二週間の過密日程の日々がやっと終わった。と思ったら、金曜日の営業が今朝七時過ぎに終わってからも、組合の大会があって、参加してきた。
徹夜勤務明けの集会は辛い。集まれば多少の手当てがもらえるというエサに釣られたわけじゃないけれど、組合の大会には必ず出席している。
エサは、お話だけだった! 決算報告があったが、その資料も貰えず!
エサなどなくたって今までだって出席してきたのだ。エサを出さないのなら、最初からそう言えばいいのに。
組合の団結! という立派なスローガンは寂しく見えるばかりだ。
ま、いっか。
大会に参加するといっても、何も発言はしない。
日本は、労働組合はドンドン、潰されていく流れにある。そんな中、タクシーなどの自動車関連の組合も同じだ。不況が組合の退潮の趨勢に追い撃ちを掛けているようだ。けれど、組合がなくなったら、末端の労働者の声を代弁する場所も手段も勢力もなくなってしまう。
強いものが一層、強くなる社会。弱いものは徹底して圧殺されていく。
タクシーにしても、週の労働時間の規制が厳しくなる中で、小生のような20時間労働という労働集約的な労働形態が厳然としてある。組合は、こういった業界ではなくてはならないのだ。但し、法的に。
法的にとは、形だけでも組合がないと会社も立場上、困る…。だから、形ばかりの組合に過ぎない会社・業界も多い、というわけである。
会社の声、資本の声、消費者の声が圧倒的に強いから、組合は労働者の生活や主張の代弁をするというより互助会的な存在に止まりがちなのである。
だから、たとえ小生の現状が幽霊組合員に過ぎなくても、その他大勢の一人であっても、組合員の一人であることで、弱者の代弁者の団体の一助になれればそれでいいのだ。
徹夜勤務明けのさらなる活動参加、ということで、生活のリズムが狂い、二週間の疲れがドッと出たこともあり、本日は帰宅してからは、ひたすら寝て過ごした。
今は、ちょっと目覚めているけれど、また、寝ちゃいそう。明日には元気、快復といきたいね。
なんとなく、昨日NHK・FMで聴いた上原 彩子のピアノの音色の余韻が残っているような。聴いた曲は:
「ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23」
チャイコフスキー作曲
(36分20秒)
(ピアノ)上原 彩子
(管弦楽)ロンドン交響楽団
(指揮)ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス
この上原 彩子さんというのは、3年前(?)のチャイコフスキーピアノコンクールで日本人として初めて、かつ、女性として初めて優勝した(第一位!)方。
小雨の三連休前の金曜日は忙しかった。トイレにいく時間もタクシーを回送にして路上から逃げるように裏道に車を走らせ、やっとのことで確保する始末。
そんな中の曲には慰められる。
他にも、「「“ベルガマスク組曲”から“月の光”」 ドビュッシー作曲」を聴いたり、太田 裕美のホスト番組で、以下の曲を、お客さんをお乗せする合間を縫って、貪るように聴いていた:
「スターティング・オーヴァー」 (ジョン・レノン)
「誰より好きなのに」 (古内 東子)
「くちびるヌード・咲かせます」 (エ ポ)
「恋人も濡れる街角」 (中村 雅俊)
「イントゥ・ザ・ハリウッド・グルーヴ・フィーチャイング・ミッシー・エリオット」(マドンナ)
「雨だれ」 (太田 裕美)
「ラヴァーズ・デイ」 (氷室 京介)
「さくらんぼ」 (大塚 愛)
「明日なき暴走」 (ブルース・スプリングスティーン)
「愛のコンチェルト」 (リチャード・クレーダーマン)
「あの日にかえりたい」 (荒井 由実)
「ダーリング」 (沢田 研二)
「アイ・ドゥ・イット・フォー・ユー」(ブライアン・アダムス)
「桜木町」 (ゆ ず)
「トワイライト~夕暮れ便り」 (中森 明菜)
「私はピアノ」 (高田みづえ)
夜中には、島倉千代子や五木寛のヒット曲の数々。聞き惚れてしまうね。往年の勢いが今、若干、薄れているような…。気のせい?
音楽の魔力。好きな曲が掛かると、そのイントロが流れ出すだけで沈滞した心が浮き立つようになってしまう。不思議だ。眠っている、忘れている自然が目覚めるからなのだろうか。
さて、表題の作業に入ろう!
最近のコメント