が225度のとき」とは、つまりは、「天文学的には、天球上の黄経225度の点を太陽が通過する時」のこと。
 これでは分かりにくい?!

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2005/11/06

稲孫(ひつじ)と蘖(ひこばえ)と

 ある方のサイトを覗いたら、「稲孫(ひつじ)」という言葉に出会った。コメントには特に季語とは書いていないが、稲孫(ひつじ)だという画像を載せてくれている。
 この言葉を織り込んだこの方らしい持ち味の句も寄せられている。勝手ながら敢えて転記させてもらうと:

 稲孫伸ぶ幼稚園児の長い列    (ち)

chari-hitudi
 そこには、「秋空のもと、お散歩にでもいってきたのだろうか。稲孫という言葉を知らなかったが、稲の孫だなんて上手く言うなぁ~」なんて簡潔な説明も。

← ちゃりさんサイトのこの記事に載っていた稲孫の携帯画像。

 小生、ネット検索してこの言葉が季語(秋十月:俳句歳時記)であることを確認。仕事の時間が迫っていることもあり、コメント欄に取り急ぎ、下記の句を残してきてしまった(慌てる弥一後を濁す、である。申し訳ない):

 稲孫伸ぶ刈られし稲田見渡して    (や)

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2005/11/05

「melma!blogサービス終了!」のこと

無精庵徒然草」は、事情があってこの「ココログ」と「melma!blog」にてアップしてきた。
 事情というのは、ブログを始めた頃、そもそもブログなるものが分からず、とりあえず取っ付きやすそうな「melma!blog」にて試験的に配信し、使い勝手などを確かめてみたのである。
 約二週間ほど運用してみて、なるほどHPと比べて一長一短はあるものの、文章や画像などをアップするという意味では小生にはとても楽で助かることが分かった。
 文章をアップする。小生はメルマガを02年の3月初めより(HPに遅れること一ヶ月ほどのこと)配信してきた。メルマガにて公表した文章は、随時、HPに掲載してきたが、どうにもアップ作業が追い着かず、数百個の文章がメルマガ配信による公表に留まり、HPには掲載できずにきた。
 それらの文章をHPにも収めたいと、それなりに努めてはきたが、溜まる一方という状況は一層、募っていくばかり。
(尚、申し訳なくも情なくも、肝心のメルマガは配信が頓挫したまま。やはり、今のところ、「無精庵徒然草」で手一杯なのである。アップを待つ書評エッセイ群をブログサイトに載せ終えた段階で、再度、態勢の見直しを図るつもりなのだが、今のところ不透明である。)
 そこへ、一昨年だったろうか、小生もブログという簡易な日記公表サイト方式があることを知った。半年余り、幾つかのブログの運用振りを眺めてきた。これなら自分にもなんとか出来るかもと感じられてきた。
 けれど、何事も腰の重い小生、ズルズルと昨年の夏を迎えてしまった。サンバに夢中になったりして、メルマガではなくHPに最初から掲載するレポート、そしてなんといってもサンバダンサーやバテリア陣らの画像を載せる機会も増えるばかり。
 とうとう、晩生の小生、昨夏、ついにブログに挑戦することに決めたのである。
 が、小生のこと、まずは簡単そうに見えた、また、たまたまメルマガの配信にも使わせてもらっていた「「melma!」の公式サイトを眺めていて、よし、やっちゃおう! と思い立ったのである。 
 それが、「melma!blog」なのだった。
 ついで、上記したように「melma!blog」での二週間の運用を経て、「ココログ」での運用に踏み切ったのである。
 このため、二つのサイトで全く同じ内容のブログ「無精庵徒然草」を運用する結果となったのである。
 それぞれに一長一短がある。「melma!blog」には下記するように、日付どころか、アップした時間までが記録される。アクセスも多かった!
「最近の24時間でアクセスが多かったmelma!blogのランキング」のトップ10に入ったこともしばしば(別頁に本日たった今のデータを転記しておきます。ちなみに「ココログ」ではアクセス回数は日に250回平均)。
 それだけに「melma!blog」のブログサービスの終了は残念!
 それでも御蔭様で、ブログに手を染め始めたことで、溜まっていた雑文もブログサイトへのアップ作業も捗り、アップを待つのは書評エッセイを中心に残すところあと30個ほど(但し、メルマガで配信した文章のうちコラムエッセイを中心の約100個ほどの雑文は日の目を見る予定はない)。

 ところで、先ほど、たまたま「melma!blog」の公式サイトを覗いてみたら、なんと以下のような案内が:

melma!blog会員の皆様へ

「melma!blog」は2005年11月末日をもってサービスを終了することとなりました。
これまでご愛顧くださった皆様には、大変ご迷惑をおかけすることとなります。
詳細は下記よりご確認くださいませ。

 小生には全くの寝耳に水の話。
 これは困った。拙い!
 何が拙いかというと、アップした時間はともかく、上記したように「melma!blog」で先行する形で二週間、ブログを運用してきた。その間の文章は、当然ながらがこの「ココログ」での「無精庵徒然草」には載っていない。
 小生は、過去に書いた文章は、ネットの世界に参集した当初の一年分ほどを除いては、一切、保存していない。紙への印刷もしていない。全て、メルマガのサーバーかHPか(今はブログサイト)のサーバーに残っている(のを期待する)だけ。
 よって、ここに、「melma!blog」にて先行して掲載した雑文類をここに再掲しておく。
 但し、アップに際し画像は省きました。

 再掲の文章は、「無精庵明月記」に載せました。

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2005/11/04

桃から生まれた豊かな世界

「桃」は「【10月の季題(季語)一例】」にある。既に11月に突入して四日目となるが、立冬までは秋なので、今回扱う季語も秋のもの。
「桃」は秋の季語扱いのようだ。
 但し、「桃の花」は春の季語、「桃の実」(または「桃」)となると秋の季語扱いとなるわけである。

 小生、果物で好きなものは数々あるが(但し、店頭で野菜も果物もまず買わない…)、一番好きなのは桃だ。
 こんなにもジューシーで豪奢な味の果物は他にないと思うほど(だったら買えよ、ということになるが、果物も野菜のコーナーも素通りするのが習い性なので、今更、どうしようもない)。
 桃が好きなのは、その芳醇な味わいや食感もあるが、なんといっても、その形容し難い豊かで心温まる形が預かって大きいような気もする。タプタプしたお尻を思わせるではないか!
 だからというわけでも、また、たまたま今、車中で前田 晴人著の『桃太郎と邪馬台国』(講談社現代新書)を読んでいるからというわけでもないが、今日の表題(テーマ)には「桃」と「桃太郎」を選んだ。

 本書「桃太郎と邪馬台国」は、出版社のレビューによると、「一寸法師の「箸とお椀」の意味は?浦の「シマコ」と卑弥呼の関係は? おとぎ話から古代史の謎を解く! おとぎ話の古層に倭国の痕跡が見える!一寸法師・桃太郎・浦島太郎の原像を検証する古代史学。」とか。
 本書の内容を忖度する素養などは小生にはない。ただ、興味津々で読んでいるだけである。吉備地方と桃太郎伝説との関係については、何かの本で読んで以来、関心を抱き、ある小説の中にさりげなく昔話を織り込んでみたこともある。
 ただ、桃太郎伝説などがさらに邪馬台国と絡むというのは、全く初耳なので、ひたすら好奇心で読んでいるわけである。

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2005/11/03

更新のお知らせ

無精庵明月記」を更新しました。
グローバリズムの影に怯える
 本稿は一昨年、メルマガにて公表したコラムエッセイです。若干の追記を施してあります。

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シャラワジ風日記余談…日本庭園

「シャラワジ風日記」(November 02, 2005)の中で、シャラワジという言葉を紹介している。
 この(小生には初耳で奇異な)言葉は、アンドルー・ロビンソン著『線文字Bを解読した男   マイケル・ヴェントリスの生涯』 (片山陽子訳、創元社)の中でたまたま見出したもの。
s-chari-akinota

→ ちゃりさんに戴いた(おねだりした?)画像です。薄でも葦の原でもなく、秋の田の画像だとか。勝手にファンになっているちゃりさんの句を楽しもうと、過日、ちゃりさんサイトを覗いたら、この写真に出会った。見た瞬間、なんだか夢の中に蘇った遠い日の光景のように思えてしまった。

 秋の田を何処まで追って夢覚めず

 シャラワジについては、ネットの上では、真正面から扱っているサイトは(今のところ見つかって)ない。
 前回、紹介した、「光華雑誌8月号 - 西洋の庭園と中国の関係 (Page 1-5)」という格好のサイト」を参考に、改めて知りえたことを整理しておきたい。
 このサイトではサイトが「光華雑誌」ということもあって、中国などと西欧の庭園とが対比されている。
 まあ、イギリス_シャラワジ風庭園は、が中国の影響を受けたものなのか、それとも、西欧にも不規則性の魅力のある庭園は既にあったのだ、中国の庭園も西欧の影響を(特に植民地支配の頃等に)受けている…、など、中国におけるプライドと屈辱との交錯する、微妙な感情も見受けられたりする。
 さて、シャラワジとは、大雑把に言えば、イメージの上での西欧風な幾何学的とも思える整然たる庭園ではなく、不規則性が目立つ中国風な(あるいは小生としては日本風な)庭園の在りようの性格(特徴)を言いあらわす言葉だと思っていい。

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2005/11/02

シャラワジ風日記

 表題の「シャラワジ」って、何?
 この疑問は、本稿を読めばいずれ分かります。意味があるような、ないような、深い思想があるような、ないような…。
 いずれにしても、本日の日記は季語随筆からは、大きく脱線しています。
 …ということで、日記の始まり、始まり!
s-sion-cosmos

← 紫苑さんに戴いた阿蘇のコスモスです。HPの画像掲示板にて大きな画像(790)を見ることができます。画像や絵などを募集中です。漫画も歓迎! 小生の文章しかない殺風景な頁に少しでも潤いを与えてやりたいと思われたら、どうか!

 月曜日(つまり昨日)の朝、探し物があって、パソコンの後ろをガサゴソやったら、塒(ねぐら)を不意打ちされて驚いたのか、雑多に積まれた箱や袋の後ろから蜘蛛さんが慌てて這い出してきて、壁を登って行った。
 ちょっと嬉しかった。
 この蜘蛛さん、きっと、いつぞや見かけたあの蜘蛛さんに違いないと直感した。
 小生は、この蜘蛛さんに最初に出会った時、嬉しさの余り、というわけでもないが、「我が友は蜘蛛!」というエッセイを書いている。ほぼ三年前の10月末のことである。
 その後日談も書いたはずだが、その文章の所在は分からない。なぜ、後日談を書いたかというと、「我が友は蜘蛛!」を書いてからしばらくは、彼(彼女)の姿を見かけなくなり、あーあ、奴も死んじゃったのかなーと悲しく寂しく思っていた。
 それが、である、めったにするはずのない掃除をやった時(だったか、日曜日のように、ただ、探し物があって、ダンボールの山を動かす羽目にはったからだったのか覚えていない)、あれ懐かしや、蜘蛛さんが元気な姿を久しぶりに見せてくれたからだった。
 懐かしさの余り後日談を書いたのは昨年だったと思う。
 その蜘蛛さんの姿は、また、それから全く見かけなくなった。蜘蛛の巣は部屋の中には張られていないので、彼(彼女)はきっと堆くフルヘッヘンドしているダンボールの山の陰に居場所を見出し安逸な時を過ごしているのだろうと思われる。
 そして、昨日の月曜日の朝、これから仕事に出掛ける間際に、ひょんなことから蜘蛛さんに再会したというわけsだ。
 あの、この蜘蛛さんが、誰何(すいか)したわけでもないのに、奴が名乗り出たわけでも挨拶したわけでもないのに、「我が友は蜘蛛!」やその後日談を書いた当の蜘蛛さんと同じかどうか分からんじゃないか、などという野暮な突っ込みはしないように。
 小生の数少ない友なのだし。

 蜘蛛よ蜘蛛お前は七夕気取るのか

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2005/11/01

火と水のさきわう国

ホントに火のことだけ… 」の中で(実は、表題を「ホットに火のことだけ…」にすべきか、今も迷っている。でも、まあ、ホットでもホントでも、含意するところは同じだし、このままで通す)、拝火教(ゾロアスタ-教)の名を挙げている。
 日本に拝火教(ゾロアスタ-教)がいつ伝わったのか、調べていないが、たまたま戴きもので、運慶・快慶らの手になる東大寺の仁王様の画像を我がサイトで使わせていただいた縁もあるので、ここでは東大寺、特に「火」との絡みもあり、東大寺二月堂で行われる「お水取り」、正式には「修二会(しゅにえ)」に焦点を合わせつつ、若干のことをメモしておきたい。

 が、その前に、ここでは転記等はしないが、「東大寺(とうだいじ)」の沿革等を「Welcome to tabiken's Site!」の「東大寺」なる頁でざっとでも見渡しておいてもいいだろう。
 聖武天皇の志と、「対外的な要因として,唐高宗が672年(咸亨3)から3年間を費やして洛陽の竜門の奉先寺に,高さ85尺の2菩薩像や70尺に及ぶ盧舎那仏石像をつくったり,また則天武后が洛陽の白司馬坂に大銅仏を造顕したことなどにも影響されて,唐文化に対する日本の新しい国家意識の顕揚のためにもこの大仏がつくられなければならなかったのであろう」といった、背景があるようだ。
(「聖武天皇の志」と略記したが、興味の湧いた方は例えば、「東大寺~天平勝宝四年~」を覗かれると、その真意などが詔勅の文=大仏造立の詔として読み取れるかもしれない。「大仏造立の実際上の主役となった渡来系氏族はもちろん、大伴・佐伯氏を始めとする旧豪族、米3千碩・墾田100町を東大寺に献上した越中利波氏などの地方豪族、行基のもとに集まった私度僧に至るまで、積極的にこの事業に尽力することになります」とあるから、我が富山(越中)も貢献していたわけだ。)

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