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2005/10/15

たきび…山茶花

 過日、営業中ではあったが、暇の徒然にラジオから聞こえて来る話に耳を傾けていたら、今年は「たきび」を作詞した巽聖歌(たつみせいか 本名 野村七蔵、1905~1973)の生誕百周年に当たるという話が耳に。
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← なずなさん画の「ハロウィン」です。ここの記事には関係ないけど、嬉しくてすぐに載せたくて。ちゃんとした画像を見たい方は、リンク先を覗いてね。

 巽聖歌(たつみせいか)については、以前も採り上げたことがあるはずだが、小文の行方が不明。自分の書いた文章は(Web上を除いては)一切、保存していないので、いざ過去に書いた文章を参照しようにも、探しようがない。
 なので、新たな気分で若干のことをメモしておきたい。
 予め断っておくが、「山茶花(さざんか)」は季語であるが、11月の季語例に載っている。季節的に今、採り上げるには、やや早い。なんといっても、冬の季語なのである。いくらせっかちな小生でも、先走りすぎる。
「たきび」…「山茶花」…「落ち葉」といった言葉が歌詞の中に織り込まれている。冬の光景そのものなのだ。

 それでも、表題の一部に使ったのは、童謡「たきび」というと、「山茶花」を採り上げざるを得ないからである。文句を言うなら、10月も中旬になったばかりの時に、童謡「たきび」の話題を採り上げたNHKさんに言って欲しい(もち、冗談です。世の中には真に受ける人もいるから、うっかり冗談も書けない)。
 但し、今回は、季語としての「山茶花」に深入りはしない。

写真紀行・旅おりおり」の「たきび」のによると、この童謡「たきび」(渡辺茂作曲)の作詩者、巽聖歌は「岩手県に生まれ、北原白秋に師事した詩人で、多くの優れた児童詩を残した」という。
 さらに、「聖歌は、この詩が作られた昭和5、6年頃から約13年の間、萬昌院のすぐ近く、現在の上高田4丁目(東京都中野区上高田)に家を借りて住んでいた。朝な夕なにこのあたりを散歩しながら、「たきび」のうたの詩情をわかせたといわれている」と続いている。
 上高田だというが、「中野区にある新井薬師付近」らしい。

「たきび」については、思うことはいろいろあるが、卑近なことから書いておくと、実は小生、杜の都仙台から上京し最初に居住したのは新宿は西落合。木造の二階建てのアパートで、管理人さんの掃除が行き届いているのか、かなり老朽化してはいたが、廊下や階段などが吹き込まれ磨き込まれているようで、気分のいい住まいだった。
 小生の部屋は二階にあったのだが、階段を登ろうとすると、管理人さんの部屋の脇を通ることになる。なんといっても、管理人室は玄関に隣接していたのだし。その管理人さんが色っぽくて…。
 と、それは今はいいとして。
 板壁からはかすかに黴の匂いが漂ってくる感じがあったが、それがまた馴染むようでもあり、場合によっては長く住めるかと思っていた。
 が、折々、どこかの部屋から女のあの喜悦の声が聞こえてきて、それがまた両側が部屋となっている廊下の中で反響して、それはそれは凄いことに。
 ことを終えた女が白の薄手のコートを羽織り、階下の道を消えていくのを鬱屈した思いを抱えつつ見守っていたような…。
 そんなこともあったからではないが、仕事が肉体労働で汗だくになり、帰宅したらすぐに風呂に入りたいという贅沢な欲求が湧いてきたし、ちょうど近場で風呂付きのアパートが見つかり、即、引越し。それが小生にはある種の悲劇をもたらすことになるのだが、そのことは既に触れているので、ここでは略す。
 引っ越したとはいえ、西落合のアパートから数百メートルに過ぎない場所。そして越した先というのが、上高田(5丁目)だったのである(西落合の住まいも上高田と隣接していた。新井薬師があるいて数分のところに)。
 ところが、である。学生時代を過ごした仙台のことも、歴史の厚い町だと知ったのは仙台の地を離れてからだったが、上高田や近くの新井薬師のことなどを調べたり知ったりしたのも、上高田からまた転居してからのことだった。
 無論、上高田に住んでいた頃、昔、巽聖歌(たつみせいか)が暮らし、散歩し、「たきび」などの構想を練ったことなど知る由もない。
 無粋な小生のこと、童謡「たきび」に歌われている「山茶花」が近所に咲いていたかどうかも、当時、まるで気が付いていない。
 しかも、である。巽聖歌は、「半生の後半を日野市で過ごし」たのだった。日野市! それは小生が上京して間もない頃に惚れていた女性の生まれ育った街。その女性を追い駆けるようにして、仕事場を新宿の大久保から西落合にある倉庫に小生は変えたのだった。
 呆気ない失恋に終わったのだがね。
 そうそう、ラジオでは、「企画展 「たきび」の詩人 巽聖歌生誕百年記念展」(日野市郷土資料館 主催 平成17年9月23日(金)~11月13日(日))のこともお知らせされていたっけ。
 生前、新美南吉と親交が深かったという巽聖歌には(というより、新美南吉等の才能を発見し世に送り出したといったほうがいいのかも)、「たきび」のほかに、北原白秋が絶賛したという 『水口(みなくち)』も作詞している。
 岩手は北上川にゆかりを持っている巽聖歌だが、その北上川にゆかりを持っている人、あるいは北上川流域に生まれた人は非常に多い。
NPO法人北上川流域連携交流会」を覗くと、適当に抜粋しても、石川啄木、石ノ森章太郎、大槻文彦、金田一京助、志賀直裁、新渡戸稲造、野村胡堂、支倉常長、原敬、宮沢賢治などなどと。
 これだけ眺めてみるだけでも、岩手(北上川流域)は文学であれ政治であれ学問であれ、人に志と情熱を育む地なのだと、思われてならなくなる。

 さて、「たきび」だが、現代は都会にあっては「焚き火」には縁が薄くなってしまった。公園の隅っこだろうが、自宅の庭だろうが、「焚き火」をすることは許されていない(法的な規制のことは調べていないけれど、多分、ダメということになっているのだろう)。
 まして、ダイオキシンがどうしたと煩い世の中なのである。落ち葉だろうと、紙屑だろうと、住宅街にあっては、勝手に燃やすことは許されない。中にゴムなど化学製品が混じっていたら、ダイオキシンの発生は間違いないのだし。
 しかし、地方のことは分からないが、一昔前となると話は別である。
 小生が田舎(富山)に居住していた頃は、家の裏庭でしばしばゴミを燃やしていた。というより、ゴミの収集などやっていなかったのではなかったろうか(曖昧な記憶ですみません)。
 家庭のゴミ、まして農家であってみれば、藁や木屑を燃やすのはしばしばだったし、焚き木(というと大袈裟だが、要は木の切れっ端とか落ち葉などで)でサツマイモなどを焼いたものだった。
 我が家の裏庭には、古いドラム缶があって、そのドラム缶がゴミの焼却炉代わりの役目を果たしていた。紙くずなど、燃えるもの不要なものが出ると、ある程度溜まったところで、燃やす。
 場合によっては、その熱で石製の風呂釜が脇にあったので、風呂の湯も沸かしたものだった。
 さて、ここまで読んでくる人は稀だと思うので、ここにこっそり書いておくが、小生が高校を卒業した春、小生の書いた恋文(返送されてきたものなど)や15歳から書き始めた日記類の一切合切をドラム缶で燃やし尽くした。大学は工学部を願っていた父の希望に反し、哲学を志望した小生が父母に当てた哲学を志望した理由を書いた長文の手紙も燃やした。
 もう、恋を証し立てるものは皆無となってしまった。
 その二年後にも、以後の二年間に書いた日記類を同じくドラム缶で燃やした。つまり二十歳までの日記や覚書類は地上にはなくなったわけだ。
 小生は15歳から日記を書き始め、今日まで続いているが(今は、ただの記録帳だ)、一番、日記を書きまくったのは16歳から二十歳まで。その一番肝心な頃の日記が灰燼に帰してしまったのだ。
 自分でも惜しいと思う。記憶力の乏しい小生だから、文書が残っていたら、それを元にあれこれ綴れていたかもしれない。
 それは永遠に叶わない。
 そのドラム缶も大学生になって3年目の頃にはなくなっていた。ま、燃やすほどの文書も書くことはなくなったので、小生には、もうどうでもよくなっていたのだけれど。


山茶花の咲くを知らずに町の人
山茶花の赤い花さえ見ず過ぎし
山茶花の濁りし赤の恋なるか
落ち葉焚き山茶花さえも焚かれしか
せめてもと胸の中咲く山茶花か

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コメント

早速、絵を紹介いただいてありがとうございました。
>さて、ここまで読んでくる人は稀だと思うので、ここにこっそり書いておくが

実は、悪い読者があったもので いつも
気になるところから 読み出していたりするのが、私です。
当然、ここから読みました(爆)。
そして、戻って 最初から・・。

物語だと ネタばれとかしちゃいますよね。
作者の 意図も台無しだったり・・。

なるべく 最初から読もうと思いますが・・
(^_^;)

投稿: なずな | 2005/10/16 10:40

やいっちさん 素敵な画像ですね
いえ、なずなさん、はじめまして
すぐに飛んで、可愛らしいハロウィンの絵に、しばらく見入っていました。

やいっちさん、私も悪い読者です(今更!爆)
最初のお住まい、物語にできるような、環境も素晴らしい、(色々含む)所ですね。

焚き火と言うと、あの鼻の奥がつんと来るような懐かしい匂いがまず先にきます。
紙と、小枝や枯れ草の燃やす匂いは違いますね。
心も違いますね。書いた物や手紙を燃やす時の気持ちは、私は、何か、痛みを感じながら
その痛みが心地よい気がします。

投稿: 蓮華草 | 2005/10/16 14:14

蓮華草さん はじめまして。
やいっちさん、blogをお借りしてごあいさつ
お許しくださいね。
オレンジのかぼちゃが ハロウィンのパンプキンランタンの定番のようです。
描いちゃってから 気がつきました(^_^;)
魔法で これからオレンジに色をつけるところ
・・・ということに しておいてください(爆)

投稿: なずな | 2005/10/16 21:25

焚き火とかゴミを燃やすドラム缶・・・私にはお風呂の焚き口です。
結婚する前、主人(一応美男子)が、大勢の女性から貰ったラブレターを私に処分するようにと言って渡された。 
中身を読む気にはならず、お風呂を焚くときに燃やしちゃった。
これが男の誠意なんでしょうか?
私は一応自分に来たラブレターは、記念に大事にとっていました(爆)内緒よ!
男より女のほうがズルイかも・・・(笑)

投稿: ヨッピ | 2005/10/16 23:28

なずなさん、コメント、ありがとう。画像もありがとう。

確かに付け足しのように書いていて、実はここがネタの部分かもしれないけど、まあ、読み方は読まれる方の勝手ですし。
というか、興味がわくのは(自分でもそうだけど)人間的なエピソードに関わる部分なのは、素直な気持ちということかな。

拾い読みでも斜め読みでもネタバレ読みでも、関心を持ってもらえるのが一番!


投稿: やいっち | 2005/10/17 16:29

蓮華草さん、いいでしょ。小生、なずなさんワールドのファンなのです。と、tanuちゃんワールドも(keiさんワールドのファンでもある)。
詩と絵との両方をミックスして表現できたらって思うけど、詩も絵も描けないので、お気に入りのサイトで眺めて楽しんでます。

焚き火、確かに匂いも、その場でも後での記憶においても印象的ですね。
お芋さんの焼け焦げる匂いも好き!
それと、音。木や竹などがパチパチ爆ぜる音は、焚き火ならでは。

手紙や日記類を燃やした時は、それなりに思い詰めていたし、過去を断ち切ったつもりだったのですが、案外と引きずるものですね。
記事の中では書ききれなかったけど(ここで秘話?を書いておくと)、実は、小生が大学生活で故郷を離れていた間に日記類が読まれた(読まれる危険性があった)から、燃やしたのです。

ああ、一体、当時、自分は何を書いたものやら。なーんにも覚えていない。情ない。

投稿: やいっち | 2005/10/17 16:35

ヨッピさん、こんにちは。
あれあれ、旦那さんが男前だと、結婚してからも心配でならないのでしょうね。
といいつつ、旦那さんも奥方であるヨッピさんのことが心配でならないのかも。

ラブレターを処分するようにヨッピさんに渡した…。さて、全部を渡したのでしょうか。肝心の相手のものは、脇に除けてあるとか…。

うーん、虚虚実実で、ドラマチックですな。

投稿: やいっち | 2005/10/17 16:39

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