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2005/10/08

嶋岡 晨著『現代詩の魅力』抜粋(9)

 二週間の過密日程の日々がやっと終わった。と思ったら、金曜日の営業が今朝七時過ぎに終わってからも、組合の大会があって、参加してきた。
 徹夜勤務明けの集会は辛い。集まれば多少の手当てがもらえるというエサに釣られたわけじゃないけれど、組合の大会には必ず出席している。
 エサは、お話だけだった! 決算報告があったが、その資料も貰えず!
 エサなどなくたって今までだって出席してきたのだ。エサを出さないのなら、最初からそう言えばいいのに。
 組合の団結! という立派なスローガンは寂しく見えるばかりだ。
 ま、いっか。

 大会に参加するといっても、何も発言はしない。
 日本は、労働組合はドンドン、潰されていく流れにある。そんな中、タクシーなどの自動車関連の組合も同じだ。不況が組合の退潮の趨勢に追い撃ちを掛けているようだ。けれど、組合がなくなったら、末端の労働者の声を代弁する場所も手段も勢力もなくなってしまう。
 強いものが一層、強くなる社会。弱いものは徹底して圧殺されていく。
 タクシーにしても、週の労働時間の規制が厳しくなる中で、小生のような20時間労働という労働集約的な労働形態が厳然としてある。組合は、こういった業界ではなくてはならないのだ。但し、法的に。
 法的にとは、形だけでも組合がないと会社も立場上、困る…。だから、形ばかりの組合に過ぎない会社・業界も多い、というわけである。
 会社の声、資本の声、消費者の声が圧倒的に強いから、組合は労働者の生活や主張の代弁をするというより互助会的な存在に止まりがちなのである。
 だから、たとえ小生の現状が幽霊組合員に過ぎなくても、その他大勢の一人であっても、組合員の一人であることで、弱者の代弁者の団体の一助になれればそれでいいのだ。
 徹夜勤務明けのさらなる活動参加、ということで、生活のリズムが狂い、二週間の疲れがドッと出たこともあり、本日は帰宅してからは、ひたすら寝て過ごした。
 今は、ちょっと目覚めているけれど、また、寝ちゃいそう。明日には元気、快復といきたいね。

 なんとなく、昨日NHK・FMで聴いた上原 彩子のピアノの音色の余韻が残っているような。聴いた曲は:

「ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23」
                    チャイコフスキー作曲
                      (36分20秒)
                    (ピアノ)上原 彩子
                 (管弦楽)ロンドン交響楽団
      (指揮)ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス

 この上原 彩子さんというのは、3年前(?)のチャイコフスキーピアノコンクールで日本人として初めて、かつ、女性として初めて優勝した(第一位!)方。
 小雨の三連休前の金曜日は忙しかった。トイレにいく時間もタクシーを回送にして路上から逃げるように裏道に車を走らせ、やっとのことで確保する始末。
 そんな中の曲には慰められる。
 他にも、「「“ベルガマスク組曲”から“月の光”」   ドビュッシー作曲」を聴いたり、太田 裕美のホスト番組で、以下の曲を、お客さんをお乗せする合間を縫って、貪るように聴いていた:

「スターティング・オーヴァー」      (ジョン・レノン)
「誰より好きなのに」             (古内 東子)
「くちびるヌード・咲かせます」        (エ   ポ)
「恋人も濡れる街角」             (中村 雅俊)
「イントゥ・ザ・ハリウッド・グルーヴ・フィーチャイング・ミッシー・エリオット」(マドンナ)
「雨だれ」                  (太田 裕美)
「ラヴァーズ・デイ」             (氷室 京介)
「さくらんぼ」                (大塚  愛)
「明日なき暴走」     (ブルース・スプリングスティーン)
「愛のコンチェルト」     (リチャード・クレーダーマン)
「あの日にかえりたい」            (荒井 由実)
「ダーリング」                (沢田 研二)
「アイ・ドゥ・イット・フォー・ユー」(ブライアン・アダムス)
「桜木町」                  (ゆ   ず)
「トワイライト~夕暮れ便り」         (中森 明菜)
「私はピアノ」                (高田みづえ)

 夜中には、島倉千代子や五木寛のヒット曲の数々。聞き惚れてしまうね。往年の勢いが今、若干、薄れているような…。気のせい?
 音楽の魔力。好きな曲が掛かると、そのイントロが流れ出すだけで沈滞した心が浮き立つようになってしまう。不思議だ。眠っている、忘れている自然が目覚めるからなのだろうか。

 さて、表題の作業に入ろう!

原満三寿(まさじ)『かわたれの彼は誰』(青娥書房)

(註:詩人で且つ名立たる俳人でもあるとか。「間もダムもしずかに漏水せり」「暗い過去だったと語りおえし大山椒魚」「ぬあああんだぬあああんだと桜噴く」(「『句集 日本塵』青娥書房」より)。表題の本『かわたれの彼は誰』の内容は分からない。)

近藤洋太『水縄譚』(思潮社)

(註:「オウム以後 詩人 近藤 洋太さん 〈下〉」もある。)


加島祥造・新川和江詩集『潮の庭から』(花神社)

遠い梢にほっかり白い花が見えますので
あなたの木、と小鳥にはすぐわかる
こころだけがさやかに見えるその距離を
藁しべみたいな詩の一行をくわえ、
嬉しく 嬉しく 小鳥は運んで行くのです。

 … … … …

ああ
先頭集団から遅れて
ラストコーナーを廻った馬には
目をとじ 耳をふさぎ 口をつぐみ、
心だけひらく機会(チャンス)が
もう一度
めぐってくるか、 どうか……
                    (新川)

死んでから返す、という約束で
借金できる未開民族があるそうな。
若し 彼らに競馬をやらせてみたら……
                    (加島)

 … … … …

あの星の群は
かつて宇宙に打ち上げられた大花火
                    (加島)

わたしには悟性が足りない
 … … … …
こわばった体のなかで
心はこんなにも柔らかになるものなのか
                    (新川)


ねじめ正一『「ことば」を生きる――私の日本語修業』講談社現代新書


中江俊夫「死んだ詩人へ」

追悼詩など書かない
下手くそな 勿体ぶった
日銭かせぎのしがない詩人のことばなど何の役に立つ
詩人の涙より犬の涙だ
……

真辺博章「鳥」

僕の記憶のなかにある限り
あの鳥は
そこに存在しているのだ


鎗田清太郎「鳩に関するノート」(『鎗田清太郎詩集』土曜美術出版販売)

鳩は何を心のささえにして
苦しい飛行をつづけたのだろうか


井川博年


辻征夫


城侑(じょうすすむ)『被爆一七〇〇〇の日々』

それからしばらくして
こんどは中学三年に在籍中の
孫の長男にも赤信号がともったのだ
平成元年四月のことだ
新学期に入って間もなく
長距離ランナーになろうと身体検査を受けたところ
白血球の数が少なく
精密検査を受けるようにと
担当のY先生から手紙が回送されてきたのだ
                           (「第三世代」)

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コメント

かって国労という労働組合としては最強の部類に入る組合がありました。
目の上のタンコブと思ったのかどうか、法律まで作り国鉄を廃止して、全員解雇、(選別してJRに再雇用)。
つまり国労つぶしです。通常ならば不当労働行為そのものですが、法律まで作り合法化。
国鉄の膨大な債務があり再建は必要だったと思います。国労にも問題はあったでしょう。
しかし、是以後、多くの労働組合の弱体化、社会党の凋落。働く者には冬の時代とも言えます。
 弥一さんも厳しい中、頑張って下さい 体をこわさないでね。

投稿: 国労 | 2005/10/08 22:10

↑名前欄に国労と間違えました、健ちゃんです。

投稿: 健ちゃん | 2005/10/08 22:13

健ちゃんさん、こんにちは。
国労ですか。小生の父は旧国鉄マン。鉄道一筋。頑張った先は中間管理職的な立場に。で、国労には散々ひどい目に遭わされたとか。国労の連中の中には、碌でもない所業に及ぶ輩もあったというし。
それでも、国労はともかく、労働組合の果たすべき役割は大きいと思う。ネット時代なのだし、もっとネットを活用して横のつながりを強化するとか(多様多彩な組合その他の組織の横断)、時代に即した情報交換と連繋の在り方を探るべきだと思う。
それにしても、国鉄の債務を煙草の税に上乗せした政権のやり方。愚かとしか言いようがない。スモーカーには、とんだとばっちりという奴かな。

投稿: やいっち | 2005/10/09 01:28

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