東京国際女子マラソンを見物してきた。小生の居住地からはマラソンのコースまでバイクだと十分も掛からない。なのに一度もマラソン見物に行かないのは、なんとなく悔しい気がする。勿体ないというべきか。
悔しい気がするという中には、小生、これでも昔は走るのが好きだったのに、という思いもある。歩くことが好きで、興が乗れば日に数時間もあてどなく街中を歩き回る。
学生時代も、行きはバスを使うが、帰りは、天気もいい、友達と会う予定もないし、えい! 歩いちゃえと思い立つと、帰路を歩きで通すことが何度となくあった。
バスでの通学の時間は、乗換えなどもあり、一時間半を要する。歩きだと、途中寄り道をしないでまっすぐ帰れば、やはり一時間半。

← 待つこと十数分、やっと報道関係車両が来た!
だったら、毎日歩けば、ということになるが、そこは毎日、片道一時間半は辛い。要する時間は同じだといっても、バスの中で本だって読めるし、うまくすると座れることもあるし、のんびり町の風景や車内の様子などを眺めて過ごすのも乙なのだし。
歩きを選ぶのは、何かセンチな気分に浸りたい時が多かったように思う。バスに揺られていくより、歩いてその時に自分を浸している気分を一層、味わいたい…、というより、より感傷的な気分の深みに嵌っていきたい、場末の町を(気分上は場末なのである)人影に背を向けて(誰も見向きもしないのだけど、本人は依怙地になってしまっている)世界の片隅を遥か彼方まで歩き尽くしてしまうのだ、なんて半分、本気で思っている。
ガキの頃から演歌や歌謡曲が好きだったし、アメリカの古き良き時代のポップスやロックが好きだったので、うろ覚えだったり、あるいは結構、頭に染み込んでいる曲などを口ずさんだりしてひたすら歩く。
歩き出すと、何処か喫茶店に立ち寄るとか、書店を覗くのも面倒になる。
走るほうはというと、何処のクラブにも所属したことは(ほぼ)なくて、いわゆる帰宅部の小生だったが、長距離を走るのは何故か得意だったし、好きだった。
ガキの頃、近所のある特にしつこいというか執念深いキカンボウと鬼ごっこというわけではないが、何かのわだかまりが生じると小生が逃げ、そのキカンボウが何処までも追ってくる。
今から思うと、小生が引き起こしていたはずと、理屈の上ではなってしまう。なぜなら奥の上では小生は逃げる立場しか場面的に脳裏に浮かび上がってこないから。
でも、思えば小生自身は淡白というわけでもないが、仮に追いかける立場になっても、あまり深追いはしないし、そのうち面倒になってしまうので、追いかけたとしても大概は途中で追跡を諦めてしまっていたので、記憶には残らなかったのだろう(推測にとどまるが)。
では、追われる立場となると、そのキカンボウは小生を何処までも追いかけて、街中をグルグル回り、隣町を過ぎ行き、まるで見たことのない町並みを抜け、田んぼを走り、どこかの家の畑を越え…、それでも振り返ると奴が追いかけているのだ。
奴の顔をちらっと見ると、走るのに懸命なせいかどうか分からないが無表情に感じられた。こらっという感じで最初のうちは追いかけていたはずなのに、長々と果てしなく走り続けているうちに、機械的に小生の後姿から離されないように喰らい付いていることだけに神経が集中してしまっているのだろう。

→ キャ! 憧れの女子白バイ隊だぞ! 後ろに手を回して…じゃない、後ろに乗せて!
まあ、ガキの頃は昔なら誰でも鬼ごっこや缶蹴り、縄跳び、ゴム飛び、草野球と、体を動かす遊びが日が暮れるまでのメインだったはずだ。たまに雨など遊ぶ相手がいないときとか夜となると漫画やゲームに興じるのだったけど。
さて、中学も高校も(高校一年の半年だけのサッカー部を除いては)帰宅部の小生だったが、高校二年の時にも三年の体育祭の時にも、マラソンに出場を希望し、日頃、運動などしていないはずなのに、トップとはいかないけれど、上位入賞は果たした。
高校二年の時、体育祭でマラソン(といっても5キロだが)を志願したのは、当初はマラソンコースが校庭ではなく路上だったからなのである。
今は記憶が定かではないが、オリンピックか何かでマラソン選手が路上のコースを走る雄姿に影響されていたものと思う。
小生も、規模は小さくとも校外の町並みをマラソン選手を気取って走ってみたかったのだ。
が、何故か体育祭が近づく頃になって急遽、校庭を走ることに変わってしまった。
小生はがっかりである。白線で描かれた200メートルのコースを、それこそモルモットよろしくグルグル回るなんて、そんなことだったら志願はしなかったはずなのである。
そうはいっても、コースが変わったから出場を取りやめるなんて出来るはずもない。
自分としては路上を走りたかったのだ、それが変更になったから取り止めだと思って主張したって、周りは大会が近づいて怖気づいたか程度に思うのが関の山である。
それにマラソン(のコース)とは全く無縁の理由が小生の出場取り止めの思いを引きとどめていた。
それは、小生の片思いの相手が大会の係員をやっていて、相手はともかく、小生は相手を意識しているので、その人の前で走りたいという思いもあって、ますます走るしかなくなったのである。
結果はと言うと、多くは体育系のクラブに所属しているメンバーの中で5位だった!
ぶっつけで5位は、そこそこなのか。
実は自分では悔しい思いで一杯だった。校庭をグルグル走って回ったのだが、ラストが近づくと、あと何周という告知がされる。
小生は、冷静さを失っていたのか、ラスト一周という合図を見逃したらしいのである。
で、あと50メートルという頃になってやっと今がラストの周回だということに気づいた。
小生はラストスパートを掛けた。なんとか一人だけは追い抜いて、それで5位。
けれど、小生の中では余力がかなりあると感じていた。
それはそうだ。ラスト2周だと思い込んでいたし、最後の周になったらスパートを書けるつもりで走っていたのが、ゴールが数十メートル先に見える時点になってラストの集会だと気が付き、遅まきながらスパートを掛けたのだ。
ああ、もっと早めに気づけば、スパートを早めに掛けられて、あともう一人は抜けて…。

← 来たぞ! 高橋尚子選手も先頭集団に加わっているのか?!
しかし、がっかりという思いはそれだけにとどまらなかった。
小生が片思いとなっている相手の女の子は上記したように大会の係員をやっていた(体が弱く、本人は運動が好きなのにも関わらず出場できないので)のだが、レースが終わって結果を彼女がマイクを通じてアナウンスしたのだが、なんと彼女、小生の名前を一字、間違えたのである。
同じクラスなのに、あとで聞いたら小生のことを声援したのよ、聞こえた? などと言われたのだけど、それだったら、アナウンスでオイラの名前を間違えるなよ、と突っ込みたかったが、できなかった。
思えば、彼女の言うとおりレース中に彼女が声援してくれていたのだとしたら、小生はそのことに全く気が付いていないのだから、これでアイコ、ということになるのだ。
マラソンというと、大学生になった最初の年の大晦日に、どうやら恒例となっているらしいマラソン大会があって、小生、そこにも出場を志願した。200人ほどの参加者がいたろうか。
コースは、小生の願望をようやく叶えるかのように、大学のキャンパスのある青葉山をグルッと巡るもの。
ただ、スタート時間はまさに真夜中だった。真っ暗である。要所要所に関係者が立っていて、走るメンバーにコースの案内をしたり、ルールを破るものがいないかをチェックしていたが、走り出した最初の頃は集団だったものが、団子状態が次第に崩れていって、いつしか単独(多分)で走っているようになった。
寒いし真っ暗だし、人気はないし、路上を走るといっても、コース脇に声援を送ってくれる観客もいないし、ただひたすら走るしかなかった。
結果はと言うと、200人中の16位だった。小生としては結果には満足だった。副賞としてなのか、小さな瓶の日本酒をもらったっけ。
田舎からの仕送りで下宿代(二食の賄い付き)と学費はなんとかなったが、本代や交際費は足りないので、学生時代を通じて、アルバイトは数々やった。
長期のアルバイトというと、なんといっても新聞配達だった。友達には家庭教師をやっている奴もいたが、対人関係が苦手だし、学力にも自信がなかったし、なんといっても体を動かすバイトのほうが好きだったので、選ぶのは肉体労働系のものばかり。一番、肉体を使わないバイトというと、交通量調査ということになろうか(そうはいっても、寒風の中で座りっぱなしで初めての胃痙攣を起こしたっけ)。
新聞配達についても思い出すことはあれこれあるが、ここでは略す。
社会人になっても、折々、某スポーツシューズメーカー主催のマラソン大会に出場したりして楽しんだものだった。
青梅マラソンにも一度、30キロのコースに出場し、時間内の完走を果たした(これも涙ぐましい話があるが、今は略す)。

→ 高橋尚子選手が先頭集団にいる! 足の筋肉を見よ!
マラソンというのは、あるいは走るというのは、スポーツの基本中の基本ではなかろうか。一番、原始的とも言えそうな気がする。
何かを投げる(槍とか砲丸)とか、持ち上げる(重量挙げ)とか、ぶつかり合う(相撲やレスリングや柔道)とか、蹴り合う(サッカーなど)とか、泳ぐ(競泳)とか、投げ合い奪い合う(バスケット、バレーボール)とか、技や力を競うスポーツは多彩にあるが、やはり原点は走る、であり、花形の一方の雄が短距離走であるとしたら、もう一方の雄は長距離走、つまりはマラソンだろう。
長距離走。一見すると単調そのものと思えそうな競技。なのに、一旦、見始めると、何故だか画面からコース上から目が離せなくなる。長距離走は人生を象徴するから(人生は重き荷物を担いで長き道を歩くようなもの)なのだろうか。
あるいは、選手の走る様子や表情をじっくり長時間に渡って眺めることが出来、その分、選手への思い入れも深いものになるからなのか。
小生の乏しい経験からしても(特に小生はオートバイでのツーリングを連想してしまう。なぜなら小生のツーリングは一般道をひたすら走るだけの、人が見たら何が楽しくてやっているのか、さっぱり理解できないような単調極まるものなのだ。300キロ以上、時には500キロ近く一般道を淡々と走る。時に帰り道で渋滞に嵌ると、自宅までの百キロの道が遥かに遥かに遠く果てしないものに感じられる。まして、雪が降ったり雨が降ったり、風が激しく吹きつけたりすると、なんでこんな味気ない走りを延々と続けているのかと、気分的にうんざりすることがある。バイクを置いて何処かの駅から電車に乗って帰りたい。誰かの車に便乗させてもらいたい、早く家の中でだらだらしたいと思うばかりなのである。その道のり遥かな時の、もどかしく切なく眩暈しそうなほどに果てしない分厚い時間という壁が自分の人生の課題であり重荷であり象徴でもあるように思えて、気が遠くなりそうなのである。でも、道は少しも縮まってくれない。祈りも通じない。ただただ走るしかないのだ…)、ランナーズハイ、ライダーズハイの、一種形而上的な熱を一切帯びていない昂揚感というのは、とてつもなく快感めいたものがある。
体調が悪かったりすると、そのハイな感じは余計に深く高い。
そう、ハイ! 高い! という表現を使うしかないのだ。
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