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2005/10/26

読書拾遺…山田の中の…

 ついさっき、坂本勝著『古事記の読み方』(岩波新書)を読んでいたら、「案山子」についての記述を見つけた。この本は、一昨日までの帰省の際、列車中での読書用に借り出しておいたもの。ほかに、読み止しのミラン・クンデラ著の『裏切られた遺言』(集英社)やポール・ホフマン著の『数学の悦楽と罠―アルキメデスから計算機数学まで』(吉永 良正/河野 至恩/中村 和幸訳、白揚社)も用心のため持参。
 さすがに、日本文学大系の正宗白鳥集は、読みきれる見込みもなく、バッグに詰め込むのは断念した。
 実際、クンデラの本は、田舎で夜中などに読んで読了したが、『古事記の読み方』は半分ほど、『数学の悦楽と罠』は百頁ほどを車中で読めただけ。

 田舎では空いた時間は、ほとんど寝て過ごした。家事に疲れたからというわけではないはずだが、自分でも驚くほど居眠り・仮眠・惰眠の連続になってしまった。東京での生活で疲れが溜まっているから? 田舎にいて張っていた気が緩んだから? 秋も深まり一気に寒さが募って、眠りの深さも増したから? 理由はあれこれ考えられる。
 それだけではなく、往復の列車中でも、土日を外しての移動を心掛けたせいか、自由席もガラガラで、一人で二人掛け、三人掛けの席を占有できて、そのゆったり感もあってか、やはり本を十頁ほど読んでは転寝の繰り返しで、それを阻む唯一の気がかりといえば、乗車すべき列車やホームを間違えないこととか、居眠りしていて下りるべき駅を乗り過ごしてしまわないかということくらいのもの。
 頭の中はあれこれ思いの惑い募ることもないわけではないけれど。

 それにしても、折々車窓から上越や北陸の風土、山、谷を眺めつつ、「古事記の読み方」を読むのは一興であり、悦楽だったりする。日本のどこの山奥も、人が分け入った地には古今のドラマがある。その圧倒的大半は忘れ去られ歴史からも記憶からさえも消え去ってしまって、今は痕跡さえも残っていないのだろう。
 仮に万が一、あるいは幸いにも歴史に何かの記録が残っていた場合でも、歴史や記録の(後世に残る)多くは、勝者の記録、勝者の利害や後付けの論理や都合で記述され、反って真相が有耶無耶に、それとも歪曲されて綴られていくものだったりする。
 それだからこそ、歴史学も重要だが考古学も大切であり、同時に文学的発想も必要なのだと思う。
 あの、町外れの、地元の人にさえ忘れ去られたお地蔵さんや、傾げてしまった社には一体、どんな物語があったのか。あの、藪の中に消えていく雑草に覆われた古びた石段は、どんな未知の世界へ続いていくのか。知りたくてならない。声なき声に耳を傾けて見たい、じっと耳を凝らしてみると、沈黙の声が、嗚咽が、叫びが聞こえてくるようでもある…。
 そうして…、気が付くと…、居眠りしていた自分に気が付く、というわけなのだった。

 さて、坂本勝著『古事記の読み方』(岩波新書)の中で見出した「案山子」に絡む記述とは。
 小生は、今まで、季語随筆の「案山子…去年の田は」を始め、その中でも紹介している「案山子のこと」、「冬の案山子」などのエッセイ、「曼珠沙華と案山子」という題名の掌編と、「案山子」をテーマにあれこれ書き綴ってきた。
 が、どうやら考えようによっては肝心のことを書き漏らしていたようである。
 小生は、「案山子のこと」の中で、文部省唱歌の『案山子』の存在に言及している。「山田の中の一本足の案山子♪」というあれである。その歌詞の一部は、この雑文の中にも引用してある。
 ところで、小生、「この歌の何処か滑稽味のある歌詞も、覚えやすく歌いやすいメロディも、子供には馴染みやすいものだった」と、この唱歌について言及するだけで、さっさと他の話題に移ってしまっている。
 唱歌についてはその気のある人にちょっと口ずさんでもらえればそれでいい、程度のものだった。
 
 まさに、この唱歌についてなのだが、坂本勝著『古事記の読み方』の中で、この唱歌の、特に「山田の中の…」という歌詞に拘る形で、次のように記述されている。
 著者の坂本氏も書いているが、この唱歌に限らず、「歌詞の意味には案外無頓着で、意味も分からず歌っていた歌も多い」のである。
(「君が代」の歌詞のうちの「巌となりて…」を、著者は「岩を隣りて」と思っていたとか、友人は「岩音鳴りて」だと信じていた、という余談も面白いのだが。ま、その前に、「巌となりて」について、小生としては一家言、なくはないのだが…。)
 著者の坂本氏は、「山田の中の…」と歌っている中で、「それでもなぜ「山田」なのだろうという気持ちはあった」
というのである。
 つまり、「案山子は平地にも立っていたから「たんぼの中の」で一向に構わないのでは、理屈を言えばそんな気持ちである」というのだ。
 小生は、全く、疑問も何も感じなかった。せいぜい語調がいいから詩人特有の語感で天賦の才という奴が閃かせたものなのだろう、という程度だった。
 
 坂本氏は、以下の一文を転記しつつ、「この疑問は古事記を読んでいったんは氷解した」という:

故、その少名毘古那(すくなびこなの)神を顕(あら)はし白(まを)せし謂(い)はゆる崩彦(くえびこ)は、今者(いま)に山田のそほどといふぞ。この神は、足は行かねども、尽(ことごと)に天の下の事を知れる神なり(古事記)

 ああ、情なや。小生、幾度となく「古事記」は読んできたはずなのに、しかも、この記述はそれなりに印象的でもあったのに…。

 さらに本書から続きの部分を転記する:

 小形神スクナビコナがやってきた時、誰もその神の名を知らなかった。タニグクが「クエビコなら知っているだろう」と言うので尋ねたところ、彼は見事にその名を答えた。クエは動詞「崩(く)ゆ」(崩れる)に、ソオドは「濡(そぼ)つ」(ぐっしょり濡れる)に由来する語で、ともに風雨に曝され体がぼろぼろになった案山子の別名である。そこに「山田の」とある。唱歌の結びは「歩けないのか山田の案山子」。この歌は明治四四年の『尋常小学唱歌』に掲載されたもので作者は不明だが、「山田の」という言い方は確実に古事記につながっている。

 さて、では、「唱歌の案山子が山田に立っている理由は一応分かったが、古事記の案山子はなぜ山田なのか。」
 以下、さらに本書より転記させてもらう(p.148-9):

 平地が少ない日本では山裾を切り開いて田を作ることが多かった。農作物を荒らす鹿や猪は山から降りてくるから、最前線で防護するには山と里が接する所がふさわしかったのかもしれない。防護のために魚の頭や獣肉の異臭を《嗅ガシ》た。神札を立てて神威に頼る場合もあった。それは、外部からの侵入する鳥獣の害を異界の霊威の表れと感じたからだろう。古代人にとって、山はある種の異界に通じる場所だったのである。ことごとく天下の事を知っているような案山子の姿を髣髴とさせるが、同時に境界に立つ神として、こちら側とあちら側の双方に通じていたからだと思う。案山子のことをソメ、シメという地方もある(『民俗学辞典』東京堂出版)。シメは占有を意味する。案山子そのものが結界の標(しるし)なのである。彼が名を明かしたスクナビコナは異郷の神だから、ここで言う「天下」は神々の世界をも含んでいる。クエビコの知恵はこの世の果てまで見通すのである。タニグク(蝦蟇=がまがえる)が現れるのも同じ理由だろう。湿った山陰や藪に身を潜める蝦蟇は、昼間はクエビコ同様じっとしていて、夜になるとゆっくり身を動かし谷間の奥を這い廻る。物陰を潜行するようにしてタニグクが入り込む幽遠な場所を、古代人は陸地の果てと考えていた。「皇神(すめがみ)の敷きましう島の八十島は、谷グクのさ度(わた)る極み、塩沫(しほなは)の留まる限り」(祈念祭り祝詞、岩波日本古典文学大系)。タニグクの「グク」は鳴き声に基づくとみる説もあるが、祝詞の表現からは動詞「潜(く)く」によるとみた方がよさそうだ。この世の果てはあの世の入り口だから、クエビコもタニグクも、人の窺い知れない世界に通じていたのである。
 醜怪な姿と毒液を分泌するためか、蝦蟇は悪役とされることが多いが、東南アジアや日本では降雨の力と結びつけられることもある。近世以降に広まったガマの油もささやかな幸の一つである。子供の頃、縁日の油売りを見てその力に眩惑されたことがある。「醜い疣(いぼ)もころりと落ちる」そんな口上を述べながら油を一塗りし、目の前で即座に落としてみせたのである。そんな筈はと思ったが、取ってもらったのは顔見知りの子だったから疑いようがない。無性に欲しくなったが、小遣い銭では足りない。それなら自分で捕まえようと、脂汗を流したのは私の方でとても手は出せなかった。異界の入り口では向うの方が主(ぬし)なのである。

 田舎で読了したミラン・クンデラ著の『裏切られた遺言』(集英社)についても、読みかけの『数学の悦楽と罠』の中のある記述と絡め、若干のことを書きたかったが、長くなりすぎたので、後日を期して、ということにする。


[ 余談も余談だが、「唱歌の案山子が山田に立っている理由は一応分かったが、古事記の案山子はなぜ山田なのか。」という筆者の鋭い嗅覚が嗅ぎ取っている疑問について、小生などはもっと単純な理由を思っていた。
 けれど、あまりに単純素朴すぎるので、含蓄深い論考に口を挟めなくなってしまった。
 というのは、「山田」というのは、無論、古事記の「山田」に由来するのだろうとしても、この文部省唱歌「案山子」を作った方は、「山田」に「越の八俣(やまた)のヲロチ…」の「八俣(やまた)」が(駄洒落とは言わないが、音韻的にもだし)含意させているように小生は素朴に直感したのである。
稲作…自然…櫛」にて「八俣(やまた)のヲロチ」の凶暴ぶりを扱っているが、奴は確かに暴れ者ではあり嫌われ者でもあるが、「足は行かねども、尽(ことごと)に天の下の事を知れる神」の一種であることも間違いないのである。

 こんな野暮なことを思ったのも、筆者の語る「平地が少ない日本では山裾を切り開いて田を作ることが多かった。農作物を荒らす鹿や猪は山から降りてくるから、最前線で防護するには山と里が接する所がふさわしかったのかもしれない。防護のために魚の頭や獣肉の異臭を《嗅ガシ》た」という導入部分、特に「平地が少ない日本では山裾を切り開いて田を作ることが多かった」と持ってくる話の筋を持って行く遣り方が、ちょっと強引かな、と思われたからでもある。
 棚田ほど極端でなくても、確かに平地など少なくて(平地は先住する民族が占有していたろうし、平坦に見えても、川が増水したらすぐに氾濫するゆえに先住する一族(部族)は敬遠するのが常識だった地帯だったりしてのだろう故)最初は山間や荒地や河っ淵、あるいは後背湿地のような一角にしか田を作れなかったろうけれど、「平地が少ない日本では山裾を切り開いて田を作ることが多かった」とまで局限するのは、論旨として素直にはついていけないような気もするのだ…。
 反論というには、ちょっと冴えない、低級すぎる感想なので、ここに、こっそり付記しておくものである。 (05/10/30 追記) ]

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コメント

最後尾に、ちょっとだけ追記しました。

投稿: やいっち | 2005/10/30 06:27

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