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2005/10/25

砧…聞夜砧

季題【季語】紹介 【10月の季題(季語)一例」に載る季語・季題の数々を見ていると、今は失われてしまった風習・風俗と深く結びついていると思われる言葉にしばしば出会う。
 今日、採り上げる「砧」も、その一つなのだろう。
「砧(きぬた)」は、「ごわごわした麻や楮などの布地を木槌で打った槌が砧」の意で、「砧打つ 藁砧 遠砧 紙砧」などの類語・関連語があるようだ。
[ 花鳥風月 ]では、「植物繊維で織った布をやわらかくする為に木槌で打つ作業のこと。またはその木を打つ台」とあり、「槌」か「作業」または「台」というふうに、微妙に意味合いが違う。
「今頃の季節には、あちこちでこの砧を打つ音が聞こえていたのでしょう」ともあるが、今頃の季節…秋…には何故、「あちこちでこの砧を打つ音が聞こえていたの」だろうか。

 やはり、考えられるように、農閑期の仕事(の一つ)だからなのだろうか。春前後から晩秋までは農作業に関連する仕事に追われていて、とてもじゃないが、「植物繊維で織った布(ごわごわした麻や楮などの布地)をやわらかくする為に木槌で打つ作業」などに興じているわけにはいかなかった…、そんな風に考えていいものか。
 それにしても、やはり疑問なのは、何故、「砧」が秋の季語なのか、ということ。

「東京の世田谷には砧緑地という場所もあります」というが、東京在住の小生、サラリーマン時代などには、休日にしばしば砧に限らず、多摩川の周辺までバイクで向かい、土手のどこかに腰を下ろすにいいような場所を探し、日が暮れるまで、ぼんやり時を過ごしていたものだ。 
 ぼんやり…。そう、何をするでもない。必ず本は携えていたし、ちょっと日陰になるような静かな場所で読書するという目的もあったのだけれど(天気がいいのに、部屋で燻っているのもつらかったし)、パラパラ本を捲るだけで何となく安心し、まあ、ほとんどは多摩川の土手で遊びに興じる家族連れのようすを眺めたり、多摩川の対岸の見慣れてしまった風景を飽きることなく見呆けていたものだ。
 砧公園には世田谷美術館があって、そこがまた小生のお気に入りのスポットだったりする。美術館の中を気に入った作品を求め歩いて廻ると同時に、砧周辺の公園をブラブラ、ただ漫然と歩いていた。
 そうした頃というのは、小生が自分の目的というか大袈裟に言うと志を見失っていた頃でもあった。休日となっても、何をすればいいか分からなかったのだ。本を読む…でも、外が気になる、で、外へ出るけれど、何処と言って当てがあるはずもない。自然、都会の喧騒から逃げるように、それとも、多摩川などの自然風物に接することで気分転換を図り、そのうちに何かインスピレーションでも湧いてくるのを待つ、それでなかったら、失われたエネルギーが体の内側から湧いてくるのを漠然と期待する…。
 仙台から東京へ出たはいいけれど、最初の3年で呆気なく自分を完全に見失い、自信を喪失し、都会の雑踏と無数の人々の沸騰するようなパワーやエネルギーに圧倒され、哲学や文学といった肝心の関心事さえ、絵空事に思われだし、けれど、サラリーマンに徹することも出来ず、しかも、ちょうど自分が漫然と抱いていた文筆で身を立てるという志が頓挫し、宙ぶらりんとなっていたそのときに、友人たちと出会い、しかも、友人の一人が人も羨むポストを投げ打って出版界に打って出て、自分もそのエネルギーの渦に巻き込まれ(この辺り、主体性がまるでなかった)、ズルズルと手伝うような、ただ引き摺られているだけだったような中途半端なままに十年余りのサラリーマン生活を送った…、というより遣り過した。
 その間、友人は小生などには想像も付かないような努力を積み重ね着々と出版界に足場を固め、実績を積み重ね、遂には全国紙の読書欄でベストセラーの中に顔を覗かせる本を自ら書き、あるいは企画したりするほどになった。

 が、当の小生はというと、自分で何をする意欲がどうしても湧かないままだった。
 その小生が、やっと思い腰を上げ、書くことに一生を捧げる、そのためにほかの全てを犠牲にするという覚悟を決めるに至ったのは、サラリーマンとして窓際族に(ほとんど、自滅のようにして)追いやられ、所詮、何処にも自分の居場所などない、居場所がありえるとしたら文章表現の文字の余白か、文字と文字との緊密で濃密な時空の、その透き間でしかないのだと思い定めてからのことだった。
 そこまで追いやられないと、自分を追い詰めないと書くことに己の全てを捧げるという覚悟など、自分にはもてなかったのである。
 そうしてサラリーマンとして残業の日々が続く中、遅い時間に帰宅し、仮眠を取ったあと、夜毎、創作に励んだ。創作する時空だけが生きている時間のように感じていた。そこにしか居場所がなかった。そして明け方になって一時間ほど仮眠して会社へ向かう、そんな日々が続いたのだった。睡眠時間が二時間もあったかどうかという日々が数年続き、会社で眩暈することもあった…。
 休日は、起き上がる気力も萎えていて、多摩川どころか近所を歩く気にもなれず、部屋の中で泥のように眠るばかりだった。友人がベストセラーを出す頃には、小生は会社を首になり、本当に宙に浮いてしまっていた。友人の想像を絶する努力の一方で、小生はどん底を這い回っていた。陰と陽のように。

 友人が自分のテーマに徹するようになり、小生などの相手などしていられなくなったそんな頃になって、小生はようやくエンジンがかかって来た。あまりに遅い点火だった。擦れ違いだった。あるいはそうでないと、友人にさえ呆気に取られるほど人から見放され、切羽詰らないと自分は動き出さない人間なのかもしれない。
 そう、砧や多摩川緑地へツーリングへ行って、緑や河や空やに接することでは創作意欲など湧くはずもなく、ましてインスピレーションも不意を打つようにして雷の落ちるように自分を襲ってくるはずもなかったのだ。
 書くとはインスピレーションが自分を見舞うという幻想を捨て去って初めてできる営為だと気付くのに、あまりに長い回り道をしてしまった。

 と、ここでも余談に興じてしまった。
 季語の「砧」に話を戻そう。
「大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書 「砧」」によると、「(1)〔「きぬいた(衣板)」の転〕麻・楮(こうぞ)・葛(くず)などで織った布や絹を槌(つち)で打って柔らかくし、つやを出すのに用いる木または石の台。また、それを打つことや打つ音。[季]秋。《声澄みて北斗に響く―かな/芭蕉》 (2)「砧拍子」の略」と説明されている。
 とにかく、何ゆえ、「砧」が秋の季語なのか、その理由を知りたい。芭蕉の句「声澄みて北斗に響く砧かな」で示されているように、秋になり湿度が低くなり、空気が透明感を増す、そんな中、砧を打つ木槌の音が乾いていて遠くまで響き、その農作業も一段落して農村も農家も静まり返っている中だけに、一層、暮れていく秋、暮れていっていよいよ冬が迫っているという哀感が募る、ということなのだろうか。

 ネット検索を繰り返していたら、ある漢詩に出会った。
唐詩 白居易 聞夜砧 詩詞世界 碇豊長の詩詞」なるサイトを覗く。

「聞夜砧」
                唐 白居易 

誰が家の 思婦ぞ  秋 帛(きぬ)を擣(う)つ,
月 苦(さ)え 風 凄(すさま)じく  砧杵(ちんしょ) 悲し。
八月 九月  正に 長夜,
千聲 萬聲  了(や)む時 無し。
應(まさ)に 天明に到りて  頭 盡く白かるべし,
一聲 添へ得たり  一莖の絲。

という漢詩が載っている。
「聞夜砧:夫を思う妻が夜なべの砧(きぬた)を打つ仕事をしていること」であり、「夜砧:砧(きぬた)を打って、夜なべ仕事をしていること。また、その音」であり、「どこの(不在の)夫を思う妻なのだろうか、秋(の夜なべ)に(遠征している)夫の冬服を作るために布を砧で打ち柔らかくしている」情景が歌われているのであり、「きぬをうすでつく。布を砧で打ち柔らかくすること。その作り上げた冬の衣服は、遠征している夫の冬服として届けられる」というのである。
 しかも、「月が寒々と冴え渡って、風がすさまじく吹き、(それにもめげないで、夫のために)布を砧(きぬた)で打っている」のであり、「砧杵悲:きぬたを打つ音が悲しげに響いてくる」のだし、「おそらく、夜明けになったら、髪の毛はすっかり白くなってしまっていることだろう」とは、つまり「砧(きぬた)の一つの音で、(白髪を)一本増やしていることだろう。(一夜では、白髪をどれだけ増やしていることだろうか)」というのである。
 詳しくは是非、リンク先を覗いて欲しい。

 この漢詩やその解説を読めば、砧が秋の季語であるその理由がこの上なく明瞭となるのではないか。

 尤も、素人の推測なので、他にも「砧」を織り込んだ漢詩はあるのかもしれない可能性を忖度はできないが、「砧 月 秋 音 妻 夫」という鍵となる言葉・風物・人物像・戦に夫を取られていくという時代背景などは理解してもいいのではないか。
 夫の帰りを待って来る年も来る年も砧を打つうちに、気が付けば白髪の自分を見出す。夫は戻ったのか、などと問うのは野暮の極みなのだろう。

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