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2005/10/10

秋祭…後の祭り

 もう既に日付の上では昨日となるが、「ところざわまつり」へ行ってきた。「“所沢の秋の風物詩”「ところざわまつり」毎年30万人前後の人手でにぎわいます」というが、実際、時折、小ぬか雨など降る中だったことを思うと、想像を絶する盛況ぶりだった。
 そうはいっても、「所沢駅西口駅前から、金山町交差点までを、午前9時30分から午後9時まで全面車両通行止めとし、各町内から10基の山車をはじめ、神輿やパレード民謡流し踊り、ストリートパフォーマンス、ライブステージ、そして、お祭の最後にエネルギッシュに祭を盛り上げるサンバカーニバル。艶やかな衣装と情熱的なダンスやパフォーマンスでフィナーレを飾ります」といったこの祭りの中で、辛うじて観たものは、最後のサンバカーニバルだけである。
「まつり」を観に行ったというのなら、「10基の山車をはじめ、神輿やパレード民謡流し踊り」くらいは観ておかないと、ちょっと看板に偽りありである。動いていない山車は何台か観たことは観たが…。中で法被姿の人たちが酒盛りをしている…。それはそれは楽しそうに。
 ということで(と半ば強引に)、今日の表題は「秋祭」を選んだ。一応、秋10月の季語の一つなのである。

「小ぬか雨など降る中だったこと」云々と書いてるが、実際は、細かな雨の雫が終始、漂っていた。サンバパレードが始まるのは、18:45、つまりほとんど夜といっていい時間。
 小生はこの季語随筆でも愚痴めいたことを書いたが、二週間の過密日程をなんとかクリアーして、ほっとした土日だった。尤も、土曜日は組合の大会で一日、これまた明けの日のリズムが狂ってしまい、土曜日の夜になってやっと体調が戻ってきたように感じたのだが。
 しかし、どうも体が熱っぽい。ほんのちょっとでも気を抜くと風邪になりかねない予感を覚えている。水曜日も金曜日の営業も、霧雨か小糠雨と呼ぶべきか迷うような雨の中での仕事。車の中だと濡れないはずなのだが、トイレや休憩や、お客さんの荷物の出し入れなどで車外に出る機会は結構、ある。傘を差すのは躊躇うような雨なので余計、厄介で、急いで雨の中の作業を済まそうとしてしまい、結果として濡れてしまうというわけだった。
 通勤はバイクを使っているが、雨中の走行で、合羽を着用しているものの、これまた濡れてしまう。
 疲労と雨中の営業などで土曜日は、休みつつも、熱っぽさとの戦いでもあった。懸命に風邪の症状に見舞われそうなのを堪えている。月曜日も仕事が待っている。日曜日は、終日、在宅して大事を取ったほうがいいのではないか。
 でも、小生が勝手にファンになっているサンバチームの年内最後のパレードを見逃していいものか。さすがに、日曜日の午後から始まる我がチームの総会には出る気になれなかったが。
 体調を伺いつつ、日曜日の午後、その日の季語随筆を綴っていた。書き始めたのは、午後の2時半。書き終えたのは、4時半。微妙な時間である。所沢でのパレードが始まるのは、夕方の6時半過ぎ。出掛ける準備はまるでしていない。雨だと、さらに重装備となる。
 どうしたものか。空模様を眺めつつ、体調を伺いつつ、躊躇いの30分が過ぎていく。ベランダのドアを開け、空を見上げてみる。分厚い雲…のはずが、雲が薄くなっているではないか。でも、所沢はどうなのか分からない。東京の下町は雨が上がりつつあっても、そろそろ山など迫ってきそうな所沢は雨ということも考えられる。
 会場に行ったはいいが、雨で中止ということも考えられる。
 バカみたいに迷った挙げ句、やはり行こうと思い立った。ようやくの決断。
 自宅から数百メートル離れた場所に置いてあるバイクに跨り、いざ、出陣(ちょっと大袈裟か)。
 出発する以上は、パレードの開始時間に間に合いたい。バイクをスタートさせた時には、既に5時半に近い時間になっていたが、今度は間に合うかどうかでやきもきし始める。
秋祭(あきまつり) 」とは、「秋季に行われる神社の祭礼」で、「別名⇒里祭(さとまつり)、村祭(むらまつり)、浦祭(うらまつり)、在祭(ざいさい)」だという。
「秋祭」と「秋」という言葉が冠せられているのがミソ。つまり、「祭」は本来、夏のものなのである。季語上も、「祭」とあれば、夏の季語となる。「日本国語大辞典第二版オフィシャルサイト:日国.NET 祭」を覗く。
 この頁の記述を読めば、「祭」については、話が尽きてしまう。「祭といえば、季語の世界では夏のものとされ、他の季節のものはそれぞれ春祭、秋祭と呼ばれる(冬祭というのは季語になっていない)。なぜ祭が夏のものかというと、単に夏に祭が多いというのだけが理由ではない」として、以下、「祭」について知りたいことが書いてある。
「平安時代には単に祭といえば、この葵祭をさしたほどだった。葵祭は官祭つまり国家行事として行われてきたので、平安の王朝風俗を今も色濃く残し、その華やかさは日本一といわれている」という。「クライマックスはなんといっても山鉾巡行」というが、その全てが夏場に行われる。
 葵祭の起源は、暴風雨や疫病などを「鎮めるために行った御霊会(ごりょうえ)が始まりだという」。
 つまり、夏の祭というのは、「御霊というのはこの世に恨みや未練を残したまま他界したので、人間界に災厄を加える悪霊のこと。この荒ぶる御霊を鎮めるために行うのが御霊会である。つまりともに禊(みそぎ)、祓(はらえ)を目的とした祭なのである」という。
 一方、「春祭や秋祭は農耕と結びつき、五穀豊穣を祈り、感謝する意味あいのものである。それでもしだいに夏祭も農村に受け入れられていったのは、農村固有の水神祭との結びつきがあったからである」というのだ。
 より詳しくは、上掲のサイトを覗いてみて欲しい。

ところざわまつり」がどのような契機で始まったのか、小生は知らない。
1.「ところざわまつり」の歴史」によると、冒頭に、「「ところざわまつり」は、山車が中心のお祭。明治初期から山車の曳きまわしが行われ同後期には9月15日に催される神明社・秋の祭礼に各町内から山車が集るようになったと伝えられております。その起源については、明確ではありませんが、所沢にのこる山車の購入や制作年代から類推すると、明治初期からと考えられます。」とある。
「山車が中心のお祭」ならば夏の祭っぽいのだが、当初から秋の祭として始まったようでもある。
「市制施行を記念する「ところざわ山車まつり」は5年に1度2日間開催されます。」ということで、「前回は2000年10月7日8日。次回は2005年に2日間予定」だから、ちょうど今年がその目出度い年に当たっていたわけだ。その意味でも、「ところざわまつり」の肝心な山車の曳きまわしを観なかったのは改めて惜しまれる。一昨年は、何台かの山車の画像を収める余裕があったのだけれど。

 さて、祭というと、祭へ寄せる思いは人様々である。特に若い人となると、年配の方たちとは一味違った思い入れがあったりする。
 久しぶりに黛まどかさんの世界に登場願おう。「黛まどか「17文字の詩」99年10月の句」の中に、「弟に文を持たせて秋祭」なる句が載っている。その鑑賞文がまた、一つのドラマである。
「遊園地もディスコも何もない小さな町に暮らす少女たちにとって、秋祭りや花火大会はときめきのイベント。祭りの灯の下で会うあこがれの人は、学校の制服を着ているときとはまた違い、さらにすてきに見えるものです。」という、つかみの部分は、まあ、読み流すしかない。
 昨日の所沢祭りも、駅前周辺に限らず、家族連れなどは勿論だが、若いカップルや、とにかく若い人の姿を大勢見かけた。祭というと、何か切迫するような、焦るような、何かあるような、今日のうちに何かしておかないといけないような、そんな熱気が満ち溢れるようでもある。
 以下の鑑賞文は、リンク先を覗いてみて欲しい。
(この句は、季語随筆「草の花…子規忌」の中でも採り上げている。よかったら覗いてみて。)

 小生にも同じような思い出が…と書きたいが、それはさておいて、ここでは違うことを書いておきたい。

 もう三十年も昔のこと、バイクの免許を取った夏、小生は中古の故障しているバイクを駆って、大学のある仙台から富山への往復旅行を敢行したことがある。
 これは正に敢行だった。バイクのチェーンがチェーンカバーに擦れていて、走っているとカラカラカラと不気味な音を立てているのだ。それでも、中古ではあれ、やっと手に入れたバイク、やっと取った免許なのだ。何が何でも千台から富山までバイクで往復したかったのだ。道も何も分からないで走る。ガス欠。故障。迷い道。箱根の山が我がバイクでは登れなくて、ローギアにしても、ハーハーゼーゼー言って走る始末。明るいうちに昇り始めたのに、途中、暮れ初め、深い霧に覆われ、どうなることかと不安の念が昂じるばかり。

 まあ、そんなドラマの数々は、いつか書き下ろす機会があるものと期待している。ただ、二千キロを走りきって仙台になんとか戻ったのはいいが、タイヤがパンクしており、チェーンは切れかかっていて、無事で帰れたのが不思議なくらいだったことは書いておく。

 さて、当時は国道さえ、一部は舗装されていなくて砂利道だったりする。道が分からないのだから、ひたすら国道に沿って走っているつもりなのだが、曲がりくねる砂利道を長く走っているうちに日が暮れてしまった。周辺も空も真っ暗闇。街灯などない。民家もなくて、しかも、道はドンドン山の中へと呑み込まれて行くようでもある。
 どれほど走ったことだろう。不安も頂点に達していた。幸い、夏の雨に祟られることのなかったのは助かったと今でも思う。あれで雨に降られていたら、途方に暮れていたに違いないのだ。
 闇の道をよりによって一層、深い闇の世界へ分け入っていくような感覚があった。盛り上がるような黒い影。きっと鬱蒼と生い茂る森か林が黒い物塊となって自分に圧し掛かろうとしているに違いない。中古のバイクのヘッドライトは、懐中電灯じゃないかと思われるほどに頼りない。本当に照射しているのか、前に回って確かめてみたくなる。いっそのこと、懐中電灯で照らしたほうが余程、明るいのじゃないかとバイクに突っ込みを入れてみたくなる。
 でも、しない。突っ込んだ挙げ句、バイクに逆切れされても困る。下手するとバイクの奴、自棄を起こして、藪に突っ込むかもしれない。それでは薮蛇である。
 夜になって何時間、山道を走ったろうか。不意に、明かりが明滅し始めたのである。
 狐火でも人魂でもなく、明らかに民家の明かりだ。
 と思ったら、違っていた。明かりが行列のように延々と続いている。
 峠の道の向うなので、正体が分からない。
 やがてまた、カーブを曲がっているうちに明かりが闇に没してしまった。一瞬の夢。束の間の期待。 
 それでも、淡々と走る。
 すると、また、不意打ちのように光の列に出くわす。
 観ると、それは、提灯の列なのだった。何かの夏祭りの祭礼の提灯だけが、家々の軒先などに並んでいて、どの提灯も、明かりが灯されている。
 けれど、人影は疎らどころか、全く、ない!
 夜も大分、更けていて、とっくに祭の催される時間帯を過ぎていたのだ。あるいは、翌日の祭を控えての準備の果ての提灯の列だったのか。
 家々の玄関も窓もしっかり閉まっている。軒先に明かりが灯っていることはない。明かりというと、提灯の明かりだけなのである。提灯の紙などから漏れ出す、橙色の光が家の壁や窓をぼんやり照らし出す。
 ああ、あの家の中に人がいる…はず。でも、誰も表を覗いてみるはずもない。
 ただ、祭礼の提灯だけがちんまりと並び、やわらかな肌色の光を幻のように周辺に漂わせているだけ。
 自分だけが場違いな時空間に迷い込んだようで、祭りの後の寂しさ以上の、孤独感を覚えていた。
 同時に、空も星が見えないし、月だって照っていない。山も森も大小の黒い塊と化しているだけ。その闇の世界に祭礼のための提灯の明かりが、何か夢のように幻のように浮かび上がっている。自分は夢の世界に紛れ込んでしまったのではないか。自分で気が付いていないだけで、とっくの昔、道を踏み外し、どこかの崖から奈落の世界へ飛び込んでしまっているのではないか。この世ではなく、あの世の入口の扉をうっかり叩いてしまい、寝静まったというより、永遠の眠りに就いている人々だけの町、死の町の住人になってしまったのではないか。人影がないのは、ここが死の町だからだ。祭礼の提灯ではなく、葬礼の日の提灯なのではないか。
 切実なのに抽象的な不安。
 それでも、やがてそんな温もりのない肌色の光を放つ提灯の列の間をすり抜けてしまったのだった。
 また、完璧な闇の世界。
 あの夜、自分はどこをどう走ったのだったろうか。夜をどう遣り過したのだったろうか。まるで記憶がない。ちょうどそんなように人生をうっかり通り過ぎてしまう…。
 そんなことのないよう、祭りの時は、祭りをしっかり楽しむことだと思う。人波に揉まれてそぞろ歩くことが大切なのだと思う。

 さて、サンバパレード見物の顛末は、また別の機会に書くことにする。夜の撮影は、失敗の連続、なんて話は人様にはつまらないことだろうし。
 祭りとカーニバル。この両者については調べる余地がたっぷりありそう。狂騒の夜。村祭り。村の祭りという意味なのか、ムラムラする祭りだから、本来はムラ祭りだったのじゃないか、などといった揣摩臆測は、いつか、どっぷりとやってみたい。


秋祭思いばかりが空回り
秋祭今か今かと急くごとく
山車よりも人の後追う秋祭
秋祭人影絶えし道を行く
秋祭出会ってみれば夢の中
秋祭出会う人みな火照ってる
秋祭終わってみれば後の祭り

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