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2005/10/18

団栗の背比べ

 今日の表題には、「団栗」を選んだ。これといって、団栗について思い出があるわけでも、語るべき薀蓄があるわけでもない。
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← 16日の夜、休憩の時に撮ったもの。銀河鉄道のような光の帯は、モノレール。東京はこのところずっと雨。束の間の晴れ間の光景だったのである。

 単に、「団栗 季語」でネット検索してみたら、その検索結果のトップに黛まどか氏の、「片手は君に団栗はポケットに」が現れたからに過ぎない…のかもしれない(「黛まどか「17文字の詩」2000年10月の句」より)。
「恋人と二人で歩いている途中、ふっと目をやった足元に団栗(どんぐり)を見つけました。いくつになっても女性は木の実や貝殻といったかわいいものが大好き。しかも、大好きな彼と一緒に見つけ、一緒に拾った団栗は、それだけでもう大切な宝物のように思えるのです」だって。カー!! 妬けるねーって、一体、誰に妬いているんだろう。
 その次には、同じく黛まどか氏の、「団栗の拾はれたくて転がれり」なる句が浮かび上がっている。
「今、ちょうど木から落ちてきたのか、気が付かず蹴ってしまったのか、目の前の足元をどんぐりがコロコロと転がってゆきました。殻斗(かくと)と呼ばれるおわん型の殻をかぶったその姿が、なんだか人の顔のようにも見えるかわいいどんぐり。そんなどんぐりが転がってゆく様はまるで、「自分のことを拾ってよ! 一緒に遊んでよ」と言っているかのようです」などと自分で鑑賞(分析)されている。
 常々語っているけれど、俳句をひねる人は、自身の句であろうと、人様の句であろうと、その鑑賞に優れている必要があると思う。
 当たり前? そうかもしれない。とにかく、短い且つ読みやすい親しみやすい説明文を読むことを通じて、句の世界や境に馴染んでいく、その世界への理解が深まっていく、親しみが増していく、という寸法である。
 無論、句自体が素晴らしい必要があるのだけれど、また、句自体を詠むだけで句境が目に浮かぶように広がるようであってほしいけれど、それはそれとして、俳句はその鑑賞文を読む楽しみも少なからずあると思うのである。

 ところで、記憶に優れている方は、この黛まどか氏の手になる「団栗の拾はれたくて転がれり」という句、小生の季語随筆の中で詠んだことがあるぞ、などと気付かれているかも。
 実は、「冬に入る」にて、「大切なもの皆抱へ冬に入る」を採り上げた際、同じ頁に載っていたので、この句もいいねと、載せておいたのだった。
 尤も、内緒だが、小生自身はすっかり忘れていた。ネット検索したら、当該の記事が見つかり、そんなこともあったっけと思い出した次第なのである。

 ネット検索結果の3番目には、「ポケットの団栗という忘れ方   星野早苗」という句が登場している(「ikkubak 2004年10月7日」より)。
「たとえば、道で拾ってポケットに入れた団栗は、いつのまにか忘れていることが多い。何かの拍子に、あっ、ここに団栗があった、と気付く。そのような忘れ方がいいな、というのが今日の早苗の句だ」と、坪内稔典氏により鑑賞されている。
 星野早苗氏のこの句、似ているというわけではないが、黛まどか氏の「団栗の拾はれたくて転がれり」という句と、何処かしら世界が通じているように感じる。
 きっと、団栗という実独特のキュートな魅力というか、人徳ならぬ実徳が詠み手に何か、小さな幸せを感じさせてしまうような仄かな温みがあるからに違いない。

 さらにネット検索結果を見ていくと、「団栗が渦の目となる洗濯機   兵藤文枝」なる句が見つかった。「ポケットに仕舞って取り出すのを忘れた団栗が洗濯機の渦の目となって廻っている。有名な鳴門の渦潮の目は径十メートル余深さが数メートルのものもある。洗濯機に廻る団栗を鳴門の渦の目になぞらえたところが手柄の一句だ」と解説にあるが、鳴門の渦潮と対比される洗濯機に廻る団栗…、これもまた、やはり団栗だからこその句なのだろう。
 栗の実だと、いくらなんでも、ポケットに入れたまま、うっかり洗濯機に投入するなんて、やや無理が感じられるわけだ。

 ところで、同じキーワードでの検索の結果として、「団栗の己が落葉に埋れけり   渡辺水巴」という句を「俳句(2005-09-20)-学習院大学田中靖政ゼミ0B・OG会」にて見つけた
「団栗は、樫やくぬぎや楢(なら)などの果実の俗称ですが、団栗の実が落葉の降り積もった中に、深く沈んでいるというだけのことなのですが、味わい深いものを感じました。この句では、「己が落葉」が効いています。秋天に、自分自身の落葉の中に眠っている団栗の平安、静けさを読み取ることができます。周囲の世界をすべて消し去って、落ち葉の中の団栗をとらえて、そこにライトが当てられました」と鑑賞されている。
 落ち葉の中に埋もれる団栗。本来なら寂しさや哀れさを感じる光景なのに、平安や静けさを感じさせる。この着眼点もいいのは勿論だが、団栗の温かで控えめな徳を改めて感じるのである。

 順序が狂っているが、「団栗」は秋10月の季語である。
 ありふれているし、「団栗の背比べ」などといった決り文句の中に使われたりする団栗だが、「どんぐりとはブナ科の果実の俗称で’どんぐり’という品種は存在し」ないという。
 小生の好きなサイトである「閑話抄」の中でも、「団栗」と題された一文が見出される。

 文中の【どんぐりころころ♪】で思い出したわけではないが、「どんぐりころころ」(青木存義作詞・梁田貞作曲)という曲は、ある年代以上の方には懐かしい童謡なのではなかろうか。
「閑話抄」の「団栗」なる小文の末尾で、「団栗というと、どんぐりころころの歌がお馴染みですね。実は私、長い こと『どんぐりころころ どんぐりこ』だと思っていたんです(笑)。 これって「どんぶりこ」なんですってね?ずうっと『どんぐり仔』だと ばっかり思ってたんですよ。こういう勘違いって他にもたくさんありそうで ちょっと怖いですね(笑)」とあるが、小生もその勘違いをしていた一人だった。
どんぐりころころ 3番目の歌詞」を覗くと、
童謡「どんぐりころころ」の作者・青木存義(あおき・ながよし)氏の3番目の歌詞に篭められたエピソードを知ることが出来る。

 さて、「閑話抄」の「団栗」なる小文では、「でも、拾ったその後はどうしたのかは憶えていないんですね。団栗を 使って何か作ったような気もしますが、拾った時のことほど鮮明では ないんです。園外に出て、競争のように拾ったという行為がよっぽど 楽しかったんでしょうね」とある。
 確かに、競争のようにして拾った、その行為は楽しかった…。とは言いつつ、保育所の頃のことか、小学校の頃のことなのか、また、せっせと拾いあった場所が郷里の林の何処かなのか、お袋の里でのことなのか、覚えていない。
 覚えているのは、拾った団栗を投げあい、ぶつけ合って楽しんだ幽かな記憶があるということだけ。栗も、ぶつけ合ったような記憶があるが(イガの付いた栗だったような…)、記憶が定かではない。

 それにしても「団栗の背比べ」というのは、なんとなくツボに嵌った表現である。言いえて妙とはこのことか。まるで自分のことを言い当てているようでもある。受験勉強にしても、それなりに頑張ってはみたものの、所詮は団栗の背比べで、順位が上位に食い込むわけでもなく、かといって、劣等性グループの仲間入りをする<勇気>もなく、頑張ってこれだけの結果であり今に至るに過ぎないのなら、何も目の色を変えてあれこれもがく必要などなかったな、悪足掻きに過ぎなかったなーと、つくづく思う。
 でも、やっぱり小心者で小市民たる小生、昔も今も、相も変わらず「団栗の背比べ」の中で、これからも、やっていくんだろうと予感してしまう。仕方ないね。


団栗の転がる先は池なのね
団栗や仲間が多くて埋もれちゃう
団栗や仲間に埋もれ安心す
団栗や棘ある仲間嫉妬する?
団栗を団塊と読む我悲し
団栗の弄ばれて喜んで
団栗や背比べするまた楽し

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コメント

♪どんぐりころころどんぐりこ、、、♪ではなくて、♪どんぐりころころどんぶりこ、、♪でしたよね。夢が膨らむ童謡でした。♪ドジョウが出てきてこんにちは、、♪なんて、実際池に団栗を投げたものでした。ドジョウが出てくるかな?ってね。私も可愛い時がありました。(^。^)

投稿: さくらえび | 2005/10/18 22:44

さくらえびさん、こんにちは。
さっすが、です。実験精神って奴でしょうか。小生は、そんな考え、夢にも思い浮かばなかった。

そうそう、本文の中では調べきれなかったのですが、「どんぶりこ」は擬音だそうです:

(副)
(1)大きくて重みのある物が水中に落ち込むときの音を表す語。どぶん。どぶり。
「池に―とはまる」
(2)大きくてやや重みのある物が水に浮き沈みしながら流れるさま。どんぶらこ。
「川上から―、―と大きな桃が流れてきました」
(三省堂提供「大辞林 第二版」より)
 http://blog.goo.ne.jp/sirnight0422/e/558563681a9fb39d015db10a44846bb1

…うーん、「どんぶらこ」なら、確かに聞いたこと(読んだこと)があるけど…。

投稿: やいっち | 2005/10/19 07:03

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