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2005/10/27

懸巣…懸想…別れの一本杉

 今日の表題:季語は「季題【季語】紹介 【10月の季題(季語)一例】」から「懸巣」を選んだ。
 小生は、てっきり、「懸巣」は、読み方は「かけす」か「けそう」かどうかは分からないとして、意味としては、<鳥が巣を懸ける>なのだろうと思った。
 それでも、鳥って春に営巣するんじゃないかという疑問が、さしもの小生の脳裏に掠めないではなかったが、俳句の世界には何か小生の知らない伝統や経緯があって、ちょっとその言葉を目にしただけでは、なぜこの季節の季語となったのか理解の及ばないような季語が生まれてきている事例は数知れずあるのも事実であろう。
 今日は、その辺りのことも含め、また、自分の身近な営巣の経験とも絡めて書いてみようかなという思惑があった。
 が、最初にネット検索して浮かび上がってきたサイトの説明を読んで、あれ?! であった。
「懸巣(かけす)」は別名(類義語)が「樫鳥 橿鳥」であり、「体色は全体が葡萄色を主とした鳩くらいの大きさの留鳥」とあるではないか?!
 もしかして、「懸巣(かけす)」って、まさか、鳥の種類名なのか?!
 さらにネット検索で、「YS2001のホームページ」サイトの「季語(か) 懸巣」なる項を読んでみると、「鳥や人言をまねるカラス科の鳥」といった説明が施されている。
 ここまで来ると、「懸巣」は「かけす」であり、鳥の一種だと納得するしかない。
 まあ、「カケス」と読めた時点で察するべきだったのかもしれないが。

 実のところ、小生など、「懸巣」を「かけす」よりも、きっと「けそう」と読むのだと内心は思っていたので、「懸巣」と「懸想(けそう)」辺りを引っ掛けて、退屈になりがちな季語随筆の途中にちょっと余談めいた冗談の一つも挟んでおけば、気分転換にもなるかな、なんて魂胆もあったのだが、完全に当てが外れてしまった。

 さて、やはり野鳥の一種のようなので、まずはカケスの勇姿を見ておくに越したことはない。
 といって、今から山に分け入っていくわけにもいかず、「今日の野鳥」サイトでカケスの画像を見させていただく。
 ネット検索すると、「木を倒す音しずまれば懸巣啼く    五十嵐播」などといったが見つかった。
 他にも、「谷佳紀の金子兜太東国抄鑑賞」の中で、「少年老ゆ懸巣も百舌も鳴くわいな   (海程399号)」なる句も見つかる。
 この句の鑑賞の中にもあるように、「懸巣も百舌も鳴き真似の上手い鳥」ということで、「懸巣」と「百舌」とは一緒の形で言及(観察?)されることが多いようだ。
「色の名前と、由来。イメージについての サイト」だという「hope」の「意味や由来」によると、「ジェイ・ブルー」という色があって、「青い羽をもった瑠璃懸巣のことらしい」というが、カケスの画像と比べてみて、さて、どうだろうか。

 ネット検索していたら、耳に痛そうな意見を目にした。
京都野鳥の会-資料室9」の中に「鳥と俳句と    田中大典」という項目がある。「鳥が好きで俳句に興味があるとなると、いきほひ鳥の俳句にどんなのがあるか調べてみたくなる。そこで山谷春潮著「野鳥歳時記」、本年度発行の俳誌「馬酔木」「ホトトギス」各月号すべてに眼を通してみた」というのである。
 俳句を詠む人で鳥も句に詠み込まれる方は少なからずいるのだろう。野鳥観察とまではいかなくとも、それなりに自然風物を観察しての上での句作なのだと期待する。
 が、上掲の中の「三 「ホトトギス」(昭和36年3月号より10月号まで) 」には、鳥好きで且つ俳句好きな方による手厳しい批判が載っている。
 つまり、幾つかの地名を付した引用句を示した上で、「「ホトトギス」では「馬酔木」にくらべて鳥の句はまことに少い。花鳥諷詠・客観写生を標榜しているにも拘らず、鳥の名は季語を句に入れるために便利に利用されているにすぎない。今年の六月、「ホトトギス」の高野山大会に参加して驚いたのは、実際啼きもしていないホトトギスが句に登場して来たのである。吟行に随行したのでその嘘がわかったわけだが、また一方では間違った鳥の名を句に入れているのが選に入ったりして、子規・虚子・年尾三代に亘って提唱されて来た客観写生の根本精神の不確かさ、安易なマンネリズム、透徹した客観写生でなく対象の表面のみをたゞ眺める傍観主義等のせいか鳥に関しては本物の句でないと思った。「出し」に使はれたホトトギスその他の鳥たちこそ迷惑である」と言うのである。
 が、なぜか(八代の)鶴を描写した名句が幾つも見受けられて驚いたとして、「翔つ鶴の風に向ひて首のべし   (伊予)村上杏史」や「翔つ鶴の影移りゆく冬田かな  (波止浜)八木 春」などを褒めておられる。
 その当人(田中大典氏)の句の中に、カケスの詠み込まれた「緑蔭に懸巣の色の見えかくれ」という句があったので、この評論を紹介したのだった。

 こうなると、当然のことながら、懸巣も百舌も見たことがない(あるいは見たことがあるかないかさえ、定かではない)小生に、「懸巣」を織り込んだ句をひねり出すことは叶わない。
 ところで、カケスという鳥の種類を、鳥類についても暗い小生が名前だけでも知っていたのは、小生の好きな歌手・春日八郎の御蔭であることは明記しておいていいかもしれない。
 そうでないと、思い出の中の光景の中では必ずしも馴染みとはなっていないはずのカケスに親しみや郷愁の念を抱けていたかどうか。
 その曲とは、「別れの一本杉」(昭和30年/作詞:高野公男/作曲:船村徹)である。
 春日八郎も三橋美智也も村田英雄も美空ひばりも、現役でテレビに出演していたし、幾度となくテレビで歌う姿を視聴している。が、その素晴らしさに気付き、好きになったのは大概は亡くなられてからのこと。現役で活躍する姿を見ていられたというのは、実に贅沢なことだったのだと遅まきながらに気づいたわけだった。
 恋も同じように…という話はさておいて。
 この曲の歌詞の一番目は、以下の通り。「この時代、東北・北海道・九州・四国などの人びとにとって、東京は感覚的に今のアメリカよりもっと遠い存在でした」という、交通手段の利便性の高まった今とは雲泥の差の時代背景を念頭に置いて聞くと、一層、味わい深いのだが、若い人には無理なのだろう…ね。
 小生にしても、郷里の富山から陸奥(みちのく)杜の都・仙台までは、列車を乗り継いで12時間は要したはずである。当然ながら、上野経由だった:


  泣けた 泣けた
  堪(こら)えきれずに 泣けたっけ
  あの娘(こ)と別れた 哀しさに
  山のかけすも 啼いていた
  一本杉の 石の地蔵さんの

 それにしても、山のカケスはどんな声で啼いていたのだろうか(泣くは声をあげずにさめざめと、であり、啼くは、声を上げて号泣するに近い意味合いがあるというが)。
 ああ、でも、こうなると、やっぱり、「懸巣」は「懸想」とダブって読めてしまうのも、無理はないのかな、なんて。

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コメント

本日、別れの一本杉のあるお隣の町の美術館に行ってきました
父が好きだった歌なので
ついついリンク先で歌ってしまいました☆

投稿: オリオリ | 2005/10/28 15:09

ピアノの課題に合格されたそうですね。おめでとうございます。
さらに新たな課題に向かって、頑張って下さい。
小生、この歌など、春日八郎が好きです。
でも、今時の若い歌手(の一部)も好きだけど。

投稿: やいっち | 2005/10/28 22:12

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