「鳥」の声と虫の息
「読書拾遺…山田の中の…」、「稲作…自然…櫛」、「葦と薄の恋」と、いずれも坂本勝著『古事記の読み方』(岩波新書)の記述を参照する(というか、転記が多いことからして、おんぶに抱っこの状態だが)形で、あれこれ季語随筆を綴ってきた。
今回も、しつこく、その続きとなりそうである。
← 蓮華草さんから戴いた仁王様(阿形)の画像です。申し訳なくも画像は縮小しています。ココに行けば、吽形の仁王様も含め、夜の東大寺などの素晴らしい画像群に出会えます。
今回は、「鳥」がテーマ。
「鳥」については、「渡り鳥」という季語を巡る形で、既に「渡り鳥…遥か彼方へ」にて採り上げているし、その余談ということで、鳥インフルエンザの問題に触れてみたいという思いもあり、「「渡り鳥」余談」、さらには「「渡り鳥」余聞余分」まで書いてきた。
が、今回は、文字通り「鳥」がテーマなのである。
例(もう、慣例)によって、本書『古事記の読み方』からの転記をメインとする記事になりそう。俳句の世界で季語としての「鳥」というと、(「鳥」に限らないが)短歌などの世界とは違って、古代よりの伝統とは断ち切れたところで、句の境が切り拓かれた面が大きい。
それでも、和歌など古来よりの伝統に棹差す世界では、どのような常識が素養として土台として横たわっているか、敢えて口にせずとも脳裏に浮かべているかを知ることは、全く無駄な営為とも思えない。
そんな言い訳めいた断りをさせてもらった上で、さて、作業に入ろう。
以下は、「トコヨノナガナキドリ」なる項からの転記である(p.141-3)。
「トコヨノナガナキドリ」
古事記には鳥にまるわる話が多い。高天原から国譲り交渉に派遣された天の鳥船、出雲国造の祖神建比良鳥(たけひらどり)、大国主の子の鳥鳴海(とりなるみ)……。鳥を名に持つ神のほかにも、死んで白鳥になった倭建、大雀(おおさざき)(サザキはミソサザイのこと)と隼別(はやぶさわけ)の女鳥王(めどりのおほきみ)をめぐる恋争いなど、神話や物語でも鳥はかかせぬ存在だった。空飛ぶ神秘に加えてその鳴き声も古代人には印象的だった。
「死んで白鳥になった倭建」については、谷川健一著の『白鳥伝説』(集英社)がいい。今は、小学館ライブラリー(文庫本)の形で入手できるようだ。『谷川健一著作集』にも収められている。
久しぶりに読み直してみたくなった。
ここをもちて八百万の神、天の安の河原に神集(かむつど)ひ集ひて、高御産巣日(たかみむすひ)神の子、思金(おもひかね)神に思わしめて、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かしめて……(古事記)
スサノヲの狼藉に畏れをなしたアマテラスが石屋戸に隠(こも)り、世界は永遠の闇に覆われる。光を取り戻すべく、神々は大がかりな祭を行なった。まずは思慮の神オモヒカネに思案させ、つぎに常世の長鳴鳥(鶏)を集めて一斉に声をあげさせる……。その鳴き声に呼び寄せられて、夜明けが海の彼方の永世の国からやって来る、古代人はそう考えたのである。しかし、本当にそうなのか、という疑問もある。鶏が鳴こうが鳴くまいが、同じように朝は来るではないか。いや、永遠の闇など現実にあるはずもないから、これはあくまでも「お話」だという見方もあるだろう。しかし、古代人と鳥との関係は、「お話」にしては妙に現実味がある。例えばこんな話がある。垂仁天皇の皇子ホムチワケは大人になっても言葉を話せなかった。その皇子が「高往(たかゆ)く鵠(くぐひ)」の声を聞いてはじめて「アギトヒ」(幼児の片言のような発声行為)をした。鳥の声が眠っていた皇子の発話能力を目覚めさせたのである。
「アマテラスが石屋戸に隠(こも)り、世界は永遠の闇に覆われる」とある。これを皆既日食と解する向きもあるようだ。日食はともかく、皆既日食となると、日本(の歴史)においては、三度しかないという。
その最初は、天延三年(西暦975年)のことで、「「天延三年七月一日(西暦975年8月10日)、日蝕あり。十五分の十一、或いは皆既という。卯辰の刻(午前7時)に皆既、墨色のごとくにて光なし。群鳥飛乱し、衆星ことごとく現る。詔書して天下に大赦す。大辟(死罪)以下常には赦すことを免れざるものもすべて赦す、日蝕の変によりてなり」」という記述が見出される(日本紀略、後編六)。
注目すべきは、「群鳥飛乱し、衆星ことごとく現る」とか「日蝕の変」という記述だ。
どんな怪鳥が飛んだのか(今は調べる余裕もなく)分からないが、奇異な天体現象が起きることの重みは現代の我々の想像を絶するものがあったのだろう。
さて、有史以後の最初の皆既日食は天延三年(西暦975年)のことのようだが(その次の皆既日食は江戸時代!)、有史以前においてはどうか。
これも、今は調べる暇がないが、いずれにしても、「例えば古代日本の,天の岩戸に隠れたアマテラス大御神を呼び戻す神話は,日食のことを語ったものだとも言われてい」るわけで(あくまで説に留まるのだろうが)、古代の皆既日食の年月時間を調べたら(これはキッチリと割り出されるはずだ)、神話の元となった事件の時も自動的に分かるはずなのである。
あるいは倭国大乱の切っ掛けも、この不吉極まる事件だったのかもしれない。鬼道が通じないとなると、女王たる巫女の存在も危うくなるのは必然なのだろうし。
一応、今は、「日本史探求 邪馬台国の謎を考える(追記)」なる頁を紹介しておく。
その中に、「古事記の記述に「天の岩戸」伝説があるのは周知のとおりですが、実は卑弥呼が生きた時代に皆既日食があり、なおかつそれが北九州で発生しているのです。(産能大学の何某教授がASCII社のPCソフト「ステラナビゲーター」を使い、西暦237と年238年に北九州地方で「皆既日食」が発生したことを証明した。)」という記述を見出す。
但し、小生はまだ裏書きできていないので、あくまで参考のための紹介に留めておく。
さ、転記を続けよう。
作曲家の大江光も物言わぬ子供だったという。その彼がはじめてまとまった言葉を発したのは、六歳の時、家族と軽井沢に行って、湖で鳴く水鶏(くいな)の声を聞いた時だった。「くいなです」。はっきり聞き取れる声で発した言葉が彼の始原の言葉だった(大江健三郎のノーベル賞受賞後のテレビインタビューによる)。
万葉の歌人達もまた鳥の声に深く心を動かされていた。「うらうらに照れる春日(はるひ)に雲雀(ひばり)あがり情(こころ)悲しも独りしおもへば」(万四二九二、大伴家持)。のどかな春の陽射しの中で一羽の雲雀がピーッと鳴いて飛び上がる。その声が家持の心を癒しようのない孤独へと誘った。この歌の左注で家持は、その時の痛み悲しむ心は歌でなければ到底払うことができなかったという。鳥の声が、詩人の心を狂気の一歩手前に連れ去ったのである。
作曲家の大江光氏が初めてまとまった言葉を発したというエピソードについては、下記のサイトが詳しい:
「親子マンボウ68号」の「「大江健三郎氏の講演会」と「大江光氏のコンサート」に出席して (F.Hさん) 」
いつ、リンク先が削除等されてしまうか分からないので、関心のある方は早めに覗いて一読されるといいだろう。なかなかいい話なのだ。
鳥の鳴き声の持つ力。人間は都会に限らず人の輪の中にいたら、なかなか腹の底からの生の声を耳にすることはない。人は余程ひどい喧嘩でもしないと大声を発することはないし、犬だって、近頃は鳴かないようにしつけられている。猫の鳴き声は可愛いが、今一つ迫力はない。
煩いというと車や飛行機、工事の騒音・振動くらいのものか。
そんな中にあって、町中で血反吐を吐くかのような喉も裂けよという声を発する身近な動物というと、鳥しかないのではないか。
そのことは、古代にあっても、事情は同じなのかもしれない。犬は今より野犬が多くて唸り声や吠え声は聞えていただろうが、風流とは言えない。熊の唸り声は耳にした時には命が危うくなっている。風情を楽しむなどとんでもないだろう。あとは、狼の遠吠えか鳥や蛙、鈴虫などの鳴き声などが、人の琴線を掻き鳴らす、数少ない生き物ということになるのではなかろうか。
小生の思いつきに過ぎないのだが。
さ、また、転記作業を続ける。
家持とは逆に、柳田國男は鳥の声で正気に帰ったことがある。十四歳の頃、彼は茨城の長兄の家に預けられていて近所の家によく遊びに行っていた。その家の庭に小さな石の祠(ほこら)があり、いたずら盛りの少年は中を見たくてしようがない。見つかれば叱られるので、誰もいない時にそっと中を開けてみると一握りほどの美しい蝋石が収まっている。それを見た瞬間、妙な気分になってその場に座り込んでしまった。晴れた空を見上げると、昼間なのに数十の星が輝いている。その時、ピーッと鵯(ひよどり)が鳴いてやっと我に帰った。その石は中風を患っていたお婆さんが生前体を撫でていたもので、死後お婆さんを記念して祠ったのだと後で聞いたという。もしその時鵯が鳴かなかったらそのまま気が変になっていたかもしれない、柳田はそう回想している(『故郷七十年』のじぎく文庫)。
意地悪く、散文的に、つまり、凡俗的に解釈すると、「その石は中風を患っていたお婆さんが生前体を撫でていたもので、死後お婆さんを記念して祠ったのだと後で聞いたという」が、柳田氏は、石の祠を開ける前にも何かの折に謂れを耳にしていたのではなかったか。
野暮な小生は、かく思う。
ただ、肝腎なのは、「その時、ピーッと鵯(ひよどり)が鳴いてやっと我に帰った」という点なのだろう。上空遥か、それとも遠くの森で鳴く鵯の鳴き声が、柳田氏の沈湎 (ちんめん)しつつあった意識を覚醒したのだろうと思われるのである。鳥の鳴き声は、それだけの力があるということだろう。
さて、また、転記を続けよう。あと一息だ。
鳥の声にいつ、どのように反応したか、ホムチワケから柳田までその形は様々だ。ただその声が人の魂の奥底と深くつながっていたという事実は疑いようがない。同時に、雲雀がつねに人の悲しみに誘うわけではない、ということも大切な事実だろう。古代人とて、鶏が鳴かなくても朝は来ることを知っていたはずだ。それでも鳴かせずにはいられなかったのは、闇の中で砥ぎ澄まされた心と、朝を待ち望む強い願いがあったからだろう。
二十数年前、祖母が危篤になり、医者は今夜が山だという。時折大きく息を吸い込むだけで祖母は動かない。はやく夜が明けてほしい、ただそう思っていた。しばらくして遠くから鶏の声が聞こえてきた。祖母は静かに寝息を立てている。ひと時の安らぎが病室に流れはじめる。彼女が息を引き取ったのは、それから二日後だった。
病床にあって、それでなくとも精神を打ちのめすほどの病の最中にあって、夜の長さ深さは計り知れない。闇の不気味さは恐怖の念をも圧倒するほどだ。
この夜を乗り切ることができるだろうか、闇の世界はいつまで続くのか。もう、いい加減にして欲しい! 反吐が出そうだ。
喚けるなら泣き叫んででも、夜の長いトンネルの先をこじ開けたい。
そうして、ほとんど諦めかけていた頃、スズメだろうかメジロだろうか、鳥たちの鳴き声が聞えてくる。普段は喧しいだけのニワトリの鳴き声さえ、朝を迎えてオメデトウと祝福してくれているように聞える。カラスだって生きものの仲間だとこの期に及んで思われてくる。
思わず、目を開けてみる。閉じ切ることのできなかった窓のカーテンの隅から覗ける空は、仄かに透明感を漂わせ始めているようではないか! ああ、とにかく、夜を乗り切った。今日のことも、まして明日のことなど、見当も付かない彼方のことに思える。
とにかく、朝を迎えた。人の生き暮らす世界の輪の中に、とりあえずは加われた。
今は、それだけを思う。それで十分すぎるほど至福の時を生きていると、しみじみ味わえているのだから。
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コメント
やいっちさん もう真っ暗です。
鳥のお話し、興味深く拝読いたしました。
鳥と言えば、山奥の実家では夕方になると裏山から低い声で「てぇひとぉつ、こぉひとぉつ」と山鳥の鳴声が聞こえました。
小さかった次男は、その声が怖くて慌てて家に入ったとこの前言っていました。
そうそう、嵐の晩に玄関を開けたら、山鳩が何を思ったか闖入しまして、大騒ぎになりました。鳩もパニックだけれど、こちらもパニックになりました(>_<)。
仁王の画像、ありがとうございます。
網を張っているのは、鳩よけかしらね。
投稿: 蓮華草 | 2005/10/31 19:05
蓮華草さん、こんにちは。
鳥の鳴き声って、周囲が静かだったりすると、その全身を振り絞って声を(悲鳴を?)発しているような、何処か不穏な気配が一層、濃厚になりますね。
鳥は、絶滅した恐竜の僅かな生き残りだとか。恐竜の鳴き声(というか吠え声)も、鳥から類推すれば面白いかもって思います。
山鳩が(田舎の)家に侵入した記憶は小生にはない…。田舎では珍しくないのでしょうけど、昔はよく玄関にツバメが巣を作っていたけどね。
高校時代、小生の受験生時代ということで田舎では屋根裏部屋に居住して(勉強して)いたのですが、ある夏の夜、明かりを点けようとしたら薄暗い部屋の中に何か生き物の気配が。そいつは部屋の中をバタバタ飛び回るのです。
小生はドキドキしつつも、その正体を見極めようとしました。すぐに奴の正体は分かりました。
コウモリです。
夏ということで、屋根裏部屋だし、窓は人が入れるほど(猫なら楽勝に)開けてあったのです。そこから侵入した…のはいいけれど、出られなくなったらしいのですね。
その、コウモリ、どうなったと思います?
鳩というと、十数年前、小生がダウンしていて、ベランダのドアもカーテンも開けずに数ヶ月以上、過ごしていた頃、ちょうど鳩の営巣の時期だったようで、ベランダのエアコンの室外機の止め具に鳩が巣を作っていた。
当然、小生は全く知らなくて、何ヶ月ぶりかで、ちょっとだけ元気が出てドアを開けベランダに出たら、鳩はいきなりのことに驚いたのか(鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして?)、卵を温めていた鳩は巣から飛び立ち、同時に、何か小さな影がベランダのコンクリート床に落ちて割れた。
そう、鳩の卵です。見事に殻が砕け、卵の黄身もグシャッと飛び散り、それは無残でした。
可哀想に。
小生も、驚いて、また、慌てて部屋の中に引っ込みました。それから、カーテンの隅っこをちょこっと開けて、巣の様子を伺っていたのですが、その年はとうとう鳩は戻ってきませんでした。
翌年も、同じ場所に鳩が来て、営巣しようとしている。実は、小生のベランダには入居当時、購入したけれど、枯れ果ててしまった観葉樹が鉢に植えられたまま放置してあったのです(今も、依然として)。その枯れ枝が鳩の営巣に都合がよかった(それと小生の部屋が猫の襲撃の恐れのない位置にあった)ようです。
でも、ビクビクしつつベランダを覗いていても、やはり鳩は気配を感じるのか、すぐに飛び立って行ってしまう。
とうとう、二度と巣は完成することはなく、当然ながら営巣もならず卵も孵らず、作りかけの半端な巣だけが室外機の止め金具に残るばかり。
東大寺の仁王様像の周りの金網は、想像の通り、鳩など鳥の糞害防止用です。実際、以前は糞攻撃に遭っていて、仁王様も憤慨しておられたとか。
理屈は分かるけど、金網は牢獄に閉じ込められているみたいで可哀想だし、見物に来る人も感受性の強い人には幻滅の種。
金網ではなく、透明なアクリル窓にするとか、仁王様の像に特殊な樹脂を塗っておいて、一年に一度は塗り替えるとか、知恵を絞ってほしい。お寺の関係者には拝観に来る人の気持ちを慮る感性が大切のように思えます。
とにかく、金網越しの仁王様という光景は寂しい。
まるで、そう、拘置所に拘留されている容疑者に接見しにいくみたいじゃないですか!
投稿: やいっち | 2005/11/01 11:44