ホントに火のことだけ…
あの夏の日の暑さがウソのように、一気に秋が深まり、東京では今日など11月下旬の寒さとなると予想されている。地域によっては12月の陽気になるかも、と天気予報では言っていた。
だからといって、冬の話題を持ち出すのも気が早すぎるようだが、そこはそれせっかちな小生のこと、持ち出してしまうのである。
「読書拾遺…山田の中の…」(スクナビコナ)、「稲作…自然…櫛」(クシナダヒメ)、「葦と薄の恋」(スセリビメ)、「「鳥」の声と虫の息」(トコヨノナガナキドリ)と(それぞれの()内は、扱われた神の名)、坂本勝著『古事記の読み方』(岩波新書)の記述(特に第2部)に寄りかかる形で、季語随筆を綴ってきたが、今日は、「カグツチ」の項を覗かせてもらう。
「カグツチ」の項のテーマは「火」なのである。
冷え込んできたことでもあり、温まりたい思いもあるので、早速、転記作業に入ろう。
「カグツチ」
拍子木を打ちながら火の用心を触れまわる声は、かつては冬の風物詩だった。防災上の効果もあったと思う。ただ子供の私には、遠くから近づいてくる拍子木の音は、闇の彼方から何かが迫ってくるような感じで、気味の悪いものだった。姿の見えない声、どこへともなく遠ざかってゆく音が、火への恐さを掻き立てた。
火の起源を語る神話にも不安や恐怖が付き纏っている。そこには多くの場合何らかの喪失体験がこめられている。日本の神話でも、火の誕生は愛する人の死を代償とした。
小生にも、幼少の砌(みぎり)ではあるが、火の用心を触れまわる仲間の輪に入ったことがある。町の中で大人たちが子供らに順番を宛がっていたのだろう。小生のような引っ込み思案が自ら手を上げてそんな殊勝な真似をするはずもない。
小生からするとずっと大人に思えた兄ちゃんら(その実、今から思うと、せいぜい中学生だったのだろうけど)数人で、夜の町を回って歩いた。
もう、雪が降っていたろうか。かすかな記憶を辿ると、冬休みに順番が子供らに回されていたように思う。
夜の八時か九時頃に夜回りするなど、あるはずもなく、我が町だとはいえ何処か見知らぬ町の雰囲気を嗅ぎ取っていたりもした。仄かに冒険心も掻き立てられていた。
家の中にいて、拍子木を叩いて回る遠くの声や音を聞くと、何か夢のような感じがあった。闇の底から、それとも夜の彼方から不思議な異邦人が町を徘徊して、うっかり夜の町に顔を覗かせたガキを、おお、うっかり者がいるわいと、見つけてしまったのを幸い、何処かへと浚っていくように思えたりもした。
次に火之夜芸速男(ヒノヤギハヤヲ)神を生みき。亦(また)の名は火之炫毘古(カカビコ)神と謂ひ、亦の名は火之迦具土(かぐつち)神と謂ふ。この子を生みしによりて、みほと炙(や)かえて病み臥(こや)せり(古事記、但し一部訓を変改)
(小生注:火之夜藝速男(ヒノヤギハヤヲ)と表記する場合も)
イザナキ、イザナミの兄妹二神が国土や神々を生み終えて、最後に生んだのが火の神だった。「カガビコ」の「カカ」は「耀(かかや)く)」(清音)と同根で、燦然と光り輝く様をいう。「カグツチ」の「カグ」は「カゲ(光・影)」や「カギロヒ(陽炎)」と同系の語で、光がちらちらと明滅する意。「ツ」は連体格の助詞。「チ」は霊力、霊威を表す。前者は外に向かって燃え盛る炎、後者は埋み火のように内に向かって力を貯えている火。私達が普段目にする特徴的な火の二態が、そのまま神の名に刻まれている。「ヤギハヤヲ」は焼く威力の激しさから名づけられたもの。その火の威力がまず母神の「ほと(女陰)」を襲った。「ほと」の語源は不明だが、火を古く「ホ」(火群ほむら、炎ほのほ)とも言ったから、そこには「火処(ほと)」の意がこめられていると見てよいだろう。私達の身体感覚もそれを諾(うべな)う。
日本に限らず原初の火が人間の身体からもたらされたとする神話は多い(フレーザー『火の起原の神話』角川文庫)。体内の熱と火が感覚的に結びつきやすいためだが、その根底には、火の力と人の生命を支える力が同じ力なのだという感じ方があったと思う。火の神といっても、火そのものが神なのではない。火神の名が、焼く、輝く、明滅するというように、動きや働きとして据えられているのは、それら様々な現象を通して出現する力に神を観ていたからだろう。私達はその力の源を確かめることはできない。しかし、その力が立ち現れた瞬間を察知することはできる。火に触れて熱いと感じる。冷えきった体に温もりが戻ってくる。そういう現れを貫いて流れる不可視の力。古代語でそれを「チ」という。「ノヅチ」(野の霊威)「ミヅチ」(水の霊威)「イカヅチ」(厳めしい霊威)「イノチ」(息の霊威)の「チ」。その力が凝縮した液体が「乳(ち)」や「血」だ。「力」の「チ」も同じだろう。「カラ」は「体(からだ)」「家柄(いへがら)」の「カラ」と同じで、一つの系列を作っているまとまりを表す。体に流れる血が命の力の源なのである。その「チ」の威力が荒々しく出現してカグツチは母を焼いた。父イザナキは怒りと悲しみのあまりに、「愛(うつく)しき我(あ)が汝妹(なにも)の命(みこと)を、子の一つ木(け)に易(か)へつるかも」と泣き叫んでカグツチの頚を斬った。刀剣に着いた火神の血が飛び散って多くの雷神になったという。古代の神話の語り手は火と血のつながりにどこまでも固執する。
火災を古代語で「ヒノワザハヒ」という。「ワザ」は隠された神意。火事も不可視の霊威の現れだった。その災いを防ぐ祭儀が鎮火祭である。年に二回、宮城の四方で火神の霊威を鎮める祭である。罪や穢れを祓い清める大祓(おほはらへ)と同じく、火の霊威を人々の生活の場から外部に追いやるのである。火の恐怖はそのように外部、異境からもたらされると考えられた。殺されたカグツチの死体からたくさんの「ヤマツミ」(山の霊威)が化生したというのも、山が身近な異郷だったからだろう。奈良時代の正史『続日本史』にも都城周辺の山火事におびえる人々の姿が散見する。
異境からくる見えない霊威。火の用心の声に感じた不安もそこに通じていたと思う。それを癒してくれるのは、ただ家にいるという安心感だった。外部の火への恐れは、人々を優しく暖める家の内部の火によって鎮められていたことになる。これも火の力である。
転記した文中で、「火の神といっても、火そのものが神なのではない。火神の名が、焼く、輝く、明滅するというように、動きや働きとして据えられているのは、それら様々な現象を通して出現する力に神を観ていたからだろう」とあるが、微妙な理解である。
八百万の神々を信じるとか、森羅万象に神を観る、というとき、我々は森羅万象群を神々そのものと観たのか、それとも自然の万物への神の顕現する形を観ているのか、つまり、あくまで森羅万象を通じてその背後に神のワザを観ていたということなのか。
敢えて「火の神といっても、火そのものが神なのではない」と著者が断るのは、拝火教的理解とは一線を画したいということなのかもしれない。
どうも奥歯にモノの挟まった言い様だが、要するに拝火教(ゾロアスタ-教)に言及せざるを得なくなるので躊躇っているに過ぎない。『古事記』に限らないが、拝火教の色彩は古代史に濃厚に看取できるように思える。
もう、疲れたので、今日は、拝火教(ゾロアスタ-教)に限らず、火(燃焼)一般を要領よく纏めてくれているサイトに代弁してもらう。
「演示実験で燃焼について調べる」の中の、「演示実験と燃焼実験の意義」なる項をざっとでも眺めてみて欲しい。
そろそろストーブを出すべきか。
それとも、ウォームビズの顰にならって、というか、中途半端に故障している電気ストーブのせいで(十年程前、暖房の強弱の「強」が壊れてしまった)、寒くなると重ね着をするというのは、小生の越冬のここ数年の習いとなっていることもあり、箪笥の奥に突っ込まれている冬着を引っ張り出すほうが先決か、そろそろ決断の時季が迫っている。
ただ、今年も冬を通じての毛布一枚での就寝という状態に変わりはなさそうである。
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