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2005/10/14

渡り鳥…遥か彼方へ

季題【季語】紹介 【10月の季題(季語)一例】」表を眺めていて、今日も迷う。水曜日は東京(関東)では久しぶりに晴れ渡った。快晴。秋晴れと呼びたくなる空。その夜には、これまた久々の月影を拝むことも出来た。
 夕方の6時半近くだったろうか、都内某所を走っていて、どうした拍子か、いきなり夜空に半月が。
 その時はお客さんを乗せていたので、じっくり眺めるわけにもいかず、月影を追うわけにはいかなかった。
 しばらくして目的地に着き、下りていかれたので、急いで近くの観月ポイントへ急ぐ。運河脇で、小さな公園が傍にある静かな場所。並木道があり、運河を眺めつつ語り合えるようにと、長椅子や小さなテーブルなどが設置してある。昼間ならサラリーマンや近所の方がのんびりされる姿も多い。
 夜は夜で、運河に月の光が映ってたり、対岸のビル群の明かりが水面に揺らいでいたりする。
s-DSCF0334
 小生、人影の少ないことをいいことに、小生の腕前では撮れもしないと分かっているのに、お月さん、久しぶりだね、とばかりに敢えて撮影。

← ぼやけていて半月か満月か分からない画像。ま、お月さんが写っていただけでも小生は満足だ。 月よ月幻なれど影嬉し
 
 ということで、「石榴と鬼子母神」の冒頭で嘆いていた空ではなくなり、「秋の日、秋晴、秋高し、馬肥ゆる、秋の空、秋の雲」などのどの季語も採り上げて構わないような秋の日になってくれたのだった。
 が、今日は、表題にある如く、季語例の中の「渡り鳥」に目が止まった。
 小生自身は、渡り鳥の群生地、居留地での渡り鳥の群れを眺めたことはない。多分、否、間違いなく自分には語るべき材料は何もないはずである。
 なのに、何故、敢えて「渡り鳥」か。
 実は、たまたまだが、樋口広芳著の『鳥たちの旅―渡り鳥の衛星追跡』(NHKブックス)を読み始めている。本の題名が「鳥たちの旅―渡り鳥の衛星追跡」となっているように、正に絶好の本なのである。
「内容説明」によると、「コハクチョウ、マナヅル、サシバ、ハチクマ…。何千キロ、何万キロという旅を毎年決まって行う渡り鳥たち。渡り鳥の衛星追跡を長年行ってきた著者が、渡り鳥にまつわる興味深いエピソードの数々を語る、珠玉の科学エッセイ」となっている。
 この本に書いてあることを手がかりに何か書けるかもしれない…。
 そんな思惑はあったものの、なにせ、読み始めたばかり。
 だったら、本書を読むためにネット上で知りえることを幾分か集めてみることにしたら、ということで、「渡り鳥」を糸口に、本日の季語随筆を綴ることにする。

 いつものように、「渡り鳥 季語」をキーワードにネット検索してみる。大抵は数百の検索結果しか出てこないのに、この場合は約 9,240件もが検索の網に懸かった。人気のある季語(言葉、光景)なのだろう。
 上位には、太田かほり氏による鷹羽狩行の句である「渡り鳥それもはるかな鍬の上」の鑑賞文が現れている(ホームページへのリンクボタンがないが、どうやら、以前にも参照させてもらったことのある、「俳句回廊」の中の一頁のようだ)。
 正直なところ、この鑑賞文を読めば、もう、「渡り鳥」についても、言い尽くされている、知りたいことは尽きていると感じたのだった(ネット検索で最適の情報源をゲットできるのは嬉しいが、かといって絶好すぎるサイトをヒットするのもつらい。それでは自分の出る幕がまるで無くなってしまうのだ…。痛し痒しという奴である)。

 さて、気を取り直して…。
「渡り鳥といえば雁、その雁が棹になり鉤になりして飛んでいく光景がかつてはよく見られたものだが、かりがねという美しい言葉とともに既にまぼろしとなった」と冒頭付近に書いてある。
 小生、かねてより疑問に思っていたことがある。
「渡り鳥」という言葉、光景は昔からあったのだろうけれど、今は衛星に限らず、渡り鳥の渡りの様子を追跡する手段はある。渡り鳥が、日本各地に飛来している、それどころか朝鮮半島、中国、ロシア、あるいは東南アジア各国の情報も共有する手段は少なからずある。
 が、昔は(この昔というのが何時頃なのかが曖昧だが)鳥が飛来し、あるいは去っていくのは分かるし、毎年何処からかやってきて何処かへと去っていく情景も季節に連れ目にしてきたことなのだろう。が、今の我々が思うようには、渡り鳥が日本国内であっても、ずっと離れた地域、実際には国内どころか海を越えて数千キロの旅をするというイメージを昔の方たちは抱いていたのだろうか。
 抱いていたとして、どうやって海外と自分たちの住み目にする地域とを渡っていると知ったのだろうか。
 それとも、漠然と鳥たちが、はるか遠くの空に去り、あるいは彼方の空からやってくるというイメージに尽きていたのだろうか。

 上に引いた文章に引き続き、「だが、まぼろしは消えることはない。消えゆく自然は文化として継承する手段が残されているからである。もしも、雁が存在しなかったならば、日本の文化はかなり貧弱になっていたと思われる。季節の旅人として天地万象の移ろいを感じさせるばかりか、日本人の情感を育んできた」とある。
 そう、まさにここに関わる疑問なのだ。古来より雁などに抱いたイメージは、今の我々と同じなのだろうか。渡り鳥という印象というより、高空に飛び去り、あるいは飛び来る雁の群れという光景に、とにもかくにも胸を掻き毟られる郷愁の念のような無常の念のような、人生の移ろいを象徴しているような何かとして眺めてきたということなのか。
 上掲の頁には、「渡り鳥は「はるかな」存在である。身近に見られた昔も季語としての渡り鳥の本意は、彼方から来たりて彼方へと飛びゆく遥かさにあった。はるばると飛来して我々の生活圏内に加わっても、なおも遥かなものに感じられてきた。遥かさは、渡り鳥そのもののイメージであるとともに、我々の心理的遥かさも重ねられてきた」と書いてある。
 さらに、「実際には海の彼方からやってくるのだが、心理的には時間の彼方からやってくるように錯覚する」とも続いている。この「実際には海の彼方からやってくる」がミソなのである。昔の人にとっては、「身近に見られた昔も季語としての渡り鳥の本意は、彼方から来たりて彼方へと飛びゆく遥かさにあった」という点に尽きるのだろう。
 以下、「季語としての雁の第一義的本意は空間移動の遥かさにある。習性を表す渡り鳥という名やその姿が人間を遥かな思いに誘う。生存をかけて果てしない距離を大移動する姿に、自然の摂理や生き物の宿命を感じ、命の哀しさや愛しさを感じる。折しも秋のこと、大空へと飛びゆく遥かなものへの憧れは、同時に、心の奥深くへとしみ込んでいく」などといった太田かほり氏の文章を玩味しておきたい。
「彼方から来たりて彼方へと飛びゆく遥かさにあった」までは納得できるとして、「生存をかけて果てしない距離を大移動する姿」となると若干の疑問が胸に去来するのだとしても。

「渡り鳥」という言葉、光景への思い入れは、多くの日本人には少なからざるものがあるようだ。芭蕉には、「目にかかる雲やしばしの渡り鳥」といった句がある。「渡り鳥の大群が、しばらくの間、雲かと見えるばかりに太陽を暗く遮り、やがてはるかな空の彼方に消えて去ってゆく」という句意だとか。

 さて、「渡り鳥」というと、その全般を知るには、「日本国語大辞典第二版オフィシャルサイト:日国.NET 渡り鳥」なるサイトがいい。太田かほり氏による鷹羽狩行の句である「渡り鳥それもはるかな鍬の上」の鑑賞文との二つのサイトを紹介するだけで、小生の役割は果たしたといっていいだろう(!)。
「渡り鳥」とは、「基本的には繁殖する地域とそれ以外の時期を過ごす地域が離れていて、毎年、定期的にその間を往復する鳥をいうが」とある(正に、この点の確認を昔の人はできたのかどうかが疑問なのだが)。
 さらに、「ある特定の地域に毎年、決まった季節だけに現れる鳥は候鳥といい、また短距離たとえば日本内地を季節移動しているのは漂鳥といって渡り鳥と区別している。いずれにしても一定の地域にとどまって生活する留鳥に対する語である」と続いている。
 候鳥、漂鳥、留鳥。なるほど。
「春の渡りもあるのだが、渡り鳥といえば秋ということになっている。それは春の渡りがあまり目だたないのにくらべ、秋の渡りは集団を組むことが多いので、たいへん目につくことが大きな理由だ」という。さらに、「秋の寂寥感との結びつきもあ」って、渡り鳥というと秋(の季語)となってきたのだとか。
「此の秋は何で年寄る雲に鳥」という芭蕉の有名な句も掲げられている。

 上掲のサイトには、渡り鳥の習性についての科学的解明は進んでいないと書いてある。読み始めた樋口広芳著の『鳥たちの旅―渡り鳥の衛星追跡』(NHKブックス)は、何事かを教えてくれるだろうか。後日、本書についての感想文を書くかもしれない。期待しないで待っていて欲しい。

「渡り鳥」という季語の説明や季語の織り込まれ句などは、「三省堂 「新歳時記」 虚子編から季語の資料として引用しています」というを参照して欲しい。
「鳥渡る」という類語もあるようだ。
 一方、「日本に秋渡って来て越冬した渡り鳥が、北の繁殖地に帰」るということで、「鳥帰る」という表現だと春の季語になる。難しい!
「渡り鳥」という季語、あるいは情景については、語るべきこと、触れて見たいことがまだまだありそう。
 でも、本日はこれでお終い。
 それにしても、「渡り鳥」というと、俳句的興趣よりも演歌の世界の誘惑のほうが大きいのは、小生だけだろうか。

渡り鳥かくのごとくに過ぎる時
来年も来るか来ないか渡り鳥
来たとても同じ鳥とは誰が知る
高空を渡り消え行く鳥の群れ
高空の遥かなごとく渡り鳥

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コメント

良いお題ですね。先日も少し触れましたが、渡り鳥はインフルエンザでホットな話題です。鳥の動きはウラルを境にして東側となっていたのが、トルコで発見されて、ルーマニアも駄目で、欧州の防御線は無くなったかもしれません。渡り鳥が運んでくると考えられています。

人間への感染は殆んど発生していませんが、将来的に分からないと言います。そちらではもう話題になる事は無いのでしょうか?

投稿: pfaelzerwein | 2005/10/14 22:47

pfaelzerwein さん、コメント、ありがとう。

表題、「渡り鳥…彼方から彼方へ」とすべきか迷いました。何処かから飛来し、何処へか去っていく。哀切な念を掻き立てる形象ですね。

インフルエンザの件、偶然ですが、昨日の営業中、ラジオ(NHK)にて関連のニュースを聞きました。
聞きかじりですが、今は人間に感染する恐れはないようだが、いつ突然変異して危険な存在になるかもしれない。各国の事情は研究者には厳しいが、鳥インフルエンザのウイルスのサンプルを是非、確保し提供して欲しいと重ねて日本(の政府? 研究機関?)が要請してるという話でした。
この、「重ねて」という言葉に危機感が感じられたものでした。

ただ、テレビではあまりこの話題は聞かない。村上ファンドや楽天によるTBSなどの大株主化と郵政民営化法が成立したといった話題で一杯。もっと採り上げるべき話題がありそうなものですが、残念です。

これまた偶然でしょうが、やはり昨日の営業中、ラジオ(NHK)にて、樋口広芳著『鳥たちの旅』が出版されたこと(9月!)、渡り鳥の季節だから旬の話題ということでしょうか、樋口広芳さんがインタビューを受けられていました。話は夕方の忙しい時間帯で殆ど聞けなかったのですが、渡り鳥の衛星追跡という研究成果が専門家からいよいよ一般へも広まる段階に至ったのでしょう。

樋口広芳著『鳥たちの旅』は就寝前に読み齧っているので、ほとんど読んでいないのですが、後日、感想文を書けたらと思います。その際にはインフルエンザの話題にも言及できたらと思っています。

投稿: やいっち | 2005/10/15 12:28

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