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2005/10/03

「野路の秋」再び

 今日の季語随筆の表題を10月の季語例ということで、「秋の山」としようと思った。「秋山 秋の峰 秋嶺 山澄む 山の秋」といった魅力的な類義語・関連語もあるし。
s-sion-051003
 が、「木々の葉が極彩色に彩られ華やいだ姿を見せてくれる」といった意味合いとのことで、さすがに少々、扱うには早すぎるようである。

紫苑さんに戴いた紫苑の花の画像です!

 どうやら、今の時期だと、「秋の野原、花野というほどには花は咲いていない」といったことからして、「秋の野」という季語が相応しいようだ。類義語に、「秋郊 秋野 秋の原 野路の秋」といった使ってみたくなる、一体、今まで誰がどのような使い方をしてきたのかを探ってみたくなる語群もある。
 が、気付かれる人もいるだろうが、小生、既に、「花野にて…言葉という頚木」(September 12, 2005)において、「花野」のみならず、意味合い上の対比ということで、「秋の野」なる季語を扱っている!
 この記事の中で、「野路の秋」が「秋の野」の関連語であり、好きな言葉なので、改めて扱ってみたいと書いている。
 ところが、である。この「野路の秋」も、なんと昨年、扱ってしまっていたのだ。その題名も、「野路の秋」(October 15, 2004)である。
 この記事の中では、「野路の秋真っ赤な木の実寄り添って」なる拙句をひねり、仕事中に夜中の公園で撮ったわずかに枯れ始めた木の葉や生っている木の実の様子の画像など、掲げている。

 そこまではいいのだが、読み返してみると、昨年のこの「野路の秋」という記事では、この言葉については季語としての詮索はまるでやっていない。
 思えば、季語随筆と銘打っているこのブログサイトだが、看板に偽りのない内容に軌道修正を徐々に施してきたのだった。

 さて、小生の好きな「野路の秋」なのだが、調べてみても、言葉の意味の説明としては、「秋の野」に準じるというものばかりで、この「野路の秋」に即した説明は見出せない(あるのかもしれないが、見つからない)。
「広辞苑」だと、「野路」とは、「野中の道。のみち。『拾遺和歌集(雑春)』「東路の野路の雪間を分けてきて」」とあるだけ。
 調べてみると、「東路の野路の雪間を分けてきて哀れ都のはなをみるかな」であり、藤原長能の歌。「上總よりのぼりて侍りける頃源頼光が家にて人々さけたうべけるついでに」として歌われている。
 源頼光! 源頼光といえば、安倍清明と同時代、ほぼ同じ場所に居住していた人物。二人は対比されるべき人物たちだ。
 源頼光の手勢の一人に、渡辺綱がいる。小生の仕事は都内なのだが、営業の時は、車で日に少なくとも一度は、(渡辺の)綱坂を通る…。

 小生が、「季語でもあるようだけど、この言葉の連なり自体が、既にもう一個の詩を成している。茫漠たるような、懐旧の念に駆られてやまないような、切ない、懐かしい感覚が胸に湧き上がって来る」などと書いたのは、少々、この「野路の秋」という言葉への思い入れが過ぎるのだろうか。
 にも関わらず、野路の秋について思うようには探索できなかった。残念である。
 うーん、まさか、「私が生まれて育ったところ」という曲(聖川湧作詞・作曲)をヒットさせた野路由紀子さんの野路と曲のメロディや歌詞が重なって、野路の秋に郷愁の念のようなものを覚える…というわけじゃない…と思うのだが…。
 この曲、昭和46年に作られ、ヒットしたのはこの年だったろうか。
 小生が失恋して、思いっきり落ち込んでいた時期であり、好きだった人の里の村を脳裏に思い浮かべながら、この曲を聴いて黄昏ていたのだった。
 ああ、段々、野路というと、この曲、あの失恋の思い出がダブっているから、一方ならぬ思い入れをしてしまうのだ(!)と思われてきた。本当なのだろうか?!

 どうも純粋に季語的意味合いや背景を探っているようではないような。
 気分転換に、ネットで見つかった「野路の秋」の織り込まれた句を列挙しておく:

彩色の道祖神かな野路の秋

来る後に暮るる霧あり野路の秋
見えがてに遅るる人や野路の秋

七草の一草にあひ野路の秋    (矢田幾久

水色の花の名知らず野路の秋

はからずも一列となり野路の秋

青信号渡るもひとり野路の秋   三浦 政子

斜に見ゆる黄昏色の野路の秋   中井 かず子

野路の秋我後ろより人や来る   蕪村

巡礼の杖音過る野路の秋    一色


 さて、小生も雅句を、とはいかないので、駄句を捻るとしよう!


 野路の秋歩き続けた日は何処(いずこ)
 人が皆我が道をゆく野路の秋
 分かれ道生る実の赤く野路の秋
 アスファルト舗装に消えし野路の秋
 軒先の柿の木も枯れ野路の秋

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コメント

やいっちさん
野路由紀子さんの「私が生まれて育ったところ」を聞かせてもらいました。あ~そういえばこんな曲聞いた事があるわ、、、若かりし頃、、、。懐かしさが込み上げてきました。

野路の秋 団栗ころころ手をつなぎ
野路の秋 ドングリころころ孫走る

失礼しました!

投稿: さくらえび | 2005/10/03 21:38

野路菊と聞くとそれは

野路菊が県花。我が県です。
来年の国体は野路菊(のじぎく)国体。
話題に便乗して郷土 兵庫県も宜しく。

投稿: 健ちゃん | 2005/10/03 22:06

さくらえびさん、野路由紀子さんの「私が生まれて育ったところ」を聴いていただけたのですね。小生にとっても若かりし頃、眩しかりし頃のことを思い出させる曲の一つです。
胸キュンです。

> 野路の秋 団栗ころころ手をつなぎ  (さ)
> 野路の秋 ドングリころころ孫走る  (さ)

 隔世の感がある…。あまりに遠いような、でも、ほんの昨日の風景だったような。
 それでも時間は厳然として過ぎ去っている。
 長い田圃道。鎮守の森。お地蔵様。野路の道は幼い子供には先の見えない魔物の犇く道。その野路の道にも秋が来て、人影も疎らとなり、野中の道は野性の薔薇やドングリや生い茂った深い森となる。
 ガキの頃、季節が変わるってこと自体が摩訶不思議に感じていたような気がする。

 野路の道角々に見る秋の香か

投稿: やいっち | 2005/10/04 12:29

健ちゃんさん、コメント、ありがとう。
野路菊のことは調べていませんでした。野路の秋とはちょっと意味合いが違うし。
念のため、ちょっとだけ野路菊を調べてみました。
秋9月の季語。野菊の傍題である:
http://www.mysai.net/kigoikku.html

岡山県には「野路菊」という銘菓がある:
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/nojigiku.html

野路菊は兵庫県の県花である:
http://www.yamatabi.net/main/news/news2/20041125.html

来年は野路菊国体が兵庫で催される:
http://www.nishi.or.jp/homepage/kokutai/symbol.html

投稿: やいっち | 2005/10/04 12:43

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