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2005/10/01

案山子…去年の田は

 今日から10月である。さすがに10月となると躊躇なく秋と思える。9月は秋めいてきたとは感じても、秋と呼ぶには何処かしら齟齬の感があって、句を鑑賞するにも句作するにも、何処かしら宙ぶらりんだったりするのだ。
 車中でも今年も、もう残すところ三ヶ月になりましたね、という話が出ることがある。過日は大病から治られたという方をお乗せしたが、やはり季節感とか時の移ろいをしみじみというか、切なるものとして感じるようになったとか。
 毎年、同じようにして繰り返す時。が、同じようであって、決して同じではない。少なくとも人は毎年、確実に年を取っているわけだし、体の具合、成熟度合い、子供の成長、親の老い、周囲の環境、特に街並みの変化は断固たる現実として人を切迫したような気分に陥らせる。

 さて、「季題【季語】紹介 【10月の季題(季語)一例】」を眺めていたら、今日は何故か「案山子」に目が合った。
 他にも探索意欲を掻き立てる季語は居並んでいるというのに。
 やはり、少なくとも小生には、「案山子」はいろんな意味で想像力を刺激する言葉=光景なのであろう。

「案山子」を巡っては、これまでエッセイの形であれこれ書き綴ってきた:
案山子のこと
冬の案山子

曼珠沙華…天界の花」でも紹介したが、「曼珠沙華と案山子」といった掌編もある。
 本編は、小生には切ない思い出が織り込まれている。ほとんど風景描写になっているようだが、好きな人の里をしみじみ歩くという設定なので、仕方ない(仕方なかった)のである。

 これらを書いたのは、俳句や川柳の実作を試みるようになる以前のこと。季語としての「案山子」を扱ったことはない。
 なので、季語としての「案山子」の周辺をざっと見ておきたい。

俳句「某は案山子にて候雀殿」の授業」が面白い。
「某は案山子にて候雀殿    夏目漱石」を題材に句を分析し鑑賞し味わっている。
 漱石と子規の関係が髣髴とするような句なので、この頁を一読するのも楽しい。

平成15年 第33回関西俳句講座」なるサイトの「古季語を詠む 茨木和生講演要旨」という項が勉強になる。
「「古季語」とは、季題の中和歌連歌の伝統を負う「竪の題」をいい、俳譜の時代に生まれたやや俗な季語を「横の題」と呼んでいる」というのは、興味深い話だが、今は読み流しておく。
「季語に死語はない」として、「例えば「焼帛」、人毛や獣毛を燃やして害獣に臭いを嗅がしたので「かかし」。案山子と別項にしている歳時記も、むしろ焼帛の傍題が案山子なのです」という説明がとても参考になった。

鹿よけの春のオブジェ? 」という頁の記述や、特に画像が興味深い。

群馬県民リポーター 山ア佳隆さんのページ9」が勉強になる。
「稲田から消えゆく風景」ということで消えゆく風物詩の一つとして「案山子」が採り上げられている。
「みの笠をかぶり、「へのへのもへじ」と書いた顔には手ぬぐいでほおかぶりし、普段着のはんてんやシャツなどを着て、一本足で立つ姿は田園の風物詩でもあります」という記述を読んで、小生に「へのへのもへじ」と題した掌編のあることを思い出した。
 若干(ならざる…)の実話が元になっているが、あくまで創作である。

「「案山子」は場所によってカカシ、ソメ、シメ、オドシなどとも呼ばれ、農作物を鳥獣から守る目的で田畑に設けられる装置の「鳴子」(なるこ)、「鳥威し」(とりおどし)、「添水」(そうず)などとあわせて、ふつう「かかし」と言われています」というのは、群馬県のみに当て嵌まることなのかどうか。
「「案山子」の由来を尋ねると、伝説の世界までさかのぼり、古名は「久延毘古」(くえびこ)と言われ、『古事記』(上巻)に、「久延毘古は、今では山田のそほどという案山子である。この神は足は歩けないけども、ことこどく天下のことを知っている神である」とあって、農耕の神さまとされています」というのは、興味津々。
 案山子の歴史の奥深さを感じる。

「ところで、気がつけば稲田から案山子の姿をほとんど見かけなくなりました。蓑笠の姿一つ無い開けた稲田には、黄金色がどこまでも連なっています。案山子の役割は雀などの鳥たちを驚かせるというよりも、稲穂を守る神さまという儀礼的な意味合いが強いように思われます」という記述は興味深い。
s-DSC01467
 思えば田舎の我が家でも、昔は田圃の隅っこに案山子が父の手によって立てかけられていた。こけおどしめいていたけれど、カラスやスズメの友達にはなっていたのだろうか。

 ←去年の五月に撮影した田圃跡

 その田圃も今は廃されて、見る影もない。「去年(こぞ)の田は夢かとばかりに舞うトンボ」なる句を昨年の夏だったか、小生、ひねったものだった。

三省堂 「新歳時記」 虚子編から 季語の資料として引用しています」という頁は「広辞苑」からの説明が掲げられていたりして、参考になる。
 また、「案山子」の織り込まれた多くの句が載っていて、助かる:

「物の音ひとりたふるゝ案山子かな」  凡兆
「山風に笠取られたる案山子かな」  鼠弾
「水落て細脛高き案山子かな」   蕪村
「秋風の動かして行く案山子かな」 同
「畠主の案山子見舞いて戻りけり」 同
「今朝見ればこちら向きたる案山子かな」 太祗
「今日影道まで出ずる案山子かな」  召波
「立てに行く案山子大勢送りけり」  梅室
「抱き来て如何に備へん案山子かな」  泊雲
「盗んだる案山子の笠に雨急なり」  虚子

「案山子」という題材のせいか(失礼!)、どの句も味わい深いような気がする。

 だったら、小生の駄句も、案山子の威力で秀句に見えるかも、という淡い期待を抱きつつ、いざ、句作だ!


カラスにも見くびられてる案山子かな
雨風に祟られ何を見る案山子
迷子道道標なれ案山子さん
こけおどしそれでも立てる案山子かも
忘れられ畦道に伏す案山子かな
春夏と着替えもなしに案山子立つ
名前だけ思わせぶりな案山子さん
帰り道お前だけが友の案山子かも
案山子さん虚勢を張るのも疲れるね
最後まで意地を通すか案山子殿

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