新米の新米
今日の表題は「新米」。季題【季語】紹介 【10月の季題(季語)一例】を眺めていて、いつものことだが、どれにしようかと迷った。あるサイトの掲示板で栗御飯が話題になっていたので、「栗、栗飯」がいいかとか、いやいや「団栗」が話題になっていたサイトもあったぞとか、木犀(金木犀)の話題も発展性があっていいかもとか、「柿」の絵が微笑ましいサイトも今日、目にしたばかりじゃないか、「柿」で決まりだ、とか、いや、今日は雨がそぼ降っているのだから、「秋の雨」が格好のテーマじゃないかとか、とにかく目移りして困る。
迷った時は、頭を空白にするがいい…白…ということで(?)、「新米」を選んでしまった。
ほとんど自棄である。
新米、そろそろ一般家庭にも出回ってくる頃か。
小生自身は、先月中旬、帰郷した際に、誰かが気を利かせてくれたものか、そろそろ帰京の日が迫っている頃合いに、親戚の者がわざわざ新米を我が家に運んできてくれた。新米を精米したばかりの米。それを焚いて食べろとか、明日は帰京するのだから少しでもいいから持っていけとか。
ありがたいことである。
つい、先日は、田舎から梨と一緒に、やはり少々の新米を送ってきてくれた。
新米が何日を経過すると古米になるのか分からないが(風味が薄れたら?)、とにかくオカズがなくとも、せっせと御飯を炊いて食べている。
オカズがなくとも、などと早まって書いたが、実際はお新香の類いはあれこれと冷蔵庫に貯蔵されている。メンマだったり、紫蘇ニンニクだったり、メカブだったり、梅干しは常備だし、フリカケも欠かしたことがない。
オカズがなくとも…とはいいつつも、散歩を兼ねて近所のスーパーへの買い物は日々、怠らない。ほとんど唯一の運動なので、買い物は欠かすわけにはいかないのである。
買い物は大概、夕方なので(安売りの時間帯に合わせている)、天気さえ恵まれれば、秋の月を愛でることもできる。というか、10月ともなると六時を回るとすっかり暮れているので、外に出た瞬間、まず我が邸宅(?)の前から視線を遠めにし、月影を追い求めるのである。新月だったりしたら、見つかるはずもないのに、月齢など頓着せず、月影を秋の夜の空の雲を、星を探し求める。
帰り道も同様である。空を見上げつつ帰る姿を人が見たら、変人と思われること必定だろう。
ちなみに、今夜は雨が降っているので月を拝むことはできない…と思っていたら、月齢はほぼ新月に近いのだった。どっちにしても、月は姿を見せてくれない日だったのである。
東京だと、月はともかく、星の数は、快晴であっても、それほどを期待することはできない。
ただ、何年か前からの都内や関東でのディーゼル規制(排ガス規制)が効いているのか、空が以前よりは遠望できるような気がする。
気のせいに過ぎないのかもしれない。空気が澄んでいてほしいという願いが星の数の多さとなって勝手に思い込みたがっているに過ぎないのかもしれない。
実際、一昨日の夜、仕事の手を休め、都内某所の公園脇に車を止めたが、ふと見上げた夜空の星の数の多さに驚いたものだった。ここって、東京、都心だよなと、なのに、こんなに星の数が多いなんて…。
驚くほうが、ピントがずれているのかもしれないが。
また、話がずれてしまった。夕方の買い物は雨でも出かけ、必ずオカズだって揃えておくようにしていると書きたかっただけなのだ。
「新米」には、「今年米 古米」などの傍題・関連語があり、「今年収穫した米、炊くと光沢があり美味」という。
炊くと光沢があり美味というが、要は炊き方が肝心なのであり、古米というと大袈裟だが、やや古くなった米であっても、炊き方にちょっとした工夫を加えたら、「新米にも劣らぬ炊き上がりになり、まさに銀シャリ」の味なのだとか。
小生にはそんな芸当も工夫をするコマメさもない。とにかく、ああ、新米だとありがたく戴くだけ。
上に「銀シャリ」なんて、今時は使われないような言葉が出てきた。米が、白米が新米であろうとなかろうと、とにかく米が食べられたなら、それは銀シャリなのだ。銀色に輝く宝石なのだ。富山では(富山だけかどうか知らない)米を「パールライス」などと呼んだりしている。水晶米だ!
[ 「パールライス」って、水晶米のはずがない! パールは真珠だってば。昨日5日、仕事中、クリスタル何とかという建物へ行く途上、車中でふと気が付いた。クリスタル→水晶! じゃ、パールは何? 真珠だ! ああ、恥ずかしい!! 我輩の英語力は、こんなものか!不明を晒す意味でも、間違いをこのまま残しておく。
ついでながら、「水晶米」という名称は実際に使われている。「水晶米」とは、「「全糧連」というところに加盟する販社が発売するお米の統一ブランドのようである。
一方、「パールライス」というのは、JAグループが提供するお米の愛称だとか。(05/10/06 注記)]
米が拝めないような時代、時代に関係なく、個々の人には米など買えないような時期があったりする。
一茶には「新米(今年米)」という季語の織り込まれた句が幾つも見つかる。生活ぶりが偲ばれようというもの:
新米の相伴したり無縁塚
むだな身も今年の米をへらしけり
かくれ家や貰ひ集のことし米
「三省堂 「新歳時記」 虚子編から季語の資料として引用しています」というサイトの「新米(しんまい)」の項を覗いてみる。以下、いろいろな句が掲げられている:
「新米にまだ草の実の匂ひかな」 蕪村
「馬渡す舟にこぼるゝや今年米」 (高井)几菫
「新米やお寺へ下々の一俵」 大我(詳細不明)
「新米を搗き白げたるあるじかな」 (原田)濱人
「新米のくびれも深き俵かな」 (浅井)啼魚
「淋しきに飯を焚かうよ新米を」 (炭)太祗
ネット検索していたら、期せずしてというべきか、折々覗かせてもらっている、 [優嵐歳時記]の今日(4日)の季語は【今年米】だった。
「古米と違い、水分が多いですから、水をやや少なめにして炊くのがコツです」とか、「秋祭りのルーツは新米収穫の祝いにあり、田の神に収穫を感謝して新米を供え、喜びをわかちあうのです」などと、小生のサイトとはまるで違って、いつもながら、簡潔に要点を纏めてある。
このようにありたいと思いつつ、ついつい長くなる小生、忸怩たる思いで [優嵐歳時記]を拝見している。
一番、眩しく感じるのは、毎日、一句だけ季語の織り込まれた自作の句を披露していること。
一作だけというのが肝心である。
小生のように作った…、思いついた…句を、そのままずらずらと並べたりはしないのが大切なのだ。せっかく作ったのだから、出来の悪い子供であっても水に流したくはないと思うのは人情だが、心を鬼にしても、一句に絞ってしまうこと、その過程も句作の修行の一環でもあるわけなのだろう。
でも、小生、今日も羅列してしまう!
新米のお米の輝き炊くを惜しむ
湯気あげて炊けるお米の待ち遠し
炊けた米オカズと食すをためらいし
新米も我が田の米ならぬを惜しむ(昨年から稲作を止めてしまった…)
新米もオイラが炊けば意味もなし
新米と呼べるは短し花のごと
いつまでも新米と思うな新米よ
| 固定リンク
「季語随筆」カテゴリの記事
- 陽に耐えてじっと雨待つホタルブクロ(2015.06.13)
- 夏の雨(2014.08.19)
- 苧環や風に清楚の花紡ぐ(2014.04.29)
- 鈴虫の終の宿(2012.09.27)
- 我が家の庭も秋模様(2012.09.25)
コメント
お早うございます
素敵に涼しい朝ですわよ。「早起き」したので
あちこちで、さりげなく宣伝している私です(爆)。
新米 もう店頭にも今年の新米などと出回る頃ですね。
米を作っていた父母を持つ私にとっても、嬉しいような、淋しいような季節です。
それは、もう二度とあの、棚田で米が作られることは無いとわかっているからかもです。
やいっちさんに、習って・・・・・・。
新米の湯気の向こうに父母の笑み (れ)
投稿: 蓮華草 | 2005/10/05 07:17
蓮華草さん、レス、遅れました。
ここで、改めて、お孫さんの誕生、おめでとう!
今の気分は、まるで天にも登る気持ちなのかな。まだ元気なのにお祖母さんになった気分ってどんな、なのでしょう。
小生の姉も50歳過ぎでお祖母さんになっちゃったけど。姉を見ていると、孫がいるとは到底、思えない!
蓮華草さんのご両親もお米を作られていたのですね。小生の家は父の代で稲作は終焉。こんな不肖の我輩が育ったばかりに。申し訳ない。
新米を噛みしめつつも苦き味
投稿: やいっち | 2005/10/06 08:18
やいっちさん、蓮華草さん
皆さんの田舎では稲作が減ってきているのですね。寂しいですね。
今ごろは稲穂が頭を垂れています。お百姓さんご苦労さまです。でもちょっぴり羨ましいです。
新米や 古米を食して 出世かな
投稿: さくらえび | 2005/10/06 22:31
さくらえびさん、我が家の田圃は下記の有様:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2005/10/post_7dde.html#more
農業も株式会社化されて、農村風景も様変わりしていくのでしょう。
風景は失われたら取り戻せない…のかどうか。
稲穂の海。小生には原風景の一つです。
新米は入手したらすぐに食べたほうがいいようです。古米から順番に、などと殊勝に構えていると、食べ始めた頃には古米になってしまう。
新米と持て囃されて持ち腐れ
投稿: やいっち | 2005/10/07 04:17