無花果…暗き深紅
季語随筆を綴るため、こうして画面に向かう際、大抵は何を書くという当てもない。一応は秋10月の季語が鍵になっているが、あとはとにかく、季題【季語】紹介 【10月の季題(季語)一例】なる表を眺め、列挙されている季語・季題の中から、何か訴えかけてくる言葉があることを期待するだけ。
体調なのか、その時のバイオリズムなのかは分からないが、あれもこれもと目に飛び込んでくる時もあるが、どの言葉も調べてみたって発展性がまるで見込まれそうにないと感じられてならない時がある。
それでも、とりあえず、「10月 季語」で、まずはネット検索。
すると、何故か、「今月の季語・今月の俳句/2000年10月」という項の、以下の文面が小生の気を惹いた:
「【無花果(いちじく) 】 中世ペルシア語の中国での音訳語「映日果(インジークォ)」がさらに転音したもの。西アジア原産のクワ科の落葉小高木、 ...」
この頁を開いて、省略されている部分も含め、全文を転記してみる:
中世ペルシア語の中国での音訳語「映日果(インジークォ)」がさらに転音したもの。西アジア原産のクワ科の落葉小高木、またその果実。葉は3裂掌状、茎・葉を切ると乳状の汁を出す。初夏、花軸の肥大成長した花嚢を葉腋に出し、内面に無数の花をつける。雌雄異花、同一花嚢中に生ずる。食べる部分は実際は花床である。葉は薬用。果実は乾して緩下剤。乳汁は痔の塗布薬、また服用すれば回虫駆除の効がある。ザクロ・ブドウとならび、世界的に最も古い果樹のひとつ。唐柿(とうがき)。
さらに参考のため、しばしばお世話になっている、「季節の花 300」の中の、「無花果 (イチジク)」なる頁を覗かせてもらう。「毎日1個ずつ熟す意の「一熟」が変化して「いちじく」になったらしい。漢字の「無花果」は、 「花が外からは見えないのに実がなる」ということから」という興味深い説明が見出される。
それにしても、我がパソコンの仮名漢字変換機能は優秀で、「いちじく」と打って、それが「一字句」と変換されることはない。ちゃんと、「無花果」という表記を示してくれる。ありがたいものだ。
俳句には最低限、5・7・5の17文字が必要。「一字句」は本来、ありえないのだという教えなのだろうか。
尤も、下記するが、「ワンパック五個の無花果貪れり 八木健」は、その辺りを遊んで見た句なのだろう。
「西アジア、アラビア地方原産。江戸の寛永年間に渡来」という記述も興味深い。結構、歴史の浅い樹木(果実)のようだ。
「「映日果」とも書く」という。「無花果」もじっくり眺めれば味わい深い表記だが、「映日果」もなかなかのもの。「中世ペルシア語の中国での音訳語」とは言うけれど、「映日果」という言葉(表記)には、どういった意味合いがあるのか(あるいは、本当に音的な訳語に過ぎないのか)。
語源探索というか詮索の好きな小生の嗜好に合った内容ということもあるが、どうやら何のことはない、「無花果(いちじく)」に反応しただけのことらしい。
理由は思い当たらなくもない。先月、事情があって帰省した際に、その滞在の最後の日に、土曜日で本来は仕事の人も時間が作れたからなのか、帰京する小生に会うためもあって、親族のうちの何人かが集まってくれた。
その際、誰かが無花果(いちじく)を買って来ていたのだ。
姪らは、どうやら無花果など、食べたことがない様子である。姪の子供らに食べ方を教えようにも、親である本人が分からなくて、戸惑っているようだ。
子供たちも、親さえ食べたことがない、見慣れない、しかも、どちらかというと地味な、貧相な外見の<果実>に気後れ気味。甘いお菓子類に慣れきった今時の子供らには、何も好き好んで食べる必要などない、まあ、親たちの様子見のように見受けられた。
それでも、親の様子、つまり、姪の親、つまりは小生の姉らの食べ方などを見て、恐る恐る手を出し始める。
が、姪や、その親(つまり、小生の姉)の食べ方が、どうにもぎごちない。
まるで、リンゴかナシを食べるような、よく言えば上品な食べ方なのである。
つまり、包丁で皮を剥き、中身を曝け出して、二つ切りにし、中の果肉である餡子の部分じゃなくて、その周りの白っぽい部分からガブリ! じゃなく、お上品にかじり始める。
小生、どうにも見ていられなくて、無花果ってのは、こうやって食べるんだよと、食べ方を伝授しようとする。
無花果を表面の皮を剥いたりなどしないで、そのまま二つに裂き、中のジクジクした果肉の部分だけを思いっきりガブッと食べるわけだ。ヌルヌルしたような果肉だけがほんのり甘くて汁気もあって美味しいのである。その周りの白い部分など、見向きもしない。
このような食べ方は、小生がガキの頃に覚えたもの。小学生になったかどうかの頃には(あるいは今もかもしれないが)、秋口ともなると我が家の近所の軒先か塀の上に、これみよがしにイチジクの実が成っていて、親分格というか、兄さん的な存在の人が樹からもぎ取って食べてみせる。
それこそ、誰に遠慮することなく、もぎ取り、二つに裂き、中の果肉の部分、つまり花床をガブッとやる。分厚い皮などそのまま道ばたにポイッ、である。
負けず嫌いというわけではないが、みんながやっていることは大勢順応でやってしまう素直な小生のこと、その豪快さというか、思いっきりのよさを真似てみた。美味しいといえば美味しかったが、小生のガキの当時も既にキャラメルやチョコレートや飴や羊羹や饅頭なども、ふんだんにとはいかなくても、それなりに食べられるようにはなっていたし、兼業とはいえ農家だから、ミカン、ナシ、イチゴ、ジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシ、クリなどなどはお八つの際にも、山になって出されるだけに、無花果はどうにも味気ない果物に過ぎなかったような記憶がある。
むしろ、庭先の樹に成る果物を勝手に気軽に腕白風に食べられる、その行為に快感を覚えていたような。
そんな自分の思い出話などはしないが、とにかく、往年の食べ方だけは披露してみせた。
それが姪や姪の子らには、どんなふうに映ったものか。真似をするにはお行儀が悪いとでも感じられただけなのか。
そうそう上掲の引用文に「茎・葉を切ると乳状の汁を出す」とあるが、この乳状の汁は、文字通り、白い。一見すると牛乳のよう。これをイボか何かに塗れば直ると聞いたことがあったような…。かなり記憶が曖昧になっている。
上掲の引用文には、「乳汁は痔の塗布薬」とあるのだが。
さて、「10月 季語」をキーワードにネット検索したら浮かび上がった「無花果」だが、季題【季語】紹介 【10月の季題(季語)一例】なる表に戻って探してみると、ちゃんとその表の中にある。
なので、本日の表題(テーマ)は、「無花果」で決まり。
やっと本題に入る。既に「ようこそ俳句逍遥へ」というサイトの中の(このサイトにお邪魔するのも久しぶりだ!)、「今月の季語・今月の俳句/2000年10月」という頁の説明を上に掲げてある。これで無花果に関して、大凡のことは尽きると思われる。
サイト主による、「無花果やひと匙ごとに味はえり」という句も示されている。
彼には、「俳句でつづる東京百景」というブログもある。
句のほうをもう少しネット検索で探しておく。「ワンパック五個の無花果貪れり 八木健」が「ikkubak 2005年9月6日」にて見出される。
小生には、やはりネット検索で浮上した次の句が、どうにも生々しい:
「華のない 無花果女 底知れぬ」
「いちじくは、その名のとおり外からは花のない無花果に見える。内側の見えないところで地味に小さく白い花を咲かしているという。実の中で咲くのか? 熟すと口が裂けて、内側のグロテスクな姿を少しのぞかせる。見えないところで何をやってるんだか、底知れない女でありたいと思いつつ無花果を酔わせて甘くして、コンポートに変身させて 齧る」というコメントと併せて味わうと面白いかも。
但し、以前にも書いたが、俳句(川柳)は、5・7・5(上五 中七 下五)という語数は基本的に型の約束事として決まっているのだから、「華のない無花果女底知れぬ」と表記すべきなのでは、などと書くのは野暮なのか。
ちょうど、誂え向きに、ネット検索の結果で登場した句「華のない 無花果女 底知れぬ」の次に、「(1)俳句は型から覚えよう」というサイトが現れてくれて、「無花果」という語の織り込まれた句の数々を添削してくれている。
ネットでは、「無花果の暗き深紅を煮つむべし 黒田杏子」なる句が「今月の見つけた! 99年9月」にて見つかった。
この句の鑑賞文の冒頭に、「この季節、無花果(いちじく)の実が八百屋の店先に山積みされている」とある。確かに、山積みだったかどうか定かではないが、つい先日だったか、スーパーの店頭に積まれてあるのを見たことがある。
その際も、ああ、先月、田舎で食べて来たばかりだなと思いつつも、手にとることはしなかった。地味な果実だから、ということもあるが、ガキの頃の、近所のどこかの家の庭先に成っているのを勝手にもぎ取って食べるものという先入観というのか、どこかしら後ろめたいような甘酸っぱいような思い出が、手を出すことを憚らせる。
上の引用文は、さらに、「残念ながら自然の状態で木になっている無花果を見たことはないが、あの実を見ると、エロティックだなあと思う」などと続く。
「華のない無花果女底知れぬ」の句と同様なのかもしれないが、どうにも女性には、エロティックな果実に映るらしい。
以下、如月美樹氏の鑑賞文を一読願いたい。
(小生など、昨年だったか、正確な表現は忘れたが、「無花果をカンチョウと詠む我悲し」などと捻ったものだった。ああ、感性のこれほどまでの彼我の差! 雲泥の差だ! しかし、冒頭近辺で引用した文には、「乳汁は痔の塗布薬」とあるのだし、イチジクの形がイチジク潅腸の器具に似ているような気もする。まんざら、全くの駄句とは言えない、むしろ、何処か悲哀に満ちた句なのかもしれない…なんて、無理か!)
「無花果」というのは、呆気なく見逃されそうな言葉であり樹木であり果実だったりするけれど、これはこれで調べてみると奥の深いものだと感じた。果肉のことも含め、無花果の歴史など、まだまだ調べる余地はありそうである。
無花果の果肉の汁の糸を引く
無花果の暗き深紅は生が良し
無花果の暗き深紅は淵知れず
もぎ取りし無花果の肉齧り捨つ
無花果を二つに裂いて闇を見る
無花果は貪り食って捨つるのみ
無花果の果肉の香りほのかなり
こうやって食べるのだぞとかぶりつく
| 固定リンク
「季語随筆」カテゴリの記事
- 陽に耐えてじっと雨待つホタルブクロ(2015.06.13)
- 夏の雨(2014.08.19)
- 苧環や風に清楚の花紡ぐ(2014.04.29)
- 鈴虫の終の宿(2012.09.27)
- 我が家の庭も秋模様(2012.09.25)
コメント
やっぱり!いえね実はこの無花果はどこから来たのかと、次男とシルクロードの話しをしていて、話題にした事があるのです。
ペルシャっぽいねと二人で言っていたのですが。
それきりになってしまったので、今、やいっちさんの記事を見て、あの果物のイメージからはやっぱりと思っています。
私はこれが大好きで、実家の木に登ってはもぎ、もいでは、口に入れ、どれだけ食べたか(笑い)皮ごと食べました。
そう言えば、書いているうちに思い出しました
千夜一夜の中に無花果が出てきたような記憶があります。
あのこってりとした甘さは、遠い中東から、らくだの背に乗って遥々アジアまで来たのかしら
そう思うと、まじまじと見てしまいます。
あちこち書いて、不謹慎かしら??
書き魔の私です。すみません。
葉の影の甘き無花果我をまねく
無花果の木にすわり腹いっぱい (^^ゞ
失礼しました
投稿: 蓮華草 | 2005/10/07 22:08
蓮華草さん、こんちは!
> 千夜一夜の中に無花果が出てきたような記憶があります
懐かしいですね。子供の頃、アラビアンナイトを読んだものでした。でも、話の大半は忘れている。
調べてみたら、「人類最初のブドウ栽培は、方舟で大洪水を逃れたノアが始めたとか。「旧約聖書」や「アラビアンナイト」には果実や果樹のエピソードがさまざまに描かれ、ブドウやリンゴ、ザクロといった果実が神話・伝説の時代から人々に愛されていたことをうかがい知ることができる。中東原産の果物は、イスラム教やキリスト教の伝播とともに世界の諸地域に広まり、各地の気候風土に適合して、今日の発展・進化をとげている」と書いてあるサイトが見つかりました:
http://www.ohayo-milk.co.jp/salut/information/fruit_dictionary/fruit03/fruit03.html
「ブドウやリンゴ、ザクロ」で思い出したのですが、リンゴ…イチジク…そう! 旧約聖書です。(アダムと)イブがヘビに唆(そそのか)されて、禁断の木の実だったリンゴを食べてしまった。二人は裸であることに気付き、イチジクの葉っぱで腰の辺り(など)を隠す…:
http://hana.dip.jp/school/story/adam.html
小生が小学生の頃だったか、映画「天地創造」を見て感動と失望を味わったことを思い出しました。感動は、言うまでもないとして、失望というのは、パンフレットか予告編でイブのヌードが見られると小生が勝手に思い込み、思いっきりヌードのシーンを期待したのだけれど、上手い具合に(小生には不具合な方法で)肝心の箇所が隠されていて、なんだよ、もっと見せろよな! あれじゃ、ガッカリジャン、なんて落胆したのでした。ませた(!)小学生でしたね。
なぜ、イチジクの葉っぱで隠したんだろう。葉っぱが大きいから何を隠すのに都合が良かったから? うーん、探究の余地が一杯ありそう。
イチジクを皮ごと食べた!ってのは凄いな。やはり違うね。小生は中の果肉だけを貪って、あとはポイッだったけど。
大体、木に登ってまで取らなくても、塀際からちょっと手を伸ばせば取れたという記憶がある(けど、もしかしたら近所の兄さんに撮ってもらったのだったろうか)。
イチジクに身の恥隠し…隠し切れず
イチジクの形のパンティありがちだ
イチジクや花も実もある葉っぱもね
(イチジクは、他の果物と違って、季節にしか出ない…)
イチジクは季節を知らす稀有な果ぞ
> 葉の影の甘き無花果我をまねく (蓮)
(今時の子供らには無花果は地味な果物なのかな。勿体無いね。奥様方も、無花果の形じゃなく、煮込んだりして形が分からなくしている。)
無花果の甘きを知るはロートルか
奥床し無花果のよな君なるか
投稿: やいっち | 2005/10/08 11:38
隣の家の無花果の木の実を、レストランが買い付けていて、毎年其れを収穫して店で料理にして出しています。トルコ周辺からの輸入物も多いですが比較的高価です。私も時々買いますが、木になっているのを採って食べた覚えがあると、お金を出す気にはなれません。
母娘で無花果を収穫する適齢期の娘の肩なしピンクの花柄夏ドレスの肢体が、熟れ熟れとしておりましたので、思わずカメラを向けてしまいました。素晴らしい!
投稿: pfaelzerwein | 2005/10/08 18:59
pfaelzerwein さん、こんにちは。
蓮華草さんへのレスにも書いたのですが、無花果(の果実)って、果実の外見と同様、他の多くの華やかな果物類に比べ、味わいも含め、控えめな存在。
食べると美味しいし、ジャムその他、食品などの用途も結構、多彩。だけど、年がら年中、食べたいと思わせるほどではない。
よって(と続けていいものか)、年中、出回るほどの人気がない。だからなのでしょうか、今や季節感を感じさせる貴重な果実になっています。
それはともかく……「母娘で無花果を収穫する適齢期の娘の肩なしピンクの花柄夏ドレスの肢体が、熟れ熟れとしておりましたので、思わずカメラを向けてしまいました。素晴らしい!」ってのが気になって気になって。見たい! 画像は見ることはできないのでしょうか。
記事を見逃したのかな?
投稿: やいっち | 2005/10/09 01:40